新・パフの創業物語<第25話>「おそるべきチョー素人エンジニア」
2020年7月31日 (金曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第25話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1984年4月某日。
東武東上線上福岡駅からタクシーで15分ほど坂道をのぼったところに、ボクが「偽SE」として乗り込んだ会社「C社」の技術センターがありました。
リクルートで、どんな相手にも怖じ気づかない営業マインドだけは備わっていたボクなので、受付でも堂々と
「えー、S社のクギサキと申しますが、計装技術部のS藤さんとE本さんをお願いします」
と言ったまでは良かったのですが……。
数分、打ち合わせコーナーで待たされた後に現れた2人のいかにも頭の良さそうな担当の技術者であるS藤さんとE本さん(ご本人に承諾の連絡がとれませんでしたので伏せ字で失礼します)。
お二人とも、当時30代半ばの、いちばん働き盛りのバリバリのエンジニアでした。
「あー、どうも初めまして。クギサキさんと仰るんですな?ほー、珍しい名字ですなー。ご出身は?え?九州?はーそうですか、いや、私はですな、東北出身でですなー、九州というとお酒はお強いんでしょうなー、私の田舎も日本酒はなかなかのものでしてなー・・・」
リーダー格のS藤さんはこんな感じで、技術者にしては珍しくよく喋る超フレンドリーな方で、打ち合わせも順調に進むかと思われたのですが……。
約1時間後。
強烈なパンチに打ちのめされて、ダウン寸前の「偽エンジニア釘崎青年」が朦朧とした意識で立ちすくんでいました。
(え?今日はたったのこれだけ?…つづく)
このコラムを含むメルマガは、毎週月曜日に当時の職サークル会員学生(3万人くらいいました)に配信していました。
書いていたのは前日の日曜日の深夜。というか、配信の数時間前の月曜日の明け方でした。
このころって、社員は誰もおらず(いたのは内定者4名と総務経理をやっていた奥様のみ)僕は土日も祝日もなく、徹夜することもしばしば。起きている時間はほぼ働いていました(お客さんと飲むことも多かったんですがそれも仕事のうちw)。
われながらよく働いていたと思います。なので、今回のような短いコラムのときもあったんですね。決して手抜きだと思わないように(苦笑)。
では、朝食&エール再放送後、仕事します!
新・パフの創業物語<第24話>「釘ちゃん、SEやってくんないか?」
2020年7月30日 (木曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第24話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1984年4月。
大学を卒業したボクは、S社の正式な新入社員、しかもその会社にとっての新卒1号社員として迎えられました。
ボクのその会社での一番のミッションは、優秀な人材を新卒、中途を問わず採用すること。これは、リクルートでの経験もあり、ほどほどの自信(自惚れ)がありました。
しかし、二番目のミッション。これによって、ボクはそれまで体験したことのなかった、恐怖、数々の絶体絶命状態を味わうことになるのでした。
それは入社直前の時期に交わした、S社の社長との会話から始まったのであります。
社長 : 「釘ちゃんさ、もちろん採用の仕事は、釘ちゃんが専門家だから、これから全部、釘ちゃんにまかすよ」
ボク : 「はい、まっかせてください!エッヘン!」
社長 : 「でもね、釘ちゃん。うちの会社ってコンピュータの会社なんだよね」
ボク : 「そんなの知ってますよ、なーに今ごろ言ってんすか。ハハハ」
社長 : 「うん。採用の仕事っていうのも大事なんだけど、忙しいのはごく一時期だけでしょ?」
ボク : 「は?はぁ…」
社長 : 「今ね、うちはとっても人手不足でね、SEが一人でも欲しいのよ」
ボク : 「ちょ、ちょっと…。ま、まさか…」
社長 : 「釘ちゃん!釘ちゃんもSEやってくんない?頼むよ!」
ボク : 「え゛ーーーーーーー!!!!そ・そんな!どっひゃー!!!」
・・・とまぁ、面白く脚色するとこんな感じのやりとりがありまして、うすうす分かってはいたのですが、コンピュータなどとは全く無縁であったボクがSEへの道を歩まざるをえないことになったのでした。
しかし!
