50歳記念ささかみライブを振り返る日
2010年11月22日 (月曜日)
日曜日の夜。夕食を終え、龍馬伝も観終わり、音楽を聴きながらのんびりしている。きょうは早朝からランニング、ウォーキング、サイクリングを混ぜながら、東京の南方をうろちょろしていた。
ささかみの写真をパフのタシロがたくさん撮影してくれており、本日やっとそれをiPadに取り込んだ。ささかみでのアンコール演奏曲である、中島みゆきの「誕生」に合わせて、スライドショーで全画像を画面に映し出してみる。
すごい。
涙が出てくる。いままで味わったことのない感動なのだ。一週間前の自分がやったこととは思えない。いやー、すごい。ホントに感動だ。これって編集してyoutubeにも投稿できるのかな。他の人にもぜひ観てもらいたいな。
さて。ということで、本日の日記では、先週のささかみライブの模様を振り返って、記録に残すことにしよう。
●11月11日(木)午後4時
最終の合同練習の日だ。僕は銀座(パフから徒歩10分くらいのところ)にある練習スタジオに向かった。泣いても笑っても、全員で練習するのはこれで最後。
ピアノの荒木さん。バイオリンの住本さん。そしてギター&ボーカルの僕。この3人が、今回のささかみライブのメンバーである。
この3人の初顔合わせは、9月2日(木)の夜だった。東銀座のカフェで軽食をとりながら、ライブの方針や今後の練習日程などを決めたのだった。それぞれ本職を抱えながらの合同練習は、時間との戦いだった。9月4日(土)、10月2日(土)、10月23日(土)、11月6日(土)、そして11月11日(木)。この5日程だけが全員が集まって練習できる時間だった。1回の練習は約3時間。1回の練習で演奏できる曲数は、せいぜい10曲。それに対して本番で演奏を予定していた曲目はなんと76曲。どう考えても、すべての曲を全員で合わせるのは不可能だったのだ。でも、やるって決めたからにはやらねばならぬ。半ば意地になりながら、そして「ま、どうにかなるさ」と楽天的になりながら、この日まで練習を重ねてきたのだった。
最終日の練習も、ホントにこれで最終なの?と思えるくらい、未完成だった。というよりも、まだ全部の曲を合わせられずにいた。
「やってもやっても終わりが見えない」という形容がぴったりだ。
こんな感じで不安を抱えた状態での最終練習だった。
●11月12日(金)午後1時半
ささかみに向けて出発。
新幹線で向かう予定だったのだが、急きょピアノの荒木さんがクルマを出すことになった。ささかみライブの翌日、荒木さんは茨城で別のライブの予定が入ったとのことで、クルマで新潟から移動するほうが便利だったのだ。
新潟ささかみまで約5時間のドライブだった。途中、関越自動車道から見える紅葉がきれいだったなあ。写真に撮っておけばよかった。が、僕は車中でそれどころではなく、ハーモニカを首にぶらさげて練習に勤しんでいたのだった。
●11月12日(金)午後6時半~深夜
ささかみの「ペンションぽっぽ五頭」に到着。会場となるレストランに入ると、すでにPA(音響関連)の設備が据え付けられており、音量のチェックが行われていた。PAを担当してくださるのは、地元の村山さんという(推定年齢)60数歳の方。趣味で、PAの設備(マイクやスピーカーやミキサーなどなど)を扱っているのだという。ささかみで演奏会などがあるときは、だいたいこの村山さんに声がかかるらしいのだ。
僕らも早速、持参したキーボードを据え付けたり、ピアノやマイクの位置を決めたりした。
その後、夕食を食べ、風呂に入る。風呂からあがるとすでに夜の10時を回っていた。しかし、翌日に備えて早めに就寝…という訳にはいかなかった。まだ全曲合わせられていないし、楽譜も書き終えていなかったのだ。
この時点でまだ20曲以上は残っていた。イントロと終わり方だけでも、なんとか全曲決めないと、本番で悲惨なことになるのは明らかである。東京からささかみまでの長距離移動で相当に疲れているにもかかわらず、僕らはなんとか最後まで曲合わせを行った。床に就いたのは、すでに深夜2時を回っていた。
●11月13日(土)早朝~
ついに当日の朝が来た。僕はいつもの習慣なのか緊張していたのか、朝の5時半には目が覚めてしまい、朝風呂に浸かった。いやー気持ちよかった。
食堂に入るとすでに荒木さんもいた。さすがプロ。ぜんぜん疲れているそぶりすら見せない。
●11月13日(土)午前9時~
本番前のリハーサル開始。本当は通し稽古(ゲネプロ)をやりたいのだが、70曲以上のゲネプロなんて不可能だ。曲の最初と最後だけを合わせるだけに終始した。それも1曲につき1回こっきり。
一方で、東京組はこの時間、貸切バスで一路ささかみに向かっていたのだった(下はその貸切バスの車中。なんと、カラオケで盛り上がっている)。
●11月13日(土)午前11時過ぎ
バイオリンの住本さんから最寄りの豊栄(とよさか)駅に着いたという連絡。住本さんは仕事の関係で前日入りはできず、当日の朝早く東京を発ったのだった。最寄り駅といっても、クルマで30分近くかかる。荒木さんのクルマで早速お迎えに。
●11月13日(土)午後12時~2時半
緊迫の本番前リハーサル。住本さんは「学生街の喫茶店」がいちばんのハードルだとのことで、何度も繰り返し練習。僕はすべての曲がハードルだったんだけど(苦笑)。
●11月13日(土)午後3時半~
そしていよいよ、50歳記念ささかみライブは開演した。
東京にいるお客様や社員(元社員含む)やパートナーの皆さんから、花やバルーンやお酒や電報など、たくさんいただいた。おかげで、なんだか始まる前から感動。
オープニング曲は、 「今日まで、そして明日から」。吉田拓郎の名曲だ。50歳を記念するのに相応しい唄なのだ。
「わたしは今日まで生きてみました。ときには誰かの力を借りて。ときには誰かにしがみついて。わたしは今日まで生きてみました。そしていま、わたしは思っています。あしたからもこうして、生きていくだろうと」
まさに僕の50歳を迎える心境なのだ。この唄をギターとハーモニカで歌いながら登場したのだった。
以降は、写真を時系列で並べよう。
(下の写真はPAを担当してくださった地元の村山さんです)
(ピアノの荒木さん)
(新潟で仕事をしている学生時代の後輩の松田さんと樋口くん)
(バイオリンの住本さん)
(第二部の乾杯)
そして夜の10時、ささかみライブは終わった。歌った唄は全70曲。数曲のパスはあったものの、ほとんどの曲を歌いきった。感動の涙を流してくださった方もいた。上の写真は、そもそものきっかけを作ってくださった、ささかみの有機農業のリーダー、石塚さん。
その後も僕の部屋に移動して、深夜12時過ぎまで酒盛りが続いたのは言うまでもない。
●11月14日(日)
ライブの翌朝。
僕が起きた時(朝の5時半ころ)、もう荒木さんは茨城に発ったあとだった。すごい。すごすぎる。
残った我々東京組は、ささかみの土地巡りを行った。
石塚さんに有機農業のレクチャーをしてもらったり、山羊を追いかけたり。ささかみを思う存分、満喫した。
そして帰りのバスの中。しずかに日は暮れていくのだった。
こんな感じで過ぎて行った3日間。50年の節目として記憶に永遠に残る日々だった。
あらためて、この無謀なコンサートライブツアーにご協力&ご参加いただいた(むりやり付き合わされた?)皆様に最大限の感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました!!