嗚呼、井上陽水の日
2009年8月24日 (月曜日)
NHK教育テレビがやってくれた。今夜から4夜連続で、井上陽水の特集をやるのだ。
『LIFE井上陽水~40年を語る~』という番組だ。
井上陽水は、いま60歳(8月30日で61歳)。僕より12歳年上。僕と同じ、ねずみ年でもある。
デビューしたのが40年前ということは、陽水が20歳。僕がまだ8歳。小学校3年生のときなのだが、残念ながらこのときの陽水のことを僕は知らない。それは当然といえば当然。陽水はこのときまだ陽水ではなかったのだ。
1969年。“アンドレ・カンドレ”の芸名で陽水はデビューした。デビュー曲は、『カンドレ・マンドレ』。なんじゃそりゃあ?・・・という芸名とデビュー曲である。
当然のごとくまったく売れず、陽水は3年間、沈黙する。
1972年。陽水は、芸名を“井上陽水”(いのうえようすい)と本名と同じ字に改める(本名の読みは、“いのうえあきみ”である)。
僕らが陽水を陽水として認識するのは、ここからだ。僕が小学校6年生のときだ。そこからの活躍は、もうここには書ききれないくらいだ。僕たちに大きすぎるくらいの影響を与え続けた。
「拓郎と陽水、お前はどっちが好きだ?どっちが上だと思う?」なんてことを、よく友達と言いあっていた。
どっちも凄いシンガーだが、僕の好みは、断然、井上陽水だった。
あるときは過激で、あるときは美しいメロディー。あるときは繊細かつ情緒あふれ、あるときは支離滅裂かつ難解(でも深い意味がありそう)な詩。甲高くも深みと透明感あふれる歌声。掴みどころのない天才シンガーソングライターだった。
1972年12月、アルバム『氷の世界』がリリースされた。いま聴いても、ちっとも陳腐じゃない、すごい曲が詰まったレコードだった。一曲たりとも感動しない歌はない。
あれ、きりがなくなってきたな。
まあ、ともかくも。この井上陽水を40年の歴史とともに4夜連続で放送するNHK教育テレビはエライ!という話だ。
月曜日(24日)から木曜日(27日)までの4日間。夜11時~11時54分まで。これは見逃せない。
といいつつ、実は僕は今夜帰宅したのが11時半だった。なので初日から前半の30分を見ることが出来なかった。なんてことだ。
でも大丈夫。ちゃんと録画しているのだ。
今週末は、4時間連続で録画された陽水を観まくる(聴きまくる)ことになるだろう。
これで土曜日の日記ネタは、井上陽水で決まりなのだ。
世界陸上最終日だった日
2009年8月23日 (日曜日)
先週の土曜日に始まった世界陸上。9日目の本日がいよいよ最終日。スポーツ好きの人にとっては寝不足の一週間だったのではないだろうか。
僕もテレビをつけっぱなしにして寝る日が多かった(結局、ボルトの100メートル決勝も200メートル決勝も見逃したのだが)。
最終日の今日は、女子マラソンを見ていた。尾崎好美選手、銀メダルおめでとう!である。ママさんランナーの赤羽有紀子選手は体調悪かったのかな?惜しかったですね。でも完走できて良かった。
女子マラソンを見ていると、現代の女性の強さ、逞しさを象徴しているような気がしてくる。年齢も比較的、上の年代が頑張っている。尾崎選手28歳、赤羽選手29歳、藤永選手28歳、加納選手30歳である。そういえば、ルーマニアのシモン選手も出場していたが、彼女はもう36歳なのである。ビジネス社会で頑張っている女性たちにとっても、このアスリートたちの活躍は心強いのではないだろうか。
この日記、夜の23時過ぎに書いているのだが、いまテレビでは男子5000m決勝を生中継している。
男子やり投げの決勝はまだかな。22年ぶりに決勝進出を決めた村上って、ぱっと見た目、女性かと思ったら男なんだね。「男子やり投げ」なんだから当たり前なんだけど(苦笑)。
では今夜は、世界陸上を最後まで見てから寝ることにしよう。頑張れニッポン村上!!
