金曜日は会津大学、土曜日は甲南大学だった日
2010年11月21日 (日曜日)
裸踊りの翌日は、会津若松に出張だった。金曜日の観光地への出張なので、ホントは一泊してのんびり温泉にでも浸かりたかったのだが、翌日の土曜日も仕事が入っていたので、そういうわけにもいかなかった。
会津若松は、毎年恒例の会津大学での企業パネルディスカッションの運営・コーディネートである。3社の企業にご参加いただいた。
パネルディスカッションのあと学生との交流会が行われ、終了したのは夜6時過ぎ。企業の人事担当者、経営者、現場社員、パフのスタッフ(キムラだけだったけど)のほとんどは、宿泊していくとのことで、みなさんそれぞれの宿に向かった。
東京に戻るのは、僕と、参加企業のモバイルファクトリーの人事担当者(小泉さん)だけだった。
「じゃ、小泉さんいっしょに帰りましょうか。そのまえに土産でも買いに行きましょう」と言葉を交わした時だった。
「釘崎さん。実は僕、学生時代に、釘崎さんにお会いしたことがあるんですよ」と、モバイルファクトリー人事担当者の小泉さんは言った。
「え!そうだったんですか?」
「はい、いつ切り出そうかと思ってました。実はパフさんを応募しようと思って、会社説明会に参加したことがあるんです。まだパフさんが月島にいたころです。2003年の春でした」
いやー。びっくりした。
その瞬間から小泉さんは(僕にとっては)「企業の人事担当者」ではなく「昔の教え子」のようになり、帰りの電車は、ビールを飲みながらの楽しい語らいの場となったのだった。いやあ、楽しかったな。おかげで帰りの約3時間が、あっという間に過ぎた。本当に人の縁というのは不思議なものである。
そして明けて土曜日。
以前の日記でも書いたが、シニア層の皆さん向けの講演を行った。
丸善が企画して甲南大学が主催している秋季公開講座」だったのだ。主には甲南大学のOB・OGの皆さんが参加者だとのこと。
与えられたお題は、「セカンドライフを楽しむには-シニア世代のライフスタイルの提案-」というもの。
とはいえ、僕が喋ったことといえば、「若者を育てる」ということだけ。ほとんどが「職サークル」の宣伝のようなものだった。
そもそも、「シニア」とか「セカンドライフを楽しく」という言葉に僕は違和感をもっている。だから講演でも、「セカンドライフといっても、自分の人生はただひとつです。幼少期、少年期、青年期、壮年期、中年期の延長にすぎません。」ということから始めた。
そして最後は、以下のメッセージで締めくくった。
人生の後半戦。自分の楽しみだけを追い求めても本当の幸福感は味わえないのではないでしょうか。
私たちは、私たちがつくってきたこの世の中を、私たちが死ぬその瞬間まで、生き生きと幸せに暮らせるような世の中にしていく責任があると思います。
私たちができること、やるべきこと。それは家庭や地域や企業の垣根を越えて、「若者たちを育てる」ということ。このことを誰もが「当たり前にやりたい」と思ってくれたら、幸せな世の中はもう、すぐ目の前です。
若者たちが夢や希望をもって社会に巣立てる世の中。そんな世の中づくりに貢献できたら、シニアライフはきっと楽しく幸せなものになると思います。
本日の参加者からみれば若造の僕。人生の先輩方に対して、ちょっと偉そうな話の内容だったかもしれないが、「いい意味で期待を裏切られた。いい話が聞けた。参加して良かった」と言っていただけた。ホッとした。
実はずいぶんと話す内容を迷ったのだが、やはり僕には、「若者をいっしょに育てましょう!」がいちばんしっくりくる。かなり噛み噛みになってしまったが、本日もそのことを話せてよかった。
さて、明日は休む。なんだか久しぶりに休むような気がする。ささかみの振り返りもやらなきゃな。
あ、もう12時半を回っている。早起きのために寝なければ。では、おやすみなさい!!
