暑苦しい男
2012年3月30日 (金曜日)
ノブという暑苦しい男がいる。
最初に会ったのは彼が大学四年生のとき。もう六年前のことだ。
「クギサキさんが絶対気にいる男なので、ぜひ会ってみてください」と、かつて一度もそんなことを言ったことのなかったヨシカワが、珍しく熱くなりながら僕にそう言うものだから、半信半疑ながら会うことにした。
『どうせ、“俺はできるぜ”というオーラを出しまくっている自信満々の勘違い学生だろう』と、正直たいして期待していなかった。
しかし、会って10分もしないうちに僕は彼と意気投合し、おまけに思わず寿司までご馳走してしまい、別れるときには固い握手をしながら、「こいつとは一生付き合いたい」と思ってしまった。
なぜか。
説明するのも面倒なくらい暑苦しい男だったからだ。
いや、本当はもっと形容すべき素晴らしい言葉があるのだが、癪に障るのでやめておく(笑)。
その暑苦しい男ノブが、この四月からタイに行く。現地社員10数名のボスとして、短くても3年間は向こうで勤務するのだという(ノブは商社マンなのだ)。
ということで昨日は、ノブの壮行会を東京駅の近くにあるタイ料理屋で催した。
半年ぶりに会ったのだが相変わらずノブは暑苦しかった(いっしょに連れてきた後輩の男も、また面倒なくらい暑苦しい男だった)。
不思議な奴だ。ノブと話していると、つい釣られて、こちらも熱くなってくる。
でも、こういう若者がこれからの日本企業には必要だ。
たくさんいたら、それはそれで迷惑なのだが、10人にひとりくらいは、こういう暑苦しい男であってほしい。
余談だが、朝、自宅でこの日記を書いている途中、ノートPCのバッテリーが切れてしまった。いま会社で二度目の執筆中なのだが、「くそっ。なんで俺がノブのことを、朝の貴重な時間を使ってわざわざ二度も書かなきゃならないんだ(怒)」と、いま憎しみを込めながら書いている(苦笑)。
ということで、ノブ。
タイに行って、さらにその暑苦しさに磨きをかけてきてくれ。そして大きな失敗をしてきてほしい。おまえの帰りを楽しみに待っている。健康には十分気をつけるんだぞ!
パフの第3クオーターもいよいよ大詰め
2012年3月29日 (木曜日)
パフの事業年度第16期(マジドラは第1期)の第3クオーターも、いよいよ大詰め。
営業担当を始めとする現場社員たちは、最終的なまとめを行う一方で4月からの最終クオーターを戦う準備を整えている。同時に、僕らは来期の体制や計画づくりを急ピッチで進めており、昨日も多くの時間を、そのために費やした。
人(社員)とお金(資金)とモノ(商品、サービス)。いまある経営資源とこれから捻出(創出)すべき経営資源。現在使える(調達できる)お金には限りがあるが、これからのお金やモノを生み出す「人の知恵と情熱」には限りがない。
それをどのようにすれば最大限引き出すことができるか、ということを考えるのが僕ら経営の仕事である。
来期は本格的な変化が内外で訪れることになるだろう。
変化に左右されるのではなく、自ら変化(機会)を起こせるような存在になりたいと思う。
と、少しだけ真面目なことを書いたところで、写真を1枚アップしよう。
Facebookのカバー写真として載せているものだ。
現在の僕を育ててくれた(たぶん僕の根っこの考え方や生き方に大きな影響を与えたと思われる)湯布院中学3年1組の卒業写真である。
アンジェラ・アキ風に言えば、
「拝啓十五の君へ。 君と、君の恩師と、君の素晴らしい同級生たちに、ありがとう」
っていう感じかな^^。
さて、本日の夕方も、来期のことを考える会議だ。
十五の君に感謝しながら、行ってきます!
