みんな悩んで大きくなった
2014年4月30日 (水曜日)
昨日は昭和の日。でも僕らの世代では『天皇誕生日』と言われたほうがしっくりくる。
「天皇誕生日っていまはなんていう祝日だっけ? え? みどりの日? それずいぶん昔の話でしょ? 最近、何か違う名前になったような気がするんだけど…」なんていう会話をよく交わしたりする。
その昭和の日の昨日、僕らはお仕事だった。
朝6時過ぎの新幹線に乗って大阪へ。全国で約500名の採用を行なっているお客様の内定者向けイベントを実施するためだ。大阪だけでなく、東京でも名古屋でも実施している。
2015年採用は、求人倍率が大幅に上昇し、複数社から内定を得ている学生が昨年よりも格段に増えた。
学生にとっては喜ばしいことなのかもしれないが、企業にとっては戦々恐々の毎日である。電話が鳴るたびに「あ、また辞退の連絡だろうか…」と不安になる。
でも学生も喜んでばかりもいられない。それまでは内定を得ることに懸命だったのだが、いざ複数社から内定を得てしまうと、こんどはどの会社の内定を受諾するのかを真剣に悩む。
いずれの会社にもそれぞれ思い入れがある分、1社だけに絞り込むことがなかなかできないのだ。ついつい親御さんの意見(期待)や大学の意見や周囲の噂(あの会社はブラックらしいぞ、とか、そんな会社聞いたことないよ、とか)に流されてしまい、自分の本心をどこかに置き忘れてしまう。
そんな学生の事情、心情をくみ取りながら、あるべき意思決定の支援を行なうのが、僕たちのイベントの目的。その場には、お客様(人事採用担当者)は一人もいない。僕らも決して、そのお客様の内定を受諾しろとは言わない。学生が自分自身で考えて決めないと意味がないのだ。
いやあ、それにしてもみんな悩んでいたなあ……。
ずるずるダラダラ悩んでも良いことはない。自分自身で期日を設定して(そこまではとことん考えて悩んで構わないので)、決める瞬間が来たらスパッと決めることが大事だ。「ソ,ソ,ソクラテスかプラトンか。ニ,ニ,ニーチェかサルトルか。みーんな悩んで大きくなった!」というCMが昔(昔過ぎる?)流行ったけど、みんな悩んで大きくなろうね(^^ゞ
さて、本日は東京。来客やら打ち合わせやら、夕方までずっと茅場町の事務所で過ごす。外は本格的な雨だけど、電車で行こうかな、それとも歩いていこうかな。うーん悩むな。こんな悩みでも大きくなるのだろうか(笑)。
では、とことん悩んだうえで行ってきます!
娘は母を超えたのではないか?
2014年4月28日 (月曜日)
我が家の話ではない(笑)。何のことかというと、神田沙也加(娘)と松田聖子(母)のこと。
完全休養日だった昨日の午後、久々に映画を観に行った。いま話題のディズニー映画『アナと雪の女王』である。
さすがに50をとっくに過ぎたオヤジが一人で行くには抵抗があったので、珍しく家にいた娘に頼んでいっしょに行ってもらった。
そういえば娘と二人だけで映画を観るというのも、すごく久しぶりのような…(^^ゞ
で、本題。
主人公、アナの吹き替えをやっていたのが神田沙也加。演技も素晴らしかったのだが、圧巻だったのは彼女の唄声。母、松田聖子を彷彿とさせる、いや、それ以上に音程のしっかりとした爽やかで伸びやかな高音に、オヤジは痺れてしまった。姉のエルサ(雪の女王)役の松たか子の唄声ももちろんスゴイ。この二人のデュエットのシーンなどは、まさに鳥肌ものだった。
神田沙也加って、ガキンチョだと思っていたら、もう27歳なんだって。ビックリした。「松田聖子の娘」なので、ついつい小さな子供というイメージで彼女を見てしまう。
そもそも僕の頭の中に浮かぶ松田聖子は、20歳前後のアイドル時代の姿。「赤いぃー、スィーーート、ピィーーー♪」なんて歌っていたころのイメージが強烈にあるものだから、その娘が27歳というのがどうにも不思議でしょうがない。
