20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第23話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
「社、社長、ボ、ボクでよかったら採用しませんか!?」
ボクのこの一言で、ボクの社会人としての進路が大きく回転しながら決定づけられていきました。
S社の社長は、リクルートの2年目バリバリ営業マンとして疑いもしなかったボクの正体が、実はまだ大学生、という事実に仰天し、しかも、そいつが急に「自分を入社させてくれ」と言い出したものだから、二度ビックリだったようで、酒を飲む飲む。
その日はボクもかなり飲んでしまい、その後の記憶は定かではないのですが、何しろ卒業を待たずに翌月から働く約束を交わしてしまったようです。
ということは、ボクが籍を置いていたリクルートは辞めなければならないということ。必然的に、このことはリクルートの人事担当者である兄のところにもすぐに伝わるということ。そして九州に住む親にも伝わるということ……。
この頃のボクは、もう迷いは一切なく、むしろ大胆不敵な自分の行動に「うん。俺もなかなかの男だね。将来は俺がこの会社を大きくして大会社の社長かな?へへへ」などと酔いしれていました。
しかし案の定、少しして九州の母親からすごい剣幕で電話がかかってきました。
「兄ちゃんから聞いたバイ!あんたナンバ考えとっとかい!そげな小さな会社に入って、どげんするんかい!だいたいアンタはな、グチャグチャグチャ……グチャグチャグチャ……」
そこまで言うか!というくらい大変な罵声を浴びせられたものです。
また、それから少しして兄がボクの下宿に突然訪れ、徹夜での大説教大会も行われました。
「お前なー、もうちょっといろいろ考えろよ。その会社のどこがいいんだ。その会社の売上は?利益は?強みは?財務諸表はどうなってるんだ?社長の経歴は?なに!?知らないだと?(怒)」
理路整然と問いつめてくる兄に、理屈で言い返すことはほぼ不可能で、「お前だって日本で一番優秀な大学出たくせに、リクルートなんて当時は訳のわからんかった会社に就職したじゃねーか!なんで俺が訳のわからん会社に入るのがわりーんじゃ!」
・・・と、こちらこそ訳のわからないことで言い返すのが関の山でした。
まぁ兄にしてみれば、自分が誘い込んだリクルートがきっかけで、弟が道を踏み外すのが(実際には全然違うのですが)やるせなかったのでしょうね。
ともあれ、兄もボクのあまりの強情さに「もう知らん、勝手にしろ!」とあきらめてはくれましたが……。
こんな感じで、親兄弟の反対をむりやり押し切って、ボクの就職活動(というのだろうか?)は、あっという間に終わってしまいました。
さぁ、来月からリクルートの営業マンじゃなくて、ちっちゃなベンチャー企業の採用担当者だ。反対した連中を見かえしてやるぞー!大企業に入った連中よりも偉くなってやるぞー!
1983年の秋も深まった夜の、たった一人での決意でした。
(よし、がんばれよ! つづく)
いやあ、懐かしいですね。
このとき、母親や兄から反対されればされるほど、罵声を浴びせられれば浴びせられるほど、僕の決意がどんどん固まっていったことをよく覚えています。
相当な頑固者(へそ曲がり?)だっだわけですが、いまではこの自分の頑固さに感謝しています。
もし、僕がこのときの親兄弟からの説得に折れてしまっていたら、いったいどんな人生になっていたのでしょうか。それはそれで見てみたい気もしますけどね(笑)。
さて、今日はこれから売られた喧嘩(もう1年以上も続いていますが)を買うための準備を在宅で進めなければなりません。週明け早々オンラインでの対決が待っているんですよね。リモートでは殴ることもできないので資料での応戦です。
では、朝食&エール再放送後、仕事します!