4月は、うどんの摂取量が増えそうだ
2012年3月28日 (水曜日)
にわかに、うどんブームだ。
香川県が「うどん県」になったり、高松市が「さぬきうどん駅」になったり……。
でも、僕が感動しているのは、(香川県には申し訳ないのだが)そんな他県のどうでもいい話ではなく、自分の財布と胃袋に関わる大切なことだ。
なんと、「はなまるうどん」では、世の中のすべての期限切れクーポンを持ち込むと50円割引になる、『期限切れクーポン大復活祭』という名前のキャンペーンを行うらしい。
我がパフの傍(八丁堀交差点のところ)にも、同店の店舗がある。
僕もたまに、この店で食べることがある。安くてなかなか美味しい。トッピングのコロッケや鳥天などもお気に入りだ。
この、「はなまるうどん」のキャンペーン。企画の革命的な斬新さに、まずビックリした。いやあ、お見事。あっぱれである。
でもそれ以上に、私的財政危機のこのご時世。どこの店のどんな期限切れ割引券であっても、もれなく(ただし300円以上のオーダーに限り)50円引きで食べられるというのが嬉しいではないか。
そんな割引券なら掃いて捨てるほどたくさんあるので、実質毎回50円引きで食べられるということだ。なんて凄いことをしてくれるのだ。
と、貧乏学生みたいな喜び方をしてしまったが、それほどまでにこのキャンペーンにはインパクトがあるということだ。売上増にもきっと大きく寄与しそうだ。もちろん宣伝効果も抜群だろう。
八丁堀(茅場町にも近い)の「はなまるうどん」のすぐ隣は吉野家。
牛丼ファンの僕としては複雑な心境ではあるが、4月のキャンペーン期間だけは浮気を許してもらおうと思う。
さあ、来週からが楽しみだぞ♪
平均年齢80歳超のコミュニティのなかで過ごした日々
2012年3月27日 (火曜日)
先週末の土曜日、羽田発早朝6時過ぎの飛行機で大分に飛んだ。
ソラシドエアという格安航空会社で、搭乗口は空港の隅っこ。しかも飛行機のあるところまでバスに乗って行かねばならない。
飛行機は小さな機体で、まるで昔のプロペラ機みたい。
雨の中、タラップを使って乗り込んだ。
2時間後。
大分空港に降りるときにはビビった。
機体が小さかったからなのか風が強かったからなのか、滑走路に着陸する寸前激しく揺れた。着陸の瞬間にはドスンとワンバウンド。いやあ、さすがにたまげたな^^;。
大分空港から高速バスに乗って、わが故郷の湯布院へ。
今回は、いつもの帰省とはちと違う。
母親を、別府の高齢者施設に引っ越しさせるための帰省だったのだ。
母親は昨年の秋に脳梗塞で地元の厚生年金病院に入院。大事には至らなかったものの、その後ずっと病院でのリハビリ生活を続けていた。
そしてこのたび、めでたく退院の運びとなったのだが、もはや一人で暮らすのは危険との判断で、高齢者施設に移り住むことになったのだった。
母親は熊本で生まれ育ち、湯布院に引っ越してきて早45年。人生の半分以上を過ごした町を去るわけだから、思いは複雑だろう。
とはいえ感慨にふけっている暇はない。
身の回りの荷物をまとめ、(ご厚意でお手伝いを買って出てくださった)社会福祉士さんのミニバンに積み込んで、いざ出発。
別府の施設は、別府港から九州横断道路の坂道をえっちらおっちら車で15分ほど登った、坊主地獄、明礬(みょうばん)温泉という別府の観光地の傍にある。別府港から登る朝日も拝める、眺めのいいところだ。
土曜日の午後から月曜日の夕方まで、母親の新たな暮らしを始めるための、準備、準備、準備で丸三日間を過ごした。
坂道を徒歩で下って30分のところに大きなホームセンターがあるのだが、いちどに全部のものを買うことができず、3往復もしてしまった。両手にたくさんの荷物を抱えての坂道歩行は、マラソンのいい練習になったかも。
この3日間、僕も母親の部屋で寝泊まりし、施設の食堂で、他のご老人達と一緒に食事をした。
日曜日は、たまたま月に一度の「お誕生日会」が催されており、ご馳走を食べながらのカラオケ大会などにも参加させてもらった。
