マー君と初めて会ったのは、僕が31~32歳のころ。このときマー君は43~44歳で、某大手メーカー人事部の課長を務めていました。
人事情報システムの企画・開発・営業担当者だった僕は、マー君の会社にこのシステムを導入してもらい、しばしば浜松町の本社にも通っていました。ベラんめーで親分肌のマー君に、一回り年下の僕はとてもよくしてもらっていました。
でも、マー君は僕がパフを立ち上げるちょっと前に相模原の工場に異動してしまい離れ離れに。
それが、ある日ひょんなことからマー君と再会することになりました。このときマー君は、なんとその会社の社長さんに就任していたのです。
以来、マー君との交流が復活。この日記でもしばしば茶化しながらネタとして書かせてもらっています。
14年ぶりにマー君と再会した日 2011年3月17日 (木曜日)
器の大きな社長のマー君 2012年10月5日 (金曜日)
で、いま「マー君 釘さん」というワードで検索していたら、こんなコラム(当時のメルマガに連載していたようです)が引っかかってきました。読んでたら涙が出るくらい懐かしくなったので再掲させてもらいます。
釘さんコラム『魔法の竜のひみつ』(2012年6月に配信したパフのメルマガより引用)
●第1話『30代前半に出会った人事課長の臼井さん』
1992年の頃だったと記憶しています。
当時、人材アセスメント会社でコンピュータシステムを担当していた私は、新規事業として、従業員の個人データや、教育履歴、異動履歴などを管理するデータベースシステムの企画・開発・販売の責任者となっていました。
責任者とはいえ、仕様を作っているのも、営業を行っているのも、納品やアフターサービスを実施しているのも(最初のうちは)全部自分ひとり。プログラム開発だけは関連会社の技術者が担当していたものの、なかなかシビアでお寒い環境の中で、この新規事業は推進されていたのです。
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当時「人事情報システム」といえば、給与計算システムのオマケとして、大型コンピュータやオフィスコンピュータの上で動くものがほとんど。しかし、私が開発していたシステムは「パソコン」で動作する、当時としては珍しいパッケージでした。
関連会社が優れた日本語リレーショナルデータベースを所有していたこともあり、このDBをエンジンとして採用することで、比較的安価で使い勝手の良い仕組みを開発することができました。
ただ、安価とは言っても、最低1パッケージ100万円程度。そう簡単に売れるものではありません。
私は多いときは毎週のように人事担当者向けのセミナーを開催し、この人事情報システムの販売促進に勤しんでいました。
その甲斐あって、飛ぶように売れる…とまではいかなかったものの、毎月コンスタントに3社~5社ほどに、このシステムは導入されていきました。
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このころのセミナーに参加していたお客様で、とあるメーカーの人事課長を務める臼井さんという方がいらっしゃいました。
臼井さんはこのシステムに大いに関心を示してくださり、その後すぐに導入を決めてくださいました。
臼井さんの会社は東証一部に上場する大企業だったこともあり、まずは限られた部門だけでの試験的な導入でしたが、それでも大企業がこういうシステムを即決で導入するというのは、とても珍しいことでした。
私は後に、「競合システムがたくさんあるなかで、どうして臼井さんの会社のような大企業が、私たちのシステムを即決してくださったんですか?」と聞いたことがあります。
臼井さんのそのときの答えは、「そりゃ釘さんが信用できたからだよ。システムのことだけじゃなく、人事のことを釘さんはよく知ってたもんな。それから、『コイツは簡単には逃げない』と思ったからかな(笑)」というもの。
骨太で、いわゆる人事っぽくないベランメエ口調で語る臼井さんのこの言葉は、バブルの崩壊でシステムの販売に苦しみ始めていたころの私にとって、とても大きな励みとなるものでした。
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しかし、臼井さんとはそれから数年後、お別れになってしまいます。もともと技術屋さんだった臼井さんは、相模原にある工場の現場へと異動になってしまったのです。
「独断でパソコンのシステムを導入しちゃったりして、やり過ぎたのがいけなかったのかなあ…。左遷されちゃったんだろうなあ。可哀想になあ…」と、私は勝手に想像していました。
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時は流れ、昨年の3月上旬のこと(震災が起きる1週間ほど前でした)。日経新聞をパラパラめくっていたら、見覚えのある懐かしい顔が大きく掲載さ れているではありませんか。
名前を見ると「臼井政夫」と書いてある。間違いない。あの臼井さんだ。嬉しくなった私でしたが、紙面を見て驚いたことがひとつありました。
それは、名前のところに書いてある役職が「代表取締役社長」となっていたこと。
「え! あの臼井さん、社長になっちゃったんだ!」
人事課長時代から数えて20年。臼井さんは左遷されていたわけではなく、実は、あれよあれよと出世していたのでした。
しかし、上場企業の社長だろうが何だろうが、懐かしいものは懐かしい。私はすぐに臼井さんに連絡を取り、その2週間後には再会を果たすことになったのでした。
相変わらずのベランメエ口調の臼井さん。年齢は私より一回り上の大先輩なのですが、昔ながらのお付き合いが、その日から再開されたのでした。
人事部門出身なだけに、人材の採用や教育に熱い思いを持っている臼井さん。現役の人事担当者の方々の刺激と勉強になるのならと、「職サークル」にも、すぐさま協賛してくださいました。
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そして偶然ではありますが、来春、臼井さんの会社では、職サークルのイベントで出会った学生2名を事務系で採用することになりました。
20年の歳月を経て、かつてよりも太くて濃いお付き合いが、臼井さんの会社と開始されたことを、とても嬉しく感じています。
今回は、臼井さんのことだけを取り上げましたが、実はパフの周りには、このような縁と出会いがたくさんあります。
あの日、あの時、あの人と出会ったことが、10年後、20年後、30年後に大きな変化を生み出し、そのことがさらに周囲に広がって行く。
たとえば臼井さんの会社に来春入社することになった文系の新卒学生2名は、私と臼井さんとの20年前の最初の出会いと、昨年の偶然の再会がなければ、このBtoBの会社と出会うことはなかったでしょう。
人の縁とは、かくも不思議なものなのです。
「一人ひとりとの出会いを大切にしたい」というパフの想いは、こんなエピソードの一つひとつから生まれてきたのかもしれませんね。
以上、第1話でした。
実は、このマー君こと臼井さんは、社長、会長、相談役を経て、このたび50年近く務めあげた会社を引退することになりました。
ということで昨日は、マー君のお疲れ様会を催させてもらいました。
僕にとってマー君は尊敬する人生の先輩であり経営者です。これからは親友が社長を務める中小企業の顧問として、経営や組織マネジメントのお手伝いをしていかれるとのこと。ますます濃いお付き合いになりそうな気がしています。
それでも今回は一区切り。マー君、長い間のお勤め本当にお疲れさまでした。そしてこれからも、よろしくお願いします!
☝中央がマー君。左はマー君が顧問を務める親友の会社の管理部長。右端はパフの副社長?