パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

昨日の午後から仙台に来ている。

目的は、「一般社団法人きゃりぽーと仙台.」の設立披露会に、ゲストスピーカー&学生パネルディスカッションのファシリテーターとして参加するためだ。

ゲストスピーカーは、僕とキーカンパニーの下薗社長。なぜこの二人がゲストなのかというと、きゃりぽーと仙台.は、「職サークル」や「キャリぷら」を参考にしながら(マネしながら?)今後の運営を行なっていくからなのだ。

昨日の設立披露会では、たくさんの地元(といっても宮城県だけではなく、岩手、青森、北海道までも)の企業のみなさん、大学職員のみなさん、学生のみなさんが参加されていた。

きゃりぽ

代表の伊深さんは、昨年の初めまで某就職情報会社で勤務していたのだが、準備期間を経てこの社団法人を設立した。バックアップしているのは僕の20年来の盟友であるエムジョイの菅原社長だ。

きゃりぽーと仙台。今後、職サークルやキャリぷらとも、がっちり連携していくことになるだろう。

学生と企業との出会いを通じて、東北の地をますます盛り上げていってほしい。

あ、昨夜の設立披露会が終わった後の盛り上がりは、地元企業のS社長に固く口止めされているのでここには書きません(笑)。

さて、では少し遅めの朝食をとって仙台市内を少し散策したのちに、東京に帰ります!

 

きょうはムライさんのJリーグチェアマン就任記念(昔のコラムを転載するだけなんだけど)の第二回目。

そういえば、昨日のお昼ころ「おう、クギサキ、いまシンガポールで昼間っからビール飲んでるんだよ♪」という能天気な電話がかかってきたのだった。31年前とまったく変わらない(笑)。

 

<第47話> 「M井ミツルとの運命の出会い (中編) 」  2005/10/17  
 

M井さんが紹介してくれたK社への営業訪問。僕とM井さんは、K社の人事担当者に一生懸命リクルートブックの売込みを行った。

しかし、最後にK社の人事担当者から出た言葉は……。

「いやー、新卒採用の予算なんですが、実はもうほとんど残ってないんですよ」

まったくM井さんのやつ。「一千万円は軽いな」なんて軽口たたくもんだから…。期待して損しちゃったよ。

と、僕はやや憤慨していた。

K社から神田営業所への帰り道。M井さんがポツンと一言漏らした。

「クギサキさぁ。なんで俺たちこんなに売れないのかナァ…」

日ごろノー天気に屁をこいていたM井さんでも、実は売上げがあがらないことを気にしていたのだ。

「M井さん、元気だしましょうよ…。あ、M井さん、まずい。僕たちの歩いているこっち側の歩道は日陰ですよ。向こうに渡りましょう、向こうに。せめて日の当たる道を歩いて帰りましょう!」 

「そ、そうだなクギサキ。日の当たる道を歩いて頑張ろうな!(涙)」 

この『日の当たる道を歩いた』エピソードは、僕とM井さんとの関係を説明するときによく使う話なのだが、何度書いても切なくて面白い。

M井さん23歳、僕が22歳。バカをやりながらも頑張っていた、若かりし2人の営業マンだった。

・・・・・

そして1997年10月。日の当たる道を歩いたときから14年の歳月が流れていた。

M井さんと何年ぶりかで再会し、久々に一献傾けることになった。

M井さんは、リクルートの人事責任者。僕はとある人材系企業で、当時はまだ珍しい存在だった就職サイトの運営責任者をやっていた。

ダメダメだった2人が「責任者」という立場。しかもM井さんは、もっとも似合わないと思われる人事の仕事をしていた。世の中何が起こるか分からないものだ。

ふたりで酒を酌み交わしながら、辛くも楽しかった14年前の数々のエピソードを振り返り懐かしんでいた。

かなり酒も進んだときだった。僕はM井さんに、いまの仕事の面白さと今後の可能性。そして、だからこそ感じている限界について話をしていた。

「なんだクギサキ。じゃぁ、おまえ、自分で会社を創ったらいいじゃないか」

M井さんは、事もなげにそういった。

このM井さんの一言をきっかけとし、僕の運命が大きく回転することになった。

そして「パフ」という会社が約2ヵ月後、世の中に誕生することになったのだ。

(後編につづく)

本日はここまで。

さて、本日はお昼前の新幹線で仙台に向かう。久しぶりの仙台。楽しみだ。何しに行くのかはまた明日の日記で。

では、そろそろ出張の準備をして行ってきます!

