No Working No Life Week が始まった日
2010年11月30日 (火曜日)
昨日(11月29日)より、「職サークル」の一大企画である「No Working No Life Week」が始まった。職サークルに参画する企業が一斉に、「若者の成長」をテーマとしたイベントなどの施策を実行する一週間なのだ。
創業以来、「若者は社会共通の財産。選ぶだけの採用から、『育てる採用』にシフトしましょう」という呼びかけを企業に対して行ってきた。
「育てる」というと語弊があるかもしれない。正確には「自ら育つ環境や機会の提供」である。「自ら育つ」というのは、「自分で考え、行動し、決める」という能動的なアクションをとることができるようになることである。
企業の採用活動ほど「育つ環境や機会」を若者に提供するのに適したものはない。そして企業は採用活動を通して、働くことで得られるものを若者に対してリアルに伝えることができるのだ。
自社の採用のためだけではなく、若者全体の成長を願った採用活動を行おうとしている企業が集まっているのが「職サークル」であり、そのことを広く知らしめていきたいと思って企画したのが「No Working No Life Week」なのだ。もちろん、この一週間だけ若者を育てればいい、というわけではない。いわば交通安全週間のようなもので、(社会人は誰しも)若者を育てることができるし、育てるべきだということを、キャンペーン的に世の中に問いかけようとしているものなのだ。おかげさまで、いくつかの報道機関からも取材の依頼が来ている。
僕も、「うまれよ塾」、(昨夜実施済み)、明日は「月見塾」×2、明後日は「スペシャル対談」、週末(土曜日)は、「Ustreamを使った特別対談」などを実施したり、イチ社会人として参加することになっている。この取り組みが、多くの人たちから注目されることを願っている。
さて、本日は、僕の学生時代の恩師を、15年ぶりくらいに研究室までお訪ねする予定だ。振り返れば、僕の人生の節目において、大きな影響を与えてくださった恩師である。奇しくも本日は僕の50歳の誕生日という節目の日。また大きな影響をいただけるかもしれない。何歳になっても、恩師の存在というのはありがたい。「育つ環境や機会」を与えてくださった方のことは一生忘れられないし、感謝し続けたいと思うものなのだ。
40代最後の日
2010年11月29日 (月曜日)
先日、50歳記念ライブをやったものだから、自分でもすっかり50歳になった気でいたのだが、実はまだなのだ。
明日、11月30日が僕の誕生日。なので、本日が40代最後の日なのである。
ところで昨日は、龍馬伝の最後の日であり、福山龍馬の最期の日だった。
それにしても見事な最終回だった。岩崎弥太郎は、実在の人物でありながらも、ドラマの中では脚本家と香川照之が史実とはまったく異なる弥太郎を生みだし、福山龍馬の最期を見送った。中岡慎太郎役の上川隆也も感動的な演技だった。最終回は75分という拡大枠だったにもかかわらず、あっという間に終わってしまった。
・・・と、語りだすときりがないので、龍馬伝の話は、また今度どこかで。
世の人は 我をなんとも 云わば云え 我が成すことは 我のみぞ知る
このような生き方を最後まで貫いた坂本龍馬にあっぱれなのだ。
自分の40代最後の日は、(おそらく)日常と何も変わらないのだが、それでもやはり、自分らしく生きることにしよう。
「あの素晴らしい愛について」を受講した日
2010年11月27日 (土曜日)
40代後半以上の方々で、北山修氏のことを知らない人は誰もいないだろう。
かのザ・フォーク・クルセダーズのメンバーであり、60年代~70年代の偉大なる作詞者であり、医学博士でもある(今年の春まで九州大学の教授だった)。昨年、亡くなった加藤和彦氏とは、フォーク・クルセダーズ時代からの無二の親友だった。
代表作品として、「戦争を知らない子供たち」や「風」などがある。堺正章が歌って大ヒットした「さらば恋人」も北山修氏の作品だ。
