パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

熊本の社長同窓会だった日

2010年4月22日 (木曜日)

夕方、汐留でのアポが終了したのち、飯田橋に向かった。汐留から飯田橋まで地下鉄大江戸線で一本。ぐるっと大回りではあるが、乗り換えせずに行けるので便利なのだ。

飯田橋は、とある会合に参加するため。とある会合とは、3年前から2年前にかけて熊本に参集していた僕を含む社長たちの同窓会なのである。

会合の開始時間は18時半から。汐留を出発したのは17時半。余裕で到着するはずだったのだが、うっかり電車を乗り過ごしてしまい15分もの遅刻。疲れていたのか眠りに落ちてしまったのだ。新宿まで行っちゃった。大反省。

ところで、この同窓会は約1年ぶり。

熊本のK社の元社長M氏。教育研修会社社長のH氏。組織コンサル会社社長のI氏。そして新卒採用コンサル会社社長の僕。この4人で、熊本のK社の経営改革を行っていた3年前が懐かしい。

会合での話の中心は、若者の将来をどう創っていくべきか。いやあ、楽しかったな。いろんなワクワクする提案が出てきた。

かつて熊本で同じ釜の飯を食べた(というか共通の目的で仕事をした)仲間たち。いまでは、ぜんぜんバラバラの立場とミッションをもっている4名であるが、こうやってたまに集まって飲めるのが嬉しい。こういう関係は大切にしたいものだ。

0と5の付く日は玉子の日

2010年4月21日 (水曜日)

帰り道、久々に博多ラーメンの「ふくちゃん」で晩御飯を食べた。

昔は週に1回は帰り道に食べていたのだが、このところ店に入ることすら少なくなった。

なぜか。

閉店時間が夜の11時半になってしまったからだ。

帰り道、店の前を通ると、すでに店じまいとなっていることが多いのだ(昔は午前3時くらいまでやっていたのに経営方針が変わったのかな)。

が、きょうはまだ開いていた。時計を見ると夜の10時半。閉店まであと一時間もある。

吉野家で牛丼を食べようと思っていたのだが、急きょ計画変更。ふくちゃんに入った。

するとラッキーなことに、「本日は玉子が無料食べ放題」という張り紙が。

0と5が付く日、つまり5日、10日、15日、20日、25日、30日は、ゆで玉子を無制限に食べられるということだ。

僕がオーダーしたのは、とんこつベースの味噌ラーメン。

しばらくするとラーメンが出てきた。

が、器のなかを覗きこんだ瞬間ショックを受ける。

すでにゆで玉子が入っているじゃないか!

安いラーメンにしておけば良かった。なんだか損をした気持ちになってしまった。人間って悲しいものだな(苦笑)。

でも、せっかくなので、玉子をひとつ追加して味噌ラーメンに入れた。

ちょっと前(といっても10年以上前)なら、3個も4個も追加していたかもしれない。が、さすがにもう無理だな。

ともあれ、0と5の付く日は玉子の日。僕の頭の中に、完全にインプットされた。

あとは11時ころまでになんとか入店できるように頑張る。そして玉子がはいっていない安いラーメンをオーダーしよう。

ああ、なんて、どうでもいいことを書いてしまったのだろう……。

でも、これぞ「釘さん日記」の面目躍如なのである。

月曜日は論語を朗誦する日

2010年4月20日 (火曜日)

昨年の11月、閑谷学校(岡山県)に行った時に仕入れた論語の教科書。僕はこれを毎週月曜日の朝の全体朝礼のときに二句ずつ読み上げるようにしている。

「あいうえお論語」とよばれるこの教科書は、五十音順に代表的な論語が収録されている。昨年の11月末から開始したので、そろそろ終盤となった。

昨日の論語はこれ。

【み】道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ

【む】無為(むい)にして治(おさ)むる者は、其れ舜(しゅん)か

読んでいていつも思うのだが、2,000年以上も昔のことなのに、現代を生きる人間にもぴったりとあてはまる。リーダー(君子)として、部下(弟子)として、書生(学生)として、若者として、そして人間として大切なこと(=本質)は、何千年経とうが不変であり普遍なのだ。

ところで昨日の夜は、

朋有り、遠方より来たる。また楽しからずや

を地で行くようなことがあった。二人の友が夜8時にパフまで訪れてくれた。二人は僕にとっては昔からの友なのだが、ふたり同士は昨日が初顔合わせ。その後3人で楽しい歓談の時間を過ごした。嬉しい。楽しい。感謝なのである。