昨夜は楽しみにしていた方との久しぶりの会食。

お会いしたのは、創業時のパフの基礎をいっしょに築いてくださった「謎のコンサルタント寺さん」である。

寺さんと最初にお会いしたのは僕がパフを創業して間もないころ。

当時、僕は37歳。寺さんは49歳だった。

うーっ若い!

それが今は、僕が53歳。寺さんは65歳。

うーん。。。

でも昨夜お会いした寺さんは、16年前に初めてお会いしたころと変わらず(いや、それ以上に)元気ハツラツだった。

もちろん、いまでも多くのクライアント(特に中小企業の経営者)から信頼されている現役の経営コンサルタントだ。

活躍の場は日本だけにとどまらず、アジア各国にも及んでいる。

いやー、まさにスーパーオヤジである。

寺さんと同年代(いわゆる団塊の世代)の方々って、僕も何人か親しくさせていただいているが、本当に皆さん元気で若い。

そういえば、僕が中学、高校のころ活躍していたミュージシャンは皆この世代である。

財津和夫(チューリップ)、小田和正(オフコース)、谷村新司(アリス)、武田鉄矢(海援隊)、南こうせつ(かぐや姫)などなど。

皆ほぼ同学年。そして皆、昔と変わらず今でも大活躍している。

僕らの世代から見ると、そのシブトさ、野太さ、反骨心、変化を存分に受け入れながら楽しんでいるところ等々、羨ましくも見習うべき生き方をしている世代だなあと思う。

昨夜、寺さんと久々に昔話やバカ話を含めて大いに語り合い、そんなふうに感じたのだった。

あ、「寺さんって誰だ?」とお思いの方、関心のある方がいらっしゃれば、以下のリンクをぜひ参照してください。いまから8年前に書いたコラム(釘さんの100の出会い)で3話連続で寺さんのことを紹介しています。

  【釘さんの素晴らしき100の出会い】 「なぞのコンサルタント寺さん(その1)」

 

さて、本日は早朝会議。内定者時代に寺さんの研修を受けたことのある執行役員のヨシカワさんたちとの会議なのだ。

当時、たしか寺さんは51歳。ヨシカワさんは22歳。

すごい(;^ω^)

では、団塊の世代に負けないように元気に行ってきます!

社員に救助された日

2014年1月28日 (火曜日)

昨日の夜8時過ぎのこと。

社内の打ち合わせを終え、翌日の銀行とのミーティングのための資料を作成していたときだ。

なんだか背中から腰にかけて鈍い痛みがする。

この週末ずっと寝込んでいたからかな?ちょっとストレッチでもしないとまずいかな、などと呑気に思っていた。

しかしその数分後、痛みは突如激しくなってくる。

「あっ、こ、この痛みは……」

つい数分前まで打ち合わせをしていた社員(ホサカ)が10メートルくらい先の席にいる。しかし、苦しくて思うように声が出ない。

「ホ、ホ、ホ、ホ・・・サカあああぁぁぁぁぁっ」

やっとの思いで、声を絞り出した。

異様な気配を感じたのだろう。ホサカはすぐに僕の席まで飛んできてくれた。

「に、に、に、尿管結石みたいだ。み、み、み、水を汲んできてくれ!」

と、手元にあった空っぽのペットボトルを差し出した。

尿管結石の際は、とにかく大量の水を飲むこと。何回か経験していることなので、とっさの激痛の中でもとるべき行動は分かっていた。

全てを察知したホサカは、すぐさまペットボトルに水をくんできてくれた。

ぐいぐい飲みほす。

が、まだ痛みはとれない。

次の瞬間、大きなマグカップ2つに入った水のお代わりがやってきた。

すごい。さすがよく分かっている。

そしてさらに感動したのは、ホサカの部下のイワサキが、2,000ml入りの大きなペットボトルを「はい!」と持ってきてくれたことだ。

僕の激痛が始まるや否や、近所のコンビニまで走って買ってきてくれたのだろう。

いやー、なんて素晴らしい社員たちなんだ!