ボクは高校2年までは理系進学コースだったものの、あまりの数学と物理の成績の悪さに、担任教師から文系コースに変更させられたほどの筋金入りの文系人間。
しかも!
ボクは機械音痴、文明音痴の、超ぶっ器用人間であり、パソコンやワープロすらなかった時代に「コンピュータ」なんぞ絶対関わりになるはずはない!と思っていたほどなのです。
ところが、入社後はSEになるための勉強をやらねばならぬ。
4月の入社直後から、bit(ビット)だのbyte(バイト)だのhexa(16進数)だのフローチャートだのアセンブラだのコボルだのフォートランだのレジスタだのメモリだの……。まったく訳の分からない言葉と闘うことに。
当時はマイクロソフトの「MS-DOS」のマニュアルも英文のものしかなく、その翻訳までやることに。
毎日、脂汗が吹き出る始末でした。
しかし、そんな泣きゴトを言っている場合ではない状況がすぐに訪れたのでした。
社長 : 「釘ちゃんさ、こんど人の紹介で新しく取り引きしてもらえる会社ができたんだ。上場している大手計測制御メーカーで、C社っていうんだ」
ボク : 「おー、よかったですねー。おめでとうございます!」
社長 : 「うん、それでね、すぐにパソコンを使った制御プログラムの開発の仕事をやって欲しいって言われてるんだけど…。ほら、いまみんな他の仕事が火の車で誰もいないでしょ……」
ボク : (不吉な予感を体一杯に感じながら)
社長 : 「釘ちゃん、明日先方の技術者と打ち合わせしてきてくんない?」
ボク : 「ま・ま・ま・まじですか!?」
この日を境に、ボクは、対外的には、入社2年目のプログラマーということに……。
リクルート時代に続いて、2年連続の経歴詐称を行うことになったのでした。
(このうそつき!・・・つづく)
パフの社訓になっている「うまれよ」の「う」は、「うそをつくな」なんですが、22~23歳のころの僕は、嘘にまみれた仕事をしていたわけで、その報いをこのあとすぐに受けることになります(苦笑)。
さて、きょうは久々にパフの本社事務所に行って仕事をせねばなりません。
社長の椅子と机は、執務室のレイアウト変更とともに返上したのですが、はたして僕が仕事をする場所は残っているのでしょうか(‘_’)。
では、朝食&エール再放送後、行ってきます!
新・パフの創業物語<第23話>「お前、なに考えとんじゃー!!(怒)」
2020年7月29日 (水曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第23話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
「社、社長、ボ、ボクでよかったら採用しませんか!?」
ボクのこの一言で、ボクの社会人としての進路が大きく回転しながら決定づけられていきました。
S社の社長は、リクルートの2年目バリバリ営業マンとして疑いもしなかったボクの正体が、実はまだ大学生、という事実に仰天し、しかも、そいつが急に「自分を入社させてくれ」と言い出したものだから、二度ビックリだったようで、酒を飲む飲む。
その日はボクもかなり飲んでしまい、その後の記憶は定かではないのですが、何しろ卒業を待たずに翌月から働く約束を交わしてしまったようです。
ということは、ボクが籍を置いていたリクルートは辞めなければならないということ。必然的に、このことはリクルートの人事担当者である兄のところにもすぐに伝わるということ。そして九州に住む親にも伝わるということ……。
この頃のボクは、もう迷いは一切なく、むしろ大胆不敵な自分の行動に「うん。俺もなかなかの男だね。将来は俺がこの会社を大きくして大会社の社長かな?へへへ」などと酔いしれていました。
