新・パフの創業物語<第43話>「おれー、会社作りたいんだけど…」
2020年8月31日 (月曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第43話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1997年10月11日(土)の夜。
当時、幼稚園の年長組だった娘の運動会が開催された日の夜だったと記憶しています。
一昨日の夜、ムライミツル氏との会談(っていうか単なる飲み会)で独立を決意したクギサキくんではあったのですが、そのムライさんから授かった重ーい言葉…。
「でもな、クギサキ。お前が会社を作って成功するためには、絶対守らなければならない条件がひとつだけある。というか、それがないとお前は絶対に失敗する」
「カミさんに誠意を持って独立を説明し、そして許しをもらい、さらには独立を進めるにあたって、カミさんの協力を最大限得ることだよ」
正直言って、これはかなり憂鬱な条件でした。
自慢じゃありませんが、クギサキくんは九州男児。男子一生の志を立てるにおいて、女房にお伺いをたてるだなんて(って、実は反対されるのが怖かっただけなんですが…)。
しかし、ムライさんの「カミさん論」には、ものスゴイ説得力があり、カミさんの同意を得ないことには前に先に進めない、まるで呪縛にかかったような感覚でした。
ボクはムライさんのことを「売れないヘコキ営業マン」だとかなんだとか、この連載でもオチョクリながら紹介してきましたが、実は社会人の先輩として一番尊敬し、信頼している人物のひとりなのでした。
ボクがリクルートでヘマをしながらも仕事を続け、そこそこの実績を出せたのもムライさんのおかげだし、顧客に接する姿勢や、「人生とは意気に感じながら生きていくもんだ」という姿勢を学んだのもムライさんからだったんですね(そんなことは照れくさくて本人の前では決して言いませんが)。
そんなムライさんの言うことを聞かないわけにはいかないし、内心ムライさんの言うとおりだと納得していたわけで……。
夜も深まり、アイロンをかけ終わって寝ようとしていたカミさんに意を決し声をかけました。
釘:「あ、あのさー」
カ:「え、なに?」
釘:「おれー、会社作りたいんだけど…」
カ:「・・・」
釘:「い、いやー、あのー、〇♂◆♀☆※★○●◎◇□■△▲…………」
それから1時間ほど、いろんなことをしゃべり続けました。
まるで、いたずらをした子どもが、必死になって自分は悪くないということを、どう考えても筋が通らないことなのに、無理矢理、母親に言い訳するように…。
いったいどんな理屈を並べたのか、実はさっぱり覚えていないのですが…。
ひとつ覚えている屁理屈は、
「会社を作ろうと作るまいと、失敗するときは失敗するし、成功する時は成功する。だったら自分の会社を作って失敗したほうがまだあきらめがつく」
という、かなり無茶苦茶な理屈だったかな…。
そして、最後には「わかりました。どうせ私がダメだと言っても、あなた、やるんでしょ?だったら好きにすれば!」と、いうことで無事カミさんは承諾してくれたのでした。
カミさんは、なんだかんだ言っても、亭主であるボクのことを信頼してくれていたのだ!と、勘違いかもしれませんが、自惚れた一瞬でした。
しかーし!もうひとつ実は難題があったのでした。
釘:「あ、あのー、会社を作るには、資本金が1,000万円必要なんだけど、ウチって貯金、いくらあるの?」
カ:「んなもん、ある訳ないでしょ!子どもの名義の貯金が100万円あるかどうかだけよ!!!」
釘:「う…。そ、そうか……」
さーて、困った。会社をつくるための資本金1,000万円。
10万円以上の現金を見たことのなかったクギサキくん。途方に暮れる秋の夜長でした。
(イッセンマンエンねー。どうするの?…つづく)
今朝の物語は、僕の人生の中でも一二を争うくらいに緊張した夜を再現した回でした。今でも思い出すと冷や汗が流れてきます💦。
さて、本日も朝から会社で打ち合わせです。
午後からは役所巡りをしなければなりません。自転車に乗っていくことにしましょう。
では、朝食&エール再放送後、行ってきます!