パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

きょうは日記を書かないつもりでいたが、(ネコティさんを始めとする読者の皆さんが気にしていることもあり)7月5日に上演する寸劇脚本の仕上がり状況を載せておこう。

昨日、やはりなんだかんだが(本日が期末なもので…)あって、結局脚本を書きはじめることが出来たのが夜の9時過ぎ。

頭の中に構想はあったのだが、いざ書きはじめると筆が(キーボードが)進まない。何度も何度も書き直すが、途中で行き詰まってしまった。もはや神は我を見放したか……と、絶望の淵に追いやられたのが深夜1時過ぎ。

えーい!と、もう一度ワードの画面をまっ白にしてイチから書き直した。

あらかじめ頭の中に構想があったわけではないのだが、キーボードを打つほどに、ストーリーが浮かんできた。

うむ。これなら書けるかも。

登場人物の性格付けを行い、あらすじを書き終えたのが午前3時ころ。

いま読み返してみたが、面白い脚本になりそうだ。

ということで、本日は「釘さん日記」読者の皆さんだけへの特典。出来たてほやほやの、脚本のあらすじ(というか、物語の背景かな)を以下、公開することにしよう。

寸劇 「流星」

【あらすじ】

大野コンピュータは、1980年に設立された中堅コンピュータ販売会社。設立以来、カリスマ創業者の陣頭指揮のもと着実に業績を伸ばしてきたが、不動産投資の失敗により5年前から業績は低迷気味。創業社長も同時期に病気のためリタイア。残った経営陣は若いころ(バブル時)の成功体験にしがみつくのみで、なかなか業績を立て直せずにいた。

そんななか、外部から新しく社長に就任したのが創業者の娘婿である下薗博康。下薗は、某中堅商社の次期社長候補として嘱望されていたのだが、愛する妻からの強い要請もあり、大野コンピュータへの転職を決意。病床にいた創業者の後押しもあり、入社半年後の株主総会で役員に選任された直後に社長に就任した。

下薗が業績立て直しのためにまず行ったことは大胆な組織改革。それまで上意下達で硬直化していた組織をフラット化するために多くの部や課を廃止し、戦略的なプロジェクト(タスクフォース)を数多く立ち上げた。バブル期に活躍していた50歳前後の部課長たちに代わって、若くてヤル気のある30代の人材がプロジェクトのリーダーとなっていった。

もうひとつ下薗が行ったことが、5年間中断していた新卒採用の再開。翌年の春には、下薗が自ら採用担当者となり10名の新卒者を採用。下薗の人間力に惹かれた優秀な若者たちが、誰一人辞退することなく入社してきた。そして、その中でももっとも優秀だった女性新入社員の鮎川を、自分の後任の採用担当者として指名した。下薗が鮎川に与えたミッションは、「3年後の優秀人材を10名採用すべし」ということ。

鮎川が下薗に言われたのは、「いま優秀である必要はない。3年後に全員がそれぞれの持ち味を生かしながら会社の業績に貢献できる人材として育ってくれればそれで良い。あとのやり方はすべてお前に任す」というものだった。

しかし、新入社員の鮎川には、何が優秀なのか、ということも、何が会社の業績に貢献することになるのか、ということもよく分からず、ただただキョトンとするばかりだった。

そして下薗自身はアジア市場を開拓するため、鮎川に次年度の新卒採用を託した直後、香港に単身赴任。中国や東南アジア各国を飛び回っており、日本には一度も帰ってこずじまい。海外事業が軌道に乗るまで、おそらくあと一年間は日本を留守にすることになるという。

本社では、下薗が行っている様々な組織改革を快く思っていなかった専務の竹村と人事部長の伊藤とが結託して、鮎川の採用業務を妨害しようとしていた。

一方、鮎川は竹村や伊藤の妨害を受けつつも、下薗から与えられたミッションを忠実に果たすべく、悪戦苦闘を繰り返していた。えげつない就職情報会社の採用コンサルタント柳原と喧嘩したり、密かに鮎川に恋する社内の先輩とひと悶着あったり……。鮎川は、そこで一つの真実に近づいていくのだった。

さてさて、この続きはどうなりますことやら(笑)。

いま、第一幕の途中まで書けた。全三幕構成なのだ。

全貌は7月5日の職サークルシンポジウムで^^。

では、第16期の最終日。いつもどおり「梅ちゃん先生」をみてから行ってきます!

君の欲しいものは何ですか?

