2Qキックオフとオオハシの入社歓迎会だった日
2010年10月5日 (火曜日)
上海日記は本日お休み。
昨日は、パフの第二Qキックオフミーティング。夜は、めでたく10月1日付で正社員として入社したオオハシの歓迎会だった。
以下は、歓迎会のあとに撮影したオオハシとのツーショット。
なぜ10月1日の入社かというと、9月に大学を卒業できたからだ。本人は卒業後、すぐに社員として働くことを希望していた。だったら来年の4月まで待つ必要はない。ということで、10月1日の入社式となったわけだ。まあ、ホントは今年の3月に卒業できてればよかったんだけど(苦笑)。
ところで10月1日の入社式のときに皆がオオハシに贈ったメッセージを備忘のためにも以下、載せておこう。
オオハシ、自ら約束してくれた通り、お客様をはじめとする、すべての関係の皆様に大きな価値を提供し切るまで、絶対辞めんなよ!!
では以下、社長室がまとめてくれた入社式ダイジェストです!
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入社式ダイジェスト(10/10/1)
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パフのみなさま。
本日9時から、
【平成22年度 株式会社パフ 入社式・内定式】が行われました。
ダイジェストとして、内容を以下に共有させていただきます。
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◆新入社員
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・大橋 直人(おおはし なおと)
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◆社長祝辞
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【冒頭の会話】
釘崎:今の気分は?
大橋:ドキドキです!
釘崎:ほかには?
大橋:ワクワクです!
釘崎:言い換えると?
大橋:興奮しています!
釘崎:昨日と今日の違いは?
大橋:昨日は不安が少しありましたが、今は「やるぞ!」という
気持ちのほうが大きいです。
釘崎:それはなぜ?
大橋:こうして入社式をしてもらって、区切りというものを感じ
ています。
パフ創業以来、初めての10月入社式。記念すべき歴史の一ページ!
社会人向け「うまれよ」を贈ります。(カッコ内は学生向け)
「う」恨みつらみを言うな(嘘をつくな)
「ま」真正面から勝負しろ(負けるな)
「れ」練習しろ(礼儀正しく)
「よ」世の中に価値ある人材となれ(世のため人のため)
ワクワク、ドキドキ、興奮、やるぞ!という今日の想いを大事に、
そして忘れずに、約束の最低10年をパフで頑張って下さい。
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◆(男組)組長祝辞/下薗さん
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直人と初めて会ったのはMSPのライブ当日。その時は同じフロアで働
くことになるとは思っていなかったが、必然であったことを実感。
今日から正式にプロとなる。プロとは成果を出すこと。
「うまれよ」を心に刻み、それを前提にした上で成果に繋げて下さい。
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◆社員からのメッセージ
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加藤> 身近な先輩として、背中を追いかけます!
吉川> お客様との会話の中で、「三菱商事は日本で唯一、本気で日本
という国のことを考えている民間企業だ」という言葉を聴き、
パフもそうでなければと思った。大橋は国や政治への考えを持
っているので、国のことを考えられるビジネスマンになってく
ださい。
木村> 内定式に向かうのであろう、まだまだ学生オーラのスーツ姿を
今朝はたくさん見かけたが、彼らに比べると大橋はすっかり社
会人的に働いているので全く違う。区切りをつけにくいかもし
れないが、引き締まった気分でいると聞いて嬉しい。その気持
ちを大事にしてください。
土田> のびのび働いてほしい。周りとの協調は大事だが、遠慮せずに
思いや意見や個性を出して下さい。Welcome!
平原> 仲間が増えるのは嬉しいこと。苦しい業界をよく見た上で選ん
でくれた。入社して、会社や業界のダメなところが改めて見え
てくるだろうが、それを嘆くのではなく変えていこうと考え、
アクションを起こしていくことが内定者と社会人の違い。
悩みも苦しみも人のせいではなく自分の捉え方次第。自分自身
がよい会社にするんだと信じて。本音で相談できる人を確保す
ることも大事。楽しみにしています。
高田> 入社してくれてありがとうございます。奈良が入社したときに
平原さんが言った言葉「この会社はいい会社だと思っている人
たちがいい会社を作るのだと思う。」を贈ります。
最近、釘崎さん、曽根さん、二馬さんが言っていた言葉がフラ
ッシュバックすることが多い。仕事で出会う素敵な大人から教
わることはとても大事。素直に謙虚に、大人の話をたくさん聞
いてください。
保坂> 嬉しいです。3つお話しを。
①過去、自分がこいつはやるなと思った人は辞めない。期待し
ています。
②自分が大事にしてきたのは、新しいことにチャレンジするこ
と、困難に立ち向かうこと、仕事の基本を学ぶこと。
③事実を見つめるのは大事だが、それは価値観のフィルターが
かかっているものである。いろんな価値観に触れて、柔軟さ
を大事にしてください。
長崎> おめでとうございます。初めて説明会に来てくれたときのこと
は覚えておりません!
