パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

50歳まで、あと365日となった日

2009年11月30日 (月曜日)

50歳なんて、まだまだ先のずーっと先のことだと思っていた。そもそも中学生のころは、ノストラダムスの大予言を半分信じていたので、40歳を迎えることすら出来ないのではないかと思っていた。

ところが本日、50歳までいよいよあと一年となってしまったのだ。

まあ、だからといって特別、感慨深いわけでもないのだが……。

ただ、「そうかあ。もうそんなに生きてきたかあ。そんな感じはしないんだけどなあ」と思うくらいだ。

そんなことを考えていたら、今朝、中学校の時の友人(もちろん女の子です)から、「まだまだいろんなことに挑戦!頑張ってね(笑顔)」というハッピーバースディのメールをもらった。

うん。単純な僕はとても嬉しくなった。「ガンバロ」と思ったのだ。でも、15歳のときに同じことを言われても、同じように嬉しかったと思うし、同じように「ガンバロ」と思ったことだろう。

そういう意味では、人間なんて(いや、男なんて…かな?)、15歳だろうが50歳だろうが大差はないのだ。

そんなわけで、きょうは(正確には昨夜から)、いろんな人からメールや電話をもらった。嬉しいことだ。何が嬉しいって、僕なんぞの誕生日を覚えてもらえていることが、とても嬉しいのだ。

「このトシになって、オメデトウでもないだろ?」なんて、照れて言うこともあるのだが、やっぱり何歳になっても祝福してもらえるというのは素直に嬉しいことなのだ。きっと80歳になっても100歳になっても同じことだと思う「おいおい、そんなに長生きする気かよ?」と言われそうだが、苦笑)。

さて、来年の50歳の誕生日には、記念ライブでも開いてみようかな。だって 「まだまだいろんなことに挑戦!頑張ってね(笑顔)」って言われたからには、そのとおり頑張るのが男ってもんですからね。

日曜日恒例の映画に行った。松本清張生誕100周年記念の『ゼロの焦点』。事前にYahoo!の掲示板を見てみたら酷評だらけ。そんなに酷い映画ってどんなんだろう?と、逆に興味がわいて朝一番の回を観に行った。

なんだ。どこが酷いんだ?秀作じゃないか。いい映画だよ、これは。

中川淳一郎さんが言っていたように、ウェブに匿名で無責任な書き込みをする奴らのバカさ加減を確信した。

酷いっていえば、先週観た、誰もが行列をつくっている映画○○のほうが、よっぽど酷いんじゃないか?と思ったが、まあこれは、人それぞれの考え方・感じ方次第。自分の価値観を他人に押し売りするっていうのは最低だと思っているので、この話題はこのへんで。

で、本日書きたかったのは映画の話題ではない。

帰り道に遭遇した月島の公園の銀杏の木。

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日頃、気付かなかったのだが、こりゃキレイだ。この公園は、うちの娘がまだ幼稚園に通い始める前の小さなころ(15~16年前)、よく連れて行った場所だ。

あの頃は、こんなキレイな銀杏の木があるなんて気がつかなかったよなあ。

僕らの周りには、日ごろ急ぎすぎて気づいていない景色がたくさんあるんだ。たまの休日には、自分の家の周囲をゆっくり歩いてみることも必要だ。そんなことを銀杏の木を眺めながら思った休日だった。

映画「ALWAYS三丁目の夕日」では、昭和33年の鈴木一平君(当時小学4年生)の家に、白黒テレビや冷蔵庫がやってくるシーンが描かれていた。僕の子供のころの思い出と重なりあう、とても懐かしく大好きなシーンだ。

僕がもの心ついた時(4歳くらい)、すでに我が家には白黒テレビはあった。でも、貧乏だった我が家が初めて冷蔵庫を買ったのは、僕が小学校3年生のころ。そして白黒テレビからカラーテレビに買い替えたのは、小学校4年生のころ。洗濯機と電話が導入されたのは、なんと僕が中学に入ってからだった。

そのときどきのことは、いまでもよく覚えている。感動と興奮だった。冷蔵庫が来たときは、嬉しくて氷を何度も作っては食べた。カラーテレビは、崇め奉るべき神聖なるものだった。電話では、目的もなく、時報(117)や天気予報(177)を聞きまくった(親にバレて叱られまくった)。

子供にとって新品の電化製品というのは、かくも大きな存在だったのだ。

 