裸踊り(?)をした日
2010年11月19日 (金曜日)
昨日は朝から夜6時まで社外(大門)で研修を受講。その後、急いで新宿外苑に移動。協賛企業のマースエンジニアリングさんの会議室での職サークル推進会議。総勢約40名が参加する大会議が行われていたのだ。
昨日の会議は、間近に迫ったNo Working No Life (はたらくを考えるプロジェクト)の共有。職サークル参画企業約40社が、11月29日から一週間一斉に、採用活動を利用して学生を「育てる」試みを実施する。
この会議の終了時刻は午後8時。
終了間際の午後7時55分ころ、軽快な音楽とともに、ひとりの男が訳の分からない振付で踊りだした。踊っているのは、パフのお調子おとこタカタである。踊りながら広い会議室をぐるぐる回り始めた。
会議に参加している協賛企業の皆さんは、何が起きたのかよくわからず、呆然とタカタを見ている。
しばらくして僕もタカタの後ろについて踊り始めた。さらに訳の分からない振付だ。
そして、会議に参加している皆さんを手招きした(最初は強引に引っ張りだしたんだけど、笑)。
すると3分もしないうちに後ろに踊りの大行列が出来上がった。そして5分後には、全参加者が手をつないで、広い会議室を踊り、最終的には全員参加の大きな輪が出来上がった。
「職サークル」の活動は、ともすれば冷やかに(特にまだ参画していない一般企業の皆さんから)見られることもある。 「なんでそんな効率の悪いこと(若者を採用を通じて育てるだなんてこと)やってんの?バカみたい」という感じである。
しかし、そのバカなことを率先して真似る(リーダーシップを有した勇気ある)フォロワーが現れることで、いつしかそのバカなことが、世の中を変革させるスゴイこととして称賛され、ムーブメントになっていく。
そんなことを象徴して、このバカな踊りを我々がやってみたのだ。
お手本にしたのが、この映像。↓
まあ、それにしてもノリのいい協賛企業の皆さんだったな(笑)。
昨日は、その後も大懇親会でまたもや盛り上がったのだった。確実に仲間たちの結束は強まりつつある。
さて、本日はこのあとすぐに東京駅に移動して福島県の会津若松に行く。会津大学でのセミナーなのだ。
会津は寒いだろうなあ。
では、行って来ます!!
シニア層向けの講演を考えた日
2010年11月18日 (木曜日)
今度の土曜日に、某書店と某大学が主催するシニア層(60歳超の方々)向けの講演会がある。なぜかその講演の講師を僕が務めることになっている。テーマは、「セカンドライフを楽しむために」。
昨日はこの講演の中身を考え、パワポを自分でシコシコと作成していた。
われながら結構な出来栄え(あくまで自己満足)。先日のささかみでのコンサートライブの写真も貼り付けた。
そもそも、少年だろうが青年だろうが壮年だろうが中高年だろうが、連続したひとつの人生だ。セカンドライフ(第二の人生)という言い方に多少の違和感がある。土曜日はそんなことも話してこようかなと思う。
さて、本日はすでに木曜日。
このあと築地のパフに出社した後、すぐに社外の研修に(受講者として)丸1日、参加する。
夜は、職サークル推進会議に途中から参加。古くからの協賛企業マースエンジニアリングさん(新宿御苑)の会議室をお借りすることになっている。そのあと懇親会もあるらしい。40名近くが参加するというから幹事役はたいへんだね。
ささかみライブのドキュメントを早く書きあげたいのだけど、やっぱり日曜日になりそうだ。衝撃の写真の数々があるのだが、どこまで載せようかな(笑)。
朝のランニングも定着してきた。早くもお腹回りが多少スッキリしてきたような気がする(気のせい?)。
さて、ではそろそろ出かけるとしよう。行って来ます!