勝麟太郎が登場した日

2010年4月19日 (月曜日)

朝食後、横浜方面に出かけた。

行き先は、JR関内(かんない)駅から徒歩5分程度のところにある横浜文化体育館。

全日本女子柔道選手権大会の観戦に出かけたのだった。

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この大会の試合は、体重別ではない。無差別級のみで行われる。40Kgだろうが120Kgだろうが、皆同じ土俵(って畳だけど)のうえで勝負する。

柔道のだいご味とは本来、『柔よく剛を制する』ところにあった。つまり小さなものが大きなものを投げ飛ばしてこそ本来の柔道なのである。

しかし、国際競技になってしまった柔道は、階級別があたりまえになってしまった。

が、本日の大会は無差別級。

とはいえ、さすがに小さな選手は出ていなかったのだが、それでも70Kgの選手が120Kgの選手を相手に、正々堂々と戦う姿は、観ていて気持ちよかったな。

本日見事に優勝を飾ったのは、塚田真希選手(綜合警備保障)。僕が応援していた選手ではなかったのだが、いやあ、立派だった。敵ながらあっぱれだ。この大会での優勝は9年連続だとのこと。すごいことだ。試合後の優勝インタビューでは、ボロボロに泣いていた。戦いに勝った後の涙って、なんだかとても感動するね。

 

試合終了後、横浜を後にして東京・築地のパフへ。夕方から会議が予定されていたのだ。

日曜日なのに会議。しかも夕方から夜にかけて。

むむむ。どうしよう。

いや、「どうしよう」というのは、会議のことではない。龍馬伝のことだ。本日は待ちに待った、勝鱗太郎(勝海舟)の登場なのだ。

会議が終わったのは夜の8時。すでに龍馬伝は始まっている。

でも大丈夫。

龍馬伝はBS2で、夜10時からも放送されているのだ。

ということで、帰宅後、夜10時からの龍馬伝を観たのだった。

うん。見ごたえあり。

きょうの龍馬伝がいままでのなかでもっともエキサイティングだったかもしれない。テンポがいい。熱さが伝わってくる。

勝鱗太郎を演じている武田鉄矢がさすがだ。武田鉄矢といえば坂本金八先生…ではなくて、坂本龍馬きちがいで有名。なんたって、彼が38年前に結成したフォークバンドを「海援隊」と名付けるくらいなんだから。

武田鉄矢は、龍馬の師匠である勝鱗太郎の役を、晴れの大河ドラマで演ずることになった。彼は、このことをとても意気に感じているという。その気迫が十分に感じられるものだった。

そして一時は相当に心配した福山龍馬も、やっと坂本龍馬として安心して観られるようになってきた。武市半平太のハゲタカぶりも十分な見応えだし。福田靖氏の脚本も冴えわたってきたな。来週からの展開が本当に楽しみなのである。

さて、明日からまた怒涛の一週間が始まる。昼も夜もパンパンパンダだ(このギャグ気にいっているのでしばらく使う)。肝臓に気をつけながら、がんばろっと。

<追:2010/04/20 Wrote>

武田鉄矢の矢の字が「也」になっていました。教えてくれたAOKIさんに感謝!! そして武田鉄矢氏とファンのみなさんにごめんなさい!九州出身の大先輩なのにね。失礼しました。

#気がついてた人はどのくらいいたかなあ……。

南こうせつ先輩に感謝

2010年4月18日 (日曜日)

南こうせつ氏は、僕の高校(大分舞鶴高校)の先輩であり、大学(明治学院大学)の先輩でもある。といっても、同じ時期に通っていたわけではない。こうせつ氏のほうが僕より11歳も年上なのだ。

南こうせつ氏のことは、僕が小学生の時分から知っていた。「酔いどれかぐや姫」という奇妙な唄を歌っていたのを覚えている。地元のラジオ局でたまに紹介されていた。ヘンなフォークグループだなぁ…という印象しかなかった。

それが一変したのが、僕が中学一年生のとき。「神田川」が大ヒットしたのだ。

その2年後、僕は南こうせつ氏の母校である大分舞鶴高校に入学する。そして、南こうせつ氏が放課後、仲間たちと歌っていた音楽室で、僕もフォークギターの練習をするようになる。

