パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

監査された日

2017年8月31日 (木曜日)

パフの監査役は木村和則さん。僕が以前(大学を卒業する直前から)働いていた小さなシステム会社にいた腕利きSE。僕よりも7歳年上なので、出会ったとき木村さんはまだ30歳。僕は23歳だった。

木村さんは25年前に独立起業。大田区蒲田で、いまも堅実なシステム会社を経営している。

そんな木村さんに監査役就任をお願いしたのは、僕がパフを創ることを決めた20年前。「うん、いいよ」と二つ返事で引き受けてくれた。

パフは多いときで約200名(いまでも約100名)の株主で構成されていた会社なので、ふつうの中小オーナー企業の「なんちゃって監査役」というわけにはいかない。法的責任がつきまとう。株主総会も毎年きっちりと行っており、木村さんにも役員席で監査役としての“仕事”を担ってもらっている。

今年も株主総会の季節が近づいてきた。そろそろ招集通知を作成して、株主の皆様のところに決算報告とともにお送りしないといけない。今年は大きな承認・決議事項もあるし(まだ言えないけど…)。

ということで昨日は、この木村さんにご来社いただき監査役としての仕事を行ってもらった。約30分だけ(笑)。

この20年間、無報酬で監査役を引き受けてもらっていることに感謝の気持ちを込めて、監査役の仕事終了後、築地の寿司屋で接待させてもらった。

 

うん、木村さんにはやっぱりモノクロ写真が似合うな( ^)o(^ )

 

木村さんとサシで日本酒をちびちびやりながら、いままでの仕事人生をしみじみと語り合う。素敵な夜でした。

あ、そうそう、木村さんのことは大昔のコラム(釘さんの素晴らしき100の出会い)にも書いているので、興味のある方はぜひお読みください。

<第61話> 「森の熊さんキムラさん(前編)」

<第62話> 「森の熊さんキムラさん(後編)」

とくに上の第62話には、パフ創業の裏側にある、ちょっとした感動秘話が載っていますよ(*´▽`*)

 

では、本日もみね子の応援後、行ってきます!

 

勝つ!

2017年8月30日 (水曜日)

まずはこの写真をご覧いただきましょう。

 

すごいっ!

深夜1時を過ぎていたのだけど、テレビの前で思わず歓声をあげてしまった。

ご存じですかね、阿部一二三選手。

昨日の世界柔道選手権の66kg級。見事一本勝ちで優勝。金メダルをとった。まだ弱冠20歳。常に一本勝ちを狙う、その姿には感動を覚える。

東京オリンピックでも金メダルが有望視されている阿部選手だが、これほどまでに強くなったのは、小学生のころ女子選手に負けたことがきっかけ。悔しくて悔しくて、猛練習を重ねた結果、めきめきと頭角を現していったのだという。

やっぱりね、負けて卑屈になってたんじゃダメなのですよね。負けをバネにして、そこで奮起して、自らを振り返り前に進めるか否か。そこからが本当の勝負の始まり。大きな勝ちを得る過程にはたくさんの「負け」があってもよいのです。

「うまれよ」の「ま」。負けるなは、勝つまであきらめるなってことなんです。

 

ところで、昨夜はオリハラの壮行会。彼にも負けてほしくないね。パフでは悔しい思いをしたかもしれないけど、それをバネに努力を重ねて大きな勝ちをつかんでほしい。

では、昨夜のナイスショットを記念に載せておきましょう。

パフ全社員からの寄せ書きを贈呈

 

記念品のプレゼント。その変顔はなんだ?

 

記念品(幻のパフ20周年記念オリジナルモバイルバッテリー)を手に、カホちゃんとのツーショット

 

では、やっぱり最後には大きな勝ちを掴んでほしいみね子を応援した後に、行ってきます!

