パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

暑苦しさとの戦いが始まった日

2011年4月28日 (木曜日)

僕は1年半ほどまえより、社長の机とスペースを失い(社長のイスだけはなんとか残ったけど、笑)、サーバールームの狭い空間で仕事をしている。サーバーから放出される熱で、冬は暖かくていいんだけど、これからの季節はちょっと辛い。

昨日は外出の用事もなく、打ち合わせで会議室にいるとき以外は、終日、サーバールームに置いてある自分のパソコンに向かって資料を作成する仕事をしていた。

昼食を済ませて、サーバールームに戻ってきたくらいから、だんだん息苦しくなってきた。昨日は、最高気温が24度まで上昇していたというから、もう初夏の陽気だ。サーバールームはもっと高い温度だったんじゃないかな。

意識が朦朧としてしまう瞬間もあった(緊張感のある数字をまとめていたので眠くはならなかったが、苦笑)。

今年の夏は、冷房も控えめにしなければならない。昨日くらいの暑さは、まだまだ序の口だ。

ノーネクタイはもちろんだが、Tシャツ、短パン、サンダル履きで。いや、裸足で、水を入れたタライに足を突っ込んで仕事をすることになりそうだな(笑)。

 

昨夜は半年ぶりくらいに、友だち2名と再会できた。

一人めは、半年前まで地方都市で同業の社長を務めていたYさん。人口が80万人程度の地方都市なのだが、パフよりも多い取引企業数と大きな売上をもつ会社を切り盛りしていた。

Yさんは半年前、いろんな事情があって同社の社長を辞めることになり、その後、会えていなかったのだが、昨日、久々に僕をたずねてくれた。

日帰りせねばならないとのことで、新幹線の終電までの限られた時間ではあったが、ゆっくりと二人だけで語り合うことが出来た。

Yさんは現在、新しいフィールドを模索中。いまそれが具体的になりそうで、燃えていた。またいっしょにコラボレーションできる日が早くくることを楽しみにしたい。

 

Yさんを東京駅までお見送りした直後、今度は新富町で勤務している某業界団体の専務理事Iさんから電話がかかってきた。

Iさんは、パフのすぐそばで仕事をしているわけだが、やっぱり半年ぶり。「久々に飲みませんか?」というお誘いの電話だった。

急きょ、東京駅から新富町に戻る(実はYさんとも新富町で飲んでいた)。

はからずも同じ店(お馴染みのスナック「のろ」)で、はしごをすることになったのだが、実に楽しいひとときだった。Iさんと僕とは同学年の同い年。しかも昔は某大企業の採用責任者で、現在は、某(日本の古くからの)業界団体のトップということもあり、話題は尽きなかった。

そうそう、カウンターの隣の席に、ご高齢の常連さん(大工の棟梁)がいたのだが、終盤、この棟梁との会話が最高に面白かった。昭和7年生まれの78歳。僕らの父親世代である。石原都知事と同い年だ。新富町で、ずーっと大工の仕事をしている。いまだに現役なのだ。新婚旅行で熱海に行った時の奥さんとのエピソードなど、むちゃくちゃ面白かったのだが、ちょっと艶すぎて、ここには書けないな(笑)。

ということで、昨日は、「朋あり遠方と近くより来る」で、楽しい夜のひとときを過ごさせてもらった。

 

変わることを決めた日

2011年4月26日 (火曜日)

昨日は、この数か月いろいろと思案していたことに対する結論を出した日だった。

「変わる、変える」というのが結論だ。

ずっと考えていたことではあるが、いつにするかを迷っていた。

決断を後押ししたことがいくつかある。

 ・昨今の就職と採用を取り巻く環境(学生、家庭、地域、大学、企業、日本経済、世論など)の変化

 ・突如襲った東日本大震災による大きなパラダイムシフト

 ・身近な会社や同世代の人々の変化

 ・会社業績や収益構造の変化

・・・などなど。

動物も人も会社も、環境の変化に適応できたものだけが生き延びていく。

旧来の価値観やスタイルや財産にしがみつき、非難や批判を恐れ、ひとときの痛みを怖がり、変化を拒否したものはいずれ滅んでいく。

「変わらなきゃ」

昔、イチローが日産自動車CMのなかで言ってたっけな。たしか1995年だった。

あのころも時代の大きな転換点だった。僕にとっても(あとから振り返れば)キャリアの大きな転換の年だった。

16年の歳月を経て、いままた、変わるときなのだ。

 

