いつものジムを一部公開する日
2008年8月31日 (日曜日)
僕が週末通っているジムを、きょうは「釘さん日記」読者の皆さんに、一部公開しよう。
着替えをし、トレーニングを開始する前に、僕はいつも体重を計る。本日は、70.15Kgなり。
#2か月ほど前、ジム通いを習慣化したときよりも1Kgほど(しか?)少ない。が、当時たてた目標によると、すでに今頃は65Kgになっていなければならないはずなんだけど……。
ランニングマシーン。ここでいつも30分から1時間ほど、走り込みを行う(体調がいまいちのときは歩くだけですが)。
筋力トレーニングをするためのマシーンがずらりと並んでいる。 このマシーンひとつあたり、30回を目安に筋力トレーニングを行う。
この台の上で、腹筋を30回。
ランニングマシーンのパネルには、距離と速度と走行時間が表示される。これを見ながら、「よし、あと15分だ!」と、自分に気合を入れる。
トレーニングが終わり、体重を計ると、69.5Kg。650gの減量に成功だ。がしかし、1週間するとまた元にもどるんだよなぁ、これが……。
ひととおりのトレーニングを終えて、サウナでもうひと汗流し、風呂に入って、全プログラムを終了。これで約2時間くらいかな。
いまは毎週土曜日と日曜日だけしか通えていないが、できれば平日にもう一日行けるといいんだけどな。
人間ドックまであと一か月。いつも数値をみた医者から呆れられたり、心配されたり、怒られたりなので、今年ばかりは、ジムの成果をもって、「がんばりましたね!」と言われてみたいものだ
『坂の上の雲』を読みはじめた日
2008年8月30日 (土曜日)
以前から読もうと思って読めていなかった小説、『坂の上の雲』。ご存じ司馬遼太郎の長編歴史小説である。
読もうと思ったきっかけは、昨年の6月、出張で松山に行った時のこと。空港に向かうために乗ったタクシーの運転手さんに、坂の上の雲ミュージアムや、秋山兄弟の生家に連れて行っていただいた。運転手さんは郷土が生んだこの英雄たちを誇らしく語っていた。
松山は、明治維新では幕府軍側にいたため、その敗北によって、すぐお隣の土佐や長州に支配される立場となった。しかし、坂の上の雲の主人公たち(秋山兄弟と正岡子規)の活躍によって、郷土の人々はのちに、胸のすく思いをしたのではないだろうか。
NHKがスペシャルドラマとして、2009年秋から3年がかりで放送するという。かつてないスケールだ。すでに撮影がスタートしており、先日、ロケの模様がテレビで放映されていた。そのロケの壮大さに関心を持ったことも、読んでみようと思ったきっかけだ。
この小説は、産経新聞に1968年から1972年にかけて4年半にわたり連載された。構想期間も含めると10年間ほどの歳月をかけたという。司馬遼太郎は、40代のほぼすべてを費やして、この小説に取り組んだというのだ。
司馬遼太郎の小説といえば、『竜馬がゆく』や『翔ぶがごとく』や『燃えよ剣』など、幕末~明治維新のものを僕は好んで読んでいたのだが、この『坂の上の雲』は、列強の仲間入りを果たそうともがいていた明治初期から、不幸な日中戦争や太平洋戦争のきっかけとなる日露戦争までの時代を描いている。
司馬ファンからは圧倒的な支持を得ているこの作品。いまさらながら、やっと読み始める。
10月中旬に再度、松山に出張する予定があるので、それまでになんとか読破し、もう一度、秋山兄弟や正岡子規の足跡を辿ってみたいと思う。
ふるさと幹事社長とインターンが交流した日
2008年8月29日 (金曜日)
本日は、月に1度のふるさと就職応援ネットワークの幹事会の日。
仙台(エムジョイ)、新潟(広報しえん)、金沢(JJC)、愛媛(コンベックス)、西東京(就職エージェント)、東東京(パフ)の6人の社長がパフの会議室に集合し、半日をかけて、さまざまな議題について話し合った。
とくに来る9月27日(土)に開催するイベント 「キミはUターンできるか?ふるさと就職シンポジウム2008」については、開催まで1ヵ月を切ったため、入念な確認が行われた。
※この日記をご覧の地方出身のみなさん、9月27日(土)午後1時半から午後4時半まで。お茶の水で記念イベントを開催しますので、ぜひご来場ください!
