さあ、暮れもいよいよ押し詰まってきた。今日は前置きなしに振り返りの最終回を書いておこう。
【2018年重大ニュースその8】パフ社外取締役に名大社社長 山田哲也氏が就任
これは内外にもインパクトのあるニュースではなかったろうか。外向きには愚か者ぶりを振り撒いている昼行燈な我々であるが(少なくとも山田さんはw)、その実、経営のことをかなり真面目に考えている(少なくとも僕はw)。
なぜ山田さんがパフの社外取締役になったのかということはその経緯も含めて、僕の日記と山田さんのブログにも書いてあるので、まだ読んでいない方はぜひご覧ください。
本日はパフの第22期定時株主総会なのです。(釘さん日記2018年9月26日)
なぜ山田さんがパフの取締役に?(釘さん日記2018年9月27日)
社外取締役 就任(名大社社長ブログ2018年9月27日)
【2018年重大ニュースその9】HR業界の経営者たちとの面談を日々重ねる
今年ほど同業他社の経営者との面談をたくさんもった年はなかった。履修履歴活用コンソーシアムが今年の6月から一般社団法人となり、正式に仲間になっていただける加盟企業を募り始めたのだ。
おかげで多くのHR事業者のみなさんが、加盟を表明してくださった。まだ検討が継続している会社もあるが、現在のところの加盟企業はコンソーシアムのホームページに掲載されているので、よかったらご覧ください。
【2018年重大ニュースその10】パフ満21歳。そして第23期を昨年並みの業績で折り返す
2018年12月12日にパフは満21歳を迎えた。特別なイベントは何もやっていないが、一人でこの21年の重みを噛みしめている。そしてここ数年この時期になると、自分はなんてラッキーで幸せな奴なんだろうと思うことが多い。
今年の第一四半期(7月~9月)の業績は、かなり低迷してしまったのだが、第二四半期(10月~12月)の三か月でみごと跳ね返してくれた。
僕は何もしていない。すべては社員たち、そして社員たちの頑張りを支えてくださるお客様やパートナーの皆さんのおかげだ。月並みだが、社員とすべてのパートナー・お取引先企業に対して大感謝である。本当にありがとうございました。
今日でパフは仕事納め。第23期をいい形で折り返せそう。来年も引き続き、社員一同がんばってまいりますので、皆さんよろしくお願いいたします。
さて、この日記も今年はこれで最後。次回は2019年1月1日の朝ラン後、お昼くらいにはアップされると思いますので、その時にまたお会いしましょう。では、今年最後の行ってきます!
昨日に続いて2018年を振り返ってみましょう。今日は、重大ニュースその4からその7まで。
【2018年重大ニュースその4】春よ来いライブ2018を開催
僕が「なんちゃっておやじコンサートライブ」をスタートしたのが2008年の暮れ。以降、最低年一回は、多くの方々にお越しいただいて開催している。
2017年からは、「春よ来いライブ」という名前のコンサートライブを、2月の立春の時期にあわせて開催している。
今年も2月3日の立春に、「春よ来いライブ2018」を開催した。今年は、僕には珍しく英語の唄を多く歌った。ビートルズに偏っていたけれど💦。バイオリンのすみもっちゃんが体調不良で参加できないというアクシデントがあり、僕がそのパートを急きょ慣れないハーモニカで代わりに演奏したり、ということもあった。
この「春よ来いライブ」は、来年ももちろん開催する。そして再来年(2020年)は、さらに思い切った企画を構想中だけど、そんな先の話をすると鬼が笑うどころか呆れてしまうので、またいずれ。
【2018年重大ニュースその5】熊本城マラソンに出場、愚か者が熊本侵略を果たす
2017年の東京マラソンに当選したことをもって、僕はフルマラソンを引退したつもりだった。が、愚か者名古屋本部長こと名大社山田社長の策略にまんまと嵌まって、熊本城マラソンに出場することになった。2月18日(日)。これが大会の模様を綴った日記だ⇒ 熊本城マラソン、無事完走しました。
マラソン後は、熊本に住む僕の幼馴染(中学の同級生)と再会して、球磨焼酎とカラオケを楽しんだり。愚か者ぶりをいかんなく発揮した熊本ツアーとなったのだった。
【2018年重大ニュースその6】約半年間の通院生活
熊本城マラソンを頑張りすぎたのが良くなかったのか、3月くらいから体調を崩すことが多くなった。
単なる風邪だと思っていたのだが、なかなか治らず、鼻水や喉の痛みが続くようになった。内科のクリニックで「花粉症かもしれない」と言われ、耳鼻咽喉科に行ってアレルギー検査をしてみたのだが陰性の診断。急性の副鼻腔炎とも診断されたり。逆流性食道炎の疑いも持たれて、急きょ大きめの病院で胃カメラを撮っての精密検査をしたり。
