外は白い雪の夜
2012年2月17日 (金曜日)
本日は個人的な所用があり、これから終日外出。寒そうだ。
昨夜もそうだったが、今夜もまた雪が降るという。
雪でワクワクする年齢でもないが、夜、雪が降ると思いだす唄がある。
♪だからバイバイラブ、外は白い雪の夜、バイバイラブ外は白い雪の夜♪
吉田拓郎の「外は白い雪の夜」だ。
悲しく切ない唄なのだが、白い雪がその悲しみを優しく包み込んでくれるような唄なのだ。
拓郎、元気かな……。
そうだ。今夜は所用を済ませたのち、五反田に向かう。
五反田では、うちの若手社員の皆が4年ほど前からとてもお世話になっているお兄ちゃん(僕の兄じゃないよ)の送別会が開催されるのだ。
パフ(マジドラ除く)の連中は昨夜から合宿会議に突入しており、彼らとも夜の送別会で合流。どんな合宿になったか話を聞かなきゃな。
では、そろそろ行ってきます!
締めの鶏めし
2012年2月16日 (木曜日)
「締めのラーメン」というのは、のんべにとって禁断の果実のようなものである。
飲んだ後に食べてはいけないと分かりつつも、ついつい食べてしまう。そして食べてしまったあとに(特に翌朝、胃がもたれてしまったときに)深い後悔の念を抱く。
「もう二度と食べるもんか!」と、そのときは思うのだが、またついつい繰り返してしまう。
僕もそうだった。
築地に事務所があったころ帰り道に美味しいラーメン屋があり、飲んだ後、気がつけばそのラーメン屋に入っていたものだ。
しかし、いまは茅場町に引っ越し、帰り道のラーメン屋も遠くなったことから、その悪い癖はなくなった。
その代わり……。
「締めの鶏めし&発泡酒」という変な習慣が身についてしまった。
帰り道のコンビニで、鶏めし弁当と発泡酒を無意識に買ってしまうのだ。
昨夜もそうだった。
昨夜は職学校LIVEの打ち上げで、人事の皆さんとパフのスタッフたちと面白おかしく12時近くまで飲んでいた。
つまみも十分に食べてお腹は満たされていた。
しかし、なぜか家に着いたとき、手に鶏めし弁当と発泡酒が入った袋をぶら下げていたのだ。
どうしようかなと思いながら、据え膳食わぬは男の恥とばかりに(言葉の使い方がぜんぜんちがいますね、苦笑)全部食べてしまった。発泡酒も飲んでしまった。
そしていま、胃がもたれている。
大後悔。
ということで、今朝はご飯を抜きにして、行ってきます!
(くだらない日記を書いてしまって大後悔。でも大公開。笑)
パラダイムの大転換かも
2012年2月15日 (水曜日)
昨日は密度の濃い打ち合わせ5連ちゃん。
合間の昼食は中華ランチ。三時のおやつは(バレンタインで頂いた)ケーキ&チョコレート。夜は球磨川の芋焼酎&馬刺し。
脳みそも胃袋も、なかなかに充実した一日だった。
特に夜の打ち合わせは、いい意味でショックだった。
まさに灯台もと暗し。
こんな身近に課題を解決する人材がいたとは。
これから面白いことが始まりそうな予感。やりたくてやれなかったことがやれそうな予感。
なによりパラダイムの大転換が起きそうな予感。「それでも地球は回っている」ということを、自信を持って言える時代がそこまで来ている予感がするのだ。
さて。
本日は早朝から経営会議。そして夕方は、久々の職学校Live。
本日のテーマは、SE(システムエンジニア)について。
何を隠そう(別に隠してないけど)、僕は元SE。20代のときには、いろんなシステムをつくっていた。
いまのビジネスや世の中の枠組みが大きく変わりつつあるのは、インターネットの技術によるところが大きい。
その技術を支えているのがSEに代表されるIT技術者だ。
どんなLiveになるか楽しみだな。
では本日も行ってきます!