80歳を超えるおじいちゃんやおばあちゃんも元気に唄を歌っており、うちの母親もいい刺激をもらったのではあるまいか。
先に入居している先輩のおじいちゃん、おばあちゃん。施設の職員の方々。みんな親切な人ばかり。
高齢者施設というと、なんだか辛気臭いイメージがあるかもしれないが、そんなことはまったくなく、明るく爽やかな雰囲気に包まれた場所だった。
もちろん、住みなれた町を離れることになった母親の心中を想像すると辛いものはあるのだが、一日も早く新しい環境に慣れて、このコミュニティに溶け込んでくれることを願うばかりである。
そして昨日の夕方、ホームセンターから買ってきたホワイトボードに、上のようなメッセージを残して大分空港に向かったのであった。別れ際、母親のちょっと寂しげな顔が切なかったな。
これからしばらく、格安飛行機に乗っての大分往復が続く。
ソラシドエアさん、実は僕、高所恐怖症なので、飛行機をあんまり揺らさないでね(汗)。
ドラッカー本について書いたメルマガを記録する
2012年3月23日 (金曜日)
月イチで発行しているメルマガ(Face to Face)の2月号で、國貞克則さんの著書「究極のドラッカー」のことを書いたことがある。
あれからもう一ヶ月以上が経つのだが、この内容に感銘をうけたという、とある企業の経営者の方から昨日、次のようなご連絡(メール)をいただいた。
—
(中略)
実は釘崎さんのメルマガに書かれていた國貞克則さんの究極のドラッカー、読みました。
ものすご~く目から鱗で、そうだったのか~~っ!!!と何回も何回も読みました。
私にとって難解なドラッカーがストンと落ちたような気がしました。
弊社の経営理念が「○○」ということもあり、本当にストンストンと落ちました。
(後略)
—
まだまだ熱く続いて行くのだが、いやあ、嬉しいな。あのメルマガで、企業経営者からこのような感想をいただけて。
あらためて自分でも再度読んでみたが、確かに、いま僕たちが追い求めなければならないマネジャー像が紹介されている。常に僕ら経営者やマネジャーが、肝に銘じなければならないことが、この書籍には書かれている。
ということで本日は、あらためてそのときのメルマガ(ドラッカーに関わる部分のみ抜粋)を「釘さん日記」にも掲載しておこうと思う。
(以下、社会人向けメルマガ『Face to Face』2012年2月10日号 Vol.088 より抜粋)
・・・と、マネジャーのことに話が及んだところで、ぜひ本日のメルマガで
皆さんにご紹介したい書籍があります。
☆
それは昨年の11月に刊行された『究極のドラッカー』(角川oneテーマ21、
國貞克則 著)という書籍です。
著者の國貞さんには、10年ほど前より弊社の仕事や社員の教育に関わってい
ただいており、一昨々年の10月から昨年の9月までは非常勤取締役にもなっ
ていただいていました。
そんな関係から、國貞さんには新作が発売されるたびに、いつも献本してい
ただいています。
特に本作品は、國貞さんが執筆に取り組んでおられるときから話を伺ってお
り、正式に発売されるのを楽しみに待っていた書籍です。
ドラッカーに関する書籍は(「もしドラ」などのヒットもあり)一種のブー
ムといってもよいほど最近では様々な書籍(昔からある伝統的なものも含め
て)が販売されています。
私はドラッカーへの造詣が深いわけではないのですが、それでもドラッカー
の本質的なメッセージには、ドキッとさせられることがたくさんありました。
しかし、「本質的なメッセージにドキッとした」と言っていること自体が、
実は表層的な部分でしかドラッカーを捉えられていなかったということに、
この本を読んで気付かされます。
國貞さんから献本していただいたときに同封されていたレターに、ご自身の
万年筆でこう書いてありました。
「釘さんへ これがドラッカーです」
いかがでしょうか?
