破壊と創造の第1回採用会議(第二幕)が終わった日
2009年9月7日 (月曜日)
「おや?きょうの日記のタイトル、以前にも見たことがあるな」と思った読者のみなさん、なかなかの「釘さん通」です(笑)。
そう。8月28日の日記のタイトルとほぼ同じなのである。ただ一箇所を除いて。
その一箇所とは、「第二幕」というところ。8月28日は、「第一幕」だったのだ。
つまり、本日のセミナーは、8月28日の続編というか、追加公演みたいなもの。8月28日のセミナーが、すぐに定員オーバーになってしまったので、本日の「第二幕」を設けたというわけだ。
今回も50人近い採用担当者の皆さんがパフのセミナールームに足を運んでくださった。「第一幕」にお越しくださった方々と合わせると、ざっと90名にもなる。
皆さんともに、いまの就職と採用のありかたに疑問を感じ、変えていきたいと思っておられる方々だ。
こんなにもたくさんの方々に来ていただけたということは、我々にとって、とても心強いことだ。
第二幕の本日も、講師はもちろん常見陽平氏。そして後半は僕と常見氏との対談。
なかなか刺激的な議論ができた。採用担当者の皆さんの前のめりな空気が伝わってきた。とても前向きな一体感が生まれたのだと思う。
この「破壊と創造シリーズ」。第15回まで続いていく予定だ。一ケ月に一回のペースで開催したとしても、来年いっぱいまでかかる。
学生にとって。企業にとって。世の中にとって。真に価値ある就職と採用のカタチとは、どのようなものなのか……。
時間はちょっとかかるかもしれないが、この「破壊と創造の採用会議」から、新しい就職と採用のカタチをぜひとも生み出していきたい。
受け継ぐということを考えた日
2009年9月6日 (日曜日)
日曜日の夜は、テレビっ子タイムである。
8時からはNHK大河ドラマ『天地人』。9時からはTBS日曜劇場『官僚たちの夏』だ。
この二つのドラマを観ていて、「志を受け継ぐ」ということの大切さを考えた。
豊臣秀吉が成し遂げた天下統一。その後のまつりごとを託された石田三成だが、その前には徳川家康が大きく立ちはだかる。
三成は家康から蟄居させられ志を失いかけていたが、盟友である直江兼続によって、自分自身が為すべき大事に気づき、立ち直る。そして平和が訪れたあとの国づくりを、兼続とともに熱く語り合う。
兼続は、「武士だけでなく、百姓、町民の子供たちにも字を習わせ、書を読ませ、互いを思いやることのできる、愛と慈しみにあふれた国にしていきたい」と語った。
上杉謙信から受け継いだ「愛と義の精神」そのものだ。
いいねぇー。
通産官僚の風越慎吾(佐藤浩市)は、自身の国家作りのポリシーを、こう熱く語る。
「弱者を切り捨て、強者だけが生き残るような国にはしたくない」
そんな青臭い考えを嫌った総理大臣の池内(北大路欣也)やライバルの玉木事務次官(船越栄一郎)も、風越の私利私欲のまったくない国づくりへの情熱や志に、次第に心を動かされていく。どんなに論理的で効率的な仕組みであっても、そこに情熱や志がなければ物事は進まないし、人は動かないことを教えられる。
そして池内総理は、それまでの政敵だった須藤前通産大臣(長塚京三)に総理の座を譲る決心をする。玉木次官も、(次官コースをはずれたはずだった)風越に次官の座を譲る決心をする。
いいねぇー。
世の中にとって本当に大事なことは何なのか。それを実現させるために必要なことは何なのか。そしてそれを実際に(ヒトやモノやコトを)動かせるリーダーは誰なのか。
政治のリーダーにも、経済のリーダーにも、企業のリーダーにも、こんなことを考えながら(保身や権力や意地やプライドに囚われることなく)、次代にきっちりとバトンタッチできる人物であってほしい。
もちろん自分も。
久々に週刊誌を買った日
2009年9月5日 (土曜日)
最近、めっきり週刊誌を買わなくなった。
僕が若いころ(サラリーマン時代)は、世の中の出来事の情報収集は、FridayやFocasに代表される写真週刊誌を含む週刊誌や、夕刊フジや日刊ゲンダイのような夕刊紙から得ることが多かった。買うのは、もっぱら通勤途中や営業途中の駅の売店(KIOSK)だった。
でも、この数年間は、自分でこういった類の週刊誌を買うことがほとんどなくなってしまった。
タイムリーな情報はネットで入手できるのと、徒歩通勤のため駅の売店の前を通らなくなってしまったのが大きな理由だろうか。
別に週刊誌がなくても生活にも仕事にも支障はない。きっと多くの人たちもそんな感じだから、出版不況になってしまったのだろう。
しかし、きょう移動のため電車に乗って、ボーっと中刷り広告を眺めていたら、急に週刊誌を買いたくなった。某週刊誌の「選挙特大号」である。「われら衆愚の選択」という中刷り広告が目を引いた。