ホサカとイワサキが用意してくれた大量の水によって、先ほどまでの激烈な痛みも徐々に治まってきた。

もう、ホサカ&イワサキ様サマである。

遠くの親戚より近くの他人とはよく言うけれど、呼んでもすぐには来ない救急隊より近くの社員たちなのだ。

・・・以上、社員の機転によって九死に一生を得た、昨夜のパフ執務室でのひとコマでした。

 それにしても、胃腸炎がやっと治ったかと思ったら次は尿管結石。踏んだり蹴ったりとは、まさにこのことか(涙)。

僕同様、最近、負の連鎖に嵌ってるという社員のコバヤシさんでも誘って、厄除けのカラオケにでも行ってくるかな(苦笑)。

 

さて、本日はこれから、とあるお客様のところに直行だ。優秀な救急隊員であるホサカとの同行である。

しかし、石はまだ潜伏している可能性がある。

大型ペットボトルをぶら下げて、用心しながら行ってきます!

 

寝込んでしまった…。

2014年1月27日 (月曜日)

いやあ、面目ない。

日ごろから健康第一を唱えているにもかかわらず、ヤラレテしまった。

先週の木曜日、朝起きたときから兆候はあった。胃に不快感があったのだ。

トイレに行ってさらに嫌な予感がした。(食事しながらこの記事を読む人には申し訳ないですが)ほとんど水のような排便だったのだ。

それでも、「前日の夜の会社説明会後、社員たちと食べた焼肉が消化不良なだけなんだろう。放っておけば回復するさ!」と、半ば自分に言い聞かせるようにして、会社に向かった。

いつもと同じ徒歩出勤なのだが、やっぱりちょっと足取りが重い。いつもなら30分弱で会社に着くのに、この日は35分ほど要してしまった。

午前中は、複数社のお客様との打ち合わせなどもあり普通に過ごしていたが、お昼前頃より体全体がダルくなってしまった。

こりゃいかんな。夜は会食もあるので早く治さなきゃ。

このときはまだ気軽に考えていた。

昼休み時でもあったので、部屋の扉を閉めて社員に見えないようにしたうえで、椅子の背もたれを倒し、横になった。

13時過ぎに、取引先の銀行から大事な電話があり、起きてしばし電話打ち合わせ。

電話を切った後、すごい悪寒と吐き気が襲ってきた。手元の体温計で熱を測ってみたら38度になっていた。

「ヤバイ!こりゃ本物だ。インフルかノロか。どちらかに違いない」

そう判断してすぐに自宅に引き返した。そして出すものをすべて出したのちに、自宅から歩いてすぐのクリニックに飛び込んだ。

診断結果は、インフルのAでもBでもなく、「ウィルス性胃腸炎」。

医者曰く、「ノロかどうかは便検査をしなければ分かりませんが、まあたぶんノロでしょう」とのことだった。

あちゃー、またか。

僕はこのところ年に一回は、ノロ、扁桃炎、インフル、尿管結石、骨折(!)の何れかに突然襲われて、仕事に穴をあけてしまうことがあった。

それでも最近はマラソンで鍛えていたこともあり、自分の回復力にある程度自信があった僕は、翌日の仕事だけは穴をあけないつもりでいた。

(とはいえ、その日と翌日の夜の会食だけはキャンセルさせてもらった。当たり前か、苦笑)

が、翌朝、さらに容態は酷くなっていた。

古文(源氏物語だったかな?)に出てくる「われかのけしき」のような感じだ。

さすがに観念し、わが社の救世主タシロに電話をかけて(本来僕が行うはずだった)イベントファシリテータの代役をなんとか務めてもらうことをお願いし、本格的にウィルスと戦うことにした。