しかし案の定、少しして九州の母親からすごい剣幕で電話がかかってきました。
「兄ちゃんから聞いたバイ!あんたナンバ考えとっとかい!そげな小さな会社に入って、どげんするんかい!だいたいアンタはな、グチャグチャグチャ……グチャグチャグチャ……」
そこまで言うか!というくらい大変な罵声を浴びせられたものです。
また、それから少しして兄がボクの下宿に突然訪れ、徹夜での大説教大会も行われました。
「お前なー、もうちょっといろいろ考えろよ。その会社のどこがいいんだ。その会社の売上は?利益は?強みは?財務諸表はどうなってるんだ?社長の経歴は?なに!?知らないだと?(怒)」
理路整然と問いつめてくる兄に、理屈で言い返すことはほぼ不可能で、「お前だって日本で一番優秀な大学出たくせに、リクルートなんて当時は訳のわからんかった会社に就職したじゃねーか!なんで俺が訳のわからん会社に入るのがわりーんじゃ!」
・・・と、こちらこそ訳のわからないことで言い返すのが関の山でした。
まぁ兄にしてみれば、自分が誘い込んだリクルートがきっかけで、弟が道を踏み外すのが(実際には全然違うのですが)やるせなかったのでしょうね。
ともあれ、兄もボクのあまりの強情さに「もう知らん、勝手にしろ!」とあきらめてはくれましたが……。
こんな感じで、親兄弟の反対をむりやり押し切って、ボクの就職活動(というのだろうか?)は、あっという間に終わってしまいました。
さぁ、来月からリクルートの営業マンじゃなくて、ちっちゃなベンチャー企業の採用担当者だ。反対した連中を見かえしてやるぞー!大企業に入った連中よりも偉くなってやるぞー!
1983年の秋も深まった夜の、たった一人での決意でした。
(よし、がんばれよ! つづく)
いやあ、懐かしいですね。
このとき、母親や兄から反対されればされるほど、罵声を浴びせられれば浴びせられるほど、僕の決意がどんどん固まっていったことをよく覚えています。
相当な頑固者(へそ曲がり?)だっだわけですが、いまではこの自分の頑固さに感謝しています。
もし、僕がこのときの親兄弟からの説得に折れてしまっていたら、いったいどんな人生になっていたのでしょうか。それはそれで見てみたい気もしますけどね(笑)。
さて、今日はこれから売られた喧嘩(もう1年以上も続いていますが)を買うための準備を在宅で進めなければなりません。週明け早々オンラインでの対決が待っているんですよね。リモートでは殴ることもできないので資料での応戦です。
では、朝食&エール再放送後、仕事します!
新・パフの創業物語<第22話> 「ボクでよかったら採用しませんか?」
2020年7月28日 (火曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第22話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年9月のある日。
大手安定企業への就職という選択肢を自ら消してしまったボクは、明日の姿もよく見えない零細ソフトウェア企業S社の社長のところに、リクルートの営業マンとして訪問していました。
「社長、申し訳ありません。結局、誰ひとりとして応募はおろか、資料請求さえ来なかったですね……」
「釘ちゃんのせいじゃないさ。これがウチの実力だよ」
ボクはS社から「新卒採用のすべてを任す」と言われ、会社案内の作成、リクルートブックへの掲載、原稿の作成、DMの発送などなど、許された予算の範囲で出来る限りの告知を学生に対して行った結果が上の会話でした。
「釘ちゃんさ、今夜ひま?よかったら飲みに行かない?」
S社の社長は、思い詰めたボクの表情を察してか、その日飲みに誘ってくれたのです。
(よーし・・・今日が決行日だ!)