昨夜、5月14日のMSPライブの下見を兼ねて、MSPのM(マングローブの今野社長)と、友情出演してくれるバイオリン演奏家のmizuki嬢といっしょに、会場となるミュージックレストラン・ラドンナ原宿に行ってきた。

で、やっていたライブが、往年のアイドル「ザ・リリーズ」のライブだ。

僕とまったくの同い年。中学2年生のときに、故郷夕張から上京してきた双子の歌手なのだ。

先日死去したスーちゃん属するキャンディーズの(渡辺プロでの)妹分でもある。

当時から可愛かったのだが、50歳になったいまも、あのころよりさらに魅力が増した気がする(上の写真は昔の写真ではない。今の写真である)。

唄がまた抜群にうまい。いまどきのアイドルは、逆立ちしたってかなわない。昔は、アイドルといえども、基礎がしっかりしていたんだなあ。

ラドンナのホームページから、彼女らのプロフィールをコピペしておこう。

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1975年、14歳の時「水色のときめき」で東芝EMIレコードよりデビュー。
シングル2作目の「好きよキャプテン」が大ヒットし双子アイドルデュオグループとして世に知られるようになる。

その後もスマッシュヒットに恵まれ、CMでもライオン歯磨き、森永小枝チョコレート、エンゼルパイ等に起用され、テレビ番組ではフジTVの長寿番組「ズバリ、当てましょう」や「銭型平次」等にレギュラー出演。

1981年、20歳の時に所属していた渡辺プロダクションを離れ、独立。
バンドを結成し、ライブ活動を中心にオリジナリティーを求め模索する。
1985年、NHK人形劇「地球防衛軍テラホークス」~イギリスBBC&ゲイリーアンダーソン製作”TERAHOUKS”~の主題曲を本名燕奈緒美・真由美の名で唄う。

レコードはオープニング、エンディングタイトル曲の他、番組挿入歌も含めアルバムとして発売。(ビクターレコード)

同じくTBS系テレビアニメ「ワンダービートスクランブル」~手塚治虫遺作アニメ~でもオープニング、エンディングタイトル曲を唄う(ビクターレコード)

その後、姉(奈緒美)が結婚、出産の為リリーズとしての活動を休止する。
妹(真由美)は単独でドラマ出演(テレビ東京2時間ドラマ、若山富三郎主演~刑事弁護人“わが子殺人”~の準主役に抜擢)等も経験した後、再び音楽への思いから活動再開への準備に入る。

2005年、デビュー30周年記念ディナーライブを皮切りに、本格的に活動再開。

翌2006年7月3日、これまでの「ザ・リリーズ」を「L I L I E S」と改め、自ら作詞・作曲・プロデュースのマキシシングル「カリンガ」「ドラゴン」をインディーズにてリリース。

2008年8月 マキシシングル 「デイジー」「あの空を守りたい」を キャプテン・エンターテイメントよりリリース

今後もライブ活動を中心にオリジナル曲の発表を展開していく。

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35年の歳月を経て、あらためてファンになることにしよう♪

あ、そして5月14日のMSPのチャリティーライブは、このサ・リリーズ(燕姉妹)も(会場関係者ということで)観に来てくれるかもしれない。来てくれたら、ステージに引きずりあげちゃおうかな♪

昨日の夜、懇意にさせていただいた方々に以下のメールをお送りしました。

5月14日(土)のお昼に原宿で開催する、復興支援チャリティライブのお知らせです。

現在のメールアドレスが分からず、ご案内出来ていない方々もたくさんいらっしゃいますので、この「釘さん日記」にも転載します。ご家族、ご友人、会社の先輩、後輩、同僚の方々もお誘い合わせのうえ、ぜひお越しください。

  ⇒ http://www.keycompany.jp/blog/live

twitterでのRTや、Facebookでのリンクなども、ぜひぜひよろしくお願いいたします。

みんなで、少しのお金と、たくさんの元気をシェアしましょう!!

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皆様(bcc:による一斉配信にて失礼いたします)

パフの釘崎でございます。一部の皆様にはたいへんご無沙汰しております。

ご存知の方もいらっしゃることと思いますが、実は私、3年前より年に1度の頻度で、歌手活動(?)を行っております。

 2008年の12月に「世界で、たった一人のあなたのためのコンサート」を開催し、大失態を演じたにもかかわらず、なんと昨年は新潟県の「ささかみ」にて、泊りがけで80曲を唄いきるという、無謀な(迷惑な)ライブをやったりもしておりました。

