新・パフの創業物語<第37話>「インターネットで求人のメディアを!」
2020年8月21日 (金曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第37話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
もう青年と呼ぶには、やや躊躇せねばならぬ年齢になっていた釘崎(元)青年はH社の社長室に呼ばれ、
「クギサキくんさ、最近インターネットの話題を、ちらほらと耳にするんだけど、インターネットで求人情報を提供するビジネスなんてどう?」
と尋ねられ、
「さ、さぁー、まだまだ世の中に受け入れられないんじゃないっすかね」
と、それじゃなくてもいろんな仕事を抱えてたいへんだったボクは、テキトーにその場をあしらっていました。
が、しかし、どうやらこの社長、本気でこの事業をやりたい様子。
「そんなことないんじゃない?まだ強力な競合がいない今だからこそ、やる価値があるんじゃない?」
ボクは、「さっすが経営者だなー」と正直感心したことを覚えています。
そして、
「しかし、来年ビジネスにするんだったら、97年春入社の就職活動に間に合わせないと丸々1年間を無駄にすることになりますよ。ということは、遅くとも今年の12月にはオープンしなきゃ」
さらに、
「ということはですよ、市場調査とか仕様の設計とか営業活動とか、いろいろ考えると大急ぎで始めないと間に合いませんよ!」
・・・などと余計なことを言ってしまいました。
(あ、言っちまった。結局オレがやることになるんだよな……)
この予想は見事に的中し、
「うん、そうだね。クギサキくん、じゃあ早速このプロジェクトを進めてくれる? 一回目の企画会議いつやる? 2週間くらいあれば企画書は作れるよね?」
(なーにが「進めてくれる?」だよ。・・・ったく)
と思いつつも、そこはしがないサラリーマン。表面的には意気に感じたフリをして、
「は、はい、わかりました。いやー、なかなか面白そうですねー」
と言ったかどうかは定かではありませんが、なにしろ3~4ヶ月の間に、商品をひとつ作らなければならない。
しかも、今までまったく経験したことのないインターネットのメディア作り。紙メディアならばその昔「リクルートブック」をさんざん売り歩いた経験があるので、なんとかなるのでしょうが。
ボクは当時「インターネット」なるものの名前はかろうじて知っていたものの、いったいどういうシロモノであるのか、実はまったく分かっていませんでした。
翌日から本屋に行っては、インターネットと名の付くものがあれば片っ端から立ち読みする(ケチなのでなかなか買わない)生活が始まりました。
(まー、要するに紙の就職情報雑誌が、パソコンの画面上に展開されるわけだな。 あとは資料請求ハガキの代わりになる仕組みを考えて、検索性なんかも高める仕様にすれば何とかなるかな)
という感じで、できるだけシンプルに「インターネット求人情報メディア」の仕様作成と基本設計を進め、数か月後にはいくつかのプロトタイプも組みあがってきました。
季節はすでに1995年初夏。
Microsoft Windows 95の正式リリースを控え、個人へのパソコンの普及が広く進み始めた頃の出来事でした。
(最終回までまだまだ波乱がありそうですね。つづく)
このころ、僕も自宅でパソコンを買うことにしました。もちろん自腹です。IBMのAptivaというデスクトップ型のパソコンでした。
これですね👇
Windows 95がリリースされる前のWindows 3.1という使い勝手の悪かったOS。パソコン付属のモデムと自宅の電話線を繋いで、ピーガーガーガーと苦労しながらインターネットに接続していたものです。
なっつかしいですねー( ^)o(^ )
さて、本日は朝10時半から夕方の18時前までぶっつづけの会議。
Fネット(ふるさと就職応援ネットワーク)の第12期総会と第13期第一回定例会なのであります。
では、朝食&エール再放送後、準備します!