S社の社長と、新宿のちょっとだけ高級っぽい店で飲み始めて少し経ったころ。
「社長、実はお話があります」
「なんだい釘ちゃん、あらたまって。もう採用の話はいいよ」
「いや、そうじゃなくて」
「ん?」
「社長、私は社長に今までウソをついていました」
「うそ?」
「はい、ウソです。私は、いやボクは、実はリクルートの社員なんかじゃありません」
「なに???だってリクルートブックにうち、ちゃんと載っかってるよ」
「いや、そうじゃなくて……。ボクはまだ社員じゃなくて学生なんです。明治学院大学経済学部4年の、正真正銘の現役学生なんです」
「え?(絶句)」
「今まで隠していて申し訳ありませんでした!」
「へー、あそー、いやー、釘ちゃん学生だったのー……」
「本当に申し訳ありませんでした。あ、これ、ちゃんと学生証も持ってます」
「いやーまいったなー、へー、ビックリした。学生があんな立派な営業するんだ」
「いやいや、これでも売れない営業マンで社内では有名で、へへへ」
「ガハハハ!いやー学生でも何でもいいよ。飲も飲も!」
「いや、社長、話はそれだけではないんです」
「なに、まだほかにもウソついてたことがあるの?」
「いや、そうじゃなくて。あのう……」
「なんだよ、釘ちゃん、はっきり言いなよ」
「社、社長、ボ、ボクでよかったら採用しませんか!?」
「なにー!!!」
(どっひゃー、ついに言っちまった。どうなっても知らないぞ……。つづく)
まさに「歴史は夜つくられる」。この夜の会食は、僕のその後の運命を大きく変えていきました。
この物語は全52話。今日でやっと22話なので、あと30話が残っています。9月末までにすべてを終わらせるつもりなので、これからは週4日は載せていかないと間に合わなそうです。いざとなったら土曜と日曜も使うことになるんでしょうね”(-“”-)”。
さて、本日は日本採用力検定協会の理事会です。本当は全理事にパフの会議室に集まってもらって、夜は懇親会を行うはずだったんですが、感染拡大を受けて急きょオンラインでの開催になってしまいました。議題はてんこ盛りなので、集中を切らさないように進めてまいりましょう。
あ、でもその前に契約書の印鑑を押すためだけに九段下に行かねばなりません。これはほんと非効率。電子契約書を早く普及させてもらいたいものですね。
では、ささっと朝食後、印鑑を押しに行ってきます!
新・パフの創業物語<第21話>「内定辞退」
2020年7月27日 (月曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第21話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年9月のある日。
ゼミの先生の紹介で受験した(ボクは訪問しただけのつもりでしたが)製薬会社に、どのような返事をしたら良いのか(入社するのかしないのか)を考えあぐねていました。
リクルートでずっと社会人のマネごとをしていた(否、自分としては真剣に働いていたつもりの)ボクにとって「就職する」ということそのものが実感できずにいました。
実はこのとき、気になっていた会社がありました。
第18話「釘ちゃんにウチの採用ぜんぶ任すよ」で登場した、ちっぽけなソフト会社(S社とします)のことです。
そのS社の採用活動の進捗状況は芳しくありませんでした。というよりも、まったくなっていませんでした。
リクルートブックに載せ、DMを大量に打つも学生からの反応はゼロ。
「確かにこれといった技術力があるわけでもなし、新卒の採用実績なんてひとりもない、ちっぽけな会社だしな・・・」
いかんいかん、担当営業であるボクがそんなことでどうする!
「俺が学生の立場だったらS社を受けるだろうか。たぶん受けないな・・・」
ダメだこりゃ”(-“”-)”。
「でも待てよ。俺がS社の採用担当者で、俺みたいな学生に近い先輩社員がS社にいたらどうだ?少なくとも俺みたいな物好きな学生には関心を持たれるかもしれないな」
なに?
「それに、できあがった大きな会社より、設立間もない小さな会社のほうがいろいろと面白そうだし。 俺、S社の社長に自分の正体(まだ学生だということ)をバラして入社させてもらおうかな・・・」
お、おい待てよ!
実はそんな恐ろしいことを悶々と考えていたのでした。
よし、いろいろ考えていてもしょうがない。とりあえず先生から紹介してもらったA社は断ろう!