今年は経営者仲間で2年前に結成したオヤジバンド(MSPといいます)を再結成して楽しくやってみようかと、打合せを始めた矢先に起きたこのたびの大震災。

 あまりに深刻な事態を受けて、これはオヤジバンドの音楽ライブどころではないと思っていたのですが、被災地を故郷にもつ、あるひとりのメンバーから、 

「ぜひ、チャリティの形式で行いたい。少しかもしれないが、自分たちのライブに来てくださった方々の気持ちとお金を、被災地に届けたい」

 という声が上がり、急きょ来月の14日(土)のランチタイムに実施することを決断しました。

 

・場所は、東京・原宿(神宮前) ⇒ http://www.la-donna.jp/

・時間は、午後12時から2時間程度です。

・料金は、昼食込みで5,000円とさせていただきました。

 ※経費を除いた全額を、被災地の復興に向けての義援金として寄付いたします。

 

演奏曲は、70年代のフォークソングから、最近のポップスまで。

プロのキーボード奏者や三味線の演奏家も、手弁当で協力してくれることになりました。

また、九州と四国の音楽好きの同業経営者も応援にかけつけてくれることになりました。

 

ぜひ皆様にもご参加いただき、楽しみながら土曜のひと時を過ごしていただきたく、謹んでご案内いたします。

なお、当日の詳細と、参加のお申し込みは、下記サイトより、お願いいたします。

   ⇒ http://www.keycompany.jp/blog/live

  

 以上、一方的なご案内のメールでたいへん失礼しました。

今後とも、なにとぞよろしくお願いいたします。

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釘崎清秀  /Kiyohide Kugisaki/ 
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2011年5月20日開催 「これからの新卒採用の話をしよう!」
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▼ MSPチャリティ(震災復興支援)ライブも申込受付中
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2011年5月14日(土)11時半開場、12時開演(約2時間)です。 
http://www.la-donna.jp/performance/418.html

 

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時代はめぐる

2011年4月22日 (金曜日)

最近、自分の周囲での新旧交代が盛んに行なわれている。昨日の夜も、同年代の(前)社長たちとの会食のとき、そんな話になった。

後進に道を譲り、自分はいままでとは違ったフィールドで活躍したい。もういちど社会に貢献するための仕事を悠々自適にやりながら、そして一生を終えたい。こんな話をしていた。

50代という年齢。カラダのいろんなところにガタがきはじめている。元気に動けるうちに新しいフィールドにチャレンジしたいという気持ちを持つ年頃なんだよなあ……。

ちょっと感慨深くなりながら帰宅。

テレビをつけてボッとしていたら、信じられないニュースが流れた。

キャンディーズのスーちゃんが亡くなったのだ。

びっくりした。おもわず、「え!」という声をあげた。あのスーちゃんが死んでしまったとは……。

キャンディーズとは、僕が中学校1年生から高校3年生まで隆盛を極めたアイドルグループ。

テレビやラジオ。GOROやプレイボーイや平凡パンチなどの雑誌に、毎日・毎回登場していた。目(耳)にしない日は一日もなかった。

1977年(僕が高校2年生のとき)。「普通の女の子に戻りたい!」という突然の引退宣言は、全国の男子生徒たちに大きな衝撃を与えた。そして、その宣言通り、キャンディーズは1978年の春、僕ら男子生徒の前から消えていった。僕らは涙を流して見送った。

当時キャンディーズに夢中になった高校生も、いまは50代のオヤジたち。昨夜のスーちゃん急逝のニュースを聞いて、引退のとき以上の衝撃を受けたのではないだろうか。

時代は変わる。時代は巡る。ひとつの時代が終わったような気がするのは大げさだろうか。

永遠のアイドル、スーちゃん。これでやっと「普通の女の子」に戻れたのかもしれないね。

田中好子さん(スーちゃん)のご冥福を、心よりお祈りいたします。

 

 

自分で自分の会社や社員のことを褒めるのもなんだが、たまには褒めてみる。

いや、素直に、「これはなかなかやるな」と思ったのだ。

それは、毎週水曜日に学生向けに配信されているメルマガ。

創業の翌年から、毎週欠かさずずっと学生に配信している。考えてみたら、12年以上の歴史を有することになった。

昔(7年前までだったかな)は、僕が日曜日の夜、うんうん唸りながら執筆し、月曜日の早朝、配信していた。

たいしたことを書いている自覚はなかったのだが、そして自分で言うのもなんだが(いや言うんだけど、笑)、人気が高かった。数千名単位の学生の心を動かしている実感があった。7年前突然、「執筆を辞める!」と宣言したときなどは、「辞めないで!」というメールを学生だけではなく、すでに社会人になったパフの会員OBや、人事担当者の皆さまからもいただいた。ちょっとしたアイドル気分になったものだ(苦笑)。

