20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第26話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1984年4月某日。
計測制御技術では定評のある(といっても当時のボクは、全然知りませんでしたが)C社技術センターでの、腕利き技術者とのシステム開発のための仕様打ち合わせ。
入社2年目のSEだなんて偽ったって、所詮ボクは、つい先日までリクルートブックの広告営業しかやったことのない超文系人間。あっという間にボロが出てしまいました。
この時に打ち合わせをしたシステムは、「ZD(ツェナーダイオード)エージング装置制御システム」というやつで、極めて荒っぽく説明すると…
「ダイオードを冷蔵庫の化け物みたいな恒温槽という入れ物に保管し、温度を0℃~100℃くらいまで切り替えていきながら、ダイオードから得られる電流・電圧・光量なんかを1週間サイクルで計測し、そのデータを計算式を駆使しながら様々なチャートやグラフで描くシステム。この温度制御や、データの取得、分析・作画・作表などの一切合切の処理をパソコンで取り仕切る」
というシロモノです。・・・といっても、わかんないでしょ?
こんなワケの分からないシステムを、文系の大学を卒業したてで、数学も物理も化学も音痴で、コンピュータもさわったことのない奴が理解できるはずがない。
打ち合わせが本格化して15分ほど。真っ青な顔をして脂汗を流しているボクに気づいた先方の技術者は、
技 : 「あのー釘崎さん、わかります?ちょっと難しいかな?」
釘 : 「え、え、えぇ、いやー、ちょっと…」
技 : 「釘崎さんて、学生時代の専攻は?物理?数学?電気?情報?」
釘 : 「い、いや、あのー、ま・マーケティングを少々…」
技 : 「マーケティング?あ、じゃ、じゃぁ、パソコンのプログラミングには詳しいんだ。で、ですよね?」(覗き込むように)
釘 : 「い、いやー、それも実は……」
技 : 「……」
もうウソはつけないと観念したボクは、
釘 : 「すみません、ボクはつい先日、大学を卒業したばかりで、パソコンもまるで触ったこともなければ、ましてやダイオードなんてさっぱり分からないまるっきりの素人なんです」
と、蚊の泣くような声で、白状をしてしまったのです。
これにはさすがの、技術者S藤さん、E本さんもビックリされたのでしょう。しばらくは沈黙が続きました。
しかし先輩格の技術者S藤さんは、
「まぁ、仕様書はキチンとあるわけだし。今日の打ち合わせの内容を持ち帰っていただければ、会社の他の皆さんでなんとかしてくださるでしょう」
といって、残りの説明を懇切丁寧にしてくださったのでした。
薄れ行く意識の中での打ち合わせも終わり、「もうこの会社に来ることはないだろうな。社長には悪いけど、この会社との取引はオジャンだ。あーあ」と思ってその日は帰宅。
ションボリとして翌日会社に行くと、思わぬ社長の一声が…。
「おーい、釘ちゃーん。昨日はお疲れさま、悪かったね。さっきC社から電話があってさ、昨日の打ち合わせのシステム、よろしくお願いしますってさ!釘ちゃん、なかなか評判良かったみたいだねー。『なかなか頼もしい新人ですなー』って俺誉められちゃったよー!」
おいおい、ホントかよ?
正式な受注は、会社としては嬉しいことかもしれないけど、あのワケのさっぱり分からない「エージングシステム」、ホントに俺やるの……。
得体の知れぬ恐怖と不安が一気に襲ってきた瞬間でした。
そしてその恐怖と不安は、みごと現実のものとなり、身も心もボロボロのグチャグチャ新社会人生活1年目がスタートするのでした。
(し・死ぬなよ!つづく)
この物語を書いたのは丸20年前ですが、システムの説明がわりと詳しく書いてあってビックリしました。ちゃんと覚えていたんですね。それにしても、よくもまあこんな難しいシステムを作っていたものだと我ながら感心します(苦笑)。
さて、本日は売られた喧嘩を買いに行かねばなりません。もういい加減うんざりで、早くこの詳細を公表したいんですけが、もう少し先になりそうです。
では朝食&エール再放送後、重い資料をゴロゴロしながら行ってきます!