大学4年生からもらった内定報告メール
2012年2月14日 (火曜日)
昨年の4月。2週に1回の頻度で「うまれよ塾」を開催していた。震災の影響で、大手企業の選考スケジュールが軒並み見直しとなり、学生が戸惑っていたころだ。
このときの塾に参加してくれていた女子学生Kさんから、一昨日の夕方、突然メールをもらった。
Kさんは、うまれよ塾に参加したあと、たくさんの企業の選考を受けていたが、苦戦が続いていたそうだ。
しかし、このほどいくつかの会社から内定を得て、無事進路を決めたのだという。
もらったメールは、そのことを報告するためのメールだった。
最近では、このようなメールをもらうことが少なくなっていたこともあり、えらく嬉しかった。
どうやらお世話になった社会人の方々全員に、お礼のメールを出していたらしい。
うちのツチダもメールをもらったらしい。(相談にのったことのある)職サークル協賛の人事担当者のところにもメールが届いたとのことだ。
厳しい就職活動だったからこそ、人のありがたさを実感し、このような感謝のメールを出そうと思ってくれたのではないだろうか。とすれば、厳しい就職環境も悪いことばかりではない。
本人に許可をもらってブログで紹介させてもらうことにした。就職活動を行っている他の学生にとって、大きな励みとなるはずだ。
「うまれよ」の「ま」。
それは、「まけるな」の「ま」である。
「まけるな」とは、「あきらめるな」ということだ。
あきらめなければ最後には勝つ。絶対勝つ。
それを信じることが大切なのだ。
では以下、その学生からもらったメールです(個人や企業、組織などが特定されないように編集しています)。
—
こんにちは。
突然のメールですみません。
私は昨年の4月に、うまれよ塾で釘崎社長に
お世話になった、○○○○と申します。
面接練習で、釘崎社長に評価していただき
感極まって泣いてしまった者、と言えば
思い出していただけるでしょうか。
あれから、ずっと就職活動を続けていました。
なかなか結果が出ないので
様々な人に相談にのってもらいました。
中には、自己PRがありきたりすぎるから
もっと違うことにしなさい、と
厳しいことをおっしゃる方もいました。
それでも、自分のPRポイントは変えませんでした。
それは、釘崎社長に認めてもらえたからです。
きっと、わかってくれる人は他にもいると
信じていました。
そうして、今月に入ってやっと結果が出ました。
最終的に4社から内定をいただき
悩みに悩んだ末、株式会社○○○○に
入社を決めました。
(中略)
それでも、この就職に納得しています。
こうして、就職活動を終えることができたのも
釘崎社長のお陰です。
本当にありがとうございました。
これからも、上を目指して頑張ります。
—
ということで、僕も「まけるな」の精神で、本日も行ってきます!
若者に勝負を挑んでしまったのだ
2012年2月13日 (月曜日)
先週の日記で、5月20日の「高橋尚子杯ぎふ清流マラソン」への出場と、そこでの2時間15分以内の記録を目指すことを宣言したばかりなのだが……。
いや、この大会へは宣言通り出場する。
けれども問題は、それよりも一カ月以上も前の大会に、急きょ出場することになってしまったことだ(汗)。
出場するのは、パラカップ2012年大会。
以下、ホームページからこの大会の趣旨をコピペする。
—
PARACUP~世界の子どもたちに贈るRUNは、世界の子どもたちを支援することを目的に開催されるチャリティーマラソン大会です。
一般社団法人PARACUP(*注)と複数のNGO団体との共催によって大会は企画運営されており、大会の収益は各団体を通じて世界の子どもたちに届けられます。
(共催団体の詳細についてはこちらをご覧ください)
参加者の皆さんが走ったりボランティアをしたりすることを通じて送ってくださったお気持ちは実際、子どもたちの人生にとても大きな影響を与えています。
PARACUPの支援を受けているとある子どもが言いました。「僕の夢は頑張って勉強をして、いつか日本に行くことなんです。日本に行って、僕のことを支援してくれている2000人*の方々に会って、お礼を言いたいんです。」 (*2007年大会の後のコメントです。)会ったこともない2000人の参加者に応援されている一人の子どもの意気込み。彼は確かに身寄りのない孤児であったかもしれません。でも彼はこれから先、二度と、自分はひとりぼっちであるなどと感じることはないでしょう。
