新・パフの創業物語<第20話> 「ボクの就職活動」
2020年7月20日 (月曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第20話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年8月下旬のある日。
「自分の就職を真面目に考えなければ…」と思ったボクは、大学の先生から紹介してもらった、とある製薬会社(当時頻繁に風邪薬やドリンク剤などのテレビCMをやってた会社)を訪問したのでした。
半年以上もの間、学生の身分をひた隠しにしてリクルートの営業にドップリ浸かっていたボクにとって、いきなり学生に戻っての会社訪問は、相当に違和感のあるものでした。
「人事の人を見たとたんに、ついついリクルートブックの営業しちゃったらどうしよう。案外売れたりして」なーんて、馬鹿なことを考えたりしたものです(苦笑)。
さて、その会社(仮にA社としましょう)の受付に到着するやいなや会議室に通されました。そこにはボク以外に10名程度の学生がすでに着席していました。
「なんだ?今日は個別に話を聞かせてもらうはずではなかったのか?」と、思っていると、すぐさま人事課長のBさんが会議室に入ってきて、会社の説明を朗々となさいます。
「なんだ。今日は単なる会社説明会か。それにしてもこの規模の会社の割には参加学生は結構少ないんだな。なんだか頼りない顔つきの学生ばかりだけど大丈夫なのかな」
そんな事を考えている内に人事課長の会社説明は終わり、さらに別室に通されたのです。
何をやらされるのかと思っていたら、その部屋には筆記試験の用紙がセットされており、人事課長からは「せっかく来ていただいたので試験を実施してしまいますね。あしからず」という説明。なんのことはない。この日は立派な選考会だったのですね。その割には人数が少なかったのが気になりましたが。
そして筆記試験の後にB課長がこっそりボクに耳打ち。
「えーっとクギサキくん、ちょっとお話がありますのでこの場に残っておいていただけますか?」と言われたのでした。
他の学生が全員帰った後、B課長は相好を崩して
「いやあ、ウエハラ先生(この会社を紹介してくれたボクの大学の先生)にはいつもお世話になってましてね。前々から優秀な学生さんがいたら紹介してください、とお願いしていたんですよ・・・」
実はこの日の説明会(兼選考会)は、一般枠ではなく、大学の先生などから紹介された学生のみを集めた特別枠の説明会だったようなのです。その中でもボクはさらに特別枠だったようで。
「ということで、ぜひクギサキくんには、次回うちの役員に会ってもらいたいと思っているんですけど。 あ、それとね入社後は、先生のゼミ生ということもあって、販売促進やマーケティング関連の部署への配属を考えています。営業職ではありませんからね」
(俺、ゼミ生の中でも一番デキが悪い方なのに、なんだか勘違いされているようだな。営業ならまだ使えるかもしれないのに…)
ともあれ入社を大前提とした話が出来上がってしまっており、それはそれで悪い気はまったくしなかったのですが、別にその会社に対して特別の思い入れがある訳でもなし、いきなり入社を前提とした話をされても正直戸惑うばかりでした。
「こんなんで就職を決めちまっていいんだろうか・・・」
そう思ったボクは、1週間ほど時間をもらって考えさせてもらうことにしたのです。
実はこの時ボクには、とても気になる会社が1社あり、A社の説明会で話を聞いているあいだ中、その会社のことをずっと考えていたのでした。
(お、おい早まるなよ…。次号、決断の瞬間につづく)
22歳の夏の話ですね。六畳一間の下宿で悶々と悩んでいたことを思い出します。あゝ青春( ^)o(^ )。
さて、本日は朝から会社です。会社に行かないと取り出せない資料がいろいろとありまして、それをクラウドに移さなければならないのです。今週から来月にかけてリアルで予定していた会議や打ち合わせがすべてオンラインになってしまいまして、そのための事前準備ですね。いちおう仕事もしていますので(笑)。
では、朝食&エール再放送後、行ってきます!