一方、本日は、7月中旬からインターンシップ生としてパフで働いていた、筑波大のクボタと、東大のスハラの最終勤務日。せっかくなので、ふるさとの幹事社長たちとの懇親会に招いてあげようということになった。
東銀座のいろり家という居酒屋で、まずは一次会。狭い個室で、6名の社長たちに囲まれたクボタとスハラは、最初は緊張しつつも、徐々に本領を発揮していった。そして、ついには社長たちの青春の蹉跌とでもいうべき、隠された過去を暴いていくに至った。
必然的に「二次会に行こう!」ということになり、ゲリラ豪雨のなか、「のろ」に大挙おしかけた。
我々社長陣は、クボタやスハラとは親子ほどの年齢差なのだが、そのギャップを感じさせないほどに、一緒に溶け込み盛り上がった。
皆、歌い、踊り疲れたあと、やっとお開きとなった。ラストソングはなんと、五木ひろしの「ふるさと」である。 ♪ あああー、誰にもー、ふるさとがあるぅー、ふーるさとがー、あーるー ♪
クボタとスハラは、地下鉄の駅のほうに向い、僕ら社長連は、タクシーを拾うために逆の方に向かった。
社長たちは、クボタやスハラに感動していた。
「クギさん、彼らすごいですね。もうずいぶんと、ああいう学生には会っていません」
クボタ、スハラ。こりゃ最高の褒め言葉だよ。一か月のインターンシップで、キミらは、格段に成長したのだ。
社会に正式に出る時には、また東銀座、築地、新富町界隈に戻ってくるのだぞ!
刺激的な方々との出会いの日
2008年8月28日 (木曜日)
内定者フォローの事業で提携しているガイアックス社と共同で、少し大きめのセミナーを計画している。10月上旬に開催する予定だ。
このセミナーは、我々が提供する内定者フォローシステム(フレッシャーズシリーズ)を活用している企業様にご講演いただいたり、パネルディスカッションを行っていただいたりして、人材の採用や育成、組織の活性化などについて考えていこうというもの。約300名の人事担当者や経営幹部の皆さんの来場を目論んでいる。
きょうは、このセミナーでの講演を快く引き受けていただいた、R社の人材開発部長のOさんと、社長のMさんのところに、ガイアック社の上田社長と佐別当事業部長とともに伺った。
社長のMさんというのは、パフ創業の黒幕のような人で、僕とは25年来の付き合いだ。しかし、Oさんとお会いするのはきょうが初めてだった。
実は、Mさんに今回のセミナーのことを相談したらば、「まさにセミナーの趣旨にぴったりの人がいる」ということで、Oさんをご紹介いただいたのだ。
Oさんは、人材業界では有名な方で、とあるキャリアスクールの校長先生も務めている。お会いすると、フランクで、正直で、熱くて、まっすぐで、お茶目なキャラクターが、びんびんに伝わってくる。とっても魅力的な方だった。
これは10月のセミナーが、いまからとても楽しみだ。来週末くらいには、正式にアナウンスされると思うので、皆さんも乞うご期待。
夜。盟友であるマングローブ社の今野社長が編集長をつとめるMG-NET+の「集う」という会合に参加した。
3か月前の日記でも、この「集う」のことを書いたが、三か月に一回の会合で、毎回ゲストスピーカーを招いての講演と懇親会が行われる。僕はどうやら前回から半強制的に参加することになっているようだ(笑)。
今回のゲストスピーカーは、株式会社和み の作山(さくやま)社長。とてもチャーミングな女性経営者だ。某飲料販売会社のトップセールスを経て、この会社を2002年に起業されたという。
ハーブティー、日本茶、紅茶、中国茶、珈琲の専門店を都内を中心に展開している。僕は勉強不足で知らなかったのだが、いまマスコミでもたいへん注目されているお店で、パフのすぐそば(歌舞伎座の裏あたり。行きつけの球磨川のすぐそば)にもお洒落で有名なお店があるという。
講演の内容もすっごく魅力的で、こんなチャーミングな方から、こんな硬派でべらんめえで本質的な言葉がポンポン飛び出すとは思いもしなかった。参加者(60名くらいだったかな)は、皆、引き込まれていた。
懇親会のときなど、もうたいへん。作山社長の前には名刺交換を求める大行列が出来上がってしまった。