平原・田代が内定者の時代、村井さんからもらったメッセージ
を紹介。
わたしたちが頑張ることは、日本を支えることになるのだとい
うこと。高い視野と成果にこだわることを大事にしてください。
日本の朝を支えた高島彩アナウンサーが本日卒業、そして大橋
直人が入社。これから日本の人材ビジネスを支えてください!
岩崎> 半年前、内定式で大橋のために涙したことを思い出した。
大橋はインターン時代、一度も休まず出社。すごい。
今までより「出来ないこと」や「理不尽なこと」がいっぱいあ
ると思いますので覚悟を。ただ、それも、できることが増える
チャンスだと思えば前向きに捉えられる。ホウレンソウは大事。
お客様でも社内でも、それを怠らずにやることが成果を出す近
道。無理せずに自分のペースでいってください。
田代> ①自分も昨日と今日では大橋に対する感覚がちょっと違う。
男組は益々厳しく接していきます。一緒に頑張っていこう。
②パフは個性が強い。最初は悩むかもしれないが、自分と向き
合うことが多いので、その中で個性や気持ちを大事にしなが
ら、自分を高めてください。
③25歳、ぜひ親孝行を。パフでイキイキ働き、社会に価値を
提供していくことでご両親も喜んでくれるはず。
杉平> 日本武道の精神「守破離」、これから「守」のフェーズが始ま
るわけだが、単純に先輩を真似るだけではなく、悪い面は反面
教師にするなど自分なりの目も養ってください。
今日は恥ずかしいかもしれないけれど、ぜひご両親に入社の報
告と、ありがとうの一言を。初任給をもらったら、何かちょっ
としたものでいいのでプレゼントしてあげてください。
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◆大橋直人さんから
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卒業式に父が出席してくれた。
面と向かってゆっくり話す機会など、今までほとんどなかった父親と、
二人でお昼を食べ、そこで「ありがとう」と伝えた。
別れ際にお父様が「がんばれよ」といってくれた。
というわけで、がんばります!!
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上海で必要なことは“勇気”なのであった(5)
2010年10月4日 (月曜日)
土曜日は、朝から一ヶ月ぶりの床屋に行きスッキリ。そしてその後すぐに赤坂に移動。ささかみコンサートに向けての久々の練習だ。赤坂にあるスタジオを1時から4時まで借りていた。
まだ風邪が治りきっておらず、鼻声かつ痰のからんだ声しか出ず、ちょっと不完全燃焼。しかしながら選曲の素晴らしさに我ながら感動。これらの曲群なら、多少ギターや唄はヘタでも観客は喜んでくれるに違いない。
本日、日曜日は2週間ぶりの部屋の掃除。そして衣替え。半袖のワイシャツをしまって長袖のワイシャツを引っ張り出してきた。午後からは銀座、八重洲界隈に買い物に。やっぱり日本はいいな。なんたって日本語が通じるし、横断歩道を渡るときクルマが横から突っ込んでくることもない。平和な国だ。
さて、平和な国から一転して、勇気が必要な国。中国・上海の日記の続編を書こう。
・・・・・
上海2日目。
いよいよ待ちに待った上海万博の日である。
現地時間朝の6時。透き通るような快晴である。
40年前、小学校4年生だった僕が行きたくて、でも結局行くことのできなかった大阪万博。「江戸の敵を長崎で」というけれど、僕の場合は、「大阪の敵を上海で」っていうところだろうか(笑)。
腹が減っては戦は出来ぬ。
おごうさんとダイサクと僕は、ホテルのバイキングの朝食をしっかりと食べた。
品数がたくさんあって味もなかなかなのである。ダイサクもおごうさんも(よそ見してるけど)なかなか満足げだ。
満腹になったところで、いざ万博会場へ。
ホテルから万博会場へは、タクシーで30分足らず。超荒っぽい運転で、案外早く着いた。
あ、そうそう。
ガイドさんから教わった、「上海では勇気が大事」だという話。もともとは上海でのクルマとの付き合い方の心得として教えてもらったことなのである。
上海のクルマは、横断歩道であろうと、人が目の前にいようと、平気で突っ込んでくるのだ。自分が突っ込むことで、相手が逃げると思っている。そして、車線変更やクルマの追い越しもチャレンジャブルなのである。多少の隙間があるとすぐに突っ込んでくる。もちろん、それに対抗することもできる。しかし、対抗するためには「勇気」が必要なのだ。ちょっとでも弱気や隙を見せると、相手にそこを突かれる。横断歩道を渡っているとき、たとえクルマが突っ込んできても(信号が青ならば)怯んではいけない。勇気を出して立ち止まらず速度を緩めず渡れば勝てるのだ。だから、ガイドさんは、「上海では(ルールよりもマナーよりも)勇気が大事」だと教えてくれたのだ。
