20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第2話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
大分県の観光都市別府から、車で山道をクネクネと1時間ほど走り続けると 狭霧の彼方に、情緒豊かな盆地風景が広がってきます。
この地こそが、僕が小学校~中学校の少年期を過ごした「湯布院町」なのです。
熊本の人吉温泉で板前をやっていた父は、昭和41年11月下旬に、勤め先の旅館を変えるために、一家を引き連れて、この湯布院に引っ越してきたのです。
当時、僕は幼稚園児。当然、湯布院の幼稚園に通うんだろうなと思っていたのですが、小学校入学まで間もないということで、「わざわざ通わんでもよかたい!」という親の非情な判断で、あまり聞かない「幼稚園中退」という悲しい学歴を僕は背負うことになりました…(当時の僕には自覚がありませんでしたが、我が家は相当に貧乏でした)。
ともあれ、小学校入学までの数ヶ月間、僕はプータロウ状態。
友達が誰ひとりとしていない、孤独な6歳の冬を迎えることになった訳です。
湯布院は標高が500メートルほどの高地で、九州とはいえども、ものすごく寒いところなのです。特に湯布院に移り住んだこの年は、12月から連日雪が降っていたのを覚えています。
湯布院には、由布岳という実にきれいな山があります。標高1,583メートル。阿蘇九重連峰のひとつなのですが、その美しさゆえ「豊後富士」と呼ばれていたほどの山です。
現在の由布院小学校から望む由布岳
この由布岳が雪化粧につつまれた景色は、幼かった僕の目にも焼きついており、「幼稚園には行けないけどいいところに引っ越してきたんだな…」と感じさせてくれたものです。
ところで、僕には5歳年上の兄がいて、当時彼は小学校5年生。兄はさすがに小学校中退というわけにも行かず、引っ越し後すぐに学校(由布院小学校)に通い始めていました。
その兄が学校から帰ってきて次のようなことを言っていたのをよく覚えています。
「湯布院はな、言葉が熊本とはぜんぜん違うとバイ」「熊本の言葉で友達にしゃべってもな、なーんもわからんとバイ」「なんかな、みんな喧嘩ばしようごたるとよー」「よーしゃべりきらんバイ」
数ヵ月後、兄と同じ由布院小学校に入学することになった僕は、その言葉の違いに散々悩むことになるのでした。
(つづく)
ということで、本日は「新・パフの創業物語」第2話でした。次回はいつなんでしょうね。案外明日だったりして(笑)。
さて、本日は晴天。東京の気温は30℃まで上がるそうです。では、朝食&エール後、ポロシャツ姿のウォーキングで行ってきます!