パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

風邪でやすむ日2

2010年9月30日 (木曜日)

しつこい風邪である。

昨日は絶対に穴をあけることのできない仕事がお昼から夕方6時過ぎまであった。途中で咳などもしてはいけない仕事だったので、咳・鼻水止めの薬を12時と午後3時の二回服用した。おかげで咳や鼻水は止まったのが、喉がカラカラ、頭はボーっとしてしまい、仕事の質はちょっと落ちてしまったな。大反省である。とはいえ、(まあ、あたりまえといえばあたりまえなのだが)最後までやりきったのは、ちょっとくらいは褒めてやってもいいかな。

すべての仕事を終えて、歩く気力も残っていなかったので(仕事先であった港区白金方面から)タクシーで帰った。

安心したせいなのか、薬が切れたせいなのか、鼻水と咳が復活。熱も急上昇。一日明けたいまも続いている。

ということで、きょうも選択と集中でいこう。

病院に行って(昨日は行く時間がなかった)抗生物質をもらって風邪菌を撃退しよう。

上海日記は週末になるかな。

リクナビの「7つの約束」に関する僕の見解を聞きたいというリクエストもいただいているので、それも書いてみたいのだが、ボーっとした頭で書くのではリクナビに失礼。また完全復活したら書いてみよう。

ということで、本日もおやすみをいただきます!

風邪でやすむ日

2010年9月29日 (水曜日)

しまった。風邪をひいてしまった。一昨日からなんとなくだるかったのだが、昨日からいやな咳がでてきた。そしていま、リンパ腺が痛く鼻水と咳、痰がでている。昨夜は夜早めに帰って一生懸命寝たのだが、すでに遅かったようだ。

で、やすむ。

いや、仕事はやすまない。

日記をやすむ。

こんな日は省エネ運転だ。選択と集中。きょうやらねばならない仕事だけに集中しよう。

ということで、上海日記は本日おやすみ!

 

上海の話の前に、ちょっとだけ本日(もう昨日か)の日記を書こう。

昨日は一年に一度の定時株主総会。第14期定時株主総会だった。途中変則決算があったため、創業以来もう14回も株主総会をやっている。これだけたくさんの回数をやっていても、やはり株主総会の日は緊張するものだ。おまけに激動の上海から帰ったばかりで(時差は一時間しかないので)時差ボケではないもののカラダは結構疲れていた。

でも、上海帰りで疲れているなんて言っている場合じゃない。株主の皆さんに、どんな質問をされても毅然と回答できるようにと、ひとりで想定問答などをギリギリまで考えていた。

株主総会は午後4時の開始。詳しくは書かないが、拍子抜けするくらい平穏無事に、そして和やかに、社外役員のみなさんと社会問題を語っているうちに、終了した。

いつも株主総会の時期になると、創業時から温かく支援していただいている株主の皆さんに、心から喜んでいただけるような業績を残せる会社に早くしなければと思うのだ。早く、早くと思いながら、すでに13年の年月が過ぎてしまったのだが……。厳しい環境下ではあるが、とにかく焦らず慌てず、でもしっかりと歩みを進めて行きたい。

 

さて、では上海の話をしよう。

9月23日。

湯布院を午前9時過ぎに出発する高速バスに乗って、福岡国際空港に向かった。

12時に、オゴウさんとダイサクと待ち合わせをしていた。

ところがダイサクの野郎、寝坊して遅れるという連絡が途中で入った。今回の珍道中は、ダイサクがすべて旅行会社への手続きをしてくれていたので、チケットは奴がすべて持っている。あいつが来ないことには搭乗手続きも何もできない。

僕とオゴウさんは、しょうがないのでビールを飲みながらダイサクの到着を待つことにした。

待つこと約40分。やっとダイサクは現れた。なんでも前夜、宴会が盛り上がりすぎて寝坊したとのことだが、あと30分到着が遅ければチェックインできないところだった。やれやれ。

チェックインを済ませて、いざ機内へ。

小さな飛行機なのに座席はやたらと密集しており、しかも満席。乗客の大半は中国人と思われた。すでに中国の雰囲気満点である。

飛行時間は90分(福岡~東京の所要時間と同じ)なのに、しっかりとした機内食がすぐに出てきた。おまけに食後にはビールまで。いや、すごいな。そして食事が終わると間もなく、飛行機は着陸態勢に入った。

本当にあっという間に上海に着いてしまうのだ。しかも時差が1時間なので、出発時刻は午後2時30分だったにもかかわらず、到着時刻は午後3時ちょうど。なんと30分で着いたことになるのである。すごくお得な気分になった。

さあ、いよいよ上海上陸である。(つづく)

・・・ホントはもう少し書きたいのだが、たったいま、睡魔が急激に襲ってきてしまったので、続きはまた明日書くことにする。おやすみなさい!!