そして本日。あれから40年近く経って独立した生計を営む僕のところに、新しい電化製品がやってきた。全自動洗濯機である。

もちろん今までも洗濯機はあったのだが、それが壊れてしまって、急きょ新しい洗濯機を今朝、有楽町のビックカメラで買った。これを即日配送で、夕方すぐに届けてもらったのだ。

配送と据え付けを担当するお兄ちゃんが二人で、洗濯機を運んできた。手際良く据え付けて試運転を行うお兄ちゃんの姿を眺めていたら、上記のような、40年前の僕の子供のころを思い出したというわけだ。

やっぱり何歳になっても、新しい電化製品が我が家にやってくるというのは嬉しい。感動する。ウキウキする。

でも最近の子供たちって、新しい電化製品が家にやってきたときに感動したりするんだろうか……。

こういう素朴なことに感動したり、喜んだり、感謝したりする気持ちを、これからの時代は、もういちど育まなきゃいけないような気がする。

突然の嬉しい来客が続いた日

2009年11月27日 (金曜日)

きょうは朝礼前に会社を出発。入社一年目のオオノの同行で、横浜に向かった。

横浜には、オオノが春先から新規の営業訪問をしている某社がある。某社は数年前東証一部に上場した会社。そして上場の際、主幹事を務めた証券会社の証券マンは、パフとも古くから付き合いのあるNさん。Nさんは某社の会長、社長をはじめとする幹部の方々とツーカーの仲だという。

というわけで、きょうはNさんの仲介で、あらためて某社の人事担当役員をご紹介いただいた。とても誠実な役員の方で、しばし若者論、人材採用論をお聞かせいただいた。僕からは、パフの成り立ち、事業スタンスなどを、あらためてご説明した。これでオオノの商談がこれから円滑に進むといいな。

Nさん、本日は、お引き合わせいただき、ありがとうございました!

 

横浜のあとは新宿に向かう。パートナー企業である就職エージェントの下薗社長と打ち合わせをするためだ。本日のお題は、地方同業者とのコラボ事業のスキームの詰め。まだまだ調整が必要だが、来春にはカタチにしていきたいと思う。

 

その後やっと、築地のパフ事務所に戻る。もう午後3時を回っていた。サーバールーム(兼、社長パソコン室)に籠ってメールチェックをしていたら、神戸芸術工科大学のHさんから電話が入る。Hさんは数年前、キャリアセンターから別の部門に異動になっていたので、2年半ぶりくらい。懐かしいなあと思って電話に出たら、「いやあ、釘崎さん久しぶりです。実は今年、キャリアセンターに戻って来たんです。で、いま実は、パフの事務所の下まで来てるんですが、お寄りしてもいいですか?」と仰るではないか。

びっくりしたが、とても嬉しかった。

Hさんはパフが創業して間もないころから、とても懇意にしてくださっていた。僕をキャリア論の授業の講師として、しばしば神戸まで呼んでくださったりもしていたのだ。二年半前、キャリアセンターを離れられて寂しいなあと思っていたのだが、戻ってこられたことで、またお付き合いする機会も増える。さらに、わざわざパフを訪ねてきてくださるなんて、とても光栄なことだ。

そういえば昨日も、僕の「どげえするんか」(メルマガのコラム)のファンだという九州の某大学の職員の方が突然お見えになった。なんでも大分県のご出身だとのことで、僕の大分弁でのコラムが気になっており、以前からいちどパフに足を運びたかったのだという。

こういう突然の来訪なら大歓迎である。突然でも、僕がタイミングよく社内にいるということ自体やっぱり運がいいし、縁があるということなんだろう。

いま大学は、企業の大幅な採用抑制に強い危機感を抱いている。パフも、もっと大学との連携を深めていかないといかんなぁ…と思うのであった。

なんだか強い運気を感じる日

2009年11月26日 (木曜日)

僕は自分で自分を、とても運がいい奴だと思っている。特に30歳を過ぎたくらいから強く感じる。

最低最悪な状況に追い込まれたことも、過去にはたくさんあったのだが、最後の最後は、すべて災いが転じて福となっている。これは運がいい以外の何ものでもない。

#とはいえ、無理やり「自分は運がいいはずだ!」と、思い込ませているときもありますが(苦笑)。

 

最近は、世の中(特に我々が所属する人材業界は)、めっきり景気のいい話が少なくなってしまったのだが、ここ2週間くらいを振返ると、「おまえはこっちに進むんだ!」と、あたかも誰かに背中を押されているような(あるいは誰かに手繰り寄せられているような)出会いや出来事が続いている。しかも、それが絶妙に仕組まれたが如く、ものの見事に関連しあっている。

今夕の出来事もまさにそうだった。いままでの点と点が繋がって線になったような気がする。パフの事業と、自分のライフワークとの接点も見えてきた。

うん。これはいい。

明日からは、具体的な作業に取り掛かることにしよう。でも、世間へのお披露目は、ある程度カタチになってからだな。来年の春くらいかな。

強くて、優しくて、美しい国ニッポンの再生に向けてガンバロウ。

あ、でもその前に(同時にかな)、マジックドラゴン=パフの再生を成し遂げねば!

