新・パフの創業物語<第21話>「内定辞退」
2020年7月27日 (月曜日)
20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第21話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年9月のある日。
ゼミの先生の紹介で受験した(ボクは訪問しただけのつもりでしたが)製薬会社に、どのような返事をしたら良いのか(入社するのかしないのか)を考えあぐねていました。
リクルートでずっと社会人のマネごとをしていた(否、自分としては真剣に働いていたつもりの)ボクにとって「就職する」ということそのものが実感できずにいました。
実はこのとき、気になっていた会社がありました。
第18話「釘ちゃんにウチの採用ぜんぶ任すよ」で登場した、ちっぽけなソフト会社(S社とします)のことです。
そのS社の採用活動の進捗状況は芳しくありませんでした。というよりも、まったくなっていませんでした。
リクルートブックに載せ、DMを大量に打つも学生からの反応はゼロ。
「確かにこれといった技術力があるわけでもなし、新卒の採用実績なんてひとりもない、ちっぽけな会社だしな・・・」
いかんいかん、担当営業であるボクがそんなことでどうする!
「俺が学生の立場だったらS社を受けるだろうか。たぶん受けないな・・・」
ダメだこりゃ”(-“”-)”。
「でも待てよ。俺がS社の採用担当者で、俺みたいな学生に近い先輩社員がS社にいたらどうだ?少なくとも俺みたいな物好きな学生には関心を持たれるかもしれないな」
なに?
「それに、できあがった大きな会社より、設立間もない小さな会社のほうがいろいろと面白そうだし。 俺、S社の社長に自分の正体(まだ学生だということ)をバラして入社させてもらおうかな・・・」
お、おい待てよ!
実はそんな恐ろしいことを悶々と考えていたのでした。
よし、いろいろ考えていてもしょうがない。とりあえず先生から紹介してもらったA社は断ろう!
そう決心したボクは、先生のご自宅に電話して、A社には気が進まないことと、ちっぽけなS社への就職を考えていることを相談しました。
「まあ、クギサキ君には普通の就職は似合わないと思っていたよ。A社には、クギサキ君は九州に帰らなければいけないことになったと言っておきましょう。あ、それとクギサキ君ね、後期はちゃんとゼミに出て来るんだよ」
おもいっきり怒られるかと思いきや、さっすがクギサキ君の先生です(この先生も入社2年ほどで銀行を脱サラして研究者になったツワモノでした)。
さて、あとは自分自身これからどう生きていきたいのか。もう少しじっくりと考えてみるとするか。
22歳のクギサキ青年、人生の分岐点を迎えた初秋の夜でした。
(うむ……。つづく)
僕の背中を押してくれたこのゼミの先生は、マーケティング戦略論が専門の上原征彦先生です。当時はまだ30代後半の助教授(今でいえば准教授)でしたが、コトラーの「マーケティング原理」の原書を日本で初めて翻訳して発刊したスゴイ先生だったのです。
このエピソードから12年後の1995年、僕が独立するきっかけとなったインターネット事業の相談にも乗っていただいたりしていましたし、起業後もしばしば相談に乗っていただいていました。
以下は6年前、ゼミの先輩と二人で先生の古希のお祝いをしたときの写真です。
この数年はお会いできていませんでしたので、社長を正式に引退したらご挨拶に伺わなきゃと思っています。
さて、本日はパフのこれからの経営を安心させるための地味な仕事をする予定です。
では、朝食&エール再放送後、某所に行ってきます!