8年前のうまれよ塾生がやってきた日
2010年11月17日 (水曜日)
昨日は朝から来客と打ち合わせが、ひっきりなし。自分の部屋(サーバールーム兼物置だけど)に戻るのはメールのチェックをするときくらいだった。
最後の来客は夜の7時。某大手インフラ系Sierエンジニアの「アビコくん」である。
アビコくんは8年前の就職活動生。うまれよ塾の塾生だった。
当時のうまれよ塾は、月島のセミナールームで、土曜日の午後1時から7時くらいまでの6時間、みっちりと行っていた。しかも、塾が終わった後には近所のもんじゃ焼屋で夜10時くらいまで語り合っていたので、そうとうに暑苦しい内容だった。
なので、僕も当時の塾生たちのことはよく覚えている。今夜パフに来てくれたアビコくんもそのひとりだ。
アビコくんが社会人デビューしたのは2003年4月なので、もっとも就職が厳しかったころだ(今朝の新聞によると来年の4月はこのときの厳しさを上回りそうだけど)。
アビコくんと会うのは、アビコくんが新入社員のとき、パフの事務所に挨拶にきてくれたとき以来だ。
今回なぜ久々に来てくれたのかというと、彼はこのたび母校(岩手県の某大学)の後輩たちに講演を行うことになり、そこでパフのことを後輩たちに説明したいので、その了解を得たいから、とのことだった。義理がたい奴だ。
せっかっく築地まで来てくれたので、近所の寿司屋で寿司をつまみながら一献傾けた。
アビコくんは、「自分が就職できたのはパフのおかげです」と、しみじみと言ってくれた。
「なにがイチバン印象に残ってるの?」と聞くと、彼は迷わず、「“うまれよ”というコトバです」と答えてくれた。
「厳しい時代、社会人になるために苦しんでいた僕たちのことを応援してくれたパフのことは絶対に忘れられません」とも言ってくれた。
アビコくんはお世辞を言うようなタイプの奴ではない。そんな奴から、こんなふうに言ってもらえると感無量だ。とても嬉しい。
うまれよ塾。こりゃまだまだ引退できないな。もうしばらくは頑張ろうと思う。
そして新たな週が始まった日
2010年11月16日 (火曜日)
昨日の月曜日は早朝ランニングをお休みした。ささかみから戻ったばかりで、さすがにクタクタだったのだ。
しかし、切り替えは速やかに行わねばならない。
月曜日なので、朝8時から営業リーダー会議、全体会議と続き、気合いを入れることになった。
夜は、うまれよ塾で、5名の学生と3時間以上にわたって密度の濃い時間を過ごした。
今週末もいろいろと行事がある。
木曜日は、朝から夕方まで(僕が受講者としての)研修。夜は、職サークル推進会議。
金曜日は、福島県の会津若松で学生向けの講演(企業のパネルディスカッションコーディネート)。
土曜日は、東京・丸の内でシニア向けの講演。
ささかみの一大イベントが終わったからといって、のんびりとできないところが辛いのだけど、やることがたくさんあるというのは幸せなことだ。
そして本日は火曜日。いつもどおり早朝ランニングを再開した。寒さがここちよい。朝やけを眺めながら、ちょっとスローペースで走った。
ささかみのドキュメントは、日曜日に(完全休養の予定なので)のんびり振り返りながら書くことにしよう。
次回ライブも、やりたい気持ちがわき起こって来た。来年の春あたりにやっちゃおうかな。今度は東京で。
では、本日もそろそろ行って来ます!
ささかみで70曲歌いきったことを報告する日
2010年11月15日 (月曜日)
先ほど、ささかみ(新潟県阿賀野市)から戻って来た。
現地からtwitterで随時様子をつぶやこうと思っていたのだが、なんとライブ会場のペンション周辺はソフトバンクの電波が圏外であり、iphoneを使うことができずにいた。
さて、ささかみライブは、どうだったのか。
結果だけ書こう。
全70曲を歌いきった。演奏し切った。13日の土曜日。ライブは夕方3時半に開始され、終了したのは夜の10時。準備していた76曲中70曲を演(や)り切った。6曲だけは時間の関係で演奏できなかったのだが(うち2曲は帰りのバスの中で歌ったけど)、でも、やれることのすべてはやりきった。
感動と感激である。見に来てくださった方々、ご協力くださった方々に大感謝である。
ドキュメントをこの日記に書こうと思っているのだが、いまは手元に写真もなければ、もはや体力も残っていない。
1枚の謎の写真だけアップして、残りは明日以降、書くことにしよう。
まずは無事、ささかみより帰還したことの報告と、皆々さまに感謝の気持ちのみ書き記しておきます。
・ピアノ演奏の協力をしてくれた荒木さん。70曲以上ものピアノ演奏と根気強い練習。ホームページの作成。当日の朝までかけて仕上げた楽譜書き。その他、何から何までお世話になりました。本当にありがとう!!
・バイオリン演奏の協力をしてくれた住本さん。最初は1曲(神田川)だけのはずが、気がつけば20曲以上のバイオリン演奏をご協力いただきました。おかげで楽曲にものすごい厚みが出ました。本当にありがとう!!