新・パフの創業物語<第19話> 「自分の就職…どうしよう?」
2020年7月17日 (金曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第19話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年8月。
リクルートで大学4年生向けの就職情報誌の営業を続けていた僕は、このころから、なんとなく矛盾というかジレンマを感じるようになっていました。
というのは、いろんな企業に「リクルートブックに載せて優秀な学生を集めましょう!」と営業している自分自身が、実は就職を考えなければいけない大学生だったわけで。でもその自分は、まだ就職活動の「し」の字も行っていない。
リクルートの仕事が面白く、ついつい「いい気」になって自分の就職のことをそっちのけにしてしまっていたのです。
僕をリクルートに引っ張り込んだのは、当時同社の人事担当者だった兄なのですが、おそらく彼の思いとしては「甘ちゃんの弟をリクルートで鍛えてやろう」と同時に「もし使える営業マンに育ったら社員としての採用を考えてみよう」ということだったのだろうと思います。
しかし。
5~6月頃までは確かにリクルートの営業の仕事は面白かったし、周囲の社員もスゴイ人たちばかりで、とても魅力的な会社であったのは事実なのですが、自分が入る会社じゃないなと、この8月には感じ始めていました。
8月のお盆前の頃、営業所長に「あのぅ、企業の採用や他人の就職の心配をする前に、ちょっと自分の心配をそろそろしようと思うんですが・・・」と、2週間ほどの休みをもらい、自分自身の『就職活動』を行うことにしたのでした。
しかし!
企業を探すための情報源は、自分が日頃売り歩いている「リクルートブック」。浪人生だったころ駅弁屋でアルバイトしていて、しばらくのあいだ駅弁を食べることができなかった感覚に近いものがありました。
リクルートブックの営業の際には、多くの企業から冷たくあしらわれっぱなしだったし、小狡い採用の「仕組み」を垣間見てしまった僕は、どうも「就職活動そのもの」に意欲を喪失してしまっていたようです。
行き詰まりを感じていた僕は、久々に大学まで足を運んでゼミの先生に相談してみました。
「お、クギサキ君。就職する気はあるわけだね。じゃ、ここ行ってきなさい。あ、それともし九州に帰る気持ちがあるんなら帰省のついでで構わないから、福岡のこの会社を覗いてみないか」
と、東京で1社、福岡で1社、計2社をその場で紹介してもらったのでした。
当時、僕は卒業するための単位はすべて取り終えていて、あとは卒論を残すだけでした。ゼミの先生には、卒論研究と称してリクルートで毎日を過ごすことの許しは得てはいたものの、すっかり疎遠になっていました。しかし、やっぱり先生はありがたいものです。
紹介された東京の1社は、大手製薬会社。CMなんかもバンバンやっている会社でした。
「ほー、ここに入れたら結構いいかも」と思いつつ、その会社の人事担当者に会いに行ったのでした。
(学生に戻ってしまった釘崎くん就職しちゃうの?)
この会社に行ったのはえらく暑い日でした。日ごろ企業のことを営業先としてしか見ていなかった僕は、なんだか不思議な感覚でした。
さて、どうなったんでしょうかね。
ではそろそろ朝食&エール再放送後、仕事します!
新・パフの創業物語<第18話> 「釘ちゃんにウチの採用ぜんぶ任すよ」
2020年7月16日 (木曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第18話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年7月。
リクルートで営業の仕事を開始して早半年が経過したころでした。自転車を転がして神田の街中を営業しまくっていたボクは、ある小さなソフトウェア開発の会社に出くわしました。
当時「週刊就職情報」という中途採用の就職情報誌があったのですが、そのSE採用欄にちっぽけなスペースで広告を掲載していた会社でした。
その広告を見て「なんだかチンケな会社だな。新卒なんて採るのかな?」と思ったのですが、とりあえずダメもとで、その会社の社長に電話をしてみました(当時リクルートのアポ電話は、社長へのトップコールが鉄則でした)。
すると「あー、いいよ。いつでもいらっしゃい」と、意外にも先方の社長はフレンドリーな対応で、すんなりとアポが取れたのでありました。
そして、すぐその日のうちに訪問して、お決まりのリクルートブックを営業したのですが・・・これまた意外や意外。
「ん、気に入った。来年からは新卒採用しよう!これで採用できるんだね?」と、その場で50万円程度の媒体への掲載を即決されてしまったのでした。
