パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

本日も夕方から企業向けセミナー。これで4回目。怒涛のシリーズも、やっと折り返し地点まできた。

本日のセミナーは、パートナー企業である株式会社イー・ファルコンさんと共同で、「適性検査活用の現場から」というテーマを設定して行った。

ゲストスピーカーは、小糸工業株式会社様。知る人ぞ知る、長い歴史をもった産業用電気機械器具メーカーである。

適性検査を、ありがちな「足切り」や「選抜」のために使っているのではない。スピーカーを引き受けてくださった採用担当の課長Aさんの言葉を借りるなら、『 Side by Side 』。“ ともに歩もう! ”の精神で活用している。

僕も適性検査の世界は素人ではないのだが、この小糸工業さんの活用法はとても勉強になった。

Aさん、ホントにありがとうございました。

 

と、本日の日記のタイトルの出来事が起きたのは、実はこのセミナーのあとのこと。

席に戻り、メルマガの原稿執筆の仕事をしていた。書き終えて、きょうは早めに帰ろうかなと思っていたら、『エレベータの点検が始まります。しばらくのあいだエレベータは使えません!』の社内アナウンス。

げっ!そうだった。

まあ、しょうがない。落ち着いて原稿を書くとするか…と思っていたら、携帯に一本の電話。

旧友からの「これからちょっと一杯どう?」の誘いだった。本当にタイミングのいい奴だ。

「じゃ、30分後に昭和通りの交差点で」という約束をした。

原稿も書き終えて、約束の時間が近づいたので、執務室を出た。が!まだエレベーターは点検中。

結局、非常階段を9Fから1Fまで歩いて降りる羽目になった。当ビルの階段は、勾配がとても急で、とても怖い。実は数か月前、9Fから8Fに降りる際、転倒して、危うく大けがをするところだった。

いやあ、怖かった。

結局、無事転ぶこともなく、1Fまで降りることができたのだが、あらためて普段「当然のようにあるもの」が「突然なくなった」ときの不便さを思い知った出来事だった。

・・・後半、どうでもいいことで、日記のスペースを埋めてしまいました。失礼しました!

先週の木曜日から始まった、怒涛の企業向けセミナーシリーズ。きょう、その第三回目が行われた。

本日のテーマは、 「有名企業に負けない! 学生の心を掴む採用」 。ゲストスピーカーを、株式会社システムイオの採用担当者Sさんに引き受けていただいた。

いやあ、マイッタ。すごい。掴んだのは、学生の心だけではなく、セミナーに参加された企業の担当者の皆さんの心。さらに言うなら、僕の心である。

何がすごいって、Sさんご自身が、である。

差別化しにくい業界。イメージのよくない(勘違いや誤解によるものだが)職種。知名度の低い社名……。

そんな厳しい環境下であるにもかかわらず、きっちりとした戦略と信念のもと、採用活動を行っている。しかも、創意工夫に溢れている。それから(これが同社の採用がうまく進んでいる最も大きな原因だと思うのだが)、Sさんの、終始にこやかで穏やかで相手を包み込んでしまうような、人柄

ご本人は自分自身を「未熟者」と謙遜するが、とんでもない。Sさんが採用担当者だからこそ、同社の採用はうまくいってるのだと思った。

いっぽうで、同社への営業を担当者しているパフのタシロがまたいい。自分の会社の人間を、公のブログのなかで褒めるのもどうかと思うが、奴はとても良い仕事をしているということが分かった。同社の採用プランニングや、企画遂行の大事な部分を、奴は任されており、しかも、Sさんと一緒に、パフのサービスメニューにはない独自の企画を何本も立ち上げていた。

「タシロ、おまえ、こんな斬新な、いい企画やってるんだから、もうちっとは社内にアピールしろよなっ!!」

いずれにしろ同社の採用は、Sさんとタシロとの、相互の強い信頼関係のもとに成り立っているんだなぁということが分かって、とても嬉しかった。

#セミナー後に聞いて初めて知ったのであるが、Sさんは、タシロの出身大学の先輩らしい。それも信頼関係を強くしている理由のひとつかな?

