パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

20年前(2000年7月から約1年間)、メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第45話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


引き続き1997年10月下旬。

会社を作るための最低資本金が(1997年当時の法律では)1,000万円、現在集まった金額が200万円。

あと800万円を、なんとか調達しなければ会社を設立することができない。

ボクは昔からの仲の良かった友人を中心に、ひとりひとり連絡をとり、新会社の事業計画を説明し、いずれ利益が出たら配当することを約束し、出資者を募ることにしたのです。

いちばん多く会ったのは、学生時代の仲間たち。

「俺さー、会社作ることにしたんだ。ついてはお前にも株主になって欲しいんだけど・・・1株でも2株でもいいから出資してくれんだろうか?」

いつもは、ヘラヘラとふざけていたボクが、かなりの真面目モードで迫ったこともあってか、

「わかった、お前が会社作るんだったら、なんとか協力するよ!」

と、会ったかつての仲間たちほぼ全員から出資の約束を取り付けることができました。

1株で5万円、2株で10万円の出費。サラリーマンにとっては、極めて大きな金額です。

しかも、返ってくる保証は(その時点では)まったくと言っていいほどない。また、この年は、橋本内閣の失政など(消費税増税、アジア通貨危機の発生、国内金融システム
の不安)により、景気が奈落の底に落ち始めた時でもあり、企業の倒産が相次ぎ、経済の先行きが非常に暗い頃だったのです。

それにもかかわらず、学生時代の仲間たちは皆、出資を快く引き受けてくれたのです。人数にして約10数名。感謝の言葉もありませんでした。

しかし、それでも集まったお金は、まだ300万円程度。

「うーん、まだまだ前途多難だな~」

この時、救世主となってくれたのが、現在(注:2000年当時)パフの協賛企業でもある株式会社オプト社長の鉢嶺さん。

オプトは当時、FAXを利用した営業・販売支援企画を企業に提供しており、ボクは「登龍門」の販促を通じてお付き合いをさせてもらっていました。

同時にオプトの新卒採用を「登龍門」を通じて行ってもらう関係でもあり、鉢嶺さんとは親密なお付き合いをさせてもらっていました。

この時、鉢嶺さんは29歳の好青年。大学卒業後、ある大手企業を経たのち会社を設立・成長させてきた、若きベンチャー経営者でした。

 釘:「鉢嶺さん、ボクついに会社をつくることにしましたよ!」

 鉢:「へー、おめでとうございます。よく思い切りましたね。でも釘崎さんが会社をつくるなんて楽しみだな。で、株式会社ですか?よく資本金を用意できましたね」

 釘:「い、いや、それが・・・実はまだこれからでして……」

 鉢:「え?そうなんですか?よし、わかりました。じゃあボクが出資してくれそうなベンチャーキャピタルの方を紹介しますよ」

こうして、話はトントン拍子に進んでいき、数日後、起業家支援を手がけるベンチャーキャピタルのオーナーの方と面談することになったのでした。

(1,000万円までの道のりは遠いですね。つづく  )


 

今回は、いまやIT業界の雄となっているオプト(現デジタルホールディングス)創業者の鉢嶺さんが登場しました。

以下の写真は、パフ創業時オプトの新入社員だった菊ちゃん(菊ちゃんの詳細はこちら⇒創業時メンバーの菊ちゃんが帰ってきた!)と鉢嶺さんと、3年前に一緒にご飯を食べた時の写真です。

パフ創業の陰には、いろんな方々のご支援があったんですよね。

現在のパフの社員たちにも、この事実は知っておいてもらいたいことです。

さて、本日の午前は、パフ第25期9月度のキックオフミーティング。僕は自宅からオンラインでの参加です。業績の進捗はどうなってるのかな?

では、朝食&エール再放送後、在宅します!