せっかくなので僕の平成を振り返ってみましょう。
2019年4月30日 (火曜日)
世の中は10連休のまっただなか。
僕は連休初日の27日と翌28日は福岡で過ごした。
昼間はマジメに仕事をし、
夜はちょっとだけ不真面目にここらへんで過ごした(笑)。
それはともかく。
平日しか書かないこの日記なのだが、今日は平成最後の日ということなので、月並みではあるが、平成のこの30年間を振り返って書いてみることにした。
僕は昭和35年(1960年)生まれ。日本の高度成長とともに幼少期を過ごした。昭和39年(1964年)には東京オリンピック、昭和45年(1970年)には大阪万博の開催もあったりで、日本の未来にワクワクしたものだ。
そんな昭和が終わりをつげ、平成にバトンを渡したのが1989年1月。僕は当時28歳で社会人6年目。世の中は二度のオイルショックや円高不況を乗り越えて、バブル景気絶頂の時代を迎えていた。
僕にとって、大きなキャリアの節目となったのも、この平成元年からの数年間だった。
初の転職が平成元年6月。実はこの転職は失敗に終わったのだが、その失敗のおかげで前職と出会うことができた。
この前職で責任者となって企画したのが(当時はまだ珍しかった)パソコンを使った人事業務アプリ。その数年後の平成7年には、インターネットによる就職情報メディアの立ち上げを行うことになる。長女が生まれたのが平成3年だったので、公私ともに変化の激しかった平成一桁の時代だった。
そして平成9年10月、酒の場で衝動的に独立を決意。その2か月後の平成9年12月に株式会社パフを設立。一夜でサラリーマンから経営者に。青天の霹靂ともいうべきキャリアチェンジだった。
平成10年1月より、本格的にパフの事業を開始。しかし、世はまさにバブル崩壊とアジア金融危機による平成不況。大手金融機関の倒産・統合・合併が相次ぎ、経済大混乱の嵐の中での旗揚げだった。
しかし、平成13年くらいから景気は上向き始め、パフの事業も比較的順調に伸びていった。社員も徐々に増えていき(ちなみに新卒一期生・ヨシカワの入社が平成13年4月で、二期生・ホサカの入社が平成14年4月だった)、株式上場も視野に入れていたのが平成10年代。パフにとっては浮揚の時代だった。
過程ではいくつかの迷走があったものの基本は成長のときを過ごし、平成19年12月には無事設立10周年を迎え、「さあ、これからだ!」というときに襲ってきたのが、あの忌まわしきリーマンショック。平成20年9月のことだった。
そこからの3年間は業績が右肩下がり。赤字続きで負債は膨らむ一方だった。
が、しかし、希望だけは失っていなかった。
おやじバンドMSPの初ライブ(平成21年5月)や、新潟での50歳ライブ(平成22年11月)など、音楽活動を精力的にやり始めたのも、このリーマンショック後のことだった。
ランニングを開始したのもこのころから。初ハーフマラソンは平成23年2月。マラソン効果なのか、業績も回復の兆しを見せ始めていた。
しかし、平成23年3月11日。東日本大震災が突如として多くの人々の命を奪い、人生を狂わせてしまった。
回復の兆しを見せ始めていたパフの業績も振り出しに戻り、この年の決算も大赤字。資金も底をつき、もはや後がないところまで追い詰められてしまった。
が、後々考えれば、この平成23年の大赤字決算と、その後矢継ぎ早に実施したいくつもの施策が、現在のパフの礎を作っているのかもしれない。
すべての取引銀行に頭を下げてリスケ(返済スケジュールの見直し)を依頼したのが平成23年4月。マジックドラゴン株式会社という子会社(いまは休眠させてます)を設立したのが平成23年7月。
同じタイミングで、何人かの社員にはパートナー企業に出向・転籍してもらう、という辛い決断も行った。事務所を、それまでの築地(東銀座)から茅場町に移したのも平成23年9月だった。
これら施策によって、平成24年の決算は黒字となり、3年間下がり続けた売上もやっと下げ止まった。いまのベテラン社員たちの力が急速に向上し、頼もしくなっていったのも、このリーマンショック後のつらい体験があったからこそだと思う。
平成25年からは新卒採用も再開。パフの仕事は昔に比べるとずいぶん高度になってきたのだが、ベテラン陣が頑張って若手の育成を行っている。20余年の歳月を経て、遅まきながらやっと会社らしくなってきたともいえる。
僕にとっての平成はいま振り返ると、元年から平成9年までの足掛け10年間がパフを作るための準備期間。平成10年から平成30年までの約20年間がパフと一心同体、苦楽(生死?)を共にした期間だった。後付けではあるが、まさにパフのための30年間だったような気がする。
僕のキャリアとパフを生み育ててくれた平成の30年間に、あらゆる意味を込めて感謝したい。
そして、明日から始まる令和は、僕自身がパフを巣立ち、人生の最終章を始める新たな時代となっていくことだろう。
てなわけで、平成最後の日記を終わります。
では今夜は久々に、平成最後の家族サービスに行ってきます!