僕が高校2年生のとき、南こうせつ氏が大分放送の深夜のラジオ番組に生出演していた。僕は下宿の部屋を飛び出し、急いで放送局まで自転車を漕いだ。放送局の玄関前での生放送だった。そしてなんと僕は、こうせつ氏に話しかけてもらった。「おお、キミは舞鶴の後輩かー」「は、はい!」と、たったそれだけのやりとりだったが、ずいぶんと舞い上がったものだ。

僕が南こうせつ氏と同じ大学に進んだのは、まったくの偶然。大学に入学して初めて、こうせつ氏がこの大学の出身だと(正確には中退だけど)いうことを知った。そもそも大分舞鶴高校から明治学院大学に進む生徒は、当時ほとんどいなかった。大分の人間には、明治大学と明治学院大学は一緒の大学だと思われていたくらいだ。こうせつ氏は東京に出ることが第一目的で、「たまたま合格した大学が明治学院大学だった」と語っている。なんだか僕と似ている。

と、なんでまた突然に、こんな思い出話を書いたのかと言うと、今週の日経新聞夕刊の「人間発見」という連載は、南こうせつ氏の話だったのだ。『若き日々を呼び覚ます』というタイトルで、子供時代、高校時代、大学時代、プロになってからの裏話などを、5日間にわたって南こうせつ氏自身が語っていたのだ。連載されていることは知っていたのだが、きょう5日分を、やっとまとめ読みした。

こうせつ氏は、1980年代なかばからずっと、平和チャリティーコンサートに力を入れている。そのことについても連載で触れていた。こうせつ氏は、曲が売れて有名になったあと、「なぜ自分は有名になったのか。何かの使命があって有名人にさせてもらったのではないか」と自問自答することがよくあったらしい。たまたまミュージシャン仲間(山本コウタロー氏)から誘われて協力した「広島ピースコンサート」に出演して、その答えが見つかったのだという。「核兵器の廃絶、平和を訴えるために自分は有名になったのだ」と。

数年前、こうせつ氏は、北朝鮮拉致被害者の家族を励ますために日本に訪れていたPPMのポール・ストーキーさんと一緒にチャリティーコンサートを開いたこともある。僕はとても縁を感じて(PPMは我がパフにとって切っても切れない関係)、コンサートを観に行ったのだった。

そんな南こうせつ氏が今回の連載の締めくくりで語っていたことに感動した。

人々が悲しく、つらいとき、そばに寄り添うようなメロディーを今後も大切にしたいですね

南こうせつ氏、今年で61歳である。僕の尊敬する先輩のひとりだ。僕も、こうせつ先輩に倣って、使命感をもった仕事を続けていきたいと思った。

よし。11月13日の新潟ライブ(釘さん生誕50周年ライブ)では、南こうせつ先輩の曲は絶対に外せないな。歌うぞ。

就職情報会社に必要なこと

2010年4月17日 (土曜日)

昨夜は、採用プロドットコムの寺澤社長と就職ジャーナリストの常見陽平さんと僕の3人で集まって激論を交わした。とても楽しかった。鰹のたたきも美味しかった。

常見さんは(本日のブログでも書いているが)「若者はきっと変身できる」と熱く語っていた。僕もそう思う。そして、就職情報会社もきっと変身できると思う。いや、変わらなきゃいけない。

そして企業も、現在の採用姿勢を変えなければいけない。ぜんぜん透明でも正直でもない採用を行っているのに、オープン&フェアなんて言ってはいけない。本当の採用基準をきちんと学生に知らせるべきなのである。ターゲット校を定めている現実を伝え、ターゲット校ではない大学の学生には早い段階で諦めてもらうべきなのである。それが現実であり、オープン&フェアなんじゃないかな。

一方で、大学も変わらなきゃいけない。大学生のレベルが下がったといわれる現実にどう向き合うか。最近やっと文科省も、大学生を早期から職業人として育成しなきゃヤバイと気づき、施策を打ち始めてきた。でもやっぱり中から変わらなきゃ駄目だ。いちばんは教授・先生・職員たち。学生の身近にいる先生や職員がいちばんの魅力あるキャリアモデルにならなきゃ。社会を、経済を、産業を、なにより働くリアルを、もっと勉強しなきゃ。この国の99%を占める中小企業の凄さを、もっと学生に伝えなきゃ。