上海から帰って来た。九州の実家への帰省も含めると、まるまる一週間、東京を離れていたことになる。

上海ではなんと、「釘さん日記」は規制対象になっており、アクセスすることができなかった。中国政府に、 「釘さん日記」は有害サイトである、と認識されているのかな(苦笑)。

おかげで日記の更新がまったくできなかった訳なのだが、皮肉なもので日記ネタには事欠かない毎日だった。

そこで、本日から何日かに分けて、「釘さん上海珍道中日記」を(思い出しながら)書き残しておこうと思う。

 

そもそも今回なぜ、僕が上海に行くことになったのか?

それは、いまから3カ月前。6月25日の夜に遡る。

その日の夜のことを書いた日記がこれ⇒ http://puff.weblogs.jp/kugi/2010/06/weekend.html

該当する部分を以下にコピペする。

—–

一方で、足をジンジンさせながら臨んだ昨夜の情報交換会は、実に楽しかった。

パフに入社するはずが、なぜか寸前のところでリクルートに入社してしまったダイサクが、長崎から出張で東京に出てきた。また5年ほど前、某コンサル会社からリクルートに転職してきて、その直後、パフに飛び込み営業したうえに、パフをリクナビに載せてしまった元HRの営業マン・オゴウくんも勉強会で(現在の赴任地である宮崎から)東京にやってきた。さらには、僕といっしょに神田の街でリクルートブックのドブ板営業を27年前にやっていたムライ氏も、南アフリカから戻って来た。

せっかく皆が東京にいるんだったら、まとめて情報交換やっちゃおう!ということで、有楽町の料理屋に集合した。若手とオヤジとが語り合う会となったわけだが、とても有意義な議論で盛り上がった。最後は、皆で上海に行こう!ということになった。僕は、井上陽水の「なぜか上海」をアカペラで歌いだすし(苦笑)。

—–

これが酒の席の話に終わらなかったのには理由がある。それは、上海万博である。僕は40年前の大阪万博に行きたくて行きたくてしょうがなかったのだが、結局行くことができなかった。

現在、行われている上海万博は、かつての大阪万博にとても似た雰囲気を感じる。40年前、日本で果たせなかった夢を、上海で果たしたいと強く思うようになったのである。

そして正式に上海行きが決まった日(7月13日だった)、僕はこんな日記を書いている。

「40年前の叶えられなかった夢が、叶うかもしれないと感じられた日」⇒ http://puff.weblogs.jp/kugi/2010/07/40years_ago.html

それにしても、僕の夢の実現に付き合ってくれたダイサクとオゴウさんも、たいしたものである。現在、ダイサクは長崎で、オゴウさんは宮崎で、同じ情報誌(ゼクシィ)の仕事をしているのだが、なんだかとても縁の深い二人なのだ。

9月23日のお昼に、オゴウさん、ダイサク、僕の3人が集合し、珍道中の幕が開けられたのだった。(つづく)

 

※日記タイトルの「上海で必要なことは“勇気”なのであった」は、僕が今回の上海で学んだイチバンのことです。意味は明日以降の日記のなかで明らかにします^^;

ネットにつながるようなので、日記を書いてみることにする。

いま湯布院に来ている。

由布岳 
きょうは雨模様で、せっかくの由布岳が雲に隠れて見えない。

※晴れた日の由布岳はこちら(wikipediaより)⇒ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/4/43/Yufudake.jpg

 

上海へは福岡空港から行くのだが、その福岡空港から湯布院までは高速バスで2時間で行ける。上海に行く前に、湯布院で一人暮らしをしている老母の様子を見に行こうと思って湯布院に寄ったのだった。