2012年6月28日 (木曜日)

7月5日の「職サークルシンポジウム」まで、いよいよあと一週間となった。

このシンポジウムは、「新卒採用の、そもそもの意義や役割や価値を問いただし、これからの新しい新卒採用のあり方を皆で考えてみよう!」という趣旨で、昨年から始めたものだ。

昨年は、人事の方々はもちろんのこと、大学のキャリアセンターの方々、人材業界の方々、マスコミの方々、若者のキャリアに関わる方々、総勢約200名の皆さんにご参加いただいた。

昨年のシンポジウムのサブタイトルは、『これからの新卒採用の話をしよう』という、ハーバード白熱教室をもじったものだった。

今年のサブタイトルは、『新卒採用の定番を疑えば、会社だって、社会だって変えられる』

ずいぶん昔から、「おかしい」「変えなきゃ」「変わらなきゃ」と言われ続けてきた日本の新卒採用だったが、企業は(上っ面はともかく)本質的なところでは、なかなか変化させることができずにいた。

そこに正面から切り込んでいこうというのが、今回のシンポジウムなのだ。

特別ゲストに、「はじめての課長の教科書」の著者として有名な酒井穣さんをお招きし「未来の人事部長へのメッセージ」と題した講演を行っていただく。

当日の講演資料を拝見したのだが、これがスゴイ。資料の配布は原則禁止なので、当日会場にお越しくださった人にしかお見せできないのが残念。

ちょっとだけ洩らすと、「人事部って実は必要ないんじゃないの?」「いまの人事部スタッフって、市場価値が低いんじゃないの?」という(人事の皆さんにとっては)ショッキングな話から始まる。もちろん、だからこそ必要とされる「未来の人事部長」になるためのメッセージが登場してくるわけなのだが。

そして講演の後半部分では、「新しい時代の新卒採用」に向けての提言を行っていただく。思わず僕が、うんうん頷いてしまう内容なのだ。

あ、もうこれ以上は言えない。

 

他にも、職サークル協賛企業数社様に、2013年採用のチャレンジレポートを発表していただく。

「え、そんなやり方しちゃったの?」「よくそんなことやりましたね…」「どうしてそんなことで成功に導けたの?」

 という話がたくさん飛び出すことになるだろう。

あ、こちらもこれ以上は言わない^^。

 

そして最重要なコンテンツ(と思っているのは僕だけかな?)が、寸劇だ。

協賛企業の現役人事担当者5名が、なんと役者として登場するのだ。こちらからお願いした人も確かにいるが、「やりたい!」「やらせろ!」と立候補した方々もいる。

主役(ヒロイン)は、某協賛企業の入社2年目の女性採用担当者。

イヤ~な人事部長も登場する。就職情報会社の悪徳営業マンも登場する。就活中の学生も登場する。ラブシーンもあるかもしれない。あ、やっぱりネタばれはよくない。控えよう(笑)。

ただ一点。この寸劇のテーマソングだけは、ここで明らかにしておこう。

手島葵の「流星」という唄だ(作詞作曲は吉田拓郎)。34年前は、吉田拓郎自身が歌ってレコードを出していた。ドラマの主題歌にもなっていた。

いやあ、これは面白い寸劇になること、間違いなし!

 

・・・でも肝心の脚本が、実はまだ完成していない(汗)。

 

ということで、本日は終日、脚本執筆DAYである。

朝の打ち合わせが終わったら、都内某所の部屋に籠って(ネット接続環境もいっさい捨てて)一心不乱に書く。

たぶん徹夜になるだろうから、明日の日記は休む。ランニングも明日は中止だ。あらゆる雑念と、資金繰りの心配(?)を捨てて、執筆に専念しよう。

 

あ、そうそう。手島葵のことも流星の唄も知らない人たちのために、以下、youtubeをリンクしておこう。

上が手島葵の「流星」で、下が34年前の吉田拓郎が歌った「流星」。聴き比べてみるのも一興だと思う。

 

 

 

※席にはまだまだ余裕がありますので、興味を持っていただいたみなさん、以下からどうぞお申し込みください。

⇒ http://puff.weblogs.jp/corp_seminar/2012/05/21.html

料理人生、意気に感ず

2012年6月27日 (水曜日)

僕の従兄にスゴイ人がいる。日本を代表する料理人のひとりである。

赤坂プリンスホテルの総料理長(宮内庁、迎賓館、総理官邸、外務省、国賓・VIP饗応日本料理調理責任者なども)を経て、現在は故郷・熊本県から招聘され、県の(迎賓館のような役割の)ホテルで総支配人を務めている。

土山憲幸さんという方なのだが、僕が生まれてから4歳のころまで母の実家でもある田舎の旅館で一緒に暮らしていた。そのころの旅館の板前は僕の親父で、憲幸さんのキャリア形成のきっかけになっていることを考えると感慨深い。