そういえば僕が高校生のときには、深夜ラジオ「オールナイトニッポン」のパーソナリティを自切俳人(ジキルハイド)の名前でやっていたっけ。
とにかく僕のようなフォークソング小僧にとっては、神様のような人なのである。
しかし僕は、北山修氏の顔を、レコードのジャケットでしか見たことがなかった。どんな人なんだろうと、40年くらい前からずっと思っていた。
この北山修氏に、なんと今夜会う(観る)ことができた。しかも、すぐ目の前で。
「アカデミックシアター」というライブ企画が、2日間限定で日本橋の三井ホールで開催されており、その初日である本日、観に(聴きに)行くことが出来たのだ。
ライブは三部構成になっていた。
一部は、北山修氏の講義である。「母子像研究より」というテーマで、約80分間の本格的な講義だった。
日本の浮世絵に描かれている母子の絵や、聖母マリアとキリストの絵をもとに、人間の「こころ」についての氏の独特な考察を披露してくれた。素晴らしい話だった。北山修氏の講義を受けていた九大の学生たちは幸せだな。
二部は、お待ちかねの音楽ライブ。ミュージシャンの吉川忠英氏と青木まり子氏を加えて、北山修作詞の名曲の数々を披露してくれた。
実は、この二部に出演していたミュージシャンの青木まり子さんに今回のライブを教えていただき、チケットも手配していただいたのだった。青木まり子さんとは15年ほど前に六本木のライブハウスでお近づきになり、つい最近、twitter上で再会したのだった。普通ならなかなか手に入らなかったであろうチケット(しかもステージのすぐ前の席)を手配していただき大感謝なのであった。
上の写真に演奏曲が書いてあるのだが、このうち2曲(「イムジン河」と「風」)は、僕も先日50歳記念ささかみライブで歌った唄だ。でもさすがプロ。僕なんかの唄とは根本的に違う。ギターの音色がとても美しい。イムジン河(朝鮮半島の分断を悲しむ唄)などは、あまりにタイムリーすぎて、鳥肌が立ってしまった。
第三部は、ゲストと北山修氏とのトークライブだ。今夜のゲストは、政治学者の姜尚中(カン・サンジュン)さん。東大の教授なのだが、テレビのコメンテーターやベストセラー作家として、いまや超有名人である。第一部の講義をもとに語り合っていた。味があってよかったなあ。
締めくくりは、全員で(出演メンバーも観客も)、加藤和彦&北山修の名作中の名作、「あの素晴らしい愛をもう一度」の大合唱である。もう大感動。
北山修氏は、今年で64歳。僕よりも14歳も年上なのだが、すごく若い。弁舌は爽やかだし、頭の切れ味も鋭い。唄にはたっぷりと情感が籠っていて、聴いているひとを惹きつける。僕もこういうトシの取り方をして、60歳を過ぎても歌っていたいものだ。
影響を受けやすい僕なので、たぶん明日はギターで、ずっと北山修氏の作品を練習しているんだろうな(笑)。
北山修さん、素敵な講義と唄を堪能させていただきました。ありがとうございました。
青木まり子さん、演奏と唄、お疲れさまでした。とっても素敵でした。チケットの手配もありがとうございました。またひとつ、いい思い出が増えました。
おやじバンドMSPが再結成した日
2010年11月26日 (金曜日)
昨夜、あの幻のおやじバンドMSPの会合が催された。
MSPとは?
気になる方は、こちらのホームページをどうぞ。 http://www.puff.co.jp/concert2009/index.html
2009年5月15日に、いまや伝説を越えて神話となった熱狂のライブが開催されたのだった。
その後、いろんなことがあって活動を中止せざるをえなかった(事実上の解散?)のであるが、昨夜、沈黙を破って再結成の狼煙(のろし)が上げられたのだった。※昨日の日記で、MSPあらためMKPと書いてしまったが訂正する。MSPはMSPのままで良かったのだ。
そして昨夜、MSP再結成ライブの日程までも決まってしまったのだった。
あ、時間が無いので、この話はまた今度。
本日はこのMSPのSと一緒に名古屋方面に出張するのだ。
7時過ぎの新幹線に乗らなければならない。そろそろ準備して出なければ乗り遅れてしまう。
では行って来ます!