閑話休題。
万博の正門まで長い行列(というか人の団子のようなもの)が出来上がっていた。すごい人だかりなのだ。
入門にあたっては一人ひとりの持ち物検査や入念なボディチェックを行うため、どうしても混みあってしまうのだ。
この行列でも気を抜いてはいけない。
ちょっとでも前のひとと間を空けてしまうと、すぐに割り込まれてしまうのだ。
日本では行列の割り込みなどはまず起きないが、上海はちがう。ここでもやはり「ルールよりマナーより、勇気が大事」なのだ。
ただし、上海の人が偉いのは、たとえ割り込まれたとしても怒らないのである。割り込まれた方が悪い、ということのようなのだ。きっと、泥棒や詐欺なんかでも、盗まれた方が悪い、騙される方が悪い、という考え方もあるんだろうな。中国人との交渉は難しいとよく言われるが、なんとなく納得したりする。
そんなわけで、僕らも何組かに割り込みされてしまったが、あまり腹も立たなかった。
それより、こんな風景をみかけて思わず写真を撮ってしまった。
中国人の幼子のズボンはお尻が割れているのだ。用を足したいときに、いちいちズボンを脱ぐ必要が無い。オムツをする必要もない。なるほど。なかなか考えているな。
並ぶこと約1時間。やっと会場に入ることができた。
我々がまず目ざしたのは我が故郷のパビリオン、日本館である。日本館はその姿から別名、紫蚕館と名付けられていた。
僕は、日本館の民間企業のスポンサーの某社よりあらかじめ優先入館券を頂戴していたため、並ぶことなく裏口(いや、スポンサー専用の入り口)から入場することができた。普通なら3時間半待ちだったという。偉大なり、スポンサー様。
VIP待遇と言うことで、応接室でお茶まで出してもらった。お茶を出してくれたのは、研修生の大学4年生。上海の大学に通って日本語を学んでいるのだという。日本語を勉強し始めてまだ3年だというのに、とても日本語が上手だった。僕が繰り出すオヤジギャグにも応えてくれていた。
それにしても日本館は素晴らしかった。故郷は遠きにありて想うもの。日本の良さは、外国に来てはじめてわかるものもたくさんあるんじゃないかな。
日本館での滞在、約60分。隅から隅までじっくりと見学させてもらった。
日本館を出た後は、マイナーな国を中心に巡った。
「万博も、就職の合同企業説明会も似たようなものだ。大手有名企業ではなく、名もない中小企業に掘り出し物があるんだ!」
などというヘンな理屈を、おごうさんやダイサクに唱えながら、北朝鮮、ウズベキスタン、イラン、カタール、ヨルダン、ツルクメニスタン、アフガニスタン、アラブ首長国連合などなどを回った。
途中、国の名前とは思えない、「天下一家」という看板を掲げた謎のパビリオンがあったのだが、これがまたなかなかの正体不明なパビリオンだった。どうやら上海市とシーメンスが合作で出展しているようだったが。「天下一家」という名前から、ラーメンか暴力団か新興宗教のようなイメージを持っていたが、どうやら映像技術を駆使した近未来を表現したかったようだな。
日も暮れて、ダイサクが、「やっぱり大国のアメリカくらい見ておきたい」と言いだした。
僕もやはりアメリカがどのようなものを出しているか興味深かったので、大手有名企業だけれども、ちょっとポリシーを曲げて見ることにした。
アメリカ館は、他の国の館(もちろん日本館も含めて)ずいぶん雰囲気が違った。スタッフからして、皆フランクなのだ。オープンなのだ。飾りがないのだ。笑いがあるのだ。うーん。自由の国アメリカを、そのまま地で行っている。
出し物も(ムービーが中心で手抜きといえば手抜きなのかもしれないが)とても感動的だった。
最初に、ヒラリー国務長官のスピーチだった。そして最後の最後は、オバマ大統領だった。ヒラリーもだが、オバマはダントツにカッコイイ。映像だけなのに、しかも英語なのに、ジーンときた。日本の総理大臣だったら、ああはならないだろう。もっとも日本の総理大臣では、いつ交代になるかわからないから、万博の映像に使われることはないだろう。
最後の最後に、中国館もやっぱり見ようということになったのだが、これは甘かった。中国館は、毎朝入場のときに整理券が配られており、それがないと入れないそうなのだ。それだけの大人気らしい。たしかに他を圧する建物の大きさとデザインだ。惜しいことをした。仕方ないので、建物の写真だけ載せておこう。
こんな感じで過ぎ去った上海万博の一日。ホテルに着いたら、すでに深夜零時近かった。
さて、明日はリクルートの上海事務所に視察の日。他にも、101階建ての森ビルや、オフィス街への散策なども行った。そして夜は……。
上海の3日目に乞うご期待!