ま、それはともかく。
神田沙也加はスゴイ。少なくとも歌唱力では松田聖子を超えているのではないだろうか。それに加えて(声だけとはいえ)あの演技力。スゴイね。
あ、そういえば父親は神田正輝だったんだ。思い出した。演技力は父親譲り?いやいや、父親は演技派俳優ではなかったので血筋というよりも、彼女の努力の賜物なのかも。
肝心の映画のほうも評判にたがわず、なかなか楽しめる内容だった。STORYと、ユニークなキャラクターの登場人物と、音楽と、映像と。さすがディズニー映画。でも今回は、日本語の吹き替えと唄を担当した神田沙也加&松たか子によって、本家米国をも凌駕する日本独自の作品に仕上がったように思う。
オヤジ諸君、騙されたと思ってこの連休のどこかで観に行ってはいかがだろうか。神田沙也加と松たか子の歌声に、汚れた心が洗われること請け合いである。あ、でもオヤジひとりで行くのは少々みっともないので若い女の子を誘っていくことをおススメしますよ(#^.^#)。
ぜんぜん関係ないけど、昨日は映画を観終わった後、豊洲から有明方面まで8kmほどランニングした。途中の景色が抜群に良かったので思わず立ち止まって写真を撮った。
Facebookには投稿したのだが、ここにもアップしておこう。
さて、本日は月曜日。通常通りの出勤日だ。
今年のゴールデンウイーク、我がパフはほとんどの社員がカレンダー通りに勤務している。いや、今年は祝日も勤務している社員が多い。僕も、29日、3日、4日、6日、赤い日なんだけど、それぞれ出勤しなければならない。うち2日は大阪と名古屋に日帰りの出張が入っている。キャリぷら東京のお引っ越し作業もある。がんばろっと(-_-;)。
では、そんなわけなので、いつもの月曜日と変わらず、朝食後、花子とアナ…じゃなくて、『花子とアン』を見てから行ってきます!
日記を書かない日
2014年4月25日 (金曜日)
この日記はいつも、朝食前の10分~30分を使って書いている。
数分間ぼうっと考えて、まずは題材とタイトルを決める。そして、そのタイトルに沿った内容をざっと書く。書いたあと、(タイトルとは違う方向に話が進んでしまうことが多いので)また最後にタイトルを修正する。そして全体をひと通り推敲&校正して全世界に(?)公開。
こんな感じで日々書いているのだが、きょうは適当な題材とタイトルが思い浮かばない。日々の出来事を題材にするので、何もないこともないのだけど……。
最近密かにはまり始めた「花子とアン」のことを書こうとも思ったのだが、もう少しストーリーが展開してからのほうがいいな。やっぱやめた。
ということで、本日の日記はお休み!また休み明けに手抜きじゃない奴を書いてみよう。
さて、本日は朝イチから、お客様の内定者イベント。朝食後、予習をしたうえで行ってきます!
恩人たちとの一献
2014年4月24日 (木曜日)
僕にはたくさんの恩人がいる。その恩人たちのおかげで、いまがある。
昨夜は、そのたくさんの恩人の中でも、ヨタヨタしていた創業時の僕のことを親身になって助けてくださった大恩人のお二人との食事会を行なった(場所は、安倍さんとオバマさんが寿司をつまんでいたところから、歩いて20分くらいのところにある庶民的な料理屋さんだ)。
このお二人、大恩人であるのは間違いないのだけれど、あまり感謝の言葉を面と向かって言ったことがない。むしろ(冗談まじりではあるが)憎まれ口をたたいたりすることのほうが多い。
でも、そんな関係がとても心地よい。
このメンバーでお会いするのは2年ぶりだったのだが、ほのぼの&しみじみとした、とてもよい空気と時間が流れていった。
こういうお付き合い、これからも大切にしていきたい。
さて、本日は予定を大幅変更。日中は、この7月から大幅にリニューアルされる職サークルの企画書をまとめあげようと思っている。
ではでは朝食後、行ってきます!
