釘さん日記

新・パフの創業物語<番外編>「森のくまさんキムラさん」

ここ数回は、創業時(正確には会社が生まれる前)に出資してくださった方々のことを紹介しています。昨日予告した東映のお二人はちょっとあと回しにして、今回は「キムラさん」をご紹介します。今回も2006年2月に書いた「釘さんの素晴らしき100の出会い」の第61~62話をリライトしながらご紹介します。


システム開発の仕事をしていた20代の頃、僕が働いていた会社には凄いエンジニアがいた。

わずか10数名しかいない小さな会社だったのだが、働いていたのは個性的なエンジニアばかりだった。そのなかでも最も個性的だったのが今回登場のキムラさんだ。

キムラさんは僕よりも7歳年上。当時、ちょうど30歳になったばかりの中堅エンジニアだった。無口な人で、僕とは別のプロジェクトの仕事をしていたこともあり、ほとんど口をきいたことがなかった。

もともとキムラさんはフリーのエンジニアで、正社員として働いていたわけではなかった。なのでプロジェクトが進行中のときには会社にいるのだが、それ以外は顔を合わせることも少なかった。

・・・その時も、会うのは半年振りくらいだったと思う。バイクのヘルメットを片手に事務所に入ってきたキムラさん。顔を見てビックリした。

ありゃー、まるで森の熊さんだ!!

口のまわりから顎にかけて、一面黒々と髭をたくわえていた。それも実に見事な髭。明治維新の英雄たちもビックリするくらいの髭だった。

そのころからだったと思う。キムラさんが僕と喋ったりお酒を飲むようになったのは。

キムラさんの仕事スタイルはとてもハッキリしていた。

毎朝、新横浜の自宅から、愛車のナナハン(750CCのオートバイ)に乗って颯爽と会社にやってくる。皮ジャン姿でヘルメットを片手に「おっす」と、ぶっきらぼうな挨拶をしながら自分のデスクに座る。自分の部下たちに、パパッと指示を飛ばし、その後自分も仕事に没頭する。

そして夕方の6時。僕などは「あーあ、今夜も残業だなぁ。ラーメンの出前でも取るか」と思っている時間だ。

「じゃあな、お先に!!」。そういってヘルメットを片手に、ささっと帰っていく。キムラさんの部下たちもそれに続いて帰っていく。

昔のSEやプログラマーといえば徹夜が当たり前の世界だったのに、キムラさんのプロジェクトだけは、徹夜はおろか残業している姿をほとんど見たことがなかった。

僕が担当していたプロジェクトなどは、納期前になると一週間連続で寝泊りするなんてことも珍しくなかったのに……。キムラさんは、よっぽど楽な仕事ばかりを選んでいるんだろうと思っていた。キムラさんのプロジェクトで働いているメンバーはラッキーな連中だなと、やっかみ半分で眺めていたものだ。

しかし、キムラさんが担当していたプロジェクトは「楽」な仕事なんかじゃなく、当時としては先進的な新聞社向けの画像処理システムだった。残業をしないっていうのは仕事が楽なわけではなく、仕事の見積もりが正確で、無駄なく無理せずテキパキと、スケジュールどおりに仕事を進めていたからだったのだ。

それが分かったのは、僕がエンジニアの仕事を始めて5年目。僕はキムラさんと一緒に仕事をしたことは一度もなかったのだが、一度だけキムラさんが納品の作業で詰めていた新聞社まで届け物をしたことがある。その時に晩飯をご馳走になりながら、キムラさんの「仕事哲学」を聞いたのだ。凄い、と思った。

僕はその直後、28歳で会社を辞め、システム開発の仕事から足を洗った。キムラさんとも、以来、顔を合わせることはなかった。

再会を果たしたのは、それから8年後。僕が「パフ」を創業しようと決意した時だった。

会社を創ろうと思ったものの、貧乏サラリーマンだった僕には資本金となるべき現金がほとんどなかった。

そこで僕は、いままでの人生の中で知り合った信頼できる友人のところを毎日のように訪ね歩き、出資のお願いをして回っていた。

しかし、なかなか思うように資本金が集まらない。当時の法律では「株式会社」を設立するための最低資本金は1千万円。そうカンタンに集めることのできるお金ではなかった。

そんななか、ふと思い出したのがキムラさんのことだった。数年前に独立して、会社を経営していることは知っていたが、不義理なことに連絡は一度もをとったことがなかった。

キムラさんが作った会社には、僕の昔の同僚だったI君やT君や、先輩たちも何人か入社していたので、「皆で会おう」と連絡をしてみた。もちろん僕の目的は、皆から出資を仰ぐことだったのだが。

東京は蒲田にある居酒屋。昔の同僚3人とキムラさんが駆けつけてくれた。酒を口にする前に僕は、自分が会社を設立しようと思っていることと、出資を仰 ぎたいことを切り出した。

キムラさんは、

「クギ、独立なんかやめとけ。社長になっても良いことなんて何もない。苦労するだけだ。奥さんや子供にも苦労をかける。考え直せ」と、僕を諭すように言う。昔の同僚たちも神妙な面持ちで、うつむいている。

それでも僕の考えは変わらない。出資を仰ぐなんてことは、もうどうでも良かった。会社をつくって自分の力を試してみたい、ということや、どんな苦労があろうとも絶対に負けない覚悟はできている、といったことをキムラさんに訴えかけた。

キムラさんはそれでも、「クギ、悪いことは言わない。やめとけ」を繰り返すばかりだった。気まずい沈黙の時間が流れた……。

「クギ、100万円でいいか」

突然のキムラさんの言葉に、僕は耳を疑った。

「え!?」

いまの今まで、さんざん「やめろ」と言っていたキムラさんが、急に100万円ものお金を出すと言う。狐につままれた気分というのは、こういうことを言うのであろうか。

キムラさんは続けて、「まあ、クギがそこまで本気で会社をやりたいっていうんなら大丈夫だろう。俺が応援しないわけにもいかないだろう」と、笑顔で言ってくれた。

涙が出るほど嬉しかった。いや、実は本当に涙が流れた。

後で分かったことだが、キムラさんは最初から皆と相談して100万円を出資することに決めていたらしい。同時に、会社を設立するということが、どれだけ大変なことであるのかということも分からせ、それで僕の気持が揺らぐようであれば、引き止めたかったのも事実らしい。

キムラさんには、それ以来、いろんなところで助けてもらっている。パフの監査役も務めてもらっている。

森の熊さんキムラさん。素晴らしいエンジニアであると同時に、男気溢れる僕の人生の大先輩だ。最初に出会った23年前(注:2006年のコラム執筆当時。現在は出会ってからすでに37年が経ちました…)まさか今のような関係になっているなんて夢にも思わなかった。


キムラさんには、現在でもパフの監査役を務めていただいています。

創業からしばらくのあいだ仕事が受注できず資金繰りに汲々としていたとき、リーマンショックでどん底になったとき、酒を飲みながら僕を励ましてくれました。

パフにシステムの分かる人材が不足していたときにはキムラさんの会社からエンジニアを派遣してもらったこともありました。

上の写真は3~4年前、僕が初めてキムラさんを築地の寿司やで接待したときの写真です。なぜか白黒なのですが(;’∀’)

僕は社長を辞めてしまいますが、キムラさんにはもう少しだけ(少なくとも任期となる来年の9月までは)監査役に留まってもらいたいと考えています。

ということでキムラさん、もうちょっとだけ面倒をおかけしますが、よろしくお願いしますm(__)m

さて、本日も在宅でWeb会議だらけですね。出社するより疲れるかも…汗。

では、朝食&エール再放送後、仕事します!

 

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