あ、それと昔治療した歯(かぶせ物)がボロボロと割れ始めたのも今年の出来事。計算した訳じゃないけど、今年の通院回数と治療にかけたお金は、史上最大ではなかったろうか。
【2018年重大ニュースその7】北海道ひとり旅を決行
北海道ひとり旅を決行したのも今年の大きな出来事。7月13日から7月18日までの7泊8日を、北海道で過ごした。折しも、東京は(というか本州は)記録的な猛暑。連日35℃を超えるような暑さだったようだが、僕が過ごした北海道は20℃前後の快適な気候。ひとりだけの気ままな旅をさせてもらった。来年もまた行きたいなあ……。
上の写真は北海道で撮った写真の中での一番のお気に入り。
と、本日は仕事とは関係のないことばかり並べてみました。
明日もまた続きをお届けしましょう。
では、今年の(会社での)シゴトもあと二日。まんぷく後、行ってきます!
今年も残すところあと6日。会社の営業日でいうとあと3日となった。ということで、今日から何回かに分けて、2018年の1年間を振り返ってみることにしよう。
2018年1月は、前月(2017年12月)に会社設立20周年記念のイベント(式典やパーティーや社員旅行)を終えたばかりで、大きな区切りを無事越えられた安堵の気持ちの中で迎えた。
恒例となった元日の日記では、次のようなことを書いている。
僕自身の体調もすこぶる好調。腹囲がメタボに引っかかっていることとγGTPが高いことを除けば、健康そのものです。忘れっぽくなったことと老眼が進んでいることも、考え方によっては(忘れたいことは忘れ、見なくても済むことは見ない、という意味で)心身に良好に働いているのかもしれません(^^ゞ。昨年の12月に無事20周年を迎えたパフ。21年目の今年はどのような年になるのでしょうか。
なるほど。このころはまだ健康そのものだったのか……。というのも、今年は体調不良に悩まされた1年間だったのだ。今年ほど病院にたくさん通った年はなかった。このことは振り返っていく途中で出てくるだろうからまた後日。
では以降、【2018年重大ニュース】という感じで、思いつくままに列挙していこう。
【2018年重大ニュースその1】パフ創業来初めて中央区から飛び出す
2018年の大きな出来事としては、なんといっても事務所移転だろう。1月以降、何度も関連業者さんとの打ち合わせを繰り返している。
4月28日~30日のゴールデンウイーク前半に、7年間過ごした中央区日本橋茅場町から千代田区飯田橋(最寄り駅は九段下)に移転した。設立以来20年間、本社所在地はずっと中央区だったのだが、千代田区に移転したことで本店登記のための手続き(臨時株主総会を経て法務局への登記)も行った。
新しい事務所の家賃はそれまでとほとんど変わらないのだが、執務室は50%ほど広くなった。あと10人くらい社員が増えても大丈夫だろう。
あとセミナールーム(もともと現事務所が入居するビルの7Fにあった)が近くなったというのもよかった。それまでは20分ほどかけて、茅場町から移動していたので時間的にも経済的にも大きなロスを生んでいたのだけど、それが移動距離数メートル、時間にして10秒ほどで済むことになった。
移転に伴って、このセミナールームも大改装した。椅子やテーブルも新品に取り換えたり、床を全面フローリングに張り替えたり。お金はそれなりにかかったが、効果はそれを上回るものがあったと思っている。
【2018年重大ニュースその2】創業来最高の売上と利益(営業利益&純利益)の業績となる
20周年の区切りとなる決算で、この結果はやっぱり嬉しかった。リーマンショックで奈落の底に落ちたパフの業績だったが、そこからどうにかこうにか(時間はかなりかかったが)這い上がることができた。取引銀行からの評価も高く2011年(ここが底だった)のころと比べると雲泥の差。借入金利もビックリするくらいに引き下げられた。
【2018年重大ニュースその3】創業来初の株主配当を行う
そんなわけで、創業来初の配当に踏み切ったのも今年の大きな出来事だった。20周年記念配当の意味合いも込めて純利益の50%に相当する金額を原資とした。つい先日会った後輩(創業来の株主でもある)から「まさか配当があるとは思いませんでした。お小遣いありがとうございました」と言われたのは存外に嬉しかったですね。
おっと、時間が無くなったので、今日のところはこの辺で。続きはまた明日(かな?)。
では、まんぷく観ながら準備して行ってきます!