今回の選挙に出馬した政治家(主には落選した大物有名政治家)のことを、面白おかしく書いてあった。
新聞やテレビが扱わないようなことを、とっても無責任な言い切りの表現で書いているのが、なんだか妙に新鮮だった。
どこまで真実で、どこまで信じるのかは、読者に委ねられている。「読者は、自分の頭でことの真偽を判断できる大人である」ということを大前提にしたメディアであるとするなら、このような週刊誌もアリだろう。いまのインターネット上の口コミ情報に似たところがあるのかもしれないな。
ということで、きょうの日記は、何の蘊蓄があるわけでもなく、ただ「久しぶりに週刊誌を買って読みました」という事実の報告でした。
温かい株主の方々と歓談した日
2009年9月4日 (金曜日)
この数週間は、パフの株主の方々と会ってお話をすることが多い。
きょうも午前中におひとり。そして夜、もうひとり。計二人の株主の方とお話をした。
午前中の株主さんはSさん。パフを作って丸二年が経った頃(1999年末)に知り合った方だ。Sさんは当時、愛知県の某大学の助教授をされており、学生の就職指導官も兼務されていた(ちなみに現在は、神奈川県の某大学の教授)。
当時は『超就職氷河期』。新卒者の求人倍率が一倍を割り込んでいたときで、有名(高偏差値)校の学生といえども、なかなか就職先が見つからないという時代だった。
Sさんはネットで学生のためになる情報はないかと検索していたそうだ。そのとき見つけたのが、「パフの就職相談室」という掲示板式のQ&A(いまは「職相談部屋」という名称になっている)。学生から毎日のようにたくさんの相談の書き込みがあり、僕やボランティアの社会人の方々がその相談に対して親身な回答を行っていた。
Sさんはこれを見て、いたく感動したそうだ。こんなことをやっている会社があるなんて……と。
そして、僕の名前とプロフィールが書かれていた会社概要のページを見たSさんは、さらに驚く。僕はSさんの出身の大学(明治学院大学)の2年先輩だったのだ。
さらにパフは未上場の会社ながらも、外部の投資家が出資できる制度をもった会社であるということを知る。
このときSさんは、「パフのような会社にこそ大きく成長してもらいたい」と思ったそうだ。そして、「株主としてパフを応援させてほしい」という連絡を、Sさんのほうから頂戴したのだった。
きょうSさんと久々にお会いし、その頃の昔話をして、とても懐かしくなった。まだ正社員が誰もいなかった時代だ。資金繰りもままならず途方に暮れていたときだ。超狭いオンボロ事務所で10数万円程度の家賃すら負担に感じていたときだ。Sさんからの出資の申し出が、どれほどありがたかったことか……。Sさんと久々に話をしていて、このときの感謝の気持ちがリアルに蘇ってきた。
夜は埼玉県在住の株主さんのところに伺った。この方は、パフの株式を市場を通じて、少しずつ少しずつ買い足していき、いまでは上位10番以内に入るほどの大株主になった方だ。お名前はMさん。
Mさんは、働き始めた18歳のころに職場の先輩の勧めで株式投資を始めたとのこと。日本経済がバブルに向かっている頃で、かなりの利益が生まれたという。しかし、1991年、バブルが崩壊。株式市場の怖さを身をもって体験したのだという。
だがMさんは、その後も細々と投資活動は行っており、パフのことを市場で見つけてくださった。そしてパフの株式が市場で売りに出される度に、買ってくださったというわけだ。パフの株式は、(本来、経営者である僕がいう話ではないのだが)実力以上に高騰していたことがあった。そのときもMさんは、「パフは絶対大きくなる会社だから、この値段でも安いはずだ」と思って買ってくださったという。
Mさんは他にも未上場の会社を中心に投資活動を行っているのだが、倒産してしまった会社も多いという。「いまは圧倒的に損失のほうが大きいですよ」と笑って仰っていた。
「僕らは投資するだけだからいいけど、経営者は大変ですよね。自分で借金して、社員を養って、赤字になるといろんな人から文句を言われ……。でもまあ、パフさんもいまは大変な時期でしょうけど、頑張ってくださいね。何年後かには期待してますよ!」
Mさんはそう言って、僕を励ましてくださった。
いやあ、パフって本当に恵まれた会社である。このような温かい株主の方々が支えてくださっているわけだから。来週も何人かの株主の方とお会いするのだが、このような方々を絶対に裏切るわけにはいかないと、あらためて心に誓った日だった。
秋の気配が漂っている日
2009年9月3日 (木曜日)
きのう、きょうと、すっかり秋の気配だ。肌寒く感じるくらいだ。
一昨日の夜は日中は暑かったこともあり、うっかり窓を開けて寝てしまったのだが、朝、寒くて目が覚めてしまった。以来、どうも風邪をひいてしまったようで、ずっとのどが痛い(インフルエンザではありませんよ)。
