パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

四年に一度の日

2012年2月29日 (水曜日)

本日は2月29日。いわゆる閏(うるう)年の四年に一度しか訪れない貴重な日である。

この日が来てあらためて、「そっかあ、今年はオリンピックイヤーなんだな」と、思い出す。

考えてみれば、僕が生まれた1960年も閏年でオリンピックイヤー。たしかローマオリンピックが開催された年だった(って、もちろん覚えているわけはないが、笑)。

前回の閏年は、2008年で北京オリンピックの開催年だった。そして忘れもしない、あのリーマンショックが勃発した年でもあった。あの年を境に、世の中のいろんな枠組みが大きく変化していった。

さて、あれから四年後の今年は、いったい何が起きるのだろうか。昨日はエルピーダ破たんのニュースが日本中を駆け巡ったが、時代の転換点となる大きな出来事がさらに起きる予感がする。いや、別に悪い出来事とは限らない。大きな時代の流れの中で、節目となるような出来事が起きそうな予感がする。

ともあれ2月29日。2012年の六分の一が終了する日。きちんと過ごしたいと思う。

ということで、今朝は早朝会議の日。ちょっと早めに行ってきます!

 

西から舞い戻った日

2012年2月28日 (火曜日)

先週の木曜日に離れて以来、四日ぶりの東京である。小さくて狭い我が家の我が部屋であるが、やっぱり落ち着くな。ぐっすり眠れた。

この土曜、日曜は、僕の生育地である大分県の湯布院で過ごしていた。このたび高齢者施設に入居することになった母親が今まで住んでいた家の、大掃除と荷物の整理を行っていたのだが、いやあ疲れたツカレタ。ここまで重労働になるとは思わなかった。

この家は僕が幼少期を過ごした家ではないのだが、それでも母親が30年以上住んだ家ではある。もうこれが最後かと思うと、なかなか感慨深いものがあった。

そして昨日の月曜日は、湯布院から車で30分ほどのところにある別府の山間部にいた。母親が来月より居を移す予定の施設に、見学を兼ねて宿泊したのだった。

別府は湯布院の隣町ではあるのだが、ずいぶんと趣が異なる町だ。眼前には海が広がり、硫黄の香りと湯けむりが立ちこめる。国際観光港や、国内有数の水族館や、ニホンザルが多数生息する希少な山(高崎山)を有する国際観光都市なのだ。

とはいえ、僕にとっては、幼いころあまり馴染みがなかった町である。これからは湯布院よりも、この別府に立ち寄ることが多くなりそうなので、徐々に慣れ親しんでいこうと思う。

下は、昨日の朝、別府港から昇る朝日をとらえた写真。海から昇る朝日を拝めるなんて、幸せな土地だよな。

Beppu

さて、東京復帰第一日目の本日。

時差があるわけではないので、ボケているわけにもいかない(笑)。

ということで、いつもどおり行ってきます!

 

大阪からさらに西に向かう日

2012年2月24日 (金曜日)

いま大阪にいる。昨夜、8時ちょうどの(あずさ2号ではなく)のぞみ261号に乗ってやってきた。

ホテルにチェックインしたのがすでに夜の11時過ぎ。本当は夜9時にはチェックインして焼鳥屋で一杯やりたかったのだが、諸般の事情で東京を出発するのが遅れてしまった。ということで、昨夜はコンビニの白ワインで我慢(>_<)。

これから某協賛企業M社の会社説明会のコーディネートで、桜ノ宮に向かう。4月になると桜がとてもキレイな場所なのだが、まだまだ桜の季節にはほど遠い。

M社の説明会は午前の部と午後の部のダブルヘッダー。午前は技術系、午後は事務系の学生が参加するのだが、僕にとっては今シーズンの企業単独説明会(兼選考会)のデビュー戦である。

あ、そうだ。ちょっと余談。

正式発表はもうちょっと先だけど、早めにちょっろっと情報漏洩。今シーズンはパフ自身も新卒採用を行う。とっときの学生を若干名ハンティング(表現悪いかな?)しようと思っている。もしパフにチャレンジしたい学生がいたら、心の準備をしておいてもらいたい(募集要項は近日中に発表します)。

 

ところで今夕は、M社の説明会が終了したらすぐに、さらに西に向かう。

福岡のパートナーUさんに、旧協賛企業D社の元採用責任者Mさんをご紹介するのだ。

Mさんは現在、D社の西日本子会社の採用責任者を務めておられる。お会いするのは7年ぶりくらいだろうか。楽しみだな。

さて、ではそろそろ桜ノ宮の会社説明会に行ってきます!