 

愚かなリーダー

2017年8月29日 (火曜日)

愚かなリーダーが率いる組織(組織に属する人々)は不幸である。その組織と関わらざるを得ない他の組織・人々までも多大なる迷惑をこうむる。

先ほどの北朝鮮のミサイル発射によって、僕の朝の平和なひとときも吹っ飛んだ。ピアノの練習どころではなくなってしまった。

今後どのように事態が進んでいくのか僕にはまったく分からない。トランプが愚かなリーダーではないことを祈るのみだが、とても心配だ。

そういえば、付き合いのある元学生(某社の新入社員)のM君から昨日こんなメールが来た。

「けさの営業会議で上司に暴言を吐かれました。『馬鹿』とか『辞めろ』とか『俺の前に面見せんな』とか言われました。社長ですら『ぶっ殺すぞ』とか、『ぶっ飛ばすぞ』とか、暴言を吐いて来ます。相当精神的に堪えています」

これが本当なら、とんでもない上司と社長だ。

会社であっても国であっても、愚かなリーダーが率いる組織は本当に不幸である。

では引き続き、続報をウォッチすることにしよう。

ひよっこの放送も、愚かなリーダーのせいで吹っ飛んでしまうのだろうか。心配だなあ・・・。

 

いつもの日記に戻ります。

2017年8月28日 (月曜日)

この2週間は夏休みモードの日記だったが、本日から通常の日記に戻ることにする。

毎日の出来事を淡々と綴る。

ごくまれにマジメなことを書くこともあるが、9割くらいはくだらないこと、どうでもいいことを書く。時間のない朝は手抜きもする。それが釘さん日記である( ˘ω˘ )。

この2週間は(も)ほぼ毎日が宴席だった。仕事関係の宴席も多いのだが、私的な宴席も3日に1回くらいはある。取引先と飲むことが多いのだが、職サークルのイベント等に参加していた元学生と飲むこともある。久々に会う旧友たちともよく飲んだりする。日記には載せられないようなマル秘な宴席もあれば、全世界に公開する宴席もある。

僕は大勢よりも数名で飲むことを好む。3人くらいがベストだ。よくある立食パーティーみたいなやつは苦手で、最初に顔だけ出して義理を果たした後は、途中で抜け出して少人数で飲みなおす。早く帰ればいいのに、やっぱり飲むのか(笑)。

今週も来週も、そんな感じの日が続きそうだ。

あれ?

いまスケジュール表を見ていたら、やばいことに気がついた。来週の金曜日は、年に一度の人間ドックだった。最近はランニングをほとんどやっていない。おかげで腹回りがたっぽんたっぽんだ。今年はメタボ判定が下りそうな予感。その結果も日記で明らかにせねばなるまい。

きっと、こんなくだらないことを明日から書いていくのかな?

ということで何の役にも立たない日記ですが、通勤電車の中の息抜きタイム等にお読みいただけると嬉しいです。

そういえば昨日、みね子を意外なところで見かけた。茨城訛りではなかった。しかも着物を着て刀を振り回していた。今は時間がないので、その話はまた今度( ˘ω˘ )。

では、いつもの鈴ふり亭の制服を着たみね子を見た後に、行ってきます!

 

うまれよ誕生の秘密

2017年8月25日 (金曜日)

「うまれよ」が誕生したのはいつか?