・音響設備、照明設備をご用意してくださり、リハーサルも含めて音響の調整をしてくださった(地元の)村山さん。おかげで下手な唄が、なんだかとてもうまく聞こえたみたいです。ありがとうございました!!
・小柳さんをはじめとするペンションぽっぽ五頭の皆さん。素敵な会場の提供と、美味しい料理をありがとうございました!!
・JAささかみの遠藤さん。下見の段階から窓口になってくださり、各種調整、手配、段取りまで、本当にお世話になりました。ありがとうございました!!
・オリザささかみ自然塾の石塚さん。昨年秋の石塚さんとの出会いが、すべてのはじまりでした。また行きます。本当にありがとうございました!!
・ご来場のみなさん。来場はできなかったけど、お花、お酒、お菓子、電報などの贈り物をしてくださったみなさん。激励のメールをくださったみなさん。とても励まされました。本当にありがとうございました!!
・神津さん。プロモーションビデオの撮影から始まり、ポスターの作成、そして本番の映像記録まで、本当にありがとうございました!!ビデオの完成を楽しみにしています。
そして、なんといってもパルシステムの岩元さんと我がパフの吉川さん。この感謝の気持ちはここでは語りつくせません。またあらためてゆっくりと。どぶろくでも飲みながら(笑)。本当に、ほんとうに、ありがとうございました!!!
いやあ、もはや限界を迎えてしまった。今夜のところはここで休むことにしよう。
あらためて皆々様。ホントにほんとに本当に、ありがとうございました!!!!!
どげえするんか?を転載する日
2010年11月12日 (金曜日)
金曜日だ。あすは11月13日(土)、新潟ささかみライブの日だ。あすの本番に先立ち、きょうはお昼から現地に向かう。
昨日は夜10時過ぎまで、友情出演してくれるピアノの荒木さんとバイオリンの住本さんと一緒に、最後の合同練習をしていた。やっと全曲を3人で演奏することができた。もうあとは、ぶっつけ本番だ。まあ、なんとかなるさ。あ、そういえば演奏曲にも「どうにかなるさ」というのがあったな。かまやつひろしの名曲だ。
ところで昨日は、月に一度の社会人向けメルマガ、「Face to Face♪」の配信日だったので、僕のコラム「どげえするんか?」を以下転載しておこう。
あすは、さすがに日記はお休みにしようと思う。代わりにtwitterで、たまにつぶやこうかな。 ※よかったら http://twitter.com/kugisaki をたまに覗いてみてください。
では以下、「どげえするんか?」最新号です。
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【01】釘崎の「どげえするんか?」
第45回 自分の仕事や出会いを「物語」として書いちみんか?
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パフ代表釘崎が、現在の採用市場、就職活動、世の中のあれこれについて、
日々感じることを徒然なるままにお届けします。
※「どげえするんか?」=大分弁で「どうするんだ? どうしたいんだ?」
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私は会社を創業してから現在に至るまで、相当数のメルマガやコラムを執筆
してきました。
書籍も1冊だけですが著しました。ほぼ毎日書いているブログ(釘さん日記)
も加えると、いままで書いてきた文字数は天文学的な数字になるのではない
かと思います。
決して文章を書くのが好きだったわけではありません。いや、正直に言うと、
いまでも嫌いですし大の苦手です。
この「どげえするんか?」のコラムだって、編集担当者から催促されて初め
て、「えー!もう締め切りなの?しょうがねぇなあ……」と、ブツブツ言い
ながら締め切り直前に書いています。催促されるまで、締切日に気がつかな
いフリをしているわけです(苦笑)。
そんな私が、なぜこんなにもたくさんの文章を書き続けることができたのか。
理由は大きく3つあります。
(1)昔は私以外、誰も書く人がいなかったから。でも会社として書かなけ
ればならなかったから。つまり、しょうがなく。
(2)書くことそのものは嫌いで苦手なんだけど、書いた後の反応を想像す
ることが楽しく、実際に想像通りの(ときとして想像外の)反応が得
られることが面白かったから。
(3)自分の「仕事」や「出会い」や「その時々に感じていること」を文章
として書き残しておくことに価値を感じるようになったから。
この3つの理由があったからこそ、書き続けてこられたのだと思います。
☆☆☆
なかでも、3つめの『「仕事」や「出会い」や「その時々に感じているこ
と」を文章として書き残しておくこと』の価値は、最近特に大きなものとし