その後は、社員が執筆を担当しているのだが、昨年まで執筆を務めたタシロのメルマガがまた秀逸だった。学生の気持ちをとてもよく捉えた「愛あるメルマガ」だったと思う。僕にはそこまでの愛はなかったので、敬服したものだ。

そして、このタシロから昨年バトンを引き継いだのが、この4月でやっと入社3年目となったツチダである。こいつはなんでもかんでも「やりたがり屋」で、自分で立候補したらしい。僕は正直言って心配していた。ツチダは、(もちろん悪い奴ではないのだが)トンガリ&デッパリ小僧なので、うまく学生の心を捉えた文章を書けるのかな、と思っていたのだ。

ところがところが。回を経るごとに、着実に腕をあげている。「ツチダ様、おみそれしました!」という感じである。

先日、とある銀行の人事責任者と会食しているときに、「いやあ、パフが毎週発行している学生向けのメルマガは面白いし、為になるねえ。お前らこれぜったい読んでおけ!といって、部下に回覧してますよ。あれ書いている社員はなかなかのもんだね」と言われたりもした。社長は、社員のことを褒められるのがイチバン嬉しい。

昨日のメルマガの冒頭の文章もなかなかだった。以下、転載しておこう。

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┣★┫【1】執筆人・土田のひとりごと/「人で選びました。」賛成?反対?

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 こんにちは。職サークル運営事務局(パフ)の土田です。

 

 「人で選びました」

 

 会社説明会などで、よく聞く先輩社員の「入社の決め手」。

 

 皆さんの会社を選ぶ基準にも「人」は入っていますか。確かに、仕事は1日

 の中の大きな割合を占めることになるので、職場の人や、雰囲気が、自分に

 合うかどうかは、気になりますよね。

 

 しかし…今回はあえて

 「人」で会社を選んではいけない!という話をします。

 

 ・もし、あなたが惹かれた「人」が、あなたの入社後に退職してしまったら。

 ・もし、あなたの入社後、あなたとものすごく相性の悪い人が異動してきて

  あなたの上司になったら。

 ・もし、あなたの入社後、会社が合併や統合を行い、社風や価値観がまった

  く違う人たちと働くことになったら。

 

 こんなとき、あなたはどうしますか?

 会社を辞めますか?

  

 そうです。会社に所属する「人」というのは、働く上でとても大事な要素の

 ひとつですが、同時に自分がコントロールできるものではありません。つま

 り自分の意思とは無関係に「変化するもの」です。

 

 どんなに素晴らしい会社でも、色々な人がいるものです。素晴らしい人柄の

 採用担当者がいる会社に入社しても、最初についた上司が、新人の育成にま

 ったく熱心でない、という可能性もあります。好業績を上げ、バリバリ働い

 ている社員が大勢いる会社の中にも、仕事をせずサボる人がいて、そんな人

 があなたの身近な先輩になるかも知れません。

 

 「人」のような【自分でコントロールできない要素】だけを判断軸にすると、

 それが自分の意思と関係なく変化してしまったときに、自分の意思が揺らい

 でしまうのです。

 

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 特に、大企業の場合、配属される部署によっても「人」や「雰囲気」は違い

 ます。それをすべて知ってから決断する、というのは、物理的に不可能です。

 どこに配属されるかは、完全に「運」です。あなたに決定権はありません。

 どんな会社に入っても【自分でコントロールできない要素】が原因となる、

 「ギャップ」というのは必ずあるものです。

 

 ※余談ですが、私は、そんな「運」任せが嫌だったので「社員全員と会って

  から決めたい!」と、従業員数の少ないパフに入ることにしました。

  しかし、そんな私でも入社後のギャップはありました。

 

 人だけではありません。同様に、「従業員数」「制度」「給与」「勤務地」

 なども、あなたの意思とは関係なく変動します。こうしたものだけを根拠に

 会社選びをすると、それが「入社後のギャップ」になってしまいます。

 

 そんなギャップに負けないためには【自分でコントロールできる要素】での

 入社の決め手が必要です。極端に言えば「仮に上司や雰囲気が最悪だったと

 しても、○○だから頑張れる」と言えることができる会社、それこそがあな

 たにとっての「本命」なのだと思います。

 

 環境に依存しない、あなたならではの「会社の選び方」とは何でしょう?

 

 それでは、今回のメルマガもいってみましょう!

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うん。いいね。ニヤッとしてしまう。 

さて、しかし、ちょっと褒めすぎたかもしれない。奴は自惚れると、とんでもないミスを犯すので、しばらくは注意が必要だな(笑)。