ところで、きょうは、午後から採用プロドットコムさん主催のセミナーで、パフも講演枠をいただいた。
パフが行ったのは、8月19日に実施して大好評だった、「内定者育成のすごい仕掛けセミナー」のリバイバル講演。マングローブ社の新村さんに講師をお願いした。
僕は冒頭の10分間、自社紹介をさせてもらい、お決まりの「パフ」を歌ったのだが、どうもいつもと感じが違って、うまく歌うことができなかった。のどを痛めていたから(?)というわけでもないのだけれど、ちょっと後悔である。
セミナーそのものは、新村さんの奮闘で無事終了。新しいお客様との出会いがいくつもあったので、これからフォローの営業が始まる。
それにしても秋だ。今年はなんだか梅雨があけたかどうかもわからないうちに、夏が過ぎてしまったような気がする。僕はセンチメンタルな秋が実は好きで、こんな日は、オフコースの「秋の気配」を口ずさんでしまうのだった。
大正13年生まれのベンチャー経営者の講演を聴いた日
2009年9月2日 (水曜日)
知る人ぞ知る京都の超優良企業、堀場製作所。エンジン排ガス測定・分析装置分野で80%の世界トップシェアを握る会社だ。
この会社を創業したのが堀場雅夫さん。1945年10月の終戦直後の創業だ。当時、堀場さんはまだ京都帝国大学の学生だった。堀場さんが未だに、“学生ベンチャーの草分け”と呼ばれる所以である。
今日は、この堀場さんの講演会に招かれ参加した。
堀場さんは1924年(大正13年)12月1日生まれ。なんとうちの母親と同い年。誕生日も、たったの1週間しか違わない。今年で御歳85歳の人生の大々々先輩なのだ。
講演を聴いて、びっくりした。
明るく、ユーモアにあふれ、頭脳明晰。言葉も100%明瞭。参加者からの質問にも、即興とは思えないくらい、面白く引き込まれる話をされていた。極めて魅力的な方なのだ。とてもうちの母親と同い年とは思えない。
しかし、そんな「高齢なのにすごい」ということだけではなく、絶対的なすごさが堀場さんにはあった。自分なんて、まだまだケツの青いひよっこだということが分かった。
日本には起業家となるような人間は、全体の2%しかいないそうだ。僕は辛うじてこの2%に入っているのかもしれないが、堀場さんのようなベンチャー経営者は、全体の0.001%くらいしかいないのではないだろうか。
なんにしても勉強になる、刺激的な講演会だった。その後の懇親パーティーでも、懐かしい方々や意外な方々とお会いできたし。
僕をゲストとしてお招きくださった、関東ニュービジネス協議会の吉井委員長(企業内新規事業委員会)に大感謝である。
吉井さん、どうもありがとうございました!!
新学期がスタートした日
2009年9月1日 (火曜日)
朝一番でHRコンサルティンググループのタシロといっしょに神田に向かった。昨年から採用のお手伝いをしているS社の採用会議で講演&グループワークのファシリテータを行うためだ。
社長を筆頭に、現場の部課長20名近くが参加した大会議。まさに全社を巻き込んだ採用のキックオフだ。S社は、新卒採用を自社の成長戦略として位置付けている。現場の部課長たちも前のめりに会議に参加していた。「S社に求められる力」を議論しあうグループワークでは、熱気がムンムンだった。上場を間近に控えたS社。全社がこのようなスタンスで採用に臨む限り、きっと成長し続けていくことだろう。
午後は、両国に向かい、タシロと同じHRコンサルティンググループのヒラハラと待ち合わせた。今年の春から取引の始まったW社にヒラハラとふたりで伺い、人事部の皆さんと一緒に、採用基準をどのように設けるかのディスカッションを行ったのだ。W社は現場を採用に巻き込むことが難しいため、人事部だけで採否を決定しなければならない。求める人物像は明確なのだが、じゃあ、それをどうやって見抜くのか。主観を取り除き、経験の浅い面接官でも正しい判断を行うためにはどうすればいいか。なかなかの難問ではあるが、きょうの会議で、解決の方向に進んだのではないかと思う。
きょうは、この2社の訪問だけで日が暮れる時間になってしまったのだが、メインイベントはここから。
本日、9月1日。多くの小学生や中学生は夏休みを終えて、新学期をスタートさせた日。我がパフも、本日は9月度のキックオフだったのだ。
夜6時半から全社のキックオフミーティングを約二時間行い、その後、お決まりの乾杯&軽食。
会議の内容は書けないが、なかなか、なかなか、なかなか・・・である。
乾杯&軽食の部では、○○歳の誕生日を迎えた社長室のスギヒラへのサプライズケーキなども出され、楽しく、ほのぼのとした時間を過ごした。
第一Qの最終月でもある9月。厳しい雇用情勢と経済環境のなかではあるが、第二Qに向けて明るい兆しをつくりだす1か月にしたい。