昨夜は、その憲幸さんの奥様と長男の章裕さんがこのほど開業した焼酎バーに、うちの兄貴といっしょにお邪魔した。

場所は、東京スカイツリーにほど近い墨田区の向島。

もともとは家族のお住まいだった1階を改築してお店にしているのだが、全国各地から仕入れた焼酎がお店のなかにズラッと並べられて、とってもおしゃれな雰囲気。

ふつうのお店には置いていないとっときの焼酎を、築地から仕入れたばかりの刺身を肴にして、ゆっくりと味わいながらいただいた。

R45の、大人のお店なのだ。

下の写真は、昨年の年末から熊本日日新聞に連載されていた憲幸さんのコラム(「私の履歴書」のようなもの)を書籍にまとめたものだ。奥様にプレゼントしていただいた。

Noriyuki

 

この本の前半には、僕らが一緒に暮らしていた(まさに僕が赤ん坊だったころの)田舎の旅館の風景がありありと描かれていた。

書籍の裏帯にはこう書かれていた。

「育った八代を出て修行を積み、国賓クラスをもてなす和食料理人として名を成すまでの来し方を振返った。そこには、故郷を思い、出会った人々への感謝を忘れない素顔がみえる。」

料理人生、意気に感ず!

なのだ。

 

さて、本日は早朝会議の日。梅ちゃん先生をみられないのが残念だが、そろそろ行ってきます!

昨日、お昼を挟んで、大手町&日本橋界隈に外出していた。

所用を済ませ、お昼すぎに日本橋のカフェで軽食をとっていたときだ。僕の一席あけた右隣で、若い会社員4名(男3名、女1名)が珈琲を飲みながら、ワイワイガヤガヤやっていた。

聞き耳を立てていたわけではないのだが、声がバカでかく、新卒採用や内定者研修のことを話題にしていたので、自然と意識がそっちのほうに向かっていった。

どうやら4人のうち一人(声のバカでかい男)は、面接を担当しているらしい。自分が担当した面接のことを、あれこれ偉そうに喋っていたのだが、そのうち調子に乗って学生のことを馬鹿にし始めた。

あまりの言葉の汚さと声の大きさにムッとした僕は、その男を叱り飛ばしたい衝動にかられたが、そこまでの勇気も出せず、せめて記録に残しておこうと手元のipadでFacebookに以下の書き込みをした。

外出先の日本橋のカフェで昼食中。20代半ばと思われる採用担当者(またはリクルーター)が、大きな声で面接に来た学生を小馬鹿にする発言を繰り返している。
おい、ここは公衆の場だ。しかも就職活動中の学生がいるかもしれない場所だ。お前のその頭の高さと失礼極まりない物言いは何なんだ?同じ就職活動中の学生が聞いたらどう思う?お前も数年前までは不安を抱えた学生だったんじゃないのか(`_´)ゞ ・・・と、言えなかった僕も同罪です(T_T)。

まあ、なんとも不愉快なランチタイムとなってしまったわけだが、それにしてもあの男、いったいどこの会社の社員だったんだろう。今度会ったら、ぜったい説教してやる!(苦笑)。

さて、ではお口直しに(?)梅ちゃん先生をみてから行ってきます!

星飛雄馬は、ライバルにホームランを打たれたり恋人を失ったりするたびに、人生の敗残者のごとく落ち込んで蒸発してしまうのだが、ふとしたことがきっかけでみるみる甦り、とんでもない魔球を引っ提げてマウンドに戻ってくる。

アニメではその状況を、フェニックス(火の鳥)が炎の中から飛び出して、大空高く舞い上がっていく姿と重ねて描写していた。

いまから思えばなんとも大げさなアニメなのだが、毎回激しく興奮しながら少年マガジンやテレビをみていた。

 

・・・と、突然のマニアックな話題で失礼しました。

僕もこの週末、復活したことを伝えたくて不死鳥の話題を書いたのである^^。

実は、2週間ほど前(具体的には6月8日)に風邪をひいてしまい、それが治らず頭痛と鼻水がずっと続いていたのだ。

頭の中心部が重く、粘っこい鼻水が頭の奥から出てくるような感じ。まるで脳みそが鼻水に混じって出てきてるのではないかという感じだった。

寝込むほどの状態ではなかったのだが、ずっとしんどくて朝のランニングも中断していた。

それにしても2週間以上も治らないのはおかしい。風邪ではなく、もっと違うなにかヤバイ病気になったのではないだろうか……と不安になり、病院に行ってみようと思っていた矢先。

土曜日から鼻水の量が減ってきた。

日曜日の朝起きると、重かった頭がすっきりしていた。鼻水も出なくなっていた。

よしっ!と思い、恐る恐る走ってみた。

走れた。なんともない。むしろ気持がいい。

今朝も走った。5時起き。目覚めも良かった。

治ったのだ。なぜだか知らないが急激に。これなら全快といっても良いだろう。

秋(11月11日)に出場を予定している「いびがわマラソン」。そして、いつかは走るであろうフルマラソン。

体調維持を最大の目的として、これからランニングの再開だ!