私は、“これがドラッカーです”という短い言葉のなかに、國貞さんの、こ
の書籍に込められた思いの深さと、著者としての自信の大きさを感じました。
この社会人向けメルマガのなかで取り上げて、ぜひ多くの皆さんに読んでい
ただきたいと思った次第です。
☆☆☆
特に私が何度も読み直さなければいけないと思っているのが、
第2章:組織は何をなすべきか
第3章:マネジャーは何をなすべきか
です。
私のお気に入りの個所を少しだけご紹介します(あくまで部分的な抜粋で
すので正確な文意は書籍にてご確認ください)。
☆
|偉大なマネジャーは温かい人柄でなくても、社交的でなくても、気さく
|でなくても構わない。妥協せず従業員に要求をつきつけ、マネジャーが
|自分の仕事と成果に責任を持つ。そのような成果をあげるマネジャーが
|最終的に部下からの信頼と尊敬を勝ち取るのだとドラッカーは言います。
(第2章、P147より引用)
☆
|マネジャーとは会社への貢献と会社の成果に責任を持つ人のことだと
|ドラッカーは言います。そういう意味では、マネジャーは従業員や専門
|分野のプロフェッショナルより広くて高い視点を持つ必要があります。
(第3章、P168より引用)
☆
|マネジャーは「人」という特殊な資源と一緒に仕事をします。人との本
|質的な関係を考える上で最も重要なものは何か。それは人柄であり誠実
|さでしょう。「信なくば立たず」「至誠」「誠実にまされる知恵なし」
|「誠実さと信念だけが人間を価値あるものにする」といったように、古
|今東西どこに行っても「誠実さ」は最高の徳目の一つです。
(第3章、P172コラム「真摯さについて」より引用)
☆
|私は仕事柄多くの経営者とお付き合いをしてきましたが、会社がどうし
|ようもなくなる一つの大きな要因は社長の誠実さの欠如です。従業員の
|給料を減らしながら自分だけが従業員にわからないところでたくさんの
|報酬を得ているような社長は、会社が大変な状況になったときにだれも
|助けてくれません。それこそドラッカーが言うように、誠実さを欠く人
|間は全てを破壊してしまうのです。
(第3章、P173コラム「真摯さについて」より引用)
『究極のドラッカー』。現在、組織や部下を率いておられる皆さんに、ぜ
ひ読んでいただきたい良書であると考え、この場を借りまして推薦させて
いただきます。
【今回のどげえするんか】
この本では「キャリア」に関するドラッカーの言葉も紹介しちょる。
「大きくなったら何になるのかまだ分からない(中略)冗談を
言っているつもりはない。人の一生がどう展開していくかは
最後まで分から
選手宣誓にあっぱれ!
2012年3月22日 (木曜日)
昨日から春の選抜高等学校野球大会が始まった。
石巻工業高校の阿倍主将の選手宣誓に感動した。
まだ高校二年生の17歳。こんな立派な選手宣誓ができるなんてスゴイ。
お子ちゃまのような我がままな社会人たちに爪の垢を煎じて飲ませたい。
ニュースサイトに全文が掲載されていたので、記念にコピぺしちゃおうっと。
———-
「東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には苦しくて心の整理が付かず、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて、つらいことです。しかし、日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして、笑顔。見せましょう、日本の底力、絆を。われわれ高校球児ができること、それは全力で戦い抜き、最後まであきらめないことです。今野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々プレーすることを誓います」
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ガンバレ高校球児たち(^O^)/
ところで、本日の日記は、iPad(初代バージョン)で書いているんだけど、やっぱり書きにくい。
新ipadだと音声入力できるらしいから、お小遣いを貯めて(?)買って試してみようかな( ̄ー ̄)。
では、そろそろ朝食をとって行ってきます( ̄^ ̄)ゞ
懐かしい自分のインタビュー記事をみつけたのです
2012年3月20日 (火曜日)
丸10年前の2002年に、キャリナビというNPO法人が運営するサイトから取材を申し込まれたことがある。
2002年といえば、パフの新卒一期生(入社2年目)と二期生(入社1年目)だけで、会社のほぼすべてのことを運営していた時代。毎日のように事件が起きていた。そして僕は、毎日のように22~23歳の若い社員たちにカミナリを落としていた。良くも悪くも未成熟で、明日のことよりも今日をどうするかで頭がいっぱいだった時代だ。
ひょんなことから、キャリナビのことを思い出し、まだ僕の記事が掲載されているかどうか検索してみた。
あった、あった、すぐに出てきた!
