パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

昨夜はU社長の結婚披露宴に出席の後、別件で深夜まで打ち合わせを行っていた。自宅に戻ったときにはすでに、空が白みかけていた。

そんなわけで、きょうは朝寝坊したかというと、予想に反してそうでもなかった。

理由が二つある。

ひとつめ、「暑い!!」から。 ふたつめ、「笛や太鼓や人々の歓声が鳴り響いていた」から。

僕の住む月島では、昨日から、3年に一度の住吉神社の御祭礼がとりおこなわれている。神輿がたくさん出ているのだ。朝早くから一日中、路地の隅々まで神輿が練り歩いている。こりゃ静かに眠れるはずがない。

朝食後、この暑さと大音声から逃れるために、毎度のジムに向かった。

部屋にいてじっとしてても暑くて(受け身の状態で)汗をかくのと、ジムに行って、自ら能動的に汗をかくのとでは、汗をかいた後の満足感がぜんぜん違う。もちろん能動的にかく汗のほうが好ましいわけだ。

満足な汗をかいたあと、再び、月島へ。商店街にはキッズだちが大勢集まっていた。またキッズ用に作られた特製のお神輿もある。子供のころからこうやってお神輿を担がせるのって、なかなか粋だよな。

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神輿の見学はほどほどに、自宅に戻って、金曜日の夜に録画しておいたテレビドラマを観た。

昭和の歌謡界を支えてた偉大な作詞家、阿久悠の一周忌を記念して制作された「阿久悠物語」というドラマだ。

僕は1970年代の歌謡曲が大好き。フォークソングももちろん好きなのだが、歌謡曲もそれに負けないくらい大好きだ。というよりも、当時の僕は、フォークソングは歌謡曲の一部ととらえていた。その多くの(主だったヒット曲はほとんどといってもいいかもしれない)歌謡曲の作詞を、この阿久悠が手がけていた。

が、70年代最大のスター、山口百恵にだけは、阿久悠はなぜか詩を提供することができなかったという。そこらへんのエピソードや阿久悠の心情も描かれていたのだが、なかなか興味深かった。

それよりなにより、山口百恵のデビュー当時から引退間際までの映像がふんだんに使われていたのにはびっくりしたし、感動した。山口百恵が引退してすでに28年が経過する。中学・高校の頃の僕にとって、山口百恵というのは、ものすごく大きな存在だった。いまでもたまに夢に見るくらいだ。

そんな山口百恵とその歌声を、VTRとはいえ、視聴できたことをすごく幸せに感じた日曜日の昼下がりであった。 ひょっとして、今夜また山口百恵が夢に出てくるかも♪

U社長の結婚披露宴だった日

2008年8月2日 (土曜日)

きょうは、事業提携しているG社のU社長の結婚披露宴だった。

U社長は今年で34歳。25歳になる年にG社を起業し、以来9年間、事業創造と会社経営に邁進してきた。2005年には上場も果たしたスゴイ若手経営者である。

そんなU社長の結婚披露宴。赤坂のホテルニューオータニで盛大に開かれた。でも、派手派手しさはなく、随所にU社長の思いが散りばめられた、とても手作り感あふれるアットホームな宴だった。G社の社員の皆さんのパフォーマンスも抱腹絶倒の面白さと、芸の質の高さに、感心させられた。

それから招待されている人たちが凄かった。日頃、ビジネス雑誌でしか拝見したことのないような経営者たちがずらっと並んでいる。「U社長って、すごい付き合いの幅なんですねぇ」と、G社の幹部たちに聞いたら、 「いや、あれは仕事上の付き合いじゃなくて、トライアスロン仲間なんですよ」という答えが返ってきた。なんと、U社長はトライアスロンが趣味なのだ。すっごい。こっちはジムで5キロ走ったくらいでギブアップなのに、1日中、マラソンと水泳と自転車をやるなんて……。

脱線してしまった。

U社長の結婚のお相手は、なんと入社3年目のG社の若き社員Kさん。社内からは「犯罪だ!」との声があがっているとかいないとか(笑)。Kさんは、学生の時からインターンシップとして働いていたらしい。U社長は3年前、G社を応募していたKさんに、自分の奥さんとしての内定をすでに出していたのかな^^。

なんにしてもメデタイ・メデタイ。U社長、この日ばかりは、ちょっと照れた普通の34歳の青年に戻っていた。U社長、本当におめでとうございました!!

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さて。昨日の日記の続きである。

トピック2:はるちゃん勤務終了

7月23日の日記に初登場した、「はるちゃん」の勤務が昨日終了した。パフでの仕事は、いったん区切りとなる。

が、しかし、はるちゃんとはゴルフ仲間になる約束をしている。まずは東京の西・昭島にあるショートホールに行こう!ということになっているのだ。練習しなきゃな。というか、レッスンに通わなきゃな。

#これで、はるちゃん、日記への登場2回目である。夢が二度かなったことになる。よかったね♪

 

トピック3:精神科医の先生とピアノのジョイント

三浦勇夫さんという高名な精神科医(杏林大名誉教授)がいる。哲学者の土屋賢二氏とともに、 「人生気のせい人のせい」 (PHP研究所)という本も著している。なんと御トシ80歳。でもすこぶる元気な方である。

また、菊池南里という実力派のピアニストがいる。以前の日記にも書いたのだが、実は僕の高校2年生のときの同級生だ。僕が30年前、高校の文化祭でステージデビューできたのは、天才的なピアノを奏でる菊池の能力と尽力以外の何者でもない。

この2名がジョイントするコンサートが、昨夜19時から代々木上原で開催された。昨日のトピックの主役である、インターンのK、はるちゃん、それから社長室の杉平とヨシカワを伴って5名で聴きに行った。

 

いやあ、面白かったし癒された。

三浦先生のハラハラドキドキの毒舌トーク。途中で息絶えるんじゃないか(??)と思わせるような、ながぁい間(ま)のとりかた。最高である。

菊池のピアノも、相変わらず天才だった。菊池は昔から楽譜を見ない主義だ。頭に浮かんでくるその場のイメージで瞬間的にアレンジしてしまう。高校時代、こんなスゴイ奴の伴奏で歌を唄っていたかと思うと、妙に嬉しくなる。

コンサートの前半は、三浦先生の講演と菊池のピアノの合いの手で構成されていた。三浦先生は自身の講演の最中、何の前触れもなく突然、菊池に突っ込む。菊池は絶妙なユーモアトークと癒しの演奏で三浦先生に返していた。

後半は、菊池のピアノ演奏。最初ゲストでテノール歌手が登場し「オーソレミオ」を唄ったのには恐れ(オーソレ)入った(なんちって)。その後は、菊池の独特の編曲を加えた日本の名曲の演奏が続いた。すべて良かったのだが、やっぱり菊池のオリジナル曲がいちばん良かったな。

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で、昨日の日記に載せた写真であるが、トピック1のインターンKと、トピック2のはるちゃんと、この菊池南里と、僕の4人の記念撮影だったのだ。

 

余談だが、僕のデビューが少し早まるかもしれない。というのも、 「どこかホールでも借りてオヤジコンサートを開こうか?」という、半ば本気の会話を菊池と交わしたからである。東京中央区界隈で働く疲れたビジネスマンたちに贈る癒しのコンサート。読者の皆さん、お越しいただけます?