パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

創業から1年半が経過した1999年の夏。新卒一期生のヨシカワさんたちが働き始める約一年前の話です。

このころは7名ものインターンシップ生が無給で働いていました。

以下はそのなかの一人、野口くんというインターン生とのやりとりを「自転車操業物語」から抜粋したものです。


1999年9月末。パフのインターンシップ受け入れ期間は終了した。

インターンシップの中に、野口君という東洋大学4年生の学生がいた。

この野口君、最初の頃は電話がとてもぎこちなくて、ずいぶん心配したものである。

ところが日を経るごとに、みるみる上達していき、他の誰よりも多くのアポをとり、最終的には、営業訪問数はダントツの一位になっていた。

大学ノートにしたためた彼の日報には、日々営業で感じたこと、お客さんの言葉、自分の課題などが克明に記されていた。

決して器用なタイプではないが、コツコツと努力を積み重ね、徐々に実力を開花させるタイプの人間だ。

そんな野口君がインターンシップの期間が終わりに近づいたある日、ボクにこういった。

野口 : 「釘崎さん、俺、悔しいっすよ。夏休みの2ヶ月間、こんなに時間をかけてインターンシップやったのに、ほとんど結果が出なくて。俺いったい何やってたんだか……」

釘崎 : 「でも、お前、一生懸命やってるじゃないか」

野口 : 「何百社も電話して、何十社も訪問して、パフのこと分かってもらえたのは、ほんの数社しかなかったんですよ」

一生懸命やったものにしか分からない悔しさだろう。それだけ彼は、本気で仕事をしていたのだ。

野口 : 「パフのことを、いくら説明しても、人事担当者は全然わかってくれないんです。『話は分かるけど…』っていうけど、実は全然分かってもらえていなかったんです」

人事担当者が悪いわけではない。もちろん野口君の営業が悪いわけでもない。パフは分かりにくい、売りにくい商品だったのだ。

ボクはパフのことを、十分周囲に伝えきれていなかったのだ。いや、その努力を怠っていたのだ。

(後略)


 

この野口くんともうひとり、当時、中央大学3年生だった植杉くんという(インターンシップ研修の初日、焼酎のボトルをラッパ飲みして病院に担ぎ込まれたバカな奴)がいるのですが、昨夜は彼らと久々に会食することになりました。

 

左が野口くん、右が植杉くん

 

植杉くんは大手証券会社の営業マンだったのですが、昨年の夏に起業し、いまは六本木に事務所を構えています。

昨夜の会食場所は、その植杉くんの事務所のすぐそばにある会員制の高級なお店でした。

窓から見えるのは東京タワーと六本木ヒルズ

 

会員になっているのは植杉くんの会社。さすが元証券マン。独立してかなり儲けているようです。どんな悪いことをしているのでしょうか(苦笑)。

ま、それはともかく、昨夜は20年前のことを思い出しながらの楽しい会食でした。

彼らと一緒に働いていたのはたったの2か月間ですが、僕にも彼らにも、とても大き財産を残してくれた日々でした。

だって、20年たっても「こら、野口!植杉!」って言えるわけですからね(笑)。

 

 

20年前の彼らとの日々は「素晴らしき100の出会い」でも書いていますので、興味のある方はぜひこちらもご覧ください。

⇒ <第101話> 「創業2年目のインターンシップたち」

 

昨夜はなんと植杉くんがご馳走してくれました。20年の付き合いで初めてのことじゃないですかね。

「釘崎さん、もう来年は還暦ですか。よく頑張りましたね」なんて言われちゃうし(苦笑)。

ということで、植杉、昨夜はご馳走様! 野口、例の件連絡待ってるぞ(^_-)-☆

 

さて、きょうは早くも金曜日。でも、まだまだシゴトはテンコ盛りです。

では、そろそろ朝食&スカーレット後、行ってきます!