これも大昔のメルマガコラム「パフの自転車操業物語」のなかに書いてあった。

1999年4月中旬。「うまれよ」と出会った日だ。

場所は有楽町のガード下の飲み屋さん。

以下、このコラムから引用してみる。

===

1999年4月中旬のある日の夕方。 

ボクは、某就職情報大手R社のM氏と会っていた。 

M氏は、ボクの独立に際して大きな影響を与えてくれた人で、おそらくM氏がいなければ、今のパフは出来ていなかった…そういう人物である。 

そのM氏と、有楽町のガード下で飲んでいた。 

M : 「おー、クギサキ、久しぶり!会社どうだ?」 

釘 : 「いやー、なんとか倒産スレスレで持ちこたえていますよ」 

他愛ない会話で、安酒を酌み交わしていた。 

なんの話題からそうなったのか、R社の面接の話になった。M氏はR社の新卒採用にも関わっており、毎年多くの学生の面接を担当していた。 

M : 「クギサキさー、昔、俺が面接した学生に、おもしろい奴がいてね…」 

釘 : 「へー、どんな学生なんですか?」 

M : 「うん。なんだか俺、そいつにすごく奥深い魅力を感じて、長い時間いろんなことを話し込んでいたんだ」 

釘 : 「へー」 

M : 「それで、そいつの子供の時の話になったんだけど、そいつの親父さんが、毎日欠かさず、そいつに対して聞いていたことがあるらしいんだ」 

釘 : 「なんですか?そんな毎日欠かさず聞いていたことって?」 

M : 「うん。4つあるんだよ。 

ひとつめは、『おまえ、今日はウソをつかなかったか?』 

ふたつめは、『おまえ、今日は負けなかったか?』

みっつめは、『おまえ、今日は礼儀正しくできたか?』

よっつめは、『おまえ、今日は弱いものいじめをしなかったか?』 

この4つのことを、毎日毎日繰り返し、聞いていたらしいんだ」 

ボクは、震えるほどの感動を覚えた。 人間にとって、もっとも大事なことが、この4つの問いかけの中に凝縮されていると思った。 

M : 「俺、感動しちゃってさー。以来、自分の息子にもノート作って同じコト を聞いているんだ。題して『うまれよノート』だよ」 

釘 : 「うまれよ?」 

M : 「そう、うまれよ。ウソをつかないの『う』、負けないの『ま』、 礼儀正しくの『れ』、弱いものいじめをしないの『よ』、なんだよ」 

釘 : 「そっかー。『うまれよ』かー。実にいい言葉だなー」 

M : 「だろ?この『うまれよ』は、俺の著作だからな!」 

釘 : 「Mさん!その『うまれよ』、パフでも使わせてください!」 

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そういうことだったのだ。

うまれよの「よ」だけは、もともとの「よわいものいじめをするな」から、僕が「よのためひとのため」に置き換えたのだけど。

さらに、この「うまれよ」にもルーツがあることが分かった。2014年1月、鹿児島の「維新ふるさと館」に立ち寄ったときのことを日記に書き留めているので引用してみよう。

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先日、鹿児島県指宿市での「いぶすき菜の花マラソン」を終えた翌日、帰りの飛行機まで時間があったので、鹿児島市内の「維新ふるさと館」という施設を訪問した。

西郷隆盛、大久保利通、大山巌、村田新八、東郷平八郎、西郷従道などなど、明治維新の傑物たちが生まれ育った場所に、この「維新ふるさと館」はある。

どうして、このような傑物たちが、同じ時、同じ場所で生まれ育ったのか。単なる偶然なはずがない。その理由は、薩摩藩独特の教育にあった。

薩摩藩の武士の子供たちに施されていた『郷中教育』(ごじゅうきょういく)というものが、それだった。僕は恥ずかしながら、そのことを「維新ふるさと館」への訪問で初めて知った。

『郷中教育』の教え(略訳)を、Wikipediaから抜粋・引用してみよう。

・何事も、グループ内でよく相談の上処理することが肝要である

・仲間に無作法など申しかけず、古風を守れ

・グループの誰であっても、他所に行って判らぬ点が出た場合には仲間とよく話し合い、落ち度の無いようにすべきである

・嘘を言わない事は士道の本意である、その旨をよく守るべし

・山坂を歩いて体を鍛えよ

・万事に質実剛健、忠孝の道に背かないことが二才の第一である

・負けるな

・弱いものいじめをするな

・金銭欲・利欲をもっとも卑しむべきこと

どうだろう。まさに、『うまれよ』の教えそのものではないか。

しかも鹿児島では、いまでもいろんなところで、①負けるな、②嘘をつくな、③弱い者をいじめるな、という3つの言葉が大きな字で掲示されているのだという。

いやあ、そうだったのかあ…。この「うまれよ」の教えが、維新の傑物たちを輩出する源だったのかあ……。

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なんと、江戸時代末期の薩摩藩の教育が「うまれよ」のルーツだったんですね。

のちにMさんことムライさんにもこのことを伝えたら「うん、そうなんだよ」と、こともなげに言っていた。「なんだ知ってたのかよ( 一一)」と、拍子抜けしたことを覚えている。

ということで、今週の日記は「うまれよ」特集でした。来週からまた通常の日記に戻れるかな?

