賢者のシルバーウィークの過ごし方
2015年9月24日 (木曜日)
連続5日の休日だったシルバーウィーク。日ごろから一人前の仕事ができてない者にとっては、人並みに追いつくためのチャンスウィークだったのではないかな。
一方で、日ごろ多忙を極めて思うように休みをとれていなかった者にとっては恵みの休日となったことだろう。
で、僕はといえば、こんな毎日を過ごしていた。
【19日(土)】
休み・・・を取ることはできず。
100×10チャレンジ秋クールに向けてのガイダンスの日だったのだ。
このガイダンス、なぜか気が付けば僕の仕事になってしまっている。今週末の日曜日も。そして10月に入ってからも、ほぼすべての土曜日または日曜日は、僕がガイダンスをやることになっている。社長なのに。おかしいな。ま、しょうがないか(苦笑)。
夕方以降は、55歳記念ライブのバンドメンバー全6名が高田馬場のスタジオに集合したうえでの練習。
全員が集合できる日は限られているのだが、いい感じでまとまってきたかな。練習後の懇親会のほうがまとまっているという噂もあるが(笑)。
【20日(日)】
この日は朝から清里に向かった。
清里?
そう清里。
山梨県、八ヶ岳南麓に広がる高原地帯。一昔前、若者たちの人気を集めた観光地である。
僕は学生時代、サークルの合宿で何度もこの地を訪れていた。
「篠原牧場」という僕らが定宿にしていた民宿があり、そこの若夫婦(当時、ご主人は30代前半、奥さんはまだ20代だった)にはとてもお世話になった。
働き者でとても仲のいいご夫婦。料理が最高に美味しかった。毎朝の搾りたての牛乳の味も最高だった。
僕のヘタクソなギターと唄を聴いて、「クギサキさん、とても上手ですよ~」とニコニコしながら褒めてくださっていた。
実は先週、このご夫妻の訃報が飛び込んできた。
2年前にご主人が心筋梗塞で急逝し、奥さんも翌年、後を追うように癌でお亡くなりになったのだそうだ。
もう一年以上も前のことなのに、今ごろ知ることとなった。
ということで、学生時代の仲間たちと、かつてお世話になったお礼を墓前に告げに行こうということになったのだ。
日帰りの強行軍ではあったが、行き帰りの電車では昔話に花が咲き、楽しい時間となった。
あらためて、篠原ご夫妻からいただいた30数年前の数々のご恩に心からのお礼を申し上げるとともに、お二人のご冥福をお祈りします。
以下は、手元に残っていた夏合宿の時の写真。1983年。僕は大学4年生だった。あれから32年が経ったのか……。
【21日(月)】
このシルバーウィークはお彼岸でもあるため、午前中は僕の両親の墓参り。先月も今月も、そして来月も行く予定。自分の墓のことも、そろそろ考えておかないとなあと思う。
そして午後。
会社は休みなれど、100×10チャレンジのホームルームは通常通り行われている。僕もこの日は、学生の面談とホームルーム見学のために午後から夜中まで、ずっと九段下にいた。
夏クール終了まであと一週間。みんなそれぞれ悶々としながらも今日までやり続けてきた。あと少し。最後まで頑張ってやり切ろう!
【22日(火)】
自宅でいろいろと溜まっていた雑務をパソコンを使いながら行う。
ここで事件勃発。
パソコンのキーボード「M」のボタンが外れてしまった。
バカな僕は、アロンアルファを流し込んでくっ付けようとしたのだが、逆にまったく動かなくなってしまい「M」の入力が一切できなくなってしまった(泣)。
実はいまこの日記の入力、すごく苦労している。「まみむめもマミムメモM」の文字列や、M音を含む単語をスマホから入力したうえでPCに転送。コピペしながら書いているのだ。ここまで一時間以上の時間を要している。嗚呼、なんてこった(-_-;)。
【23日(水)】
朝から皇居まで行ってラン。
実はこの連休中は朝ランを一日も欠かさずやっている。明後日に迫ったナゴヤアクトスリレーマラソンに向けての最後の追い込みだ。この日は本番を想定した訓練。その内容は企業秘密なのである(笑)。
あとは映画を観たり(天空の蜂、面白かったです)、
散歩をしたり(金木犀が咲いていました。秋ですねえ)、
楽譜を整理したり、夜はラグビーをテレビで観戦したり。
最後の最後で休日らしい日を過ごしたかな。
さて、吹っ飛んだ「M」のボタンのおかげで、いつもの3倍以上の時間を費やした本日の日記。
明日はもう勘弁だな。会社からキーボードをくすねてこようかな(苦笑)。
ではでは、久々の茅場町まで行ってきます!