僕もぜひ名刺交換したかったのだが、横着なものだから、行列に並ぶことよりも目の前にある食事を食べることを優先してしまった。
いろんな方々との歓談も一息し、さて、そろそろ作山社長のところに名刺交換しに行こうかと思った矢先、一本締めが始まった。そしてなんと作山社長は、控室に引き返してしまったのだった。
ありゃりゃ、と思って、今野社長に、「名刺交換しそびれちゃいましたよお!」と軽いクレームを投げたら、さささと僕を控室まで案内してくださり、ツーショットでの会話の場を作ってくれた。
#今野さん感謝です。
作山社長には、「今度必ず、歌舞伎座の裏のお店に行きますからね♪」と約束を交わした。 「じゃ、お店で待ち合わせて、飲みにでも行きましょうか」なんていう軽口も叩いたりしたが、気さくな社長なので、ホントに実現しそうだ。いまから楽しみである。
やっぱり何歳になっても、新しい気の合う方々との出会いというのは、とても楽しいものだということを実感した本日の出来事だった。
ボーっとできなかった日
2008年8月27日 (水曜日)
僕はボーっとするのが実は好きである。
せっかちな側面もある一方で、一日のうち、ボーっとする時間を多少なりとも作りたいと思っている。
が、本日は残念ながら、あまりボーっとできなかった。
●7時45分に出社。
3年目のタカタと8時から打ち合わせをする予定だった。それまでの間に、(返事を書く必要のある)メールを書こうと思った。8時になる寸前にタカタが出社してきた。が、まだメールの返事を書き終えていない。
「タカタ!社長が8時から打ち合わせをやるって言ってるんだから、ペーのおまえは7時半に来てスタンバイするのが当然だろ!!」
と先制パンチを食らわしたうえで、打ち合わせ時間をずらす(というか移動の電車の中で行うと決めた)ことに成功。
●8時30分。
メールを書き終えたのち、横浜の顧客のところにタカタと向かう。車中打ち合わせ。
●9時30分。
早めに着いたため、桜木町駅前のコーヒーショップで真面目な打ち合わせ。
●10時00分。
顧客のところで、うち合わせ。一時間びっしりと採用状況のヒアリング。
●11時50分。
東銀座に戻る。近所の定食屋(夜は居酒屋)で、タカタと真面目に議論しながら、おいしいサバ味噌煮定食を食べた。
●12時30分。
会社に帰社。
●13時00分。
役所関係の書類作成。面倒だが、背に腹はかえられず。まだ途中。
●14時00分。
来客。G社のMさんが、僕にみっちりSNSの個別レッスンを施してくれた。
●16時00分。
外出。お茶の水方面へ。個別レッスンが長引き、約束の時間ぎりぎりだ。
●16時30分。
ふるさと就職のイベント会場を下見(9月27日に開催予定。詳細は後日!)。その後、ふるさと幹事仲間のS社長と、もろもろの打ち合わせ。
●19時半。
お茶の水から帰社後。社内打ち合わせ。WEBプロジェクト。
●20時半~23時半
事務処理。なかなか地味な仕事ですわ。終わらない。
●24時前に帰宅・・・そしていま26時ちょうど。
睡魔と闘いながら、日記をかいています。日記は一日の最後を飾る(?)僕のお勤めである。
かくして、僕の一日は過ぎていったのだった。
明日こそは、ボーっとしてみたいものだ。あ、あかん。。。眠い。。。。
国連大学での勉強(?)とベンチャーの日
2008年8月26日 (火曜日)
きょうは直行で、渋谷方面に向かった。目的地は、表参道の国連大学。
こくれんだいがく?・・・そう、国連大学。
青山学院大学の向かいにある独特な建物なので、御存知の方も多いのではないだろうか。
この国連大学の敷地内は、日本であって日本ではない。治外法権が適用されているのだ。
なんでまた、国連とは縁もゆかりもないこの僕が、朝っぱらから直行で国連大学に行ったのか…。
何のことはない。職業紹介事業者に義務付けられた講習を受講するためだったのだ。
なんでまた、国連大学なんていう厳かな場所で、この講習が行われたのか…。なんででしょうね。よく分かりません。でもまあ、いままで入ったことがなかったので、ちょっと嬉しかった。