私たちの走りやサポートは間違いなく、彼の心に届いていたのです。
多摩川の河川敷を5000人のランナーが走ることそのことで、世界が大きく変わるわけではありません。ただ、何か小さなことでも、その一歩を踏み出すことに意味があるのではないかとPARACUPは考えています。笑顔と喜びにあふれた一日を過ごすことが、世界のどこかにいる子どもたちの人生を変えることになっていたとしたら本当にすばらしい。
何も大それたことをしなくても、特別なことをしなくてもいい。PARACUPの一日を一緒に過ごしていただくだけで、結果として世界のどこかで小さな子どもたちが笑顔になっているのです。
参加者のみなさんが、PARACUPを通じて少しでも世界の困っている人たちに目を向けたり、世界とのつながりを感じたり、または、誰かのために少しでも何かをやってみようという気持ちになっていただければ幸いです。
PARACUPはそういう小さな「きっかけ」になれればと願っています。
—
うーむ。おもわず「出たい!」という気持ちをくすぐって余りあるマラソン大会の趣旨なのである。
昨年の7月からG社に出向しているタカタが、G社の(以前よりこの大会を支援している)U社長から「パフの社員にも声をかけてよ」と頼まれて、先日声をかけてきた(というか全従業員MLに誘いのメールを投げてきた)。
G社のU社長を始めとする20代~30代の若者たちが走るというのに(そして上の大会趣旨を読んでしまった以上は)、パフの社長たる僕が黙ってる訳にはいかない。
ただ、迂闊だったのは、ハーフを選択してしまったこと。パフの社員たちも出るには出るが、皆10kmへのエントリーだったのだ。僕がオヤジ仲間として、うまく巻き込んだつもりのK社のS薗社長までもが10kmへのエントリー。なんだよなんだよ、みんな根性無しだな(>_<)。
しかし、G社の社員たちは(もちろん社長も)、ほとんどがハーフを走るのだという。先週の金曜日に僕が家庭訪問したG社の幹部サベさん(30代前半)も、たまたま居合わせた元G社のインターンのHくん(体育大出身の20代バリバリスポーツマン)も皆ハーフ出場だ。
僕の悪い癖だが、ついついその20代の若者Hくんに戦いを挑んでしまったのだ。いや、もちろんハンディ付きだけど(笑)。
開催日は4月8日。あと2カ月も猶予がない。
これから急ピッチで練習に励まねば。。。
ということで、いまは週末だけのランニングなのだが、来週くらいから平日(火~木のどれか一日)も走ることにしよう。そして、3月に入ったら、早朝ランニングも再開することにしよう。
ともかくも若者に負けないようにがんばるぞ(`_´)ゞ
東奔西走の日々
2012年2月10日 (金曜日)
一昨日は浅草、昨日は新宿の西のはずれ。
うむ。
実は昨夜の記憶がないのだが(Facebookのウォールをいま見てびっくりw)、新宿の西は、浅草に負けないくらい、なかなかに魅力的な街なのである。
そして今夜は東京の南、パートナー企業のキーマン宅に家庭訪問する予定。奥さんとお子さんにイチゴを買っていくのだ。
訳のわからない日記だがこのへんで。
では、行ってきます!
浅草は昔の東京がそのまんま
2012年2月9日 (木曜日)
昨夜は、年に数回集まって飲んでいるオヤジ仲間たちとの新年会。場所はなぜか浅草。夜の7時から飲んでいた。
雷門からさらに10分ほど浅草寺方面に歩き、ぐるっと回り込んだところにある地元の露店風の安ーい居酒屋での飲み会だった。
夜の浅草は、人も少なく、商店街のシャッターがおりており、ちょっと寂しい佇まい。
浅草公会堂の脇を通ったのだが、大月みやこや、新沼謙治や、千昌夫のポスターが貼ってあり、昭和の時代に迷い込んだかのようだった。
でも、オヤジの会は大盛り上がり。
牛すじをつまみに、生ホッピーや電気ブラン(懐かしい!)を飲みながら、しばし盛り上がっていた。
店には、こんな子猫もいて、童心にもどっていっしょに遊んだり(笑)。
こうして浅草の夜は更けていったのでした。
さて、今夜もまた新年会だ。2月になったというのに新年会が連ちゃんというのもアレだけど。。。
詳しくはまた明日の日記で。
ではちょっと胃が重いけど、運動を兼ねて早歩きで行ってきます!