そう決心したボクは、先生のご自宅に電話して、A社には気が進まないことと、ちっぽけなS社への就職を考えていることを相談しました。
「まあ、クギサキ君には普通の就職は似合わないと思っていたよ。A社には、クギサキ君は九州に帰らなければいけないことになったと言っておきましょう。あ、それとクギサキ君ね、後期はちゃんとゼミに出て来るんだよ」
おもいっきり怒られるかと思いきや、さっすがクギサキ君の先生です(この先生も入社2年ほどで銀行を脱サラして研究者になったツワモノでした)。
さて、あとは自分自身これからどう生きていきたいのか。もう少しじっくりと考えてみるとするか。
22歳のクギサキ青年、人生の分岐点を迎えた初秋の夜でした。
(うむ……。つづく)
僕の背中を押してくれたこのゼミの先生は、マーケティング戦略論が専門の上原征彦先生です。当時はまだ30代後半の助教授(今でいえば准教授)でしたが、コトラーの「マーケティング原理」の原書を日本で初めて翻訳して発刊したスゴイ先生だったのです。
このエピソードから12年後の1995年、僕が独立するきっかけとなったインターネット事業の相談にも乗っていただいたりしていましたし、起業後もしばしば相談に乗っていただいていました。
以下は6年前、ゼミの先輩と二人で先生の古希のお祝いをしたときの写真です。
この数年はお会いできていませんでしたので、社長を正式に引退したらご挨拶に伺わなきゃと思っています。
さて、本日はパフのこれからの経営を安心させるための地味な仕事をする予定です。
では、朝食&エール再放送後、某所に行ってきます!
5年前のインターン生とともに
2020年7月22日 (水曜日)
昨夜は、5年前のインターン生2名との密会。いや、密会というと語弊がありますが、まあ時節柄あんまり大っぴらにすることもできず(苦笑)。
5年前のちょうどいまごろ、クリエイティブチャレンジというインターンシップを僕が総監督として運営していました。
このインターンシップには24名の学生が参加。みんなで力を合わせて「シゴトノヲト」という社会人へのインタビュー冊子を作り上げました。
このシゴトノヲトの編集長として他のインターン生たちを率いていたのが、当時慶應の3年生だったコオリヤマユウくん。むっちゃくちゃ苦労しながらも、プロジェクトを完遂してくれました。
このユウくんをパフに巻き込んだのが慶應の一つ上の先輩のフシマチサトくん。フシマくんはクリエイティブチャレンジに参加する学生を集めるための活動を、2カ月ほど僕と一緒にやっていました。つまり、ユウくんはフシマくんに唆されて、パフに放り込まれたってわけです。
👆フシマくんとユウくんと一緒にJリーグチェアマンを取材したときの記念写真です
昨夜は、このフシマくんとユウくんと僕の3人で、同窓会を開くことになったのでした。
ユウくんは今、飛ぶ鳥落とす勢いの人材系メガベンチャーの4年目社員。フシマくんは今、社会人5年目なんですが、新卒で入社した大手損保から昨年(実は僕とすごく縁のある)某人事組織コンサル会社のコンサルタントとして転職していました。
いやあ、懐かしかったし嬉しかったですね。
何が嬉しかったって、これです。
僕が社長を引退することを二人はあらかじめ日記を読んで調べていて、超高級大吟醸(桐箱入り)をお祝いにプレゼントしてくれたのです。
桐箱入りの大吟醸が嬉しかったというのではなく(それももちろん嬉しかったんですがw)、たった数ヶ月仕事をともにしていただけなのに、しかも5年も前のことなのに、こうやって社長引退を祝してくれたことがたまらなく嬉しかったんですよね。
パフの歴代のインターン生。社員にも負けないくらいの重要な役割を担ってくれた(かつての)若者たちがたくさんいます。現在はみんな様々な業界で活躍しています。
こうやってたまに会って昔話に花を咲かせたり、現在の仕事の情報交換ができるのは、僕にとってのご褒美みたいなものかもしれません。
フシマ、ユウ、昨夜はどうもありがとう。大吟醸ちびちびとやらせてもらうね(^_-)-☆
さて、あ、本日はパフの決算賞与支給日ですね。タカリに行こうかな(笑)。
では朝食&エール再放送後、仕事します!
