島耕作を読んだ日
2008年8月24日 (日曜日)
先々週、集中的に行った社員面談のときのこと。
僕は某社員(いちおう本人の名誉のため名前は伏せよう)が、ビジネス社会、経済社会の常識に疎いことが気になったので、ビジネス書やビジネス雑誌を読むことを勧めた。
が、この某社員は昔、同じことを僕から言われ、ビジネス書を読むことに挑戦したが、難しくて(つまらなくて)なかなか習慣にはならなかったという。
「だったら経済小説でも読んでみたら? 城山三郎とか高杉良とかいいんじゃない?」
あまりピンとこなかったようだ。
「それでもしんどかったら、漫画でもいいや。こないだ社長になった『課長 島耕作』なんていいんじゃない?面白いみたいだよ」
と、自分でも読んだことのない『課長 島耕作』を勧めてしまった。
これには某社員も響いたようで、「あ、そうですね。漫画なら読めると思います!」と、やる気を見せていた。
翌週。
「クギサキさん、これ、面白かったです♪ クギサキさんも読んでくださいよ」
と、某社員はドサッと、『課長 島耕作』の単行本を僕のところに持ってきた。
「え? おまえもうこんなに読んじゃったの?」
すごい行動力だ。この行動の素早さが仕事でも発揮されたらなあ…(苦笑)。
ということで、本日は、この某社員が貸してくれた『課長 島耕作』を、ジムでウォーキングしながら読んだ。
なあるほど。確かに面白い。
が、それほど経済の勉強になるとは思えないんだよなあ……。
もう少し違う本を勧めておけばよかったかなと思う反面、まあ、いい息抜きにはなるので、これはこれでいっか、と思った。
しっかし、島耕作。最初はダメダメな中間管理職なのだが、どうやって社長まで上り詰めたのであろうか。
25年以上にも及ぶ大作である。僕も長い時間をかけて、じっくりと読んでみることにしよう。
IRのイベントを見に行った日
2008年8月23日 (土曜日)
きょうは朝から、 「日経IRフェア2008」というイベントを見に行った。IRというのはインベスターズ・リレーションの略で、投資家向け広報という意味だ。
100社以上の上場企業や証券取引所が出展し、1万人以上の投資家が来場するというので、どんな感じのものなのか見に行くことにした。
パフも200名の投資家の方々に株主になっていただいている。日頃は直接の接点がほとんどないのだが、こういったイベントを通じて、投資家の方々の興味、関心の向かう先を理解しておくのも大事なことだと思ったのだ。
最初に聞きに行ったのが、海江田万里氏の講演。資産運用をテーマにしたものだったのだが、政治、金融政策に関する話も出てきて、なかなか興味深かった。
その後、いくつかの企業ブースを訪問。ふた昔前の歓楽街の呼び込みのような状態で、企業の投資家へのきわめて強烈なアピール姿勢を感じた。
パフの取引先の「会社説明会」にも参加した。学生向けの会社説明会とは違って、数字を中心とした過去、現在、将来の説明。ただ説明の仕方はとても懇切丁寧で担当者の力も入っている。またリアルな企業の姿も見えてくる。学生は、就職情報会社や人事部が主催する説明会だけじゃなくて、こういう投資家向けの説明会にも参加したほうが、企業の実態が見えてきて良いのではないかな、と思った。
次に行っ たのが、幸田真音さんの講演会。幸田さんの姿は、日曜日の朝の番組のコメンテーターとしてよく拝見するのだが、実際にはどんな人なのかなあと興味深く参加した。
もともとは債権ディーラーで、その後、経済作家に転身した幸田さんなのだが、とても可愛らしい人だ。年下の僕が言うのも失礼な話なのだが、とても初々しく、好感のもてる講演だった。
それにしても会場に溢れていた投資家の皆さん。土曜日ということもあったのだろうが、地元の商店街を散歩している、ごく普通のおじさんやおばさんたちと同じような雰囲気の方々だったのは意外だった。
丸一日の現地審査で緊張した日
2008年8月22日 (金曜日)
きょうは、僕と社長室のスギヒラは、緊張の朝を迎えていた。実務を担当するスギヒラなどは会社に泊まり込みで、きょうの準備を行っていた。
なんの準備? なんで緊張するの? 何か悪いことでもしたの?