て実感しています。
私は、もうすぐ50歳で、相当に物忘れがひどくなってきました。5年前の出
来事と8年前の出来事が、どっちが先で、どっちが後か、分からなくなって
しまうこともよくあります(それって別の意味で、ちょっとヤバいかもしれ
ないのですが、笑)。
そんなとき、自分の書いた文章を読むと、鮮やかに当時の記憶がよみがえっ
てきます。
特に私は、自分の半生を「物語」として書いてきました。
「パフの創業物語」は、私が生まれてからパフを創業する当日までの物語と
して書きました。毎週1回、約1年間の執筆でした。
⇒ http://www.puff.co.jp/sogyo/index.html
「パフの自転車操業物語」は、パフを創業した当日から、パフの新卒一期生
が内定者として活躍していた時代までを書きました。こちらは、毎週1回、
約2年間の執筆でした。
⇒ http://www.puff.co.jp/jitensha/index.html
そして私の生涯を通じての数々の出会いを「素晴らしき100の出会い」と題
して、毎週1回3年もの間、書き続けてきました。
⇒ http://shokugakkou.com/member/column/kugi05/kugiCollList.html
☆☆☆
これらの物語は、執筆していた当時はもちろん、読者に読んでもらうために
書いていたのですが、いまとなっては、自分自身の大切な「宝もの」となっ
ています。
私は今月で50歳という節目の年齢を迎えるのですが、自分自身の半世紀を振
り返るにおいて、これほど価値のある財産はないなと、最近つくづく思うの
です。
私は小さいころから、優等生でもなんでもなく、どちらかというと落ちこぼ
れの劣等生で、レールを踏み外しながら生きてきました。働くようになって
からも、そして会社を創ってからも、些細なことで躓いたり、悩んだり、苦
しんだりしながら生きてきました。「物語」では、多少、面白おかしく脚色
しながら書いていますが、書いた当人が読めば、そのころの苦悩が実にあり
ありとよみがえってきます。
さだまさしさんの歌で「小さな物語でも、自分の人生の中では、誰もがみな
主人公」という詞の歌があります(さだまさし作詞作曲「主人公」より)。
人生に迷ったり、悩んだり、希望をなくしたりすることがあっても、物語の
主人公なら、そんなことがあるのは当たり前です。そう考えれば、たとえ悲
観的になってしまいそうな出来事があっても、前向きに受け止めることがで
きるような気がしています。
私は他人から「楽観的だ」と言われることが多いのですが(実はそうでもな
いのですが)、自分は「自分の人生のなかの物語の主人公」だと思っている
のは間違いのないことです。
だからこそ、一時的にはシンドイことがあったにしても、(だいたいの物語
の主人公は最後にはハッピーエンドになるわけですから)必ず逆転勝利する
と信じているわけです。
そして、その思いは、自分の「物語」を書き続けてきたことで、さらに強く
なった気がします。
☆☆☆
読者の皆さんも、自分が生きてきた今までの歴史を振り返りながら、少しず
つ「物語」を書き綴ってみませんか?
「自分の人生、いろいろあったけど、そして今もいろんなことがあるけど、
そしてこれからも、きっといろんなことがあるだろうけど、まんざら捨てた
もんじゃないよな」
と、自分のことが好きになって、これからの人生が豊かになるかもしれませ
んよ。
☆☆☆
【今回のどげえするんか?】
そんなわけで自分のことが大好きなワシは「50歳記念ライブ」までやること
にしちもうた。 http://www2.gol.com/users/akku/sasakami/liveinfo.html
それはともかく、あんたも「自分が主人公の物語」を書いちみんか?
あんたはどげえ思う? どげえするんか?
<蛇足>
内輪の話で恐縮ですが、パフ新卒一期生の吉川安由が、本日(11月11日)、
めでたく誕生日を迎えました。その記念に、彼女との出会いを書いた「物語」
を以下貼り付けておきます。皆様もよろしかったらご笑覧くださいませ。
⇒ http://shokugakkou.com/member/column/kugi05/Colkugi_127.html
※3年半まえの執筆のため、現在とは状況の異なる記述が一部にありますが、
どうかご了承ください。
★ ご感想お待ちしております ★
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└─→ http://puff.weblogs.jp/mag_list/2010/11/vol74.html#comments
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