GoTo社長引退記念ライブ!
2020年7月21日 (火曜日)
政府のGoToトラベルキャンペーンは、このところ迷走まっしぐら。ブレブレになってしまいました。
が、こちらはブレません。
先日の日記(これからやること。)で発表した通りです。コピペしてみます。
本当は年末にもこのお店(フォークソング居酒屋)が出来上がるはずだったんですが、今般のコロナ禍でお店の開業準備はちょっと中断しています。
が!ライブはやります。
まずは9月25日(金)。はい、正式にパフの社長を退任する日なので「社長引退記念ライブ」と名付けました。
こちらは時節柄ハイブリッド(少数の観客+ライブ配信)での開催です。場所は55歳記念ライブの会場としても使用した四谷LOTUSさんです。いつもは100人キャパなんですが、その2割の20人が定員なので、あっというまにチケットは完売しそうです(するといいな💦)。でもオンラインでは定員はありませんので、100人でも1,000人でも10,000人でも参加OKです。
はい、かねてから構想していた「フォークソング居酒屋」は開業を延期せざるを得ないのですが、音楽活動は地道にやっていこうと考えています。
その初っ端が、自分をネタにした「社長引退記念ライブ」です(笑)。
5年前に結成された「山と鼓と葉」の3名で、唄って喋って演奏します。
昨夜、Peatixで告知&受付を開始しました。
以下、告知画面をコピペします。
釘さんの社長引退を祝して山と鼓と葉が記念ライブを開催します!
場所は、5年前55歳ライブをやった四谷Lotusです。
あのときは延べ100名以上のお客様にお越しいただきました。
しかし、今回はこのご時世なので基本はネットでのライブ配信です。
チケットは3種。
①リアル参加チケット=2,000円(臨場感を楽しみたい方向け限定20席。ドリンク付き、何杯でもどうぞ!)
②チャリティーチケット=500円(ライブ配信チケットです。詳細後述)
③無料チケット(気軽に参加したい方向けのライブ配信チケットです)
※②チャリティーチケットによる収入は、2020年7月の豪雨で甚大な被害を受けた熊本県人吉市と大分県由布市(両市とも釘さんの生育地です)に全額寄付させていただきます。
※②または③のチケットをご購入くださった皆さんにはライブ前日に視聴用のURLをお送りします。
= 釘さん社長引退記念ライブ(ネット生配信+リアル若干名)開催概要=
●日時 2020年9月25日(金)18時開場、18時半開演(終演は21時半ころ)
●場所 四谷Lotusより生配信(会場には関係者含め23名まで入場可)
●出演 山と鼓と葉
●コンセプト
昔懐かしいラジオの深夜番組のように、皆さんからのリクエストはがき(メール?)を読みながら進めていきます。さらに当日はtwitter等でもリクエストや声援や野次を受け付けながら参加者の皆さんと一緒に楽しく進行してまいります。どうぞお楽しみに!
なかなかやるじゃありませんか( ^)o(^ )
ということで、ライブはライブでも、生配信ライブです。
北海道からだろうが、沖縄からだろうが、南極からだろうが、参加可能です。ぜひ多くの皆さんにご参加いただけると嬉しいです。
チャリティーチケットの販売代金は全額寄付に回しますので、できればこちらでぜひ。ひとりで100枚くらい買っていただいてもOKです(^^)v
☆お申し込みはこちらから⇒ 釘さん社長引退記念ライブ(ネット生配信です!)
以上、本日は「GoToライブキャンペーン」でした(^_-)-☆
さて、本日は朝から連続でオンライン会議です。
とくに午後の会議は決算確定会議。税理士兼会計士さんとオンライン会議で、パフ第24期決算と、日本採用力検定協会第3期決算を確定させなければなりません。会計士さんとのオンライン会議は初の試みですがうまくいくかな。数字が読めるように大きなディスプレイで臨むようにしましょう。
では、朝食&エール再放送後、準備します!