バトンを受け継ぎ、大きく立派に育てる
2014年4月23日 (水曜日)
パフは、現在ほとんどの新卒採用企業がなんらかの形態で導入していると思われる「内定者コミュニティシステム」の分野においてのパイオニアである。西暦2001年の春から、PNC(パフ内定者コミュニティシステム)という商品名で販売を開始した。
当時パフの営業マンは入社したての新卒一期生3名のみ。営業もド素人ならシステムのこともド素人である。
しかし、このド素人の新人たちが売りまくった。ビックリするような大企業が、社長含めて5名しかいない小さな会社が開発したこのシステムを、次から次へと導入していった。その次の年に入社した新人たちも、またその次に入社した新人たちも、このPNCをたくさん売りまくった。最大で年間130社を超える企業が、我々のPNCを導入したのだった。
我々のメイン事業からすると(言い方は悪いが)ついでに開発して販売し始めたシステムだったのだが、多くの顧客を開拓するための格好の商品に成長していった。
しかし、我々は技術の専門集団ではない(僕はSEくずれだったけどw)。システムの機能・品質をより充実させるために、SNSのプロ技術集団であるガイアックス社と2008年に事業提携し、同社が開発したシステムをPNCS(パフ内定者コミュニティシステムSNS版)としてOEM販売することになった。以来、今年で早7年目を迎える。
と、前振りが長くなったけど、昨夜はその事業提携しているガイアックス社の責任者とパフ側の責任者との打ち合わせに同席させてもらった。
ガイアックス社は、この春にシステムを一新したのだが、新しくなり過ぎて、我々もまだその仕様の細かいところまで掴みきれていない。お客様のところでも、ちょっとした混乱が生じている。昨夜は、その対策会議も兼ねたものだったのだが、いやー、すごいね。
何がすごいって、僕が携わっていたころのシステムと現在のシステムとは、まったくの別物なのだ。機能も性能も比べ物にならいくらいすごい。でも、ユーザーの求めるものはそれ以上に高度化・複雑化していて、日々進化を求められている。こりゃー、技術者はたいへんだ。
僕が開発に携わった14年前のシステムなんて、いまから考えるとオモチャみたいなものかもしれないが、それでもその原型があったからこそいまのこのシステムがあると考えると、僕もスゴイってことになるのかな?いや、そういうことにしておこう(笑)。
システムでもビジネスでも会社でも、最初に生み出されたときは小さくて、弱々しいものだ。
それをいかに、大きく立派なものに育てていくか。0から1は創業者の仕事かもしれないが、1を10にしたり、100にしたりするのは、バトンを受け継いだ若者たちの仕事だ。
ちょっと脱線しちゃったけど、そんなことを考えた朝なのである。
さて、本日はこれからまた静岡の清水に行く。昨夜、急きょ行くことが決まった。またトンボ返りなので、昼ごはんは静岡名物(?)の幕の内弁当を帰りの新幹線で食べることにしよう。
では、ささっと朝食後、行ってきます!