そんなことを3人で激論していた。

あ、そうそう。パフにタカタという入社5年目の営業マンがいる。営業成績はいまいちなんだけど、一昨日とてもいい提案をしてきた。提案のタイトルは「就職情報会社に必要なこと」。昨夜はそのことも話題に出た。提案書の中身はさすがにオープンにできないのだが、あとがきだけを下にコピペしておこう。なかなかの名文だ。これからの就職情報会社を変えてくれるのは「売れない営業マン」なのかもしれない。僕も昔(リクルートにいたころ)は、売れない営業マンだったしね。

さて、本日は朝から歯医者だったんだけど、この後は家に篭る。先週、娘とのチャンネル争いに敗れて観られなかった龍馬伝もさっき観た。他にも録りためていたテレビ番組や、買い溜めていた本が山ほどある。時間が足りない。インプットが追い付かないなあ。

では、以下、タカタの提案書の「あとがき」をご覧ください。

 

1968年。
江副氏が就職ジャーナルを創刊した。

リクルートの営業マンが、鬼気迫る思いで全国からかき集めた就職情報は、圧倒的弱者であった若者にとって非常に貴重なものであった。

また、企業としても(特に中小企業にとっては)、今まで会えなかった人を採用できるという革命的な価値があった。

リクルートがいなければ、新卒文化はこれほどまでに日本に根付かなかったと思う。

リクルートは、闇に包まれた就職情報を学生に開放した革命運動家であった。

それから、42年。

就職業界は、江副氏のモデルを引き継いだだけであり、本質的には何も変わっていない。

それどころか、長い年月を経て、革命家は独裁者となった。

ナポレオン、カストロ、レーニン、金日成 、毛沢東。いずれも長期にわたる権力が革命家を独裁者に変えた。

Rは、独裁者である。

学生のための情報の公開という思想を忘れ、情報の独裁者になった。

企業はRがいなければ採用ができなくなったし、それだけならまだしも、自分のライバルを市場から締め出そうとしている。

まさしく、独裁者である。

就職業界は変っていないが、世の中は変ってきている。

テレビは見られなくなり、音楽が買われなくなり、新聞・雑誌も読まれなくなった。いつでも低コストで、文字、写真、音声、映像を簡単に伝えられるようになった。

世の中に情報の独裁者は、必要がなくなってきている。

独裁者が操作する情報をありがたく受け取る必要はなく、情報はみんなで発信し、みんなで共有するものになった。

もう一度、歴史の話に戻るなら、独裁者は、常に民衆の力によって駆逐される運命にある。

今度の革命は、一人の天才が起こすものではない。一人ひとりが自分の範囲で起こすものだ。

もう一度、就職情報を学生の手に。


就職情報会社に操作された情報ではなく、働く人の生の情報を学生のもとに届ける。

今学生に必要なのは、誰か知らない人が届ける情報ではなく、顔の見える信頼する人が届ける血の通った情報だ。

必要なのは、一方通行の情報ではなく、双方向な情報だ。

もう一度、人々がイキイキと働くことを語れる世の中にしよう。

キャリアカウンセリング開始

2010年4月16日 (金曜日)

職サークル協賛企業を対象とした新卒紹介事業が、ひっそりとスタートしている。

企業からは求人を募集し、一方で学生とは面談(キャリアカウンセリング)を行う。

今年はスタートの年なので、僕が学生との面談を担当することにしている。

昨日もひとりの学生との面談を行った。きょうも数名との面談が予定されている。

この時期の学生は厳しい現実と直面しているため、僕らが発する一言一言に敏感に反応する。

学生にしてみれば初の就職活動。初の社会との対峙。悩むのも分かる。自信がなくなるのも分かる。

でも、どんなにカウンセリングを丁寧に実施したとしても、やっぱり最後は本人の問題。

等身大の自分を理解してもらわないといけない。働くということ、仕事というもの、会社というものを、もう少しリアルに感じてもらわなければいけない。食わず嫌いをなくしてもらわないといけない。安定は求めるものではなく自分で作りだすものだということを理解してもらわねばならない。

キャリアカウンセリングに訪れる学生は答えを求めてくるが、答えは自分の中にしかないことを最後には理解してもらわねばならない。

キャリアカウンセリングとは、つくづく根気が必要な仕事なのである。

ところで今夜は、就職、採用のオーソリティたちとの会談が予定されている。僕自身もたくさんのインプットとアウトプットをしなきゃな。

では、行って来ます!