と思われる方もいるであろう。
別に悪いことをして、取り調べを受けることになったわけではない。
実は本日は、プライバシーマーク(Pマーク)更新の、現地審査の日だったのだ。審査官の方々が、朝からパフに来社し、さまざまな角度から、パフがPマーク認定企業としての要件をきちんとみなしているかどうかの立ち入り調査を実施したのだった。
パフがPマークを取得したのは2年前の今頃。このPマークの更新は2年単位で行われる。以前取得した時とはJIS(日本工業規格「JIS Q 15001個人情報保護マネジメントシステム」)の要求事項が改正されたため、今回、社内の規程やルールも見直さなければならなくなった。また、一般的に、取得のときよりも、更新のときのほうが審査が厳格になる。
なので、今回の更新作業はとてもたいへんだったのだ。
まず朝一番は、審査官からの社長インタビュー。
一説には、経営方針やPマークへの考え方を聞かれるくらいで、あまり細かなことは聞かれませんよ、ということだったので、僕は緊張しながらも、ややタカをくくっていたところもあった。
ところがどっこい。
かなり詳しく実務レベルの突っ込んだところまでインタビューされた。当初20分という予定だったのだが、それをかなり上回る時間のインタビューだった。
それから延々と10時間。個人情報管理責任者のスギヒラと、システムやサービスを統括するホサカへのロングインタビューと書類のチェックが続いた。
僕は自分の席から、事務所の端っこにある会議室を見やりながら「大丈夫かなあ」とハラハラしながら待機していた。また、いつ呼び出されるかもわからないので、外出も控えるようにしていた。
夜8時過ぎ。やっとすべての調査が完了した。
いくつかの(たくさんの?)指摘事項はあったものの、「Pマーク剥奪」という事態には至らず。これから数カ月の間で、この指摘事項を改善し書類を作成していけば、無事Pマークは更新されることになった。
いやはや、ホッとした。僕は実際には何もしておらず、1日気を揉んでいただけなんだけど(苦笑)。
でもこうやって、定期的に外部のきちんとした方々からの厳しい調査、監査、審査を受けるというのは、とても良いことである。
中小・ベンチャー企業というのは、管理体制がどうしても疎かになりがちなのだが、このような機会があることで、ピシッと引き締まる。
諸事情により、前任からの引き継ぎがなされぬまま責任者となったスギヒラだったが、まずは第一の関門を突破できたことになる。ほんとにお疲れ様でした。もう一息、なんとか頑張ってください!!
ゲリラにやられた日
2008年8月21日 (木曜日)
夕方6時過ぎ、僕は会社から徒歩10分ほどのところにある聖路加ガーデンにいた。所用が終わり、さあ帰ろうと思った瞬間、大粒の雨が降り始めた。
「お、まずい。ちょっと雨宿りしてから帰るか」と、聖路加タワーに、避難した。
すると、雨がさらに激しく、狂ったように降り始めた。
それだけじゃない。
まぶしいほどの閃光とともに雷の音が轟き渡った。
「うわー、これぞゲリラ豪雨だ」と、僕はかなりビビったのだが、少しすればやんでくれるだろうとタカをくくっていた。
が、30分経ってもいっこうに雨がやむ気配がない。
焦ってきた。
というのも、19時に、お客様と会社で待ち合わせをしていたからだ。
しょうがない。もったいないけどタクシーで帰るとするか。と思い、大雨の路上に出てタクシーを拾い始めた。
が、ほとんどのタクシーは乗車中、もしくは迎車の状態。たまに空車があったとしても、乗車拒否で通り過ぎて行く。
結局、会社まで歩いて帰ることにした。約15分間。狂ったような雷と集中豪雨の中、ずぶ濡れになりながら歩いた。
いやあ、マイッタ。上着からは雨が滴り落ちるし、靴の中には水がたまっている。
ああ、やだやだ。こんなゲリラは、もうマッピラ御免である。
・・・ということで、「大雨でずぶ濡れになりました」という、本来であれば13字で済むことを、延々と書いてしまいました。
仕事をした日
2008年8月20日 (水曜日)
なんという不謹慎な日記のタイトルであろう。
「やっぱり、おまえはふだん仕事をしてなかったのか…」という突っ込みが来そうだ。
本日は、「地味ぃぃぃな仕事をたくさんした日」という意味で、タイトルを付けたのだった。
いや、そもそも社長っていうのは、地味ぃぃぃな仕事をする人なのかもしれない。
どこの会社も、社長って(特に創業社長は)、実は何でもできる人が多い。創業者は、事業が軌道に乗るまでは、だいたい一人だけですべての仕事をこなさなければならないからだ。
営業、経理、法務、庶務、企画、システム、雑用。なんでもやる。自分の専門は○○だから、とか言っている場合ではない。隙間の仕事もぜんぶひっくるめて、職種を超えた仕事をやれるのが社長という人種なのだ。
ということで、きょうは(人知れず)地味ぃぃぃぃぃぃなことを延々とやっていた。
誰にお願いするでもない隙間な仕事。機密性の高いシークレットな仕事。地味な仕事の連続だ。