講習会の中身はというと、職業紹介事業・派遣事業関連の法律や、労働法や、個人情報保護法や、それから基本的人権についてのお勉強が中心であった。しかも、朝9時半から夕方5時過ぎまでみっちりと。ただひたすら一方的に話を聞くのみである。知的に鍛えられるというより、むしろ精神面(耐えるということ)を鍛えるための講習会だったような気がする。
受講後は、立派な「受講証明書」を拝領つかまつる。この証明書がないと、厚生労働省様から資格を召し上げられてしまうというのだから、おっかない。さすがお上である(苦笑)。・・・おっとっと。あまり皮肉じみたことを書くと怒られそうなので、このへんで。
7時間にも及ぶお勉強を終えたあと、へとへとになりながらも溜池山王にあるANAインターコンチネンタルホテルへ。ベンチャー通信が主催するセミナー&パーティーに参加するためだ。
ベンチャー通信とは古い縁である。代表の明石君がまだ大学生のころ、パフに飛び込み同然で営業に来たのが8~9年ほど前。あまりにも可哀そうだったので、ついつい広告を出していた。
そのベンチャー通信が開催する、高級ホテルでの大パーティー。彼らも立派になったもんだなあ…。
参加してビックリしたが、招待客は、400人以上にも上っていた。しかもほとんどが経営者たち。これだけの経営者を集めることができるなんて、ホントにすごいことだ。
知り合いの経営者も多数いた。パフの顧問会計士の先生(株式公開の世界では超有名人)もいた。久しぶりに会う経営者もいた。前から会いたいと思っていた経営者もいた。
でも僕は、こんな大人数のパーティーは、どうも苦手である。前日の酒もまだ残っていたので早めに退散させてもらった。
パーティーでは、ほとんど食事をしなかったので、帰り道コンビニに寄って、昨日50周年を迎えたチキンラーメンを買った。このチキンラーメンには、子どものころ、とてもお世話になっていた。
考えてみたら50年前の日清食品は、高い志を持ったベンチャー企業だったんだよなあ。今や学生が憧れる人気企業なんだけど、51年前の、明日のことさえどうなるかわからなかった故・安藤百福さんと一緒に仕事ができるならいざ知らず…って、僕はついつい思ってしまう。
貧乏で腹ぺこだった子供時代に食べたチキンラーメンは、僕にとって、かけがえのない御馳走だった。しかし、今夜食べたチキンラーメンには、かつての美味しさを感じることができなかった。チキンラーメンの味が落ちたわけではない。自分の味覚が鈍く(へんに贅沢に)なってしまったということだ。
当時の人々が腹ぺこだったからこそ、チキンラーメンは大ヒットしたと思うし、日清食品というベンチャー企業は、世界的な企業になったのだと思う。
翻って現代。腹ぺこな人たちはあまりいない。しかし、食べものや金銭では満たされていても、心が満たされない人たちは意外に多い。ここに僕らのビジネスを成立させるヒントがあるように思う。
従兄が九州からやってきた日
2008年8月25日 (月曜日)
僕には「いとこ」がたくさんいる。父方のいとこ、母方のいとこ、両方合わせると、相当な人数だ。
そのたくさんいる「いとこ」のなかでも最も親しいいとこが、本日、九州から東京に出張でやってきた。名前をTさんという。
Tさんは、僕の母親の長兄の三男坊。僕より10歳年上だ。僕が3歳になるまでは一緒に暮らしており、泣き虫の赤ん坊だった僕を、おぶってあやしてくれていたという。ほんとうの兄のような人だ。
このように大昔、とてもお世話になった人なのだが、最近でもTさんのおかげで、Tさんが重役を務める会社と取引をさせてもらうことになったりで、ホントにお世話になりっぱなしの人なのだ。
そんなTさんの来京。しかもTさんは本日58回目の誕生日。こりゃおもてなしせずにはおられない。東銀座の夜のフルコースだ。
Tさんは、「九州男児」「肥後もっこす」といった形容がぴったりの人で、酒豪でもある。おもてなしには当然の如く、相当なパワーを必要とした。
とはいえ、Tさんと東京でじっくりお酒を飲むのは初めてのこと。とても楽しいひとときだった。
家族のつながりが希薄になったといわれる昨今。でもやっぱり血縁というのは、いいもんだ。