ともあれ、ひよっこを見てから猛暑の中ウォーキングで行ってきます!

夏休み特別手抜き企画として再録してきた6年前の連載コラム「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」。いよいよ最終回となりました。いかにも最終回っぽい終わり方となっています(^^)。

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うまれよの「よ」。それは、「よのため人のため」だ。

お前たちは、誰のため、何のために仕事をする?

飯を食うため。家族を養うため。文化的な生活を送るため。自分の能力を伸ばすため。偉くなるため。金持ちになるため。自己実現のため……。

いろいろあると思う。いや、いろいろあっていいと思う。

でもな、自分のためだけ、自分の身内のためだけに働くのでは寂しいし、つまらんと思う。いや、きっとそのうち、お前自身がつまらんと思うようになると思うぞ。

せっかくこの世に生まれてきたのならば、いつかは、「俺は(私は)いま、世のため人のために働いています!」と、胸を張って言ってみたくないか。

大きなことをやれとか、目立つことをやれとか、経営者や政治家や技術者になれ、と言っているわけではない。もちろん大きなフィールドにもチャレンジしてほしいが、皆が皆、そんな機会や才能に恵まれている訳ではないからな。

小さなことでも、目立たないことでも、間接的なことでも構わないから、お前の働く理由が、世の中を見据えたものであってほしい、ということなんだ。

自分の仕事は、世の中のためになっている。誰かを幸せにすることに繋がっている。そう自信をもって言えるような働き方をしてほしいんだ。

まだ見ぬ自分の子供や孫の世代のために、この世の中を今より少しでも住みやすい世の中に変えていく。

就職したあとは、ぜひ、そういう気持ちで目の前の仕事に取り組んでほしい。

☆☆☆

う …… うそをつくな

ま …… 負けるな

れ …… 礼儀正しくしろ

よ …… 世のため人のため

これが、俺が最後にお前たちに伝えたかったことだ。

これから始まる就職活動。この、うまれよの4文字を胸に刻みながら、ぜひ頑張ってほしい。

そしていつかは、お前に「社会に役立つ価値ある人材」になってほしい。

俺に限らず、オヤジっていう奴は、不器用で、頑固で、言葉数も少なく、なかなか素直になれない人種が多い。お前たちにとっては、ちょっと煙たい存在に映ることもあるかもしれない。

だがな、俺たちオヤジは、心の中ではいつでもお前たちを応援していることを覚えておいてほしい。

以上で、俺のオヤジコラムを終了する。

じゃまた、いつかどこかで会おう。元気でな!!

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このコラムを読んでくれていた学生たちの多くは、2012年に社会人デビューしているはず。入社5年目ですね。いまでも「うまれよ」のコトバが、頭の隅っこに残っていてくれてたらなあと思います。

明日は「うまれよ」誕生の秘密でも書きましょうかね。

では、新たな恋が始まりそうな(相手は仮面ライダー?)みね子を応援した後に行ってきます!