大人倶楽部で午前様だった日
2009年8月22日 (土曜日)
いまの若い人たちは「午前様」なんていう言葉を使うんだろうか……と、日記のタイトルを書いてから思った。
#まあ、若者が使う言葉だろうがなんだろうが、そんなことはどうでもよいんだけど(笑)。
昨夜は、(日記にも書いた)バスツアーが終わり、関係者の皆さんと別れたのが午後6時半。解散後すぐ、僕は東京駅から地下鉄丸ノ内線に乗って、杉並区の高円寺を目指した。
杉並区というのは、東京23区のなかでは最も西に位置する。かたや、東京駅やパフや僕の自宅があるのは中央区で、東京の東の端っこである。
東京の東端から西端に向かった目的は、【大人倶楽部】という、いかにも怪しい名前の会合に参加するためだ。
この大人倶楽部。初会合が行われたのは、いまから2年前。最初は4人だけの会合だったのだが、その後、6人に増えた。全員パフがきっかけで出会い、親しくなった熟年世代の大人たちだ。大人倶楽部には、尻(ケツ)の青いガキは入会できないことになっている。さらに加えるならば、人格、能力ともに秀でており、バカができ、ノリが良く、酒好きで、オヤジギャグに抵抗感を示さないことが入会の条件である。とても排他的な組織なのだ(ホントかよ?苦笑)。
この6名の内訳は、社長が4名、部長が1名、その社長と部長にとってのマドンナが1名なのだから、やっぱり怪しい団体なのかもしれない。
昨夜の会合は、この6名に加えて、会員候補が1名、特別ゲストが2名、合計9名にて開催された。
杉並の住宅街のなかにある手打ち蕎麦の店が会場だったのだが、なっかなか落ち着いた雰囲気の店で、料理も酒も、楽しく進んだ。何しろ全員がそろったのは一年ぶりということもあり、異様な盛り上がりを見せた。時節柄(僕も含めて)たいへんなはずの社長たちが特に盛り上がっていた。大人倶楽部は、それだけ気の許せる仲間たちなのだ。
蕎麦屋さんでの一次会ののちは当然のごとく二次会へ。これがまた地元の寂れた(失礼!)カラオケスナック。貸切状態で、盛り上がったのだが、ここから僕の記憶が途切れている。
翌日は仕事の予定がなく、しかも自宅や会社から遥か遠い場所に来ているという解放感からだろうか。すっかりくつろいでしまった。
ということで、久々の大人倶楽部は、僕にとって束の間のオアシス。午前様程度は許してもらえると嬉しいのである。
知的障害者雇用のためのバスツアーを実施した日
2009年8月21日 (金曜日)
この日記でも何度か触れたことがあったが、いま、とある大手企業(連結子会社含む)の障害者雇用(特に知的障害をもっている人たちの雇用)に取り組んでいる。
知的障害者の雇用を拡大するためには、まずは、雇用主である企業(とりわけ経営者や人事担当者)の意識を変えるところから始めなければならない。
僕らは、知的障害者の方々といっしょに遊んだり、勉強したり、仕事をした経験がほとんどない。つまり知的障害者のことを知らない。無知なのだ。
無知のくせして、先入観や偏見や間違った解釈から、「知的障害者にできる仕事はない」と決めつけてしまっている。あるいは、無知であるがために、何をどうすればいいのかが、分からない。
この先入観や偏見や間違った解釈を取り払い、「何をどうすればいいのか」を勉強するための企画を考えた。そして、この大手企業の本社人事部の皆さんと、二か月ほど前から準備を着々と進めていた。
その企画とは、「障害者雇用の現場を巡るバスツアー」である。
知的障害者の雇用に取り組み、大きな成果をあげている複数の企業を訪問させていただいたり、知的障害者のみなさんとの懇談会を実施したりする企画だ。
答えは現場にある。実際に知的障害者が働く現場を見ることで、正しい理解を促そうと思ったのだ。
提出した企画書に、この企画の目的と期待される効果として、次のことを僕は書いた。
—–
<目的>
障がい者(特に知的障がい者)雇用に対する基本的な知識の習得と、雇用イメージの醸成
<期待される効果>
① 障がい者雇用に対する、担当者の意識面でのハードルを下げることにつながります。
② 知的障がい者の実際の働く現場をみることで、自社の環境での雇用イメージを掴めます。
③ 実際に働いている障がい者と直接会話することにより、雇用の使命感が醸成されます。
—–