A社長に哀悼の意を表します
2014年4月22日 (火曜日)
昨日の朝、ショッキングな連絡が入ってきた。電話は、日ごろとてもお世話になっているパートナー企業の役員の方からだった。
先週の木曜日の夜、社長のAさんが交通事故に遭われてしまい急逝されたのだという。しかも、ひき逃げ。犯人はまだ捕まっていないとのこと。
あまりのショッキングな内容に、言葉を失ってしまった。
事故に遭われるその日まで、僕はメールや電話で連絡を取り合っていた。つい2週間前には打ち合わせでお会いしたばかりだった。
Aさんは今から4年前に仲間たちといっしょに起業した。設立したのはオフィスファシリティーの事業を行なう会社だ。
3年前、パフが築地から現在の茅場町に移転するときも、昨年、キャリぷら東京を御茶ノ水に立ち上げるときも、そして今年は、キャリぷら東京を飯田橋に拡張移転するときも(今まさに現在進行中なのだが)、親身になってオフィス周りのあれこれの相談に乗ってくださった。何から何まですべてをお任せして安心な会社であり社長だった。
まだ40代後半。若すぎる。残念すぎる。まだ高校生のお嬢様がいらっしゃるという。ご家族の悲しみを思うと、本当に辛い。言葉が出てこない。
A社長が僕たちにくださった、たくさんのご恩に感謝するともに、A社長のご冥福を心よりお祈りいたします。
誰もが目にするこの日記(ブログ)なのだが、本日は、A社長への感謝の気持ちと無念の気持ちを書き残しておきたいと思った次第である。
恩師に感謝を伝えた日
2014年4月21日 (月曜日)
一昨日の土曜日は宴席が2件。1件目は午前11時半から。7年前に社会人デビューした商社マンで、現在はタイの駐在員として活躍している「ノブ」という男(学生時代から可愛がっている暑苦しい男)の一時帰国に合わせての宴会だった。日本酒や焼酎を飲みながら、タイのアユタヤマラソンとフランスのメドック(ボルドー)マラソンに出ることが決まったり(ホントか?)、昼間からなかなか健康的な飲み会だった。
そして2件目。これが本日の日記のメインネタ。大学時代の恩師と先輩の3人で、日本橋の寿司屋で一献傾けたのだ。
昼間の宴席から3時間くらい間をあけていたので、気持ちも肝臓も新たに臨むことができた(笑)。
この日記でも何回か書いたことがあるが、僕の恩師は日本のマーケティング戦略論の大家である上原征彦先生。現在は明治大学グローバル研究科(MBA)の教授を務める傍ら、(公財)流通経済研究所の理事長や政府の産業構造審議会流通小委員会委員長なども務めておられる。
先生はつい先日、古希(70歳)を迎えられた。在学中も卒業後も起業後も、とてもお世話になった(いや、在学時はとても迷惑をかけた)出来の悪い教え子の僕としては、ぜひこの節目のタイミングで感謝の気持ちをお伝えしたく、食事にお誘いしたのだ。また、テレッとしていた当時大学2年生の僕を、先生のゼミに誘ってくれた先輩も一緒にお誘いした。
3人だけの、しみじみ、ほのぼのとした高級寿司店での宴席。先生もとても喜んでくださり、お酒もずいぶん進んだ。
先生は30年以上も昔のことを不思議なくらいによく覚えてくださっていた。
大学4年生のころ、リクルートの仕事に精を出し過ぎていた僕は、ゼミにはほとんど顔を出していなかった。就職も、するんだかしないんだかハッキリしない僕のことを心配してくださった先生は、とある製薬会社を紹介してくださった。その会社に足を運んだら、すでに僕を採用する段取りが整えられていたことにビックリ。しかし僕はこともあろうに、その会社への入社を辞退してしまった。先生は「クギサキ君らしいね(苦笑)。会社には僕のほうからお詫びしておきましょう。クギサキ君は急に九州に帰ることになったとでも伝えておくよ」と仰ってくださった。以来、その製薬会社のCMを見かけるたびに、いつも心苦しく思っていた。
一昨日、そのこともあらためてお詫びしたところ、「いや、クギサキ君、実はキミはあのとき入社しなくて良かったんだよ。実はね、今だから話すけど……」と、30年経って初めて知る真実なんかも飛び出してビックリした(ちょっと複雑な内容なので割愛)。
そうそう、先生から最新の著作をいただいた。
しかも先生のサイン入り(^_-)-☆
パフは創業来ずっと明治学院大学と取引させていただいているのだが、そのそもそもの縁を作ってくださった(キーマンの職員と僕を繋いでくださった)のも上原先生だった。
出来の悪い教え子ではあるのだが、「出来の悪い息子ほど可愛い」ということなのかもしれない(笑)。
70歳を迎えてもなお研究者としての意欲旺盛な上原先生。これからも可愛がっていただこうと思っている。先生、ますますお元気で!
さて、4月も下旬になってきた。天気はイマイチだけど、朝食後、気持ちは明るく行ってきます!