新・パフの創業物語<第25話>「おそるべきチョー素人エンジニア」
2020年7月31日 (金曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第25話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1984年4月某日。
東武東上線上福岡駅からタクシーで15分ほど坂道をのぼったところに、ボクが「偽SE」として乗り込んだ会社「C社」の技術センターがありました。
リクルートで、どんな相手にも怖じ気づかない営業マインドだけは備わっていたボクなので、受付でも堂々と
「えー、S社のクギサキと申しますが、計装技術部のS藤さんとE本さんをお願いします」
と言ったまでは良かったのですが……。
数分、打ち合わせコーナーで待たされた後に現れた2人のいかにも頭の良さそうな担当の技術者であるS藤さんとE本さん(ご本人に承諾の連絡がとれませんでしたので伏せ字で失礼します)。
お二人とも、当時30代半ばの、いちばん働き盛りのバリバリのエンジニアでした。
「あー、どうも初めまして。クギサキさんと仰るんですな?ほー、珍しい名字ですなー。ご出身は?え?九州?はーそうですか、いや、私はですな、東北出身でですなー、九州というとお酒はお強いんでしょうなー、私の田舎も日本酒はなかなかのものでしてなー・・・」
リーダー格のS藤さんはこんな感じで、技術者にしては珍しくよく喋る超フレンドリーな方で、打ち合わせも順調に進むかと思われたのですが……。
約1時間後。
強烈なパンチに打ちのめされて、ダウン寸前の「偽エンジニア釘崎青年」が朦朧とした意識で立ちすくんでいました。
(え?今日はたったのこれだけ?…つづく)
このコラムを含むメルマガは、毎週月曜日に当時の職サークル会員学生(3万人くらいいました)に配信していました。
書いていたのは前日の日曜日の深夜。というか、配信の数時間前の月曜日の明け方でした。
このころって、社員は誰もおらず(いたのは内定者4名と総務経理をやっていた奥様のみ)僕は土日も祝日もなく、徹夜することもしばしば。起きている時間はほぼ働いていました(お客さんと飲むことも多かったんですがそれも仕事のうちw)。
われながらよく働いていたと思います。なので、今回のような短いコラムのときもあったんですね。決して手抜きだと思わないように(苦笑)。
では、朝食&エール再放送後、仕事します!