上海で必要なことは“勇気”なのであった(4)
2010年10月3日 (日曜日)
昨日、一般の企業では、来春入社を控えた内定者たちの内定式(内定証書授与式)が行われていた。
が、パフでは違うセレモニーが行われた。なんと正真正銘の入社式が行われたのだ。他の企業よりも半年も先駆けて、10月1日に入社式を行ったのだった。
これはパフの13年の歴史の中でも画期的なこと。「新卒一括定期採用」の慣習を自ら打ち破った。
ま、詳しい裏話はまた今度。ともかくも、無事正社員になったオオハシ、おめでとう!!
さて、では上海物語の続編を。
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現地のガイドさんから教わった「上海で必要なことは勇気」というメッセージが、やけに心に響いていた。
空港からバスで40分ほどのところに宿泊するホテルはあった。
ホテルの名前は、「神旺大酒店」。中国語ではホテルのことを大酒店と呼ぶのだそうだ。別にホテルの中に酒場があるわけではなく、いちおうキチンとした現地資本の高級ホテルだった。
チェックインを済ませた後部屋へ。僕は一人部屋で、おごうさんとダイサクは、相部屋だった。
写真はそれぞれの部屋から見える上海の住宅地(マンション)の写真である。たくさんの人たちが住んでいるんだろうな。
ちょっと一休みしたらもう日が沈んでいた。
我々は晩飯を求め、夜の上海の街に繰り出した。上海の街は賑やかで、多くの人たちのエネルギーに溢れていた。銀座ほど上品ではないが新宿や六本木のような猥雑さでもない。また渋谷のような幼さや危なさもない。やはり上海独特の雰囲気なのだ。
30分ほど街の中をうろちょろしていた我々が最終的に選んだ店は、現地の人たちがよく利用する「燕雲楼」という大衆のレストラン。観光客向けではないので、値段もリーズナブルなのだという。
なんたって従業員のリラックスぶりがいい。態度が悪いということではなく、本当に自然体なのだ。客だからと言っておべっかを使うわけでもない。写真にもあるように、ちょっと暇になるとじゃれあったりしている。
たくさん食べた。
青島ビールを飲みながら、北京ダック、 ピータン豆腐、揚州炒飯、空心菜 、紅焼肉などなど。紹興酒も飲んだな。
でも、これだけ飲んで食べても、ひとり(日本円で)千円足らず。おそるべし中国の物価、おそるべし円高である。
さて、翌日はいよいよ上海万博の日である。
おごうさんとダイサクと僕の3人は余力を残しながらホテルに戻り、比較的早めに床に就いたのであった。
上海で必要なことは“勇気”なのであった(3)
2010年10月1日 (金曜日)
朝から病院に行き、薬を処方してもらう。やっぱり医者が処方した薬はよく効く。昼間、猛烈な睡魔が襲ってはきたが、熱も咳も鼻水も喉の痛みも、ずいぶんとひいてきた。
ということで、ボチボチ上海日記の続編を書くことにしよう。
・・・
福岡空港から飛行機であっというまに上海に着いた。
着いてすぐ、iPhoneのtwitterで「上海に着きました」とつぶやいてみた。中国ではtwitterは規制されていると聞いていたのでたぶんダメなんだろうなと思っていたのだが、なんとつぶやけた。ちょっとビックリした。
以降、出来る限り上海での行動を記録に残しておこうと思い、節目節目でiPhoneを利用しながら写真撮影とtweetを繰り返し行うことにした。
tweetの意義がイマイチわからず、ふだんはほとんどtweetしない僕なのだが、このときばかりはtwitterって便利だと思った。
#ちなみに、こちらから上海での「つぶやき」を閲覧することができます。 http://twitter.com/kugisaki
空港で入国審査を受けた後、まず行ったこと。
それは両替である。
ショッピングや贅沢をしに来たわけではないので、さほど現金を使うこともないかなと思ったのだが、一応5万円を両替した。一元が約13円なので、1万円札5枚を、100元札38枚に交換したかっこうになる。財布がかなり分厚くなって、なんだか急にお金持ちになった気になってしまった。
そして旅行会社の現地のガイドさん(20代の中国人女性)のお迎えでホテルに向かうバスに乗った。
バスの中でガイドさんが僕らに教えてくれたことが、実はこの日記のタイトルになっているコトバなのだ。
「上海で必要なことは勇気です」
もっと正確に言うならば、「上海では、ルールよりも、マナーよりも、勇気が大事です」だったと思う。
なんのこっちゃ?
そのことはまた次回の日記で書くことにしよう。