この3連休、シゴトをしたのは3時間だけ(こっそり会社に行きました)。が、それ以外は、いつもとまったく違った空間で過ごしていた。
なかでも土曜日の夜は、若者で賑わう横浜にいた。
学生時代に結成していた「人形劇団ZOO」。僕は大学3年生のときの1年間、団長を務めていたのだが、このころの1年生と2年生が、限定的かつ非公式な同窓会を開くというのでオブザーバー(?)として参加させてもらったのだ。
当時、四六時中いっしょにいた後輩たち。僕にとっては可愛い弟や妹みたいな感じかな。
当時の1年生は8人、2年生は6人、計14人だった(と思う)。そのうち同窓会に参加していたのは7人。急きょ開催が決まった割には高い出席率だったのではなかろうか。
で、ここで思わぬ嬉しいプレゼントをもらった。
これだ。
そう、トレーナーです。
いまの学生はトレーナーってあんまり着ないのかな。当時の若者の普段着といえば、トレーナーとジーンズとスニーカー。日々着るもので悩むことがないくらい定番だった。
で、このトレーナーは、人形劇団ZOOで作成した団員おそろいのトレーナー。僕が3年生のときに作ったものだ。
しかし、出来上がってすぐ、僕のトレーナーは人形劇の舞台づくりのとき(だったと記憶しているが)釘に引っ掛けてしまい、破れてしまった。
「あちゃー!買ったばかりなのに……。あ、そうだ。おい、これお前が縫ってこい!」と、近くにいた後輩の2年生女子に渡した。
NOとは言わせない、団長の強権的かつ理不尽な命令だった。いまならパワハラかな?
ところがこの後輩、なかなか縫ってこなかった。「あー、スミマセンこんど必ず持ってきます」と言いながら。彼女のせめてもの抵抗だったのだろうか。
何か月も過ぎていき、いつしか僕はトレーナーのことなど忘れてしまい大学を卒業してしまった。その後輩とも会うこともほぼなくなった。
そのトレーナーが、上の写真のトレーナー。
「おー!まさか36年の歳月を経て戻ってくるとは!」
しかも、破れていた箇所は、ちゃんと修理されていた。カワイユウコさん、ありがとうね(^^)v
掲載許可をもらっていないので、こんな写真だけど、お礼の気持ちを込めて載せておきましょう(笑)。
考えてみたら、このトレーナーは真っ赤なので、ひと足早い還暦祝いのつもりだったんですかね(^^;。
さてと、今年も残りわずか。
しれっと朝ランをサボった火曜日、まんぷく&朝食後、行ってきます!