ウィルスとの戦いといっても、基本、布団の中なのだが、病気で寝ているときというのは世にも奇妙な夢をみるもので、得体のしれない悪人や怪物が次から次へと登場してくる。そんな悪人・怪物たちとの時空を超えた戦いも繰り広げることとなったのだった。

そして今。

ウィルスにも夢の中の悪人にも、どうにかこうにか勝利したようである。少なくとも、こんな間抜けな顛末記を書けるくらいだから、もう大丈夫だ。

仕事も、現場の社員たちがしっかりしているから心配ない。

心配があるとすれば、2月9日に迫った(東京都知事選ではなく)東京赤羽ハーフマラソン。あと2週間で体力の回復はなるのだろうか。

実はこのゼッケン。ノロで寝込むことになる前日に届いていたのだ。むむむ。

akabane2014

そしてさらに恐るべきは、今週も夜は(本日を除いては)会食が週末までびっしりと続いていること。これは胃腸炎ウィルス逆襲のリスクに晒されているということか。むむむむ。

ここは前向きにとらえ、会食を健康回復のための栄養補給の場にしていこう。決して二度と寝込むことなどないように……。

では体力回復のために、ゆっくりゆっくりのペースで歩いてまいりましょう。行ってきます!

<追伸>

打ち合わせや会食を急きょリスケさせていただいた皆様、まことに申し訳ありませんでした!

シューカツに負けるな!

2014年1月23日 (木曜日)

昨夜はパフ自身の2015年採用のための会社説明会が御茶ノ水のキャリぷら東京で開催された。

20名ほどの学生が参加したのだが、昨夜の開催回は意図的に、職サークルのホームページからは告知していなかった。

告知はマイナビに載せただけ。受付もマイナビから。いままで職サークルのイベントに参加したことのない(つまりパフのことをほとんど知らない)学生に来てもらおうと思ったわけだ。

とはいえ、なかには僕が会ったことのある学生も若干名いた。

そのうち1名は昨年の夏、その学生が在籍する大学の学内での就職講座で会ったことのある(模擬面接をしたことのある)女子学生(A子さん)だった。

昨年の夏学内で会ったときのA子さんは、すごく個性的かつ魅力的な学生だった。金髪でちょっとヤンチャ。僕のような歳の離れたオヤジにも臆せずにズケズケ発言する。答えに窮するような質問もする。かといって礼儀がないわけではない。僕の目をまっすぐ見て、うんうん素直に頷きながら話を聞いてくれる。メモもよくとる。まあ何しろ印象に残る個性的な学生で、だから半年たった今でもよく覚えていたわけだ。

ところが昨夜のA子さんは、ちょっと様子が違っていた。

よく言えば、お行儀が良い。でも、目立たないのだ。僕も、声をかけられるまではA子さんだと気が付かなかった。

説明会が終わったあとA子さんに聞いてみた。

「おい、どうした?ずいぶん大人しくなっちゃったじゃないか」

「そうなんです。髪を黒くして、黒いリクルートスーツを着て、就活でグループディスカッションに参加したり、キャリアセンターの人の話を聞いたりするたびに自信がなくなってしまって…。どんどん自分が自分じゃないようになってまうんです。きょうもホントは聞きたいことがあるのに、ぜんぜん質問できなくて…」

そうか。こうやって多くの学生の個性が失われてしまうんだよな。

僕はたまたま就活前のA子さんを知っていたから良かったのだが、多くの学生は初対面。なかなか日常の「顔」は見えてこない。

うーん、やるせない。

若者よ、シューカツなんかに負けちゃいかん。「あーせい、こーせい」「あーしなきゃ、こーしなきゃ」と、まわりの声に惑わされちゃいかん!

と、改めて思った昨日のパフ会社説明会だった。

さて、本日はすでに木曜日。昨夜遅い時間に社員たちと焼肉を食べてしまい、減量作戦がちょっと頓挫しつつあるが、ヘルシアでも飲みながらウォーキングで行ってきます!

