20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第44話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1997年10月中旬。
カミさんの承諾を取り付けたボクは、なんの気兼ねもなく正々堂々と独立に向けた準備を進めることができるようになっていました。
まず、真っ先に報告したのは、あのムライミツル氏。
釘:「ムライさーん、ムライさんの忠告通り、カミさんを説得し味方につけましたよ」
ム:「え?何の話?」
釘:「何の…って、おれ会社作るんですよ、作れって言ったのはムライさんでしょ?」
ム:「えー!?そうかあ、作るのかあ、へー、そうかあ、思い切ったなあ、へー」
まー、もともとこんな感じの人なので、あまり気にしませんでしたが(笑)。
そして、次の報告&相談が兄貴。そもそも弟のボクをリクルート業界に引きずりこんだのは兄貴。
このとき兄は、リクルートのグループ会社の社長に就任したばかりでした。
そんなことで兄にはぜひ出資を仰ぎ、株主になってもらおうと思って電話したところ・・・
釘:「あ、もしもし俺、清秀だけど久ぶり。あのさー、俺会社作ることにした」
兄:「そうかー」
釘:「よかったら出資してくれないか?」
兄:「わかった。100万円くらいなら何とかするぞ」
兄からは、少しは反対されるかと思いきや、むしろ独立することを喜んでくれたようでした。しかも100万円ポーンと出してくれるというので、逆に拍子抜けしたものでした。
さて、これで資本金は、とりあえず自分のお金(実際は娘名義の貯金ですが)とあわせて、200万円確保したことになります。
あと800万円をどうするか。
「そうだ!昔からの友人をリストにして、一人ひとりお願いしてみよう」
「とりあえず、『事業計画書』をつくんなきゃ!」
そして苦心の末できあがったのは、A4サイズ2枚だけの事業計画書。
今読み返すと、恥ずかしくなるほど拙いものでした。
そして、作成の翌日から本格的な出資者探しが始まるのでした。
( 詐欺でつかまるなよな! つづく)
結果から書くと、出資者を探し始めて1か月も経たないうちに、資本金1,000万円を集めることができたのですが、この間、会って話をした人は約30名。そのほとんどの方々には株主になっていただくことができました。
このときはまだサラリーマンなので、会えるのは夜間か土日。しかも、まだ携帯電話が普及していなかったころですから本人を捕まえるのにも苦労したものですが、我ながら粘り強く、よく頑張ったものだと思います。
フォークソング居酒屋開業に向けて同じことをやれと言われても、とても真似できないです(苦笑)。
さて、本日は終日在宅勤務の予定です。最近では本業以外の仕事がやたらと降ってきて意外と時間がありません。きょうも最後の打ち合わせが終わるのが夜の8時だし。眠くならないようにしなきゃ💦
では、朝食&エール再放送後、仕事します!