⇒ http://www.carinavi.org/ja/career/214/index.jsp
キャリナビの活動は、やむを得ぬ事情で数年前から休止中なのだが、サイトはいまでもちゃん運営されていたんだな。僕の記事も掲載されていて嬉しくなった。
当時のキャリナビは、現役の学生を記者として社会人のところに派遣し、インタビューからその後の記事作成まで、全部学生自身に任せていた(そのことで学生を育てていた)。
僕への取材には5人の学生が来てくれていた。初夏の土曜日だった。記事を読んでいて思いだした。
長いインタビューだった。僕が喋ったことを、ほぼそのまま記事にして掲載してくれていた。かなりのボリュームだ。
終盤、「釘崎さんの夢は?」という質問があって、そこで僕はパフのことを、「2005年には業界ナンバーワンの会社にする」と答えている。もちろん規模や売上でという意味ではないのだけれど、何の臆面もなく、こういうことを言っていた自分の厚かましさ(?)に感心する。
ちょっと転載してみようか。
—
記者: 今後の釘崎さんの夢は何ですか?
この間、社員とも話し合ったんだけど、2005年にはパフを就職情報業界の中でナンバー1の会社にしたいと思っています。ナンバー1というのは、規模で一番になるとか売上が一番になるっていうことじゃなくて、企業が採用を行うためにはパフが絶対欠かせない会社という形にしたいということです。どんな大企業であっても、パフに協賛しないことには良い採用をすることはできない、そういうことが言われるような会社にしたいです。パフはどんなに有名になっても何でもありの会社にはなりません。ビジネス的には2005年で年商十数億円で、利益が3億円くらいは上げられる会社になりたいですね。なぜそこが目安かっていうと、会社を株式公開するための1つの指標なんですよ。会社を作るにあたって30人、ドブに捨てる覚悟でパフにお金を払ってくれた方達と、現在は200人くらいパフに対してお金を出してくれている温かい株主の方々、その方々に対して恩返しをしたいというのが、株式公開を目指す理由です。また、個人的な夢としては、10年後には私はパフという会社からは引退して、北から南までフォークギターを持って、旅をして、高校生や大学生に歌を聞いてもらって、人生とか仕事とかを語れるようなおじさんになりたいですね。 説教おじさんって感じで。
—
実現できていないことだらけで恥ずかしくもあるんだけど、10年前の僕が確かに思っていたこと、信じていたことだよな。
いや、もちろん諦めている訳ではない。いま社員たちが練り込んでいる企画が計画どおりに進捗していけば、2020年には業界ナンバーワンになれるんじゃないかな。株式公開するかどうかは別としても、十分な売上と利益をあげられる会社になって株主の皆様への高額配当も実現したい。そして僕は、晴れてフォークギターを抱えての旅に出発できるっていうわけだ。でも2020年っていうと、もう「説教おじさん」ではなく、「説教爺さん」の年齢だけどね(笑)。
いい記事を久々に読んだ。
※記事の全文はこちらから ⇒ http://www.carinavi.org/ja/career/214/index.jsp
取材をしてくれた10年前の記者学生の皆さんに感謝!である。
さて、今夜は早めに寝て、明日はちょいと早起きしよう。読みたい本があるのだ。早朝の経営会議もあるので、試算表のチェックもしなきゃね。
ということで、明日の朝の日記はお休みだ。
では、あと8時間後に行ってきます!