「あなたの人生にいちばん影響を与えた人物は?」と聞かれたら、僕はまっさきに、このたびJリーグのチェアマンへの就任が内定した村井満さん(通称ムライさん)の名前を挙げる。

先週の火曜日の昼間、とある相談事でムライさんとやりとりをしていたのだが、まさにその日の夜、Jリーグチェアマン就任のニュースが飛び込んできた。

「俺の今後は金曜日には発表するよ」と言っていたので、何かあるなとは思っていたのだが、さすがにビックリした。が、意外ではなかった。「そうかー、そうきたかー、なるほどなー」という感じだろうか。

昔から会社の役員会をサボってでもサッカー観戦に行ってしまうほどのサッカー狂だったムライさん。Jリーグチェアマンへの就任は、まさに天職とも言えるのではないだろうか。

昨日、就任発表の記者会見でのコメントをたまたまネットのニュースで目にした。

「命を賭してでも受けようと思った。全てを懸けてJリーグの理念を大きくリードしていきたい」

ムライさんは、こう抱負を述べたという。

くーっ、かっけー。

本日は、ムライさんのチェアマン就任を記念して、9年前に「釘さんの100の出会い」というコラムのなかで書いたムライさんの記事を転載することにしよう。

ムライさんとの出会いは僕が大学3年生、ムライさんが大学4年生のときだった。

  <第46話> 「M井ミツルとの運命の出会い (前編) 」  2005/10/11  
何話かにわたって23年前のリクルート神田営業所を舞台とした出会いの数々
を書いてきた。どの出会いも、いまの僕が僕であるために、かけがえのない出
会いだった。

しかし、今回登場する人物ほど僕に大きな影響を与えた人はいない。この人物
と出会っていなければ、僕はおそらく今ごろ、ぜんぜん違う道を歩いていたは
ずだ。もちろん「パフ」という会社を創ることもなかったであろう。

とはいうものの、23年前の出会いのときに、この人物がそれほどの(僕の人
生にとっての)重要人物になるだなんて思うはずもなく……。ただただ、23
年前の今ごろは、いっしょに悪さばかりをしていた。

その人物の名前は、M井ミツルという。僕が初めてM井さんに会ったのは、僕
が神田営業所で働き始めたばかりの2月のあたま。M井さんはリクルートの内
定者として、神田営業所で企業向けの営業を担当していた。仕事内容は、僕と
まったく同じだ。M井さんは当時、大学4年生。僕よりも1歳年上のM井さん
と僕は、なぜだかすぐに仲良くなった。

僕が神田営業所で働き始めた頃、僕はまったく売れない営業マンだったという
ことは、前回までのこのコラムでも書いてきた。

M井さんも、(僕ほどではなかったにしろ)内定者としてはとても出来の悪い
営業マンだった。しかも、売れていないことをまったく気に留めるでもなく、
一日中お気楽モードで過ごしていた。

当然上司のウケもよくない。怒られて席(僕のとなり)に戻ってくるなり、い
つも「ぶっ」と屁をこく悪い癖が、ウケの悪さに拍車をかけていた。

ある日、そんなM井さんが、僕に見込み客を紹介してくれるという。M井さん
の親戚が重役を務めているK社という会社だ。アパレル関係の企業で、ブラン
ド力もそこそこある。

「おう、クギサキ。この会社、新規一発受注だ。売上げはオレとおまえで山分
けだな。ま、ざっと1千万円は軽いかな♪」

K社への訪問の日が来た。僕とM井さんは、肩を並べて意気揚々と、その会社
の本社がある東神田方面まで歩いていた。2人の頭のなかには、K社の人事担
当者がその場で申込書を書くシーンと、僕らの棒グラフがグングンと伸びてい
る情景がありありと浮かんでいた。

(中編につづく)

このあと2話に渡って連載が続くのだが、それはまた今度。

それにしても僕は、つくづく人との出会いに恵まれている男だと思うこのごろだ。

さて、本日は早朝会議。ささっと朝食を食べて、体脂肪を燃やしながら行ってきます!