そういえばパフトークって職学校Live版という名前だったことを思い出した日
2010年11月25日 (木曜日)
パフの商品、サービス、イベントなどの名称は、時代とともにいろいろと変わってきた。
昨日の午後開催された企業人事や現場社員がパネリストとして登場するパネルディスカッション形式のイベント「パフトーク」は、3年ほど前より開催されているイベントなのだが、その原型はずーっと昔からあった。
企業のパネルディスカッション企画は、創業時から「キミは就職できるか?」というイベントのなかでよくやっていたのだが、単独のイベント企画として売りだしたのは、2002年からだったと記憶している。なので、今年で9年目のイベントだということになる。
当時の名称は、「職学校Live版」というネーミングだった。「職学校」というのは、当時の学生向けWeb「パフの就職応援ページ」のなかのイチ企画だった(いまは学生向けWebそのものの名前になっているが)。学生に自ら気付きを得てもらい、成長を促そうという企画で、それをライブ化したのが「職学校Live版」だったのだ。
そういえば、その当時は東京以外でも、札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡の各地で行っていた。広島でも一度、開催したことがあったな。開催後、希望する学生たちと宴会を催していたこともあった。毎夜、深夜まで飲んでいた。いやー、若かったんだなあ。
なーんてことを昨日、パフトークを見学しながら思い出していたのだった。
時代とともに、イベントの内容もネーミングも変わる。それはOK。でもスピリッツだけは永遠に継承していってほしいなあと創業者は思うのだった。
さて、本日はその創業時代のイベントに欠かさず参加してパフを支援してくださっていた大御所に久々に(1年以上ぶりだな)お会いして、いろんなご意見をいただこうと思っている。
夜は、MSPあらためMKPの会合が久々にあったり。あさっては早朝から名古屋なので飲みすぎないようにしなきゃな。
では、ぼちぼち行って来ます!
映画のはしごをした休日
2010年11月24日 (水曜日)
もう水曜日だ。昨日は祝日だったのだが、やはり早朝に目覚めた。ランニングに出ようと思ったが外は大雨。さすがにランニングは中止して腹筋と腕立て伏せに切り替えた。
その後、ちょっと躊躇しながらもギターを取り出しての練習。13日のささかみライブ以来、ギターを取り出したのは初めてである。次回公演に向けて、休日は少しずつ練習を重ねることにしようかな。
午前中は溜まった新聞や雑誌を読んだりしながら過ごす。
日ごろはゆっくり閲覧できないtwitterで他人のつぶやきを覗いたりもした。眺めていると、その人の個性とか癖とか思惑とかが見えてきて面白いものだ。為になるもの、への突っ張りにもならないもの、気持ちの悪いもの、お前がエラソーに言うなよ(苦笑)というもの、まさに玉石混合の世界である。
その後、13時過ぎより、NHKの「スタジオパーク」という番組で福山龍馬のゲスト出演を見たり。福山は悔しいけどやっぱりかっこいいな。龍馬の演技に対しては批判も多かったようだけど僕は好感を持ってずっと観ていた。日曜日が最終回かと思うととても寂しい。
その後、有楽町へ。映画の「ゲゲゲの女房」を観るためだ。日経新聞夕刊に掲載されていた評論を読んで観たくなったのだ。テレビ版はほとんど観ていなかったので、なんの先入観もなく鑑賞することが出来た。なるほどねー。万人受けする映画ではないが、こういうのもアリだなと思う。宮藤官九郎が演じる水木しげるは本物っぽくて良かったし、女房役の吹石一恵は昭和の女っぽくて好感が持てる。そして講談社(少年マガジン)の編集者役がいい味を出していたな。
ゲゲゲを観終わった後すぐに豊洲に移動してもう一本。「SP」である。2年前のドラマが好きで毎週観ていた。この映画はテレビの続編なのだが、岡田准一がさらにパワーアップしていてビックリ。かっこいいよなあ。こういう男ならば許せる(なにを?笑)。そして同僚のSP役の真木よう子もかっこいい。時節柄、お龍さん(龍馬の奥さん)役とダブってしまうのだが。真木よう子になら殴られてもいいな(笑)。
さて、本日はこのあと出社して、すぐにまた外出。パートナー企業の体験研修に参加するのだ。社長が自ら講師を務めるというから楽しみにしている。
その後パフのイベントである「パフトーク」を見学。本日がパフトークの最終回なので、最後くらいはきちんと見学しなければ。
夜は、ささかみライブの陰のプロデューサー岩元さんとの反省会(?)。どんな反省会になることやら(苦笑)。
そうそう、早朝ランニングも好調で、久々に朝日を存分にカラダに浴びてきた。きょうも何かいいことあるかな。
さあ、ではそろそろ出かけるとしましょう。
行ってきます!