まずは一昨日の夜のことを書かねばなるまい。
一昨日は、6年ほど前より新卒採用業務の心臓部を任せていただいているS社の採用責任者コヤマさんの「卒業式」が飯田橋の中華屋さんで盛大に催された。
以下は、ヨシカワ取締役が「卒業証書」を授与しているところ。
実はこのコヤマさん、年明けから異動することになり、いままでとはまったく違う部署に行くことになったのだ。
6年前、1億円の見積を出したりしてwさんざんお世話になってきたコヤマさんの異動なので、本来ならこちらからご挨拶に伺うべきなのだが、わざわざコヤマさんのほうから泊りがけで(S社は静岡県なのです)ご来社くださった。それなら、いままで関係してきた社員たち全員で「卒業式」を催して送り出してあげよう、ということになったのだ。
この「卒業式」のことは、パフの社員がいずれスタッフブログで取り上げてくれるだろうから、僕からはこのへんで。
で、中華屋さんでの一次会まではよかった。問題は二次会の昭和カラオケのお店。
一軒めで紹興酒をカッポカッポ飲んでいたこともあって、いっぺんに酔いが回ってきてしまったのだと思う。中盤から完全に記憶が飛んでしまった。
気が付けば朝7時過ぎ。「朝ごはん食べないの!!」という声で目が覚めるまで一切の記憶がない。目覚めたのが自宅のベッドだったのがせめてもの救い(苦笑)。
今年、1、2を争うオロカモノぶりだったのではないかと想像する(オオオカがスマホの写真で怪しげな写真を撮影して送りつけてくれてたのを朝発見したのだが、怖くて日記には載せられませんw)。
当然、昨日はずっと二日酔い。真面目に朝から仕事に取り組んでいる社員たちには申し訳ないのだが、はっきり言って社長は使い物にならなかった(-_-;)。
で、話は昨夜のこと。
タイトルに書いた通り、南こうせつのコンサートライブに行ってきたのだ。数か月前から楽しみにしていた。
誰かいっしょに行ってくれるだろうと思ってチケットは2枚買っておいた。ところが「いっしょに行かない?」と声をかけた人たちから、ことごとく断られ、途方に暮れていた。
捨てる神あれば拾う神あり。というか、灯台下暗し。僕の席から直線距離で5メートルくらいのところで仕事をしているキーカンパニーのシモゾノさん(僕は6階の窓際族だがシモゾノさんは真上の7階の窓際族なのだ)が「僕、行ってもいいですよ」と言ってくれたのだ。
僕と南こうせつの関係(?)については8年前のブログで書いていたのでコピペしておこう。
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南こうせつ氏は、僕の高校(大分舞鶴高校)の先輩であり、大学(明治学院大学)の先輩でもある。といっても、同じ時期に通っていたわけではない。こうせつ氏のほうが僕より11歳も年上なのだ。
南こうせつ氏の存在は、僕が小学生の時分から知っていた。「酔いどれかぐや姫」という奇妙な唄を歌っていたのを覚えている。地元のラジオ局で、たまに紹介されていた。ヘンなフォークグループだなぁ…という印象しかなかった。
それが大きく一変したのが、僕が中学一年生のとき。「神田川」が大ヒットしたのだ。
その2年後、僕は南こうせつ氏の母校である大分舞鶴高校に入学する。そして、南こうせつ氏が放課後、仲間たちと歌っていた音楽室で、僕もフォークギターの練習をするようになる。
僕が高校2年生のとき、南こうせつ氏が大分放送の深夜のラジオ番組に生出演していた。僕は下宿の部屋を飛び出し、急いで放送局まで自転車を漕いだ。放送局の玄関前での生放送だった。そしてなんと僕は、こうせつ氏に話しかけてもらった。「おお、キミは舞鶴の後輩かー」「は、はい!」と、たったそれだけのやりとりだったが、ずいぶんと舞い上がったものだ。
僕が南こうせつ氏と同じ大学に進んだのは、まったくの偶然。大学に入学して初めて、こうせつ氏がこの大学の出身だと(正確には中退だけど)いうことを知った。そもそも大分舞鶴高校から明治学院大学に進む生徒は、当時ほとんどいなかった。大分の人間には、明治大学と明治学院大学は一緒の大学だと思われていたくらいだ。こうせつ氏は東京に出ることが第一目的で、「たまたま合格した大学が明治学院大学だった」と語っている。なんだか僕と似ている。
と、なんでまた突然に、こんな思い出話を書いたのかと言うと、今週の日経新聞夕刊の「人間発見」という連載は、南こうせつ氏の話だったのだ。『若き日々を呼び覚ます』というタイトルで、子供時代、高校時代、大学時代、プロになってからの裏話などを、5日間にわたって南こうせつ氏自身が語っていたのだ。連載されていることは知っていたのだが、きょう5日分を、やっとまとめ読みした。
こうせつ氏は、1980年代なかばからずっと、平和チャリティーコンサートに力を入れている。そのことについても連載で触れていた。こうせつ氏は、曲が売れて有名になったあと、「なぜ自分は有名になったのか。何かの使命があって有名人にさせてもらったのではないか」と自問自答することがよくあったらしい。たまたまミュージシャン仲間(山本コウタロー氏)から誘われて協力した「広島ピースコンサート」に出演して、その答えが見つかったのだという。「核兵器の廃絶、平和を訴えるために自分は有名になったのだ」と。
数年前、こうせつ氏は、北朝鮮拉致被害者の家族を励ますために日本に訪れていたPPMのポール・ストーキーさんと一緒にチャリティーコンサートを開いたこともある。僕はとても縁を感じて(PPMは我がパフにとって切っても切れない関係)、コンサートを観に行ったのだった。
そんな南こうせつ氏が今回の連載の締めくくりで語っていたことに感動した。
「人々が悲しく、つらいとき、そばに寄り添うようなメロディーを今後も大切にしたいですね」
南こうせつ氏、今年で61歳である。僕の尊敬する先輩のひとりだ。僕も、こうせつ先輩に倣って、使命感をもった仕事を続けていきたいと思った。
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南こうせつは来年70歳。でも昨夜は、そんな年齢にはとても見えないパワフルなコンサートだった。僕もあと12年は頑張れそうだな。お酒もほどほどにしなきゃね(;^_^A
では、朝食&まんぷく後、行ってきます!