契約はもらったものの素直に喜べない、少し複雑な心境でした。
だって、その会社は10坪ほどの超狭い事務所で社員も数名しかいない、会社案内も未だ無いような会社だったんです。
「こりゃ、リクルートブックに掲載しただけじゃ、とても新卒の採用なんて無理だな」
そう思ったボクは、後日あらためて、ちゃんとした会社案内の制作、学生向けのDMの企画など、トータルで500万円ほどの企画を持っていったのでした。
そして採用の手法や実務についても(適性検査やら面接の段取りやら)こと細かに提案し、「社長、こんな感じで進めていけば、なんとか数名の採用には結びつくと思いますよ。ボクと一緒に初めての新卒採用を成功させましょう!」と熱く語ったのでした。
さすがに500万円という金額は、当時のこの会社の規模や売上げからすればドデカイ金額だったのでしょう。
しばしの黙考の後、社長の発した言葉は「よし、分かった。釘ちゃんを信じてこの企画に乗ろう。釘ちゃんに全部任すよ。そのかわり、とびきり上等な大学生をつかまえような!」というものだったのです。
わずか2回の訪問で500万円の契約。そしてボクのことを「釘ちゃん」と超フレンドリーに呼びながら全幅の信頼を置いてくれた。単純なボクはジーンと来てしまい「よっしゃ、この会社の採用は俺が絶対に成功させてやる!」と、心に強く誓ったのでした。
この時、ボクは22歳。「実はまだ大学生」という身分は隠しており、リクルート入社2年目の若手正社員ということになっていたわけで……。
このウソが、その後ボクの一生を左右することになるなんて、この時は夢にも思っていませんでした。
(さてさてどうなることやら、と思いつつ次号につづく)
うまれよの「う」は、「うそをつくな」なんですが、このころの僕はこれに反して、自分の身分(学生であること)をひた隠しにしながら営業活動に明け暮れていました。
うそつきはパフの始まり?
いやいや、それじゃあ、あんまりですね(苦笑)。
さあ、最終回まであと33話。ピッチを上げていかないと9月中に終わらないですね。明日もまた続きを載せることにしましょう。
では今日は、在宅で仕事をした後、マジックドラゴンとしてのリアルな打ち合わせに行ってきます!
大分で会いましょう。
2020年7月15日 (水曜日)
ひっそりこっそりと行っていたのは僕が6歳から18歳までを過ごした大分県。
ほんとうは「還暦同窓会」に参加するためだったんですが、折からのコロナ禍の影響で開催は無期延期となってしまいました。
大分までの航空券はマイルで予約していたんですが、このマイルの有効期限がこの7月で切れてしまいます。
それじゃあまりにもったいないということで、大分行きを単独決行した、という次第です。
親しくしていただいている県職員の方が、県内の企業人事やキャリア支援家や現役学生と一緒に勉強会を企画してくださり、初日はそちらに講師として参加。まあ、仕事らしい仕事はこれだけで、あとの数日は昔懐かしいあちこちを巡ろうと企んでいました。
ところが、一週間前から九州中部と北部は豪雨続き。少年時代を過ごした湯布院、出生地である熊本、旧友がいる福岡にも、お見舞いを兼ねて足を延ばそうと考えていたのですが、道路、鉄路が寸断されていたり、予約していた旅館が浸水の被害にあったりで、断念しました。
代わりに自由に動くことのできた、別府市内、国東半島、(国東からフェリーで20分ほどのところにある)姫島を散策したのでした。
以下、何点か写真を載せておくことにしましょう(^^)v
まずは大分市内でまじめな勉強会です
せっかくなので採用力検定の宣伝も
勉強会のあとは希望者で懇親会
地獄めぐりをしたり
別府で有名なオールディーズのお店(ヒットパレード)に行ったり
大分の北東部にある姫島の灯台と養殖エビ
両子寺 金剛力士像
大分県広報企画「大分で会いましょう。」のステッカー
ということで、今回は大分で(いままで僕が行ったことのなかった)いろんな場所や人と会ってきましたが、次こそは懐かしい同級生たちと会いたいですね。
さて、本日からボチボチと仕事再開です。昨日も帰国(?)早々オンライン会議(社員の賞与や昇給を決める評価会議!)をやってたんですけどね💦
今日もこれから秘密結社のオンライン会議です。では、エール再放送を見てから久しぶりに仕事します!
しばし釘さん日記はお休みです!
2020年7月10日 (金曜日)
今日から(たぶん)来週の火曜日くらいまで日記をお休みさせていただきます。
何も書かずにばっくれようかと思ったんですが、毎日読んでくださっている方々に心配をおかけしてしまうとよくないので(^^;
時節柄、こっそりひっそりと今日からの数日間を過ごしたいと思います。
では大急ぎで準備して(いま準備の最中ですが)行ってきます!