湯布院には小学校、中学校時代の友人たちが何人もいる。

ケアマネジャーの仕事をしているイオちゃんもそのひとり。お昼前に、母親の相談も兼ねて会いに行った。

するとイオちゃんが、「パンダ、キンちゃんがいま役場の介護福祉の課におるんよ。キンちゃん、覚えちょるやろ? 私、役場に提出せんといけん書類があるけん、いっしょに行ってみようよ」と切り出した。

おお、キンちゃん。キンちゃんというのは、小学校、中学校時代の同級生。中学校では同じクラスになったことはなかったが、同じ柔道部員だった。とても懐かしい。考えてみたら中学校を卒業して以来会っていない。

役場に着いて、廊下から窓越しに事務所を覗くと、ああ、いたいた。まさにキンちゃんだ。

キンちゃんは中学時代からひときわ背が高く(たぶん学校でイチバンの身長だった)、それだけで柔道部にスカウトされたような男だ。遠くからでもよく目立つ。

キンちゃんはびっくりしたような顔をして廊下に出てきてくれた。

「キンちゃん、パンダや。いやあ、久しぶりやなあ。役場におるとは知らんかったわ」

仕事中のアポなし訪問にもかかわらず、しばしキンちゃんとイオちゃんとで昔話に花を咲かせた。

キンちゃんは昔のことをよく覚えていた。柔道部時代の話や各クラスの担任の先生の話とか。いやー、懐かしかった。

この「釘さん日記」のことも教えたが、果たして探し出してくれるかな?

以下、キンちゃんとのツーショットの写真を載せておきます。いまだにデカイ!!

きんちゃん 

 

「コチョーもいま日野病院の介護サービスで働きよるんよ。コチョーにパンダが来るちいうたら会いたがっちょったけん、行ってみようよ」と、イオちゃんがさらにクルマで日野病院(僕らが子供のころからある湯布院の大病院)に連れて行ってくれた。

コチョーも中学3年生のとき僕と同じクラスだった同級生。ほっぺの真っ赤な小柄で可愛い女の子だった。イオちゃんとは昔からとても仲良しで、いまも仕事柄よく会うのだという。でも僕は、やっぱり35年ぶりだったのだ。

会ってびっくり。ほっぺの赤さは取れていたが(笑)、昔と寸分たがわぬ小柄で可愛い笑顔。記念に病院前で写真を撮った。

こちょー 

(左がコチョー、右がイオちゃん)

 

いやあ、何年経っても昔の友はいいものだ。母親が年老いて一人暮らしをしていても、こういう友がいることで、ちょっと安心していられる。

今度の正月、卒業35周年の同窓会が開かれるらしい。なんとか出席したいなあ。

 

さて、明日こそ上海なのだ。朝から福岡に舞い戻って、福岡をお昼の飛行機で飛び立つ。

また気が向いたら日記を書くことにしよう。

明日から、夏休みを兼ねて上海に行く。そして上海に行く前に、敬老の日と亡き父親の命日を兼ねて、九州(大分・湯布院)で一人暮らしをしている母親のところに立ち寄る。

丸まる一週間の旅となるので、下着とか靴下とかハンカチとかも一週間分を持っていく必要がある。

この機会に「おニュー」を調達しようと思い、夕方、有楽町の「無印良品」に出かけた。運動の足しになればと思い、自転車に乗って出かけた。

有楽町の無印良品はビックカメラのテレビ館(旧ソフマップだったところ)と同じ建物で、店内をウロチョロするのが結構楽しい。テレビや雑貨や衣料品など見ていたら、あっという間に一時間以上が経過した。

買い物を済ませて外に出た。18時半くらいだったと思う。

ポツリポツリと雨が降ってきた。

こりゃヤバイと思い、すぐに自転車置き場に行き、自転車に乗った。

自宅に向かって漕ぎだして間もなく、ポツリポツリの雨は、粒が大きくなってきた。そしてあっという間に、土砂降りに変わっていった。

雨宿りしようかとも思ったのだが、自宅まで歩いても30分程度の距離。そのまま大雨のなかを突っ走った。

当たり前だけど、ずぶ濡れになった。

でも不思議と不快感はなく爽快感。たまにはアタマからつま先まで豪快にずぶ濡れになるのもいいものだ。

帰宅後、すぐにシャワーを浴びて、着替えてスッキリした。

と、どうでもいいことを長々と書いてしまった(苦笑)。

 

さて、明日から東京脱出。

遠く九州と上海から、東京のことを冷静に眺めてみようかな。

明日から日記の更新はしないつもりだが、気が向いたら写真くらいアップするかもしれない。いや、その前に、ノートパソコンを持っていくかどうか悩むな。荷物を詰め込んだうえで考えよう。

ということで、明日から一週間、行ってまいります!