今日の日記は、昔パフが発行していた社会人向けメルマガ「 Face to Face 」最終回を転載する。
発行日は、2012年8月13日。いまから6年と4か月前だ。
昨日、調べ物をするために、自分が書いた2010年から2012年にかけての日記やメルマガを漁っていた。
そのときにたまたま見つけたのが「 Face to Face 」最終回なのだが、パフのメルマガの歴史について触れていた。
僕はこの時までどうやらメルマガの暫定編集長を務めていたようだ。
僕の記憶では、その5年くらい前(2006年~2007年ころ)にいったん引退したと思っていたのだが、なぜやっていたのか、なぜ「暫定」なのか、そこは思い出せなかった。
が、ともかくも、僕はこの日でパフのメルマガを完全に引退しているのは間違いないようだ。
このメルマガでは、後を引き継ぐ編集長や執筆者(たぶんこの時は誰が担当するか決まっていなかった)に対して、パフのメルマガイズムを伝えるためのことを書いている。
僕がこんなことを書いていたなんて、きっと現在の若い社員は誰も知らないと思う。このころ在席していた古株社員も皆、忘れていると思う。僕自身も忘れていたのだから💦。
ということで、きょうはパフの社員たちに読んでもらうために、以下転載します。
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2012年8月13日号 Vol.094(最終回)
日ごろお世話になっている皆様へ ~ 社会人向けメルマガ『Face to Face』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※このメールは株式会社パフ及びマジックドラゴン株式会社のスタッフが
名刺交換させていただいた社会人の皆様にお送りしております。
配信停止をご希望の方は、本メールへのご返信でご連絡いただきますよう
お願いいたします。
─────────────────────── 2012/08/13 Vol.94──
こんにちは。パフの「社会人向けメルマガ暫定編集長」の釘崎でございます。
毎月配信している、この社会人向けメルマガ『Face to Face』。理由あって、今年の2月から私が「暫定編集長」を務めてまいりましたが、ついにそのお役目が今回で終わることになりました。
といいますか…。正確にはこのメルマガそのものが、今回で最終回を迎えることになりました。
第1号の配信が2006年9月29日。丸6年間配信し続けたことになります。
今回のメルマガでは、いままでご愛読いただいた皆様に、
・どうしてやめることにしたのか。
・今後はどうしていこうと考えているのか。
ということを、連載コラム「魔法の竜のひみつ」に代えまして、特別コラムとして書いてみたいと思います。
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釘さん特別コラム『 Face to Faceをやめるワケ 』
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パフのメルマガの歴史は創業時に遡ります。
最初の配信は1998年夏。会社を立ち上げて半年が経過したころだったと記憶しています。
学生向けのメルマガよりも先に、社会人向けのメルマガを書きはじめたのでした。
最初のころの社会人向けメルマガは、メールだけではなくFAXの一斉同報システムも使っていました。
まだ電子メールが企業に浸透していない時代。電話回線にモデムをつないで、ピーピー・ガーガーしながらネット接続していた時代でした。
当時は個人情報保護法などなく、企業の採用担当者名や電話番号、FAX番号(まれにメールアドレス)が収録された名簿が公然と売買されていました。
私も販売促進のためにその名簿を入手し、企業の採用担当者に対して、いろんなFAXDMやメールDMを送りつけていました。
☆☆☆
しかし、反応はいまひとつ。というか、まったく来ず。
であれば、『メルマガ』という形式で、
・自分がなぜ、パフという会社を創業したのか。
・就職と採用の業界の中で、どんな仕事をしていきたいのか。
・いまの業界をどう変えていきたいのか。
・企業の人事担当者にはどうあってほしいのか。
・就職活動を行う学生にはどうあってほしいのか。
といった、(会社や商品の宣伝ではなく)自社や自分の想いだけを書き綴ったものを送ってみようと思ったのです。
現在のような定期配信ではありません。
書きたいときに、書きたいことを、書きたいように書いて送っていました。
企業の採用姿勢に憤りを感じた時や、学生の就職相談をしていて自分の無力さや非力さを感じた時などは、よく書いていました。きっと自分の想いを書くことで自分を励ましていたのでしょう。いまはもう手元に残っていないのですが、とても青臭いことを書いていた記憶があります。
☆☆☆
不思議なものです。
販促のDMではまったく反応してくれなかった企業の人事担当者の方々から、感想が届くようになったのでした。
このころの『青臭いメルマガ』がきっかけで、後々取引が始まった企業が何社もあります。
13年間『職サークル』への協賛を継続してくださっている講談社さんも、最初のきっかけは、この『青臭いメルマガ』でした。
ですから私にとって社会人向けのメルマガとは、単なる販促ツールではなく、会社の理念や想いを伝えるための、大切な『メッセージの代弁者』とも言える大事なものなのです。
☆☆☆
一方、学生向けメルマガを本格的に定期配信するようになったのは、1998年の暮れからでした。2000年4月の就職を目指している学生向けに、毎週一回必ず配信していました。
ここでも私は、単なる就職情報の配信ではなく、「僕」という人間が「あなた」という個人に、一般論ではなく「僕はこう思うよ」ということを伝えることに努めていました。
企業を紹介するときも必ず、「この会社がパフと付き合ってくれているのはこういう理由があるからだよ」とか、「この会社の採用担当者の○○さんは、僕にとってはこんな人で、こういうところが僕は好きなんだ」ということを
書くようにしていました。
その翌年からは、その「僕」の生い立ちから起業までを綴った「パフの創業物語」の連載も開始しました。
こだわったのは、ネットであれ何であれ「顔が見える」ということ。
俺は、こんな奴だ。だから俺は、こう思うんだ。
お前は、それについて、どう考えるんだ?
という、ある種の「人間臭い交流」を志向していたのだと思います。
手前味噌になりますが、このスタンスで送り続けていた学生向けのメルマガの影響はとても大きく、2001年のプロ野球オールスター戦のファン投票で、それまで3位だったある知り合いの選手を、いきなり1位に押し上げたりしたこともありました。批判もたくさんいただきましたが(苦笑)。
☆☆☆
今回、社会人向けメルマガの「Face to Face」を最終回にすると決めたのは、先週の広報戦略会議でのことでした。
わりとあっさり決まりました。
というのも、パフグループが配信するメルマガが(販促やセミナー告知のようなメールなども含めると)乱立する傾向にあり、整理する必要を皆が感じていたからです。
メルマガだけでなく、ホームページやブログ(社員が交替で書いているブログや私が個人的に書いている“日記”)も、いまいちど見直す時期なのではないかというのが皆の意見でした。
そして私も、(私自身も含めて)執筆者が惰性や義務感で書いている状態を変えなければ、と思っていたのでした。
現在、パフが外部に配信・発信しているものには次のものがあります。
1)学生向けメルマガ
毎週1回、木曜日に配信
※現在は、弊社新卒内定者の溝渕が執筆しています。
2)社会人向けメルマガ
2)-1「職サークルNEWS」
毎週1回、木曜日に配信
※現在は、弊社執行役員の吉川が執筆していますが、
上記の学生向けメルマガのコンテンツを、
社会人の皆様にも読んでもらうと同時に、
最近のセミナーや商品・サービスもご案内しています。
2)-2「Face to Face 」
毎月1回、10日前後に配信
※このメールです。私が「暫定編集長」を務めています。
会社のスタンスを示しつつ、
セミナーなど販促情報も併せて掲載されています。
2)-3「Face to Face 号外」
不定期配信
※純粋に販促のためのメールです。
3)ブログ
3)-1「Puff the MagicDragon Staff Blog」
社員が毎日交替で書いているブログです。
3)-2「釘さん日記」
社長である私が、ほぼ毎日書いているブログです。
4)ホームページ
4)-1 「パフ」のホームページ(間もなくリニューアル)
4)-2 「マジックドラゴン」のホームページ(同上)
4)-3 「職サークル」のホームページ(リニューアル進行中)
5)Facebook
5)-1 「職サークル」のFacebookページ
5)-2 社員個々人のアカウント
こうして並べて見ると、こんなにもたくさんの場所から皆さんに情報をお届けしているのかと、我ながらびっくりします。
ただ、数は多くても、
・皆さんに本当に読んでいただけるものになっているのか?
・はたして、「顔が見える」ものになっているのか?
・想いやメッセージが届くようなコンテンツや仕組みになっているのか?
と問われたときに、残念ながら自信を持って「イエス」とは答えられない状態であるのも事実です。
☆☆☆
そこで今後は、外部に配信・発信しているすべてのコンテンツを見直すことにいたしました。
今回のメルマガの見直しも、その一環です。
メルマガについて少しだけお伝えすると、「学生向けメルマガ」と「社会人向けメルマガ」を統合していきたいと考えています。
でも、単なる統合ではありません。
これから社会人になる「学生」と、昔は学生だった「社会人」との間にある“溝”を埋めるべく、両者の交流を促進させるようなコンテンツを志向していきたいと考えています。
このメルマガから、今までになかった新しいコミュニケーションのカタチを生み出していければと思います。
第1号の配信は9月を予定しています。
来月から始まるパフの新しいメルマガを、どうぞよろしくお願いいたします。
なお、私が前々回から書きはじめたコラム「魔法の竜のひみつ」は、別の場所で書きおろしていきたいと思いますので、こちらのほうも引き続きのご愛読を、どうぞよろしくお願いいたします!
最後になりますが、長らくこの『 Face to Face 』をご愛読いただいた皆様に、あらためて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
長い間、本当にありがとうございました!
★ ご感想お待ちしております ★
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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■発行・編集:株式会社パフ 釘崎清秀 http://www.puff.co.jp/
※メールの転送はご自由ですが、編集を施さず必ず原文を転送してください。
※配信停止をご希望の方は、本メールへのご返信でご連絡いただきますよう
お願いいたします。
─────Copyright(C) Puff Co.,Ltd.─────
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昨夜は、NHK大河ドラマ「西郷どん」の最終回。史実と違うとか脚本も演出もダメとか批判されながらも、僕は第一回から昨日の最終回まで欠かさず全話を楽しく鑑賞させてもらった。
最終回も、いわゆる史実(通説)とは違う描かれ方だったが、あれはあれで良かったんじゃないかと好意的にみている。というか満足だ。
ところで「西郷どん」を観るたびに、思い出していた昔のドラマがある。1987年12月30日、31日の二夜連続で放映された日本テレビ年末時代劇スペシャル「田原坂」だ。
31年も前のドラマだ。僕の独身最後の年で、昭和が終わる1年前。このドラマで西郷隆盛を演じていたのは里見浩太朗で、大久保利通は近藤正臣だった。そして西郷の妻いとを秋吉久美子が演じていた。そのラストシーンで「ちごう、旦那さあはこげんなお人じゃあいもはん!」と上野の西郷さんの銅像を見上げながら言っていた姿がなぜかずっと頭の中にこびりついていた。
今回の「西郷どん」でも、このシーンが第一回で黒木華によって描かれていた。それが毎回31年前の「田原坂」を思い出させた理由かもしれない。黒木華、いい女優さんだな。愛加那を演じた二階堂ふみも良かったし大久保利通の正妻を演じた美村里江(ミムラ)も良かった。
それにしても大河ドラマというのはスゴイ。丸々1年もの間(実際の収録は1年半くらいだろうか)演じ続けてきた役者の皆さんには頭が下がる。
特に鈴木亮平の熱演ぶりは良かった。終盤、本物の西郷さんの体型に近づけるために、かなり無理して太ったんじゃないだろうか。あっぱれだ。
と、いろいろと書いてみたいところだが、朝の連ドラを観なければならないので、今朝はここらでよかろかい。
では、まんぷく&朝食後行ってきます!