Sさん、本日はホントにありがとうございました。今後も大学の後輩のタシロを、どうかよろしくお願いいたします。

7月7日である。七夕である。北海道・洞爺湖ではサミットが始まった。

東京、築地にあるパフのセミナールーム(ミレニアム築地8F)では、七夕ともサミットとも、いっさい何の関係もない連中の集まりが開かれた。

今年パフを使って就職活動を行った大学4年生(と修士2年生)と、これから就職活動を始める大学3年生との交流会である。

パフの社員も含めて10数名の小規模な集まりだったのだが、びっくりしたことがあった。

参加者のひとり、大学3年生のM君のお父さんは、なんとパフの創業時(いまから10年前)にお世話になった特許事務所の所長さんだったのだ。

「えー、そうだったんだあ!」

と、縁の不思議さにびっくりしたものだ。

M君が、お父さんに、「パフって知ってる?」と聞いたら、「あぁ、知ってるよ」という会話が家庭でなされたという。

M君のお父さんと最初にお会いしたのは、ちょうど10年前の七夕のころだったと記憶している。日々汗まみれになりながら、悪戦苦闘していたころだった。

七夕は1年に一回の再会だが、こちらは10年ぶりの、世代をバトンしたうえでの再会である。

10年も会社をやってると、このような出会いもあるんだなあ…と、感慨深くなった日だった。

2004年に大学院を卒業して社会に巣立ったパフの会員に、K君という(元)学生がいる。

東京の超名門中学・高校を卒業し、東大(理系)に入学し、東大大学院修了ののち世界的に活躍するメーカーで研究職に就いた。

こう書くと、いかにも「凄いやつ、近寄りにくいやつ」のように聞こえるが、実際のK君は、ぜんぜん違う。人懐っこくて、人間臭くて、むちゃくちゃいいやつ。

K君は学部(大学3年生)の時も就職活動を行っており、そのときからすでにパフの会員だった。つまり、3年生だった2000年秋から、就職が正式に決まる修士2年の2003年秋まで。まるまる3年間、ずっとパフのメルマガやサイトを利用してくれていたわけだ。

いつから僕とK君と親しくなったのかは記憶にないが、気がつけばK君は、パフのイベントやら飲み会に顔を出すようになっていた。

そのK君から先日メールが届いたので、きょうは(日曜日でジムに行ったことくらいしかネタがないので)、そのメールを紹介しようと思う。K君にももちろん「ある日、突然載せるからね!」と了解をもらっている。

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釘崎さん、吉川さん、伊藤さん

大変ご無沙汰しております。Kです。

筆不精ですみません・・・。

パフの皆さんはその後お変わりないでしょうか?

先日久しぶりにWebサイトを拝見したところ、様変わりしていて驚きました!

もう最終回が終わってしまっていますが、月刊パフin movieではパフの活力をリアルに感じることができ、なんだかウキウキしてしまいました。

最後にお会いしたのは、恵比寿でのパフ会社説明会(2006年?)でしょうか。

定期的に状況をご報告します、と申し上げたにもかかわらず報告を怠ってしまい申し訳ありません。

その後の変化と近況をご報告させてください。

・○○社に入社以降、3年間○○の開発に従事し、2つの製品を市場に出すことができました。

・自身の希望で、社内公募制度を使って昨年2月に人事に異動しました。

・人事では一通りの業務を経験させてもらっている最中で、今月からシンガポールにあるアジア統括オフィスに勤務しています。

・子供が生まれまして今1歳半です。可愛い盛りですが、単身赴任なので寂しい限りです。

今はシンガポールですが、12月には日本に戻って東京××の本社勤務になります。

非常にお忙しいシーズンとは思いますが、もしお邪魔でないようであれば遊びに行きたいと思っています。

またご連絡いたします!