 

6年前の連載コラム「オヤジから最愛の娘&息子たちへ」の再録。本日は、うまれよの「れ」です。

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うまれよ の「れ」。それは「れいぎ正しくしろ」だ。

俺は学校卒業後、社会で働いて28年になる。学生時代のアルバイトも含めると、32年間働いてきた。(※2011年11月時点での年数です)

小さな会社も大きな会社も経験した。学生時代は駅弁製造工場で1年。割烹料理屋で半年。バス会社で添乗員として2年ほど働いた。

いろんな社会人が、いろんな職場にいた。いろんな大人たちが、いろんな職場での、お客様やパートナーだった。

22~23歳のころまでは、仕事で一緒になる社会人のほとんどが俺よりも年上。

時には、芸能人やプロスポーツ選手と会うこともあった。倍以上、年齢の離れた企業の経営者や重役の方々と打ち合わせをすることもあった。

そして、いろんな社会人と一緒に仕事をするなかで発見したことがある。

それは、

「本当にスゴイ人、偉い人、一流の人ほど、礼儀正しく腰が低い」

ということだ。

これは、俺が大学2年生のとき。バス会社で車掌のアルバイトをしているときのエピソードだ。

あるプロ野球チーム(差し支えないと思うので明かすが、広島東洋カープだ)の選手たちを、都内のホテルから後楽園球場(今の東京ドーム)まで、貸切バスで送っていく仕事があった。

球場に着くと、俺はバスを降りる選手たち一人ひとりに「お疲れ様でした!試合がんばってください!」と挨拶をして見送るわけだが、若い選手たちは、車掌の俺なんぞに挨拶を返してくれたりはしない。

しかしそんななか、球界を代表する超一流プレイヤーだった山本浩二選手と衣笠祥雄選手の二人だけは、俺の目を見てニコッと笑って「ありがとう!」と言ってくれたんだ。

超一流選手の二人にお礼を言われるなんて……。思わずゾクゾクしたことをよく覚えている。

そしてさらにゾクゾクしたのは、いちばん最後にバスを降りてきた古葉竹織監督の丁寧なお辞儀だ。

古葉監督は帽子を脱いで「私たちを安全に送っていただき、ありがとうございました」と、低く太い声をゆっくりと発しながら、深々と頭を下げてくれたのだ。

このころの広島カープは、リーグ優勝、日本シリーズ制覇を重ね、赤ヘル軍団として隆盛を極めていた。

その常勝球団の監督とスター選手のこの礼儀正しさ。俺はまだ学生だったんだが、むちゃくちゃ感動したものだ。

一方で、中途半端に優秀な奴(優秀なように自分を見せようとしている奴)や、中途半端に偉い(と勘違いしている)奴は、いかん。

スポーツ選手だけの話ではなく、一般の会社員も含めて、すべての社会人に言えることだ。

中途半端に偉い奴は、態度がふてぶてしい。頭を下げるということを知らん。

自分の(相手より相対的に優位な)立場に安住し、ふんぞり返ってしまうんだな。あるいは、偉ぶることでしか自分の威厳を保てんのだな。

見ていて実に不愉快だし、痛々しいものだ。

それはともかく。

お前たちは、とにかく礼儀正しくしろ。周囲の人たちに心から敬意を払え。

特に挨拶だ。

大きくはっきりと、心のこもった声で挨拶するんだ。相手の目をしっかりと見て、きちんと頭を下げるんだ。

就職活動中はもちろんだが、お前が社会に出て仕事をある程度こなせるようになった時こそが要注意だ。

人は少し仕事が出来るようになると自惚れ、ついつい他人に対して傲慢になることがある。

しかし、いつまでもそれが続くと、そういう奴からは人も仕事も遠ざかっていく。

でも悲しいかな本人は、そのことに気がつかない。そして、ついには自分自身の成長機会を逃してしまうんだな。

お前たちには、そんな残念な奴にはなってほしくない。

===

本日の再録はここまで。うまれよの「れ」。なかなか熱が入ってましたね。

僕は子供の頃からエラソーにしている大人が大嫌いだったことを覚えています。

いまでもコンビニや吉野家や立ち食いそば屋で、店員さんが「ありがとうございました」って言っているのに、それに返事もせずに出ていく無愛想でエラソーな客を見ると、追いかけていって「おい、どーもくらい言えよ!」って怒鳴りつけたくなります(実際にはそんなこと勇気がなくて出来ませんがw)。

では、(すずふり亭でウエイトレスとして働く)みね子の「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」っていう気持ちのいい挨拶を見てから行ってきます!