西に向かう日

2012年2月23日 (木曜日)

昨日は一寸の隙間もなく、たくさんのことがあった日だったな。

朝8時から経営会議。その後10時から商品企画のレビュー会議。その後はランチミーティング。午後は「うまれよ塾スペシャル版」。

あ、そうそう、この「うまれよ塾スペシャル版」は、昨日の日記でも書いたムライさんを特別ゲスト講師としてお迎えして実施したわけだが、脇で聞いている僕自身が感動してしまう内容だった。このことはまたいずれ、どこかでじっくりとご紹介したい。

この、うまれよ塾スペシャル版が終了した直後に、月に1度の「職サークル推進会議」に合流。会議は夜の8時半まで続き、その後会議参加者の皆さん(協賛企業人事担当者+学生+大学キャリアセンター職員)とで居酒屋談義。「明日への誓い」を発表し合う充実した時間となった。

締めくくりは、僕一人で「のろ」へ。

前日のツケを払いに行ったのだが、空いていたので水割り一杯と〆の味噌ラーメンをママさんにご馳走になる。おまけにお土産の稲庭うどん(ママの出身地秋田県から送られてきたそうだ)をいただく。

ざーっと書いたけど昨日はこんな感じ。

そして今夕からは西に向かう。

戻ってくるのは月曜日の夜。しばし東京を留守にする。

あ、ということは、泊まりの準備をしなきゃいけないのではないか。まだ何もしていない。やば。

では、準備を整えて、ゴーゴーウェスト!

今夜ほど、自分は運のいい恵まれた男だと実感した夜はない。

ムライミツルっていうやつは、やっぱりスゴイ男だった。

この男のおかげで僕はいまどうにか仕事をしているようなものだ。

僕以外にも、そう思っている彼の知り合いはたくさんいるのではなかろうか。

でも、そんなことを言われることが、この男にとってなんの褒め言葉にもならないことを僕たちは知っている。

この男は、自分がスゴイ男だなんて、おそらくこの52年間、たったいちども思ったことがないだろう。

この男は、いつも人間らしく、迷いながら、悩みながら、苦しみながら生きてきたはずであり、この男のスゴイところは、そんな弱さを、ぜんぜん隠そうとしないところだ。

偉ぶったり、強がったり、ふんぞり返ったりなんて絶対しない。

かといって、弱みをみせながら謙虚ぶったり、正直ぶっている訳でもない。

あくまで自然体なのだ。

この男を見ていると、宮澤賢治がなりたかった「雨ニモマケズ」の「サウイウモノ」を思い出す。

そう。

ムライミツルっていう男は、僕が若者だったときになりたかった「サウイウモノ」なんだ。

ちょっと褒めすぎたかな。

でも、ホントのことだからしょうがない。

僕もあらためて、いまからでもサウイウモノになりたいと思った夜だった。

 

— 以下、コピペしておこう —

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

ミスには厳しさを!

2012年2月21日 (火曜日)

人間だから完全はない。仕事に失敗はつきもの。部下の失敗に上司は寛容であってほしい。

……なんてことをよく聞く。

本当にそうか?

たしかに、チャレンジし奮闘努力したのだが、結果として目的を達成できなかったことを失敗と呼ぶのであれば、その失敗については寛容でありたいし、プロセスによってはむしろ積極的に評価しなければならないと思う。

しかし、細かなことを蔑(ないがし)ろにし、やるべきこと、見るべきこと、注意すべきことに、関心や想像や配慮を欠いた結果生んでしまった失敗に対しては、(特に上司は)絶対に寛容であってはならない。

上のような失敗を通常は「ミス」と呼ぶのだが、失敗とミスを混同してしまうと、冒頭書いたような勘違いをしてしまう。

小さなことを蔑ろにし、大きなことを成し遂げた人物などいない。

本物の品質を伴った商品やサービスは、目に見えない細かなところにまで配慮が行き届いているものだ。

「このくらいのミスだったら目をつぶるか」と、上司が思ったとたん、それが会社にとっては命取りになる。

厳しい競争社会を楽しく生き抜くためには、小さなミスに皆が厳しくなることが必要だ。

 

などと、今朝は珍しく真面目なことを書いてしまったな。

本日は、寛容さと厳しさを絶妙に兼ね備えた僕の師が、職サークル主催のセミナーで講師を担当する。楽しみなのだ。

ということで、そろそろ行ってきます!

 

今週はいろいろと……。

2012年2月20日 (月曜日)

この週末(金曜から日曜日にかけて)はホントに寒かった。金曜日の夜などは、北風やみぞれ混じりの雨の中をほうぼう歩き回っており、芯まで冷えきった。土曜日も昨日の夜も外出していたのだが、もう凍えそうだった。

僕らが子供のころは、今年のような厳しい寒さの冬が多かった。

僕の出身地の湯布院は、この季節しょっちゅう雪が舞うような山間部。古い木造の、隙間風がぴゅーぴゅー吹き込むような家に住んでいたこともあり、凍えるような日々だった。焼き芋をカイロ代わりにして、手やほっぺたを温めていたものだ。

今週末は、その寒い幼少期を過ごした湯布院に所用があって帰る。地元で暮らしている友人の話によると、今年はやっぱりとんでもない寒さらしい。先日は氷点下8度まで下がったというから、まるで冷凍庫の中のようだ。

湯布院に戻る前は福岡に立ち寄って会食。その前日は大阪への出張も入っている。

さらにその前日は、学生向けの「うまれよ塾スペシャル版」。その前日(明日だな)は、お楽しみの職サークル特別講師セミナー。今週は、何気なくいろいろある週だ。

では、そんないろいろな週の一日目、元気を出して行ってきます!