ブルーカラー同士の慰労会だった日

2009年11月25日 (水曜日)

午後から外出。創業時からの協賛企業P社(厳密にいうと「社」じゃないんだけど…)に訪問した。

駅は地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅。

駅を降りてから、この地に降り立つのは実に久しぶりであることに気がついた。ということは、P社にもずいぶん久しく伺っていなかったということ。3~4年ぶりかもしれない。

きょうは人事部長のIさんに長い時間をとっていただき、差しで様々なことを話し合った。Iさんとは、もう15年以上のお付き合いだ。たしか15年前はまだ主任か係長という役職だったと思う。久々に青臭い議論をした。そして、今後の事業にご協力頂くことになった。そして、地方で活躍しているとてもユニークな方もご紹介いただいた。いやー、嬉しかったなあ。

 

夜。19時から、とあるプロジェクトが完了したことを祝しての慰労会を行った。このプロジェクトの司令塔は、入社3年目のイワサキ。そしてイワサキの指示に従って動いていたのが、僕とアルバイトのオオツキとミツギちゃん。

僕はこのプロジェクトを進めている最中、司令塔のイワサキのことを「ホワイトカラー」と崇め、実行班である僕とオオツキとミツギちゃんの3人のことを「ブルーカラー」と呼んでいた。「ホワイトカラーの指示には、どんなに辛い仕事でも忠実に従うのだ!」と、我々ブルーカラーは自らを律しながら、雨にも負けず風にも負けず、プロジェクトを遂行した(事実、台風の日もあり辛かったのだが)。

そんなプロジェクトの慰労会である。プロジェクト遂行中から「すべてが終わったらブルーカラー3人で打ち上げをやろうなっ」と決めていた。仕事が辛かったぶん、少しくらいは贅沢をしようということになっていた。でも、やっぱりホワイトカラーの機嫌を損なうわけにはいかない。今後も仕事にあぶれないようにと、イワサキも誘って4人で慰労会をやることになったのであった。

場所はパフの傍にある豚しゃぶ屋さん。いやあ美味しかった。ブルーカラー3人の中でもいちばん若くて貧乏なオオツキは、「こんな旨いものを食べたのは久しぶりです」と、豚肉をがっついて食べていた。

昔の労働者は、仕事が終わると仲間同士が集まって、安い焼酎をあおって疲れを癒していた。

僕らも豚しゃぶを食べながら、あの日の疲れを十分に癒すことが出来た。よき慰労会だった。オオツキ、ミツギちゃん、イワサキ、お疲れさまでした!

 

母親の誕生日だった日

2009年11月24日 (火曜日)

きょう11月24日は、僕の母親の誕生日。大正12年(1923年)生まれのはずなので、86歳を迎えたことになる。

母親は現在、大分県の湯布院に、ひとりで住んでいる。あちこちにガタはきているものの、基本的には、まだまだ元気だ。

今朝、会社に向かって歩いているときに、誕生日だということを思い出し電話を入れてみた。

耳の遠い母親は、「誕生日おめでとう」という僕の言葉を解せずに、ぜんぜん違う話題を展開させており、僕はただ「はいはい、あ、そう」とカラ返事を繰り返すのみだった。

まあ、いつも母親に電話をすると、そんなものだ。でも、それだけでもいいのだ。ただ息子から電話が来るというだけでいいのだ。

母親はいつも電話で、「忙しいのか?」と僕に聞く。僕は、「うん。忙しい」と答える。「仕事はあるのか?」と聞く。「たくさんある」と答える。「社員は辞めていないか?」と聞く。「辞めていない」と答える。

シンプルであるが、本質を突いた質問だ。

86歳かあ……。たいしたもんだ。本人には聞こえなかったようだが、あらためて「おめでとうございます」と、この日記に書き記しておこうと思う。