K

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なんとK君は、自ら希望して人事の仕事に就いているという(しかもシンガポールだというから、さすがグローバル企業だ)。人事の仕事を希望したというのは、少なからず、かつてパフと交流していたことが影響しているのかもしれない。

そして僕が、「日記に載せちゃうぞ」と書いたメールにK君は以下のような返事を送ってきた。

—–

釘崎さん

お返事有り難うございました!ぜひ遊びにいかせて頂きます。

日本に戻ったらすぐご連絡いたします。

まだ築地のオフィスも拝見していないですし、とっても楽しみです!

あの「釘さん日記」に出していただけるとは!!嬉しいかぎりです。

会社・ブランド・個人名が出なければ何の問題もありませんので、

ぜひお願いいたします。

K

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ということでK君、ちゃんと載せたからね♪

そういえばK君とヨシカワと3人で行った(ちょっとお洒落な)お寿司やさん覚えてる?あの寿司屋のビルの8Fと9Fが、いまのパフのオフィスなんだよ。昔の月島のビルと比べたら、ずいぶん大きくなったよ。そのぶん家賃も高くてヒーヒーだけど(苦笑)。

では、シンガポールからの帰国を楽しみに待ってます!

今朝は土曜日なのに早起き。所用で、朝7時には(なぜか?)羽田空港にいた。

空港ビルの食堂(パン屋兼コーヒーSHOP)で、ゆったりとした朝食を済ませたのち、京急線で田町に向かった。

僕の行きつけの床屋さんが田町にある。通い始めて10年以上になる。

ここのマスターとのおしゃべりで「赤坂」の話題が出てきた。マスターの知人が赤坂に住んでおり、自転車で先日遊びに行ったという。

「赤坂といえば、『力道山』ですよねぇ」という僕の何気ない振りで、マスターは、「え、知ってるの?ちょっと待ってて」と、とある雑誌や書籍を持ってきてくれた。

そこからしばし、昭和30年代の力道山が大活躍していたころの話で盛り上がった。力道山の出生の秘密や刺されて亡くなった時の秘密なども聞いた。

この床屋のマスターは、推定60代半ばと思われる(聞いてもはっきりと教えてくれないのだが…)。とても不思議な人で、おしゃべりをしていると、とてつもない人脈を有していることがわかる。今回の「赤坂の知人」も、知ってる人が聞くと、どうやらビックリするような人のようだ。

で、その流れで見せてもらった本が、石原裕次郎の似顔絵や、昭和30年代の裕次郎のポスターや、レコードのジャケットや、週刊誌(特に週刊平凡)の表紙やグラビアが収録された本である。

石原裕次郎は、かつて毎晩のように赤坂の高級クラブに出入りしていたのは有名な話である。

その高級クラブで用心棒を務めていた人(実は当時まだ大学生。力道山とも深い関わりを持ち、のちの格闘技界を支えたひとり)が、裕次郎を「アニキ」として崇め、まとめ上げた貴重な本だ。

読ませてもらって、ぐんぐんと引き込まれた。昭和30年代という時代の明と暗が、ひしひしと伝わってきた。

力道山も石原裕次郎も、映画「ALWAYS三丁目の夕日」で、時代を象徴する人物として描写されていたのだが、僕が生まれる寸前の時代なので、僕は本や映画でしかこの時代を知ることができない。