 

あっという間の一週間

2010年9月19日 (日曜日)

最近、一週間が過ぎるのが本当に早い。気がつけば日曜日を迎えている。時間が早く過ぎるというのは日ごろが充実しているので「良いことだ」という見方もあるが、やりたいことや、やらねばならないことに追いつけないまま日が過ぎているという意味では、良くないことだな。

そういえば週末(金曜日と土曜日)の出来事を書いていなかった。

 

金曜日は午前中、3年前よりお取引をいただいている某IT系企業の創業社長のところに表敬訪問にうかがった。

数年前に上場したこの会社。規模もかなり大きくなっているのだが、それでも社長は新卒採用に自ら積極的に関わろうとしていた。あんまり自分が出しゃばりすぎても…という思いと、やっぱり自分が前面に出なきゃ…という思いが交差しておられたな。新卒採用に無関心(というか人事に任せっきり)な経営者が多いなかで、ある意味とてもうらやましい会社である。

 

その後、青山のポーターズさんに移動。ふるさと就職応援ネットワークの月に一度の幹事会がポーターズさんの会議室で行われたのである。

今月の幹事会は、幹事以外の加盟各社の代表者の方々も大勢参加されていた。協奏の時代が到来していることを感じる。これからいよいよ具体的な共同事業が始まる。

 

ところが僕は、この幹事会を中座せざるをえなかった。

役所に大量の書類を持ち込んでの、打ち合わせがあったのだ。書類の厚さ約3センチ。印鑑は20個くらい押したかな。署名もたくさん。おそるべし役所仕事である。

 

役所仕事を終えるとすでに日が沈んでいた。

その後すぐに有楽町にある三菱電機ビルテクノサービスさんの会議室に向かった。同社は10年来の職サークル協賛企業。この日は、協賛企業各社さんが集まる「職サークル推進会議」だったのだ。

職サークル推進会議第二回 

僕は途中からの参加だったので議論には加わらなかったのだが、とても建設的な意見が交わされていたようだ。

11月末から12月にかけて、職サークル協賛企業共同で、とあるプロジェクトを実施するのだが、そこに向けての意見交換が中心だったのだ。

異なる業界や業態の会社の採用担当者たちが、このような場で同じ目的に向かって意見を交換することって、めったにないこと。それだけでも「職サークル」は価値あるコミュニティではないかと(自画自賛ではあるが)思うのだ。

会議が終了したのは夜の8時。その後、有楽町のガード下の居酒屋での懇親会。これがまた混沌として面白かったな。なんとなく昔の活気と熱気が戻ってきたような気がする。職サークルを推進している事務局スタッフのみんな、あっぱれである。

 

そして、翌土曜日。

やっぱり職サークル協賛企業向けの企画である「パフマジカル社会人デビュー講座」の実施日だった。職サークル協賛企業の内定者なら誰でも参加できる講座を、年間通じて行っている。

今回の担当講師は僕。「うまれよ塾」を行った。参加した内定者諸君は23名。協賛企業3社から送り込まれてきた内定者たちだった。

皆、びっくりするくらい意識が高く元気で立派。「就職活動」という窮屈な縛りがなくなったからだろうか。服装が自由で軽装だったからだろうか。とても皆、快活でイキイキとした表情だった。

講座が終わって会社に戻る。残務を行った後、今回の講座のアシスタント役を務めてくれたタカタと二人で、晩飯代わりに餃子を食べてから帰宅。

 

・・・という感じで先週末が終わったのだった。

 

ということで気がつけば9月も半分以上が過ぎ去った。

来週は世紀のイベントへの参加も予定されている。ささかみコンサートに向けての76曲の練習もピッチをあげなきゃいけないし。

もっと時間を!!・・・なのだ。