では体調全快の日。本日も行ってきます。

六月の雨

2012年6月22日 (金曜日)

5時半ころ起きたんだけどスゴイ雨。一時間たってもその勢いは衰えず。

外を見たら、消防車から放水されているかのような勢いで降っている。一昨日の夜の雨よりも酷いのではないかな。こりゃさすがに走るわけにもいかない。

六月の雨というと、ぜひご紹介したい唄がある。

小椋桂の、まさに「六月の雨」という唄だ。

中学三年生のころ、「彷徨」というLPでこの唄を知ったのだが、とても地味な唄。でも、なんだか知らないけど、じわーっと心に迫る唄だ。

 

上のYoutubeは、「少しは私に愛をください~雨の中の青春より~」というLPに収録されているバージョンで、物語風のナレーションが冒頭に入っている。

ナレーションは、小倉一郎という役者さん。

小倉一郎って、今の若い人たちはあまり知らないだろうけど、かつての青春ドラマには欠かせない役者さんだった。

僕が通っていた大学(明治学院大学)のすぐそばに住んでおり、都営浅草線の高輪台から国道沿いの道を歩いているとよくすれ違った。小さな娘さん(当時3~4歳だったかなあ)と毎日のように仲良く手をつないで散歩していたのだ。

そういえば学祭(白金祭)のとき、僕が団長を務めていた人形劇団が運営する喫茶店にも足を運んでくれたこともあったなあ…(というか僕らが無理やり連れ込んだんだけど)。写真も残っているはずだ。有名な役者さんなのに気さくで優しいお兄さんだった。

と、思わず小倉一郎ネタで脱線してしまった(苦笑)。

雨は好きではないが、こういう想い出を連れて来てくれるわけだから、まんざらでもない。

では本日は大きめの傘を差して行ってきます!

名古屋の同業者であり、ハーフマラソンの好敵手(?)でもある名大社の山田社長のブログに、江上剛氏が書いた「55歳からのフルマラソン」という書籍のことが紹介されていた。

昨日、僕もこの本を仕入れて読んでみた。僕にとってはとても面白い(共感できる)本だった。

江上剛氏のことは、2年前の日本振興銀行のゴタゴタの際に、「巻き込まれちゃって可哀想だなあ」と、他人事ながら新聞記事を読みながら同情していたことを覚えている。

その江上氏が、あのゴタゴタの最中にフルマラソンに挑戦していたとは驚きである。

いや、挑戦していたからこそ、あの魑魅魍魎が跋扈する状態の中で鬱にもならず、自殺に追い込まれることもなく、なんとか切り抜けることができたんだということがわかり、感銘を受けた。

江上氏は身長は僕とほぼ同じ。でも氏のマラソンを始める前の体重は85kg超で胴囲は100cm。脂肪もコレステロールも尿酸値も高水準。僕を上回る完全なるメタボ体質だった。

そんな状態から隣人に誘われるままにマラソンを始め、週3回、朝5時からの10kmランニングを開始する。そして半年後にはフルマラソンにチャレンジして完走している。しかもタイムは4時間半。本人は半死状態だったと言っているが、こりゃメチャクチャすごいことだ。

あのゴタゴタのなかで不正に塗れた(自殺に追い込まれた役員もいる)銀行の後始末をしながら、週3回の早朝10kmランを続けていたこと自体すごいこと。我を振り返り、恥ずかしくなると同時に「俺にもやれるかもしれない」という勇気を与えられた。

実は先々週に風邪をひいてしまって以来、僕の朝ランは中断したまんま。頭痛と鼻水が治まらないことを理由に再開できずにいる。

そんな矢先の、この本との出会い。

まだ練習も再開できていないくせに、フルマラソンに挑戦してみたくなってきた。

時を同じくして、出版社で漫画編集者を務める知人(大学の後輩で先日拓郎を一緒に歌ったMさん)も、50歳を目前にしてフルマラソンに挑戦するということを聞き、ますます挑戦意欲を掻き立てられたり。

でも、急いては事をし損じる。

今年の秋は予定通りハーフマラソンにしよう。そして来年フルマラソンに挑戦することにしよう。

体調が戻り次第、朝ランも再開だ。

いままで朝ランは3km程度だったが、もう少し早起きして5km~10kmくらい走ってみようか。

さあ、たいへんだ。

ここで宣言したからには、ホントにやらねば(笑)。

本日はまだ体調不完全で会社までのウォーキングだけど、気分は走っているつもりで行ってきます!