床屋で約一時間、昭和30年代にタイムスリップしたのであるが、できることならこの時代に、裕次郎と同年代の若者として参加したいなぁ…と思った僕だった。

朝8時から、社内の採用パートナープロジェクトの会議に参加した。

いつもは参加しない会議なのだが、なぜか今回だけは、 「明日は俺も出たほうがいい?」と、昨夜、プロジェクト長のヨシカワに確認してしまった。

これがいけなかった。

「はい、クギサキさんも出てください」というヨシカワの返事で、僕のアタマの中には、 「あすは朝8時から会議」というタスクがインプットされてしまった。

そしてきょう。予定通り、朝8時からの会議に参加した。

難しい課題が続出した会だったが、終了時間である8議時45分が来てしまった。全従業員参加の朝礼が開催される時間なので、会議も打ち切りとなる。

さあ、全員が顔を合わせての朝礼……の、はずだった。

「あれ?タカタはいないのか?」

僕がつぶやいた。そして、タカタの外出先が書かれているホワイトボードに目をやった。

「直行…。株式会社○○○○。あれ? あぁぁ、しまったぁぁぁ!!!!!」

そうだった。きょうはタカタと朝9時にお客様(古くからの協賛企業D社の専務)のところに伺う約束をしていたのだった(汗)。

D社の場所は、京浜東北線の大森駅。東銀座から30分はかかる。現在の時間8時50分。約束の時間は9時。

どう考えても遅刻である。

タカタの携帯にすぐに電話した。

「あの、わ、わりい。きょう9時だったよな? 実は俺、ミーティングに参加してて、いままだ会社にいるんだけど……。や、やっぱり行ったほうがいいよな。す、すぐ向かうから先に入っていてもらえるか。わ、わりぃな…」

いつもは、 「こらっタカタ!てめぇなぁ!!」と怒鳴りちらしているのだが、きょうばかりは立場が逆転。丁重な言葉づかいをせざるをえなかった(苦笑)。

それから大急ぎで会社を飛び出し、東銀座の駅までダッシュ。新橋での京浜東北線への乗り換えもダッシュ。大森駅からD社の会議室に向けてもダッシュ。

到着したのは、9時20分過ぎだった。

会議室に入るなりD社のS専務に平謝り。が、S専務は穏やかに、 「いやいや、とんでもないです。お忙しいのに、わざわざ来ていただいてありがとうございます。それより、会議は大丈夫でしたか?」とねぎらいの言葉。さすがS専務である。器の大きさが違う。

僕は顔から噴き出す汗をポケットタオルで拭きつつ、ただただ恐縮していた。

しかし、この遅刻のおかげで(?)、その後の打ち合わせはとても良好に進んだ。来週のセミナーで、S専務と僕との対談を行うのだが、いい話を参加者の皆さんに聞いていただくことができそうだ。

 

・・・ということで、きょうは朝っぱらからたくさんの汗(冷や汗も含む)をかいた日であった。と、同時に、タカタに頭の上がらない悔しい一日だった(苦笑)。

#それにしても、朝、一日の行動スケジュールの確認を怠ってしまった自分は、大反省である。

<追伸>

夕方は昨日に続いて第二回目の企業向けセミナー。本日のゲストスピーカーは、福助さん。とっても素敵な採用担当者さんに、さらにとっても素敵な話を聞かせていただいた。少人数セミナー、なかなか好調である。

 

この7月は、企業の採用成功に向けたセミナーが、ど・ど・ど・と、たくさん開催される。

なんとその数8回。毎回、異なるテーマを設定し、そのテーマに沿った事例をお話いただくゲストスピーカーの方をお招きして開催する。

きょうは、その怒涛のセミナーシリーズの第一回目。ゲストスピーカーは、松竹さんだった。

松竹さんの本社事務所は、パフのすぐ斜め前にある。ご近所のよしみというわけではないのだが、事例発表のお願いを快く引き受けてくださった。

セミナーへの参加人数も、回数やテーマを数多く設定しているおかげで、毎回少人数(10名~20名程度)だ。深くじっくり話を聞いたり、質問したりするのにちょうどよい。

とはいえ、まだ各回とも残席はあるので、この日記をご覧の皆さんで、まだ申し込んでない方は、ぜひ申し込んでください。

お申込みは下記から受付中です!!

http://www.puff.co.jp/corp_seminar/080703.html