新・パフの創業物語<第17話>「ヘンな新入社員ムライミツル」
2020年7月9日 (木曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第17話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年4月。
僕が感動の初受注をあげた直後、わがリクルート神田営業所は、それまでの貧乏臭いビルから神田駅前のメインストリートに面した大きなビルに引っ越しをしました。
まだ新築間もないキレイなビルで、「売れない営業マン」の汚名を返上した僕を含む営業所のメンバーたちは、気持ちも新たに仕事に取り組んでいたのでした。
当時の営業所メンバーは、仕事が終わると神田駅そばの通称「ビニールハウス」と呼ばれるビニールテントで囲われた屋台みたいなところで飲んで帰る(いや帰れない日も多々ある)のが日課であり、本当は学生であったはずの僕は、すっかり身も心も「新社会人」になった感じでした。
なかでも毎日のように一緒に飲み歩いていたのが、その年の新入社員のムライミツルという営業マン(ムライさんについてはバックナンバーを参照。日の当たる道を共に歩いた人です)。
当時のリクルートには、とても優秀な社員が多かったのですが、このムライさんには「優秀」という形容詞で片付けてしまうにはおよそ収まりきらない何かを感じたものでした。
でも、僕の評価は高かったものの(ムライさん、エラソーにスミマセン!)、所長や先輩社員たちの評価は最悪もチョー最悪。
「ムライー・・・ったく、またオマエカ!!」
詳しいシチュエーションは忘れてしまいましたが、何かと問題を起こす新入社員だったのです。怒られてもすぐその後「ぶっ!」と営業所中に響き渡る屁をこくものだから余計上司の受けが悪かったのだと僕は密かに推測しています(笑)。
そうそう、僕とムライさんは毎晩一緒に夜遅くまで飲み歩いていたのですが、翌朝は誰よりも早く(朝7:30頃)出社して、皇居までジョギングをやったりもしていました。
どうしてジョギングなんて柄にもないことをやっていたのか、いま考えてもまったくもって不思議なのですが……。その他ここではとても書けないような数々の悪行・珍行を繰り返していた変なコンビなのでした。
このムライさん、実は後年、パフ創業に決定的な影響を与えた人物なんです。
でも、このころはそんなこと夢にも思わず、所長・上司に睨まれながらも楽しい営業活動を送る毎日でした。
(次号は、またも運命の出会いにつづく)
これは、あくまで20年前に書いた物語。いまならとても書けない内容ですね(苦笑)。
さて、雨雲はなかなか去ってくれませんが、明日からの予定はいまのところ変更なしです。
では、朝食&エール後、午前は在宅、午後はオンライン講演会+リアル打ち合わせに行ってきます!
消え去れ、雨雲よ!
2020年7月8日 (水曜日)
月曜日、熊本県の八代市や人吉市の豪雨を憂えた日記を書いたのですが、いまだに豪雨をもたらす雨雲は九州に居座っています。
昨日から今朝にかけて、今度は僕が育った大分県の湯布院町(現在は由布市)にも甚大な被害をもたらしたようです。
湯布院を流れる大分川やその支流も氾濫したようです。
地元に住む友達のことが心配です。昨日、福祉関係の仕事をしている友人から「いまから独居老人の安否確認に行ってきます」という連絡をもらったばかりでしたが、大丈夫だったでしょうか。本人にも十分に気を付けてもらいたいです。
実は、僕は明後日から一週間、大分に行くことにしています。
本来ならこの週末、「還暦同窓会」が湯布院で開催されることになっていたのですが、今般のコロナ禍の影響で延期となってしまいました。
でも、あきらめきれない僕は、予約してあった航空券をキャンセルすることなく(単にマイルの有効期限が切れてもったいないという理由なんですが💦)、ひっそりこっそり九州北東部の一人旅を目論んでいます。
ついでに雨雲を追い払ってこようかと思います。
今日は東海地区にも激しい雨が降るようですね・・・と書いていたら、先ほど岐阜と長野にも大雨特別警報が発令されたようです。
ほんとこの異常気象には参りましたね。
消え去れ、雨雲よ!
皆様のご無事をお祈りいたします。
さて、僕は本日、夕方まで在宅です。雑務をあれこれとやる予定。
夕方からは出社してリアルな打ち合わせですね。
では、朝食&エール再放送後、仕事します!