それに付随して、書いたメールも本日だけで100通以上になったのではないだろうか。
このところ夜のお勤めが多すぎたため、じっくりデスクワークを行なう時間がなかったのも原因なのだが……。
せめてきょうは、日記くらいは手抜きで終わらせていただこう(苦笑)。
暑苦しい連中との再会と出会いの日
2008年8月19日 (火曜日)
いまから丸二年前のことだ。むちゃくちゃアツい奴(当時大学4年生)と出会った。いや、アツいというより、「暑苦しい」と形容したほうが的を射た表現だ。
すでに就職活動を終えていた彼は、パフの企業向けセミナーに、学生パネリストとして協力をしてくれていた。名前をノブという。
ノブは、このセミナーのあとの情報交換会のとき、協賛企業のM社のYさんとすっかり意気投合。兄弟の杯を交わしたという。
実は僕はこのセミナー当日、頚椎を痛めてしまい救急病院に行っていた(自力で起き上がれないほど酷かった)。
なので、ノブとは会えてなかったのだが、後日パフ・ヨシカワが、「クギサキさん、ノブにぜひいちど会ってください。お願いします。クギサキさんは絶対会うべきです」と、珍しく僕に熱く迫ってきた。
ヨシカワがそこまで推すような男とはどんな奴だろう…と興味をもち、後日会ってみることにした。
なあるほど。こりゃヨシカワが「絶対会え!」と迫ってくるのも頷ける。まさに、世の中に変革をもたらすために生まれてきたような奴だった。
パフの事務所の目の前にある寿司屋に連れて行き、2時間ほど語り合った。暑苦しいほどにアツい彼の言葉と眼差しを、今でもよく覚えている。
その翌年、ノブは某総合商社に入社。本社のある名古屋に行ってしまった。その後ノブとのやりとりは年に数回のメールだけ。頻度は少ないが、送られてくるメールは、「うわっ、こいつ相変わらず暑苦しい!」とのけ反ってしまうような内容ばかりだった。
そして本日、研修で東京に出てきたノブと再会することになった。実に2年ぶりである。ノブの義兄弟であるM社のYさんと三人で、「浅草でアツく語り合おう!」ということになったのだ。
どうせならということで、僕をノブに強制的に会わせたパフ・ヨシカワ。新入社員当時、Yさんに厳しい指導を受けていたパフ・タカタ。1,2ヵ月前、ノブと偶然出会っていたパフ内定者・ツチダも誘うことになった。
そしてノブも急きょ、同僚のU君を連れてきていた。もうひとり。現大学3年生で就職活動を始める実弟のK君も連れてきていた。
合計8人の大会合である。M社のYさんも、ノブに負けないくらい暑苦しいのだが、ノブが連れてきたUさんも暑苦しかった(ノブとはタイプの違うアツさなのだが、これがまたいい!)。
この暑苦しい連中の矛先は、まだまだ暑苦しくなりきれない内定者・ツチダやノブ弟・K君に向い、 「働くとは?」「仕事とは?」「一流と二流の違いは?」「プロとは?」「生きるとは?」などなどの議論(というか説教?)を戦わせることになった。
ノブの同僚のU君が僕に質問してきた。 「20代のうちにやっておくべきことは何ですか?」と。
僕は、 「なんでもいいから、でっかいビジネスの仕掛けを作って、大失敗しろ。そして、その失敗の責任をとって辞表を出せ」と答えた。むちゃくちゃである。
さらに続く。
「辞表を出したら、そのあとパフに来い。中途で採用するから…」
さらに続く。
「ただし、もしその辞表がすんなり受理されるようだったら、こなくってもいいや」。むちゃくちゃを通り越している。
つまり、 「たとえ大失敗をしでかしたとしても、辞めてもらっては困るくらいの人材になれよ!」ということを言いたかったのである。
まあ、皆こんなことを好き勝手に延々と語り続けた暑苦しい会合だったのであるが、実に愉しかった。
#ちなみに、ノブには、2010年9月30日付で、パフから採用通知を出すことにした。U君には2009年9月30日付ということにした。1年ずらしたのは、二人同時の流出だと、現在の勤務先の総合商社が大打撃を受けると思ったからだ。この心配り、我ながらニクイ(苦笑)。
ノブとU君、この日記みてるかな? 今度会うときは、履歴書持参してね♪
真夏の夜の三九会だった日
2008年8月18日 (月曜日)
鹿児島出身のS社長、福岡出身のY社長、そして熊本生まれ・大分育ちの僕。3人で結成した会を三九会と呼んでいる(三人の九州出身者の集まり、という安直なネーミング)。
今年の春先に結成されたばかりだが、ずいぶん昔からの会だったような気がする。それだけ気が通じあっているということだろうか。
本日夜の8時から、久々に(実際には1か月ぶりくらい?)、この三九会の会合を行った。
仕事のこと、会社のこと、社員のこと、家族のこと……。話題は尽きない。
時間があれば、まだまだたくさん本音ベースで語り合いたいことがあるのだが、どうにもこうにも時間と体力の限界があり、中途で終了。
この三者で行うビジネスを、もっと早く、広く太くしていきたいものだ。
なお、会合の中身は機密事項のため、本日の日記ではこれ以上書けません。あしからず^^。