50歳記念ささかみライブを振り返る日
2010年11月22日 (月曜日)
日曜日の夜。夕食を終え、龍馬伝も観終わり、音楽を聴きながらのんびりしている。きょうは早朝からランニング、ウォーキング、サイクリングを混ぜながら、東京の南方をうろちょろしていた。
ささかみの写真をパフのタシロがたくさん撮影してくれており、本日やっとそれをiPadに取り込んだ。ささかみでのアンコール演奏曲である、中島みゆきの「誕生」に合わせて、スライドショーで全画像を画面に映し出してみる。
すごい。
涙が出てくる。いままで味わったことのない感動なのだ。一週間前の自分がやったこととは思えない。いやー、すごい。ホントに感動だ。これって編集してyoutubeにも投稿できるのかな。他の人にもぜひ観てもらいたいな。
さて。ということで、本日の日記では、先週のささかみライブの模様を振り返って、記録に残すことにしよう。
●11月11日(木)午後4時
最終の合同練習の日だ。僕は銀座(パフから徒歩10分くらいのところ)にある練習スタジオに向かった。泣いても笑っても、全員で練習するのはこれで最後。
ピアノの荒木さん。バイオリンの住本さん。そしてギター&ボーカルの僕。この3人が、今回のささかみライブのメンバーである。
この3人の初顔合わせは、9月2日(木)の夜だった。東銀座のカフェで軽食をとりながら、ライブの方針や今後の練習日程などを決めたのだった。それぞれ本職を抱えながらの合同練習は、時間との戦いだった。9月4日(土)、10月2日(土)、10月23日(土)、11月6日(土)、そして11月11日(木)。この5日程だけが全員が集まって練習できる時間だった。1回の練習は約3時間。1回の練習で演奏できる曲数は、せいぜい10曲。それに対して本番で演奏を予定していた曲目はなんと76曲。どう考えても、すべての曲を全員で合わせるのは不可能だったのだ。でも、やるって決めたからにはやらねばならぬ。半ば意地になりながら、そして「ま、どうにかなるさ」と楽天的になりながら、この日まで練習を重ねてきたのだった。
最終日の練習も、ホントにこれで最終なの?と思えるくらい、未完成だった。というよりも、まだ全部の曲を合わせられずにいた。
「やってもやっても終わりが見えない」という形容がぴったりだ。
こんな感じで不安を抱えた状態での最終練習だった。
●11月12日(金)午後1時半
ささかみに向けて出発。
新幹線で向かう予定だったのだが、急きょピアノの荒木さんがクルマを出すことになった。ささかみライブの翌日、荒木さんは茨城で別のライブの予定が入ったとのことで、クルマで新潟から移動するほうが便利だったのだ。
新潟ささかみまで約5時間のドライブだった。途中、関越自動車道から見える紅葉がきれいだったなあ。写真に撮っておけばよかった。が、僕は車中でそれどころではなく、ハーモニカを首にぶらさげて練習に勤しんでいたのだった。
●11月12日(金)午後6時半~深夜
ささかみの「ペンションぽっぽ五頭」に到着。会場となるレストランに入ると、すでにPA(音響関連)の設備が据え付けられており、音量のチェックが行われていた。PAを担当してくださるのは、地元の村山さんという(推定年齢)60数歳の方。趣味で、PAの設備(マイクやスピーカーやミキサーなどなど)を扱っているのだという。ささかみで演奏会などがあるときは、だいたいこの村山さんに声がかかるらしいのだ。
僕らも早速、持参したキーボードを据え付けたり、ピアノやマイクの位置を決めたりした。
その後、夕食を食べ、風呂に入る。風呂からあがるとすでに夜の10時を回っていた。しかし、翌日に備えて早めに就寝…という訳にはいかなかった。まだ全曲合わせられていないし、楽譜も書き終えていなかったのだ。
この時点でまだ20曲以上は残っていた。イントロと終わり方だけでも、なんとか全曲決めないと、本番で悲惨なことになるのは明らかである。東京からささかみまでの長距離移動で相当に疲れているにもかかわらず、僕らはなんとか最後まで曲合わせを行った。床に就いたのは、すでに深夜2時を回っていた。
●11月13日(土)早朝~
ついに当日の朝が来た。僕はいつもの習慣なのか緊張していたのか、朝の5時半には目が覚めてしまい、朝風呂に浸かった。いやー気持ちよかった。
食堂に入るとすでに荒木さんもいた。さすがプロ。ぜんぜん疲れているそぶりすら見せない。
●11月13日(土)午前9時~
本番前のリハーサル開始。本当は通し稽古(ゲネプロ)をやりたいのだが、70曲以上のゲネプロなんて不可能だ。曲の最初と最後だけを合わせるだけに終始した。それも1曲につき1回こっきり。
一方で、東京組はこの時間、貸切バスで一路ささかみに向かっていたのだった(下はその貸切バスの車中。なんと、カラオケで盛り上がっている)。
●11月13日(土)午前11時過ぎ
バイオリンの住本さんから最寄りの豊栄(とよさか)駅に着いたという連絡。住本さんは仕事の関係で前日入りはできず、当日の朝早く東京を発ったのだった。最寄り駅といっても、クルマで30分近くかかる。荒木さんのクルマで早速お迎えに。
●11月13日(土)午後12時~2時半
緊迫の本番前リハーサル。住本さんは「学生街の喫茶店」がいちばんのハードルだとのことで、何度も繰り返し練習。僕はすべての曲がハードルだったんだけど(苦笑)。
●11月13日(土)午後3時半~
そしていよいよ、50歳記念ささかみライブは開演した。
東京にいるお客様や社員(元社員含む)やパートナーの皆さんから、花やバルーンやお酒や電報など、たくさんいただいた。おかげで、なんだか始まる前から感動。
オープニング曲は、 「今日まで、そして明日から」。吉田拓郎の名曲だ。50歳を記念するのに相応しい唄なのだ。
「わたしは今日まで生きてみました。ときには誰かの力を借りて。ときには誰かにしがみついて。わたしは今日まで生きてみました。そしていま、わたしは思っています。あしたからもこうして、生きていくだろうと」
まさに僕の50歳を迎える心境なのだ。この唄をギターとハーモニカで歌いながら登場したのだった。
以降は、写真を時系列で並べよう。
(下の写真はPAを担当してくださった地元の村山さんです)
(ピアノの荒木さん)
(新潟で仕事をしている学生時代の後輩の松田さんと樋口くん)
(バイオリンの住本さん)
(第二部の乾杯)
そして夜の10時、ささかみライブは終わった。歌った唄は全70曲。数曲のパスはあったものの、ほとんどの曲を歌いきった。感動の涙を流してくださった方もいた。上の写真は、そもそものきっかけを作ってくださった、ささかみの有機農業のリーダー、石塚さん。
その後も僕の部屋に移動して、深夜12時過ぎまで酒盛りが続いたのは言うまでもない。
●11月14日(日)
ライブの翌朝。
僕が起きた時(朝の5時半ころ)、もう荒木さんは茨城に発ったあとだった。すごい。すごすぎる。
残った我々東京組は、ささかみの土地巡りを行った。
石塚さんに有機農業のレクチャーをしてもらったり、山羊を追いかけたり。ささかみを思う存分、満喫した。
そして帰りのバスの中。しずかに日は暮れていくのだった。
こんな感じで過ぎて行った3日間。50年の節目として記憶に永遠に残る日々だった。
あらためて、この無謀なコンサートライブツアーにご協力&ご参加いただいた(むりやり付き合わされた?)皆様に最大限の感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました!!