釘さん日記

年賀状をやめることにしました。

そろそろ年賀状のシーズン。でも2019年は、会社としての年賀状をやめることにした。

お取引先や過去名刺交換した方々(日ごろパフのメルマガをお送りしている方々)へは、メールによる新年のご挨拶をさせていただくつもりだ。

ここ数年は、この「釘さん日記」でも(元旦早朝の皇居ランのあと)新年のあいさつを書いている。

ちなみに、

2018年は⇒ 2018年もよろしくお願いいたします。(2018年1月1日)、

2017年は⇒ 2017年あけましておめでとうございます(2017年1月1日)、

2016年は⇒ 2016年最初の釘さん日記です。(2016年1月1日)。

なるほど。こうやって並べてみると面白いものだ。ついつい読み込んでしまった(笑)。

 

紙の葉書の味わいは分かる。捨てがたい気持ちもある。

でも、年賀状を何百枚(会社全体だと何千枚)も印刷したり、書いたりする行為がどうも悩ましい。年賀状が無駄だとは決して思わないが、でも様々な手段でコミュニケーションできる時代でもある。いっそのことここらへんでやめてしまおう、と思ったのだ。

とはいえ「やっぱり紙の葉書で出したい!」という社員もいるので、年賀はがきそのものは必要枚数分(社員から申請があった数だけ)会社で購入することにした。

で、僕個人。プライベートでの年賀状はどうするか。

こちらも原則としてやめようと思っている。

ただ、年賀状でしか繋がっていない方々(メールやSNSでも連絡が取れない方々)にだけは、「俺、まだちゃんと生きてます」という安否を知らせる目的でお出しするつもりだ。

そんな僕でも、年賀状に命を懸けていた時代もあった。

小学生、中学生のころの話だけど、好きな女の子たち(なぜか複数w)に正々堂々と手紙を送れる唯一の手段が年賀状だった。

直接的な表現ではなく、暗に好意を寄せていることを示唆するようなメッセージを頭を捻りながら、何回も何回も書き直していた。

元旦の朝は、郵便受の前で年賀状が届くのを今か今かと待っていた。

そして届いた年賀状の束の中から、お目当ての女の子からの葉書をドキドキしながら探したものだ。

お目当ての葉書を見つけたときの感動。ありきたりで素っ気ないことしか書かれてなかったときの落胆。でも、その素っ気ない文章や筆跡に少しでも意味を見出そうとしているいじらしい自分……。あ、やっぱり年賀状っていいもんですね(笑)。

と、そんな未練を残しつつも2019年の年賀状を出さないご無礼をお許しくださいm(__)m。

さて。あ、今宵は小中学生のころに知り合っていたら絶対にドキドキしながら年賀状を出したであろう方との会食だ。

では夜を楽しみにしながら、まんぷく後、行ってきます!

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