パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

うまれよ誕生の秘密

2017年8月25日 (金曜日)

「うまれよ」が誕生したのはいつか?

これも大昔のメルマガコラム「パフの自転車操業物語」のなかに書いてあった。

1999年4月中旬。「うまれよ」と出会った日だ。

場所は有楽町のガード下の飲み屋さん。

以下、このコラムから引用してみる。

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1999年4月中旬のある日の夕方。 

ボクは、某就職情報大手R社のM氏と会っていた。 

M氏は、ボクの独立に際して大きな影響を与えてくれた人で、おそらくM氏がいなければ、今のパフは出来ていなかった…そういう人物である。 

そのM氏と、有楽町のガード下で飲んでいた。 

M : 「おー、クギサキ、久しぶり!会社どうだ?」 

釘 : 「いやー、なんとか倒産スレスレで持ちこたえていますよ」 

他愛ない会話で、安酒を酌み交わしていた。 

なんの話題からそうなったのか、R社の面接の話になった。M氏はR社の新卒採用にも関わっており、毎年多くの学生の面接を担当していた。 

M : 「クギサキさー、昔、俺が面接した学生に、おもしろい奴がいてね…」 

釘 : 「へー、どんな学生なんですか?」 

M : 「うん。なんだか俺、そいつにすごく奥深い魅力を感じて、長い時間いろんなことを話し込んでいたんだ」 

釘 : 「へー」 

M : 「それで、そいつの子供の時の話になったんだけど、そいつの親父さんが、毎日欠かさず、そいつに対して聞いていたことがあるらしいんだ」 

釘 : 「なんですか?そんな毎日欠かさず聞いていたことって?」 

M : 「うん。4つあるんだよ。 

ひとつめは、『おまえ、今日はウソをつかなかったか?』 

ふたつめは、『おまえ、今日は負けなかったか?』

みっつめは、『おまえ、今日は礼儀正しくできたか?』

よっつめは、『おまえ、今日は弱いものいじめをしなかったか?』 

この4つのことを、毎日毎日繰り返し、聞いていたらしいんだ」 

ボクは、震えるほどの感動を覚えた。 人間にとって、もっとも大事なことが、この4つの問いかけの中に凝縮されていると思った。 

M : 「俺、感動しちゃってさー。以来、自分の息子にもノート作って同じコト を聞いているんだ。題して『うまれよノート』だよ」 

釘 : 「うまれよ?」 

M : 「そう、うまれよ。ウソをつかないの『う』、負けないの『ま』、 礼儀正しくの『れ』、弱いものいじめをしないの『よ』、なんだよ」 

釘 : 「そっかー。『うまれよ』かー。実にいい言葉だなー」 

M : 「だろ?この『うまれよ』は、俺の著作だからな!」 

釘 : 「Mさん!その『うまれよ』、パフでも使わせてください!」 

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そういうことだったのだ。

うまれよの「よ」だけは、もともとの「よわいものいじめをするな」から、僕が「よのためひとのため」に置き換えたのだけど。

さらに、この「うまれよ」にもルーツがあることが分かった。2014年1月、鹿児島の「維新ふるさと館」に立ち寄ったときのことを日記に書き留めているので引用してみよう。

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先日、鹿児島県指宿市での「いぶすき菜の花マラソン」を終えた翌日、帰りの飛行機まで時間があったので、鹿児島市内の「維新ふるさと館」という施設を訪問した。

西郷隆盛、大久保利通、大山巌、村田新八、東郷平八郎、西郷従道などなど、明治維新の傑物たちが生まれ育った場所に、この「維新ふるさと館」はある。

どうして、このような傑物たちが、同じ時、同じ場所で生まれ育ったのか。単なる偶然なはずがない。その理由は、薩摩藩独特の教育にあった。

薩摩藩の武士の子供たちに施されていた『郷中教育』(ごじゅうきょういく)というものが、それだった。僕は恥ずかしながら、そのことを「維新ふるさと館」への訪問で初めて知った。

『郷中教育』の教え(略訳)を、Wikipediaから抜粋・引用してみよう。

・何事も、グループ内でよく相談の上処理することが肝要である

・仲間に無作法など申しかけず、古風を守れ

・グループの誰であっても、他所に行って判らぬ点が出た場合には仲間とよく話し合い、落ち度の無いようにすべきである

・嘘を言わない事は士道の本意である、その旨をよく守るべし

・山坂を歩いて体を鍛えよ

・万事に質実剛健、忠孝の道に背かないことが二才の第一である

・負けるな

・弱いものいじめをするな

・金銭欲・利欲をもっとも卑しむべきこと

どうだろう。まさに、『うまれよ』の教えそのものではないか。

しかも鹿児島では、いまでもいろんなところで、①負けるな、②嘘をつくな、③弱い者をいじめるな、という3つの言葉が大きな字で掲示されているのだという。

いやあ、そうだったのかあ…。この「うまれよ」の教えが、維新の傑物たちを輩出する源だったのかあ……。

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なんと、江戸時代末期の薩摩藩の教育が「うまれよ」のルーツだったんですね。

のちにMさんことムライさんにもこのことを伝えたら「うん、そうなんだよ」と、こともなげに言っていた。「なんだ知ってたのかよ( 一一)」と、拍子抜けしたことを覚えている。

ということで、今週の日記は「うまれよ」特集でした。来週からまた通常の日記に戻れるかな?

ともあれ、ひよっこを見てから猛暑の中ウォーキングで行ってきます!