新・パフの創業物語<第38話>「『登龍門』誕生」
2020年8月24日 (月曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第38話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1995年初秋。
インターネットによる求人情報事業。
この時代、インターネットを使って情報を発信している会社は数えるほどしかなく、果たしてビジネスとして成立するかどうか……。
なにせ今では「リクナビ」で一世を風靡しているリクルート社ですら、この時はまだネットのサービスは行っていなかったのですから。
ところで、このネットによる求人情報メディアの名前をどうするか?
当時の会社のメンバー内で、ああだこうだ案を出すものの、いまひとつ良い名前が浮かびませんでした。
ある日、会社の誰か-たしか兄弟会社の人事部長(僕を最初に面接した人)だったと思います-が、近所にあった「飛龍門」という中華料理のお店でランチを食べてきた帰りに、「そういえばクギサキくんさー、例の求人メディアの名前なんだけど『登龍門』っていうのはどう?」と、僕の席までわざわざ言いに来ました。
「ほー、そりゃなかなか良いかもしれないっすねー。若者が社会人として巣立っていくための場を提供する『登龍門』。うん、これでいきましょう!」
H社の社長も、このネーミングを気に入ってくれたようで、その日のうちに正式に決定したのでした。
「インターネット求人情報 『登龍門』」
ボクが以降3年間、深く関わっていくことになる、生まれて初めてのWebサイトでした。
が!
この時はまだ名前が決まっただけで、中身がなんにも出来上がっていなかったのです。
サイトのオープン日は、勢いで「12月1日」と決めたものの、ちゃんと動く画面がまだひとつも出来上がっていない。
果たして本当に間に合うのだろうか?
釘崎青年(ではもうない)34歳。不安ばかりが募る毎日でした。
(今回は短め…つづく)
ホントに今回は短かったですね(苦笑)。
この回を書いた日付は、2001年4月30日。どうやらGWの谷間だったようです。
このころの僕には休日とか祝日という概念はなかったですから、きっと何かの仕事に追われていたのではないでしょうか。
この年の新入社員(新卒一期生)のしでかしたヘマの尻拭いやトラブルの火消しに飛び回っていたのかもしれません(笑)。
さて、8月も最終週となりました。僕の社長在任もあと1か月。そしてこの釘さん日記も……。
では、朝食&エール再放送後、在宅で仕事します!