パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

約20年前のメルマガに連載していた「パフの創業物語」。今年の5月以降、誤字などを修正しながら「新・パフの創業物語」として再掲しています。

昨日の第48話は、当時(20年前)のクギサキくんが忙しかったようで、話がぜんぜん進んでいませんでしたが、さて、今回は?

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


1997年11月30日

この日(たしか日曜日でした)、ボクは37歳の誕生日を迎えていました。

この前日、サラリーマン時代の最後の大仕事、求人サイト「登龍門」の1999年新卒採用に向けたリニューアルオープン作業を終えたばかり。

掲載各社からの原稿の遅れやシステム開発の遅れなどもあり、この数日間は徹夜続きだったのですが、ひとつの仕事をやり終えたという充実感があり、とても清々しい気持ちの誕生日だったのです。

思えば、1995年にスタートしたこの「登龍門」の企画・開発・運営の責任者として足かけ3年間過ごせたことが、ボクの独立には大きな影響を与えています。

このことは、ボクが所属していたH社の社長をはじめとする先輩方・同僚諸子に深く感謝しなければいけないことだと、いまさらながら思っています。

さて、翌日の1997年12月1日。いよいよ会社設立に向けた実務が本格的に開始されることとなりました。

まずは、事務所の決定。

これも本当に恵まれており、仕事仲間のデザイナー事務所が入居していたビルの1フロア(最上階の超狭い事務所)が空いており、そのビルのオーナーを直接紹介してもらうことができたのでした。

(2020年9月16日注釈:このデザイナー事務所というのがグレートロークアソシエイツ社で、多摩美術大学のOBOGたちが学生時代に作った会社です。創業の中心メンバーだった福田聡さん<現スア・フォルマ代表>はパフの創業以来、数多くの制作物やロゴをデザインしてくれました。さらに現在では、「山と鼓と葉」のバンドメンバーとして、パーカッション、ベース、ボーカルを務めてもらっています)

そして、なんと!ふつう賃貸契約を結ぶ時には、相当額の保証金(敷金)を払わなければいけないのですが、このビルオーナーは「会社を作るときはいろいろモノ入りだと思いますから保証金はいいですよ。私も多少は起業家支援をしなきゃね!」と言ってくれたのです。

これには、ほんとうに助けられました。事実、設立1年目、預貯金残高が底をついた時には、この保証金免除がなかったら今ごろは……と、青ざめたものでした。

1997年12月3日。

この日に行った大仕事が定款の認証。「定款」とは、会社にとっての法律みたいなもので、会社の基本的な決まり事を一冊の書類にまとめて、法務局所属の公証人に認証をもらわなければならないのです。

これは司法書士の方の助けを借りながら作成し、無事12月3日、認証を得ることができました(学生時代の後輩が勤務していた司法書士事務所にお願いしました)。

そして……

1997年12月5日。

問題の資本金の払い込みがスタートしました。

独立を決意してから、この約2ヶ月間、友人・知人に出資のお願いをして回り、結果的に総額1,130万円の資本金を集めることができたのでした。

が、この段階では、あくまで口約束。実際には、12月5日から12月11日までの1週間の間に、会社設立用の特別口座に振り込んでもらわなければならないのです。

果たして本当にみんな払い込んでくれるんだろうか……

いざとなったら、“やっぱりヤーメタ”ってならないだろうか……

正直言ってかなり不安でした。

資本金の払い込み事務をお願いした東京三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)月島支店のO課長に、おそるおそる初日の午後3時過ぎに電話を入れて払い込み状況を確認したところ、

「あー、クギサキさん、早速何件か払い込まれてますよー。えーっと、クギサキヒロミツさん、ベンチャークリエイト(注:K氏が 運営するベンチャーキャピタル)さん…。あ、とりあえずこの2件ですねー」

そうか。さすが血を分けた兄弟。真っ先に振り込んできたか。そしてさすがその道のプロKさん、ソツがないな。

しかし……。

初日に払い込んでくれたのはわずか2名。

ま、まぁ、あと6日もあるしな。今日は週末で忙しかったろうから、きっと来週になるんだろうな。

・・・と、つとめて冷静になろうとしたものの、イヤな予感に襲われた資本金払い込みの初日だったのでした。

(あの心配な人物が株主候補なんだもんな。つづく)


 

現在では会社設立の手続きはずいぶんと簡素化されています(資本金も1円で設立できることになっています)が、当時の商法(現在の会社法)の定めるところでは、起業までの手続きはとても面倒くさく(最低資本金も1千万円だったし)、起業までのハードルはずいぶんと高いものでした。でも、このハードルの高さがあったからこそ、創業時の危機を乗り越えることができたのかもしれません。万事塞翁が馬ですね。

さて、本日は午前中、2021年入社予定の内定者にパフの歴史をオンラインでレクチャーしてからの出社です。「この新・創業物語でも読んどけ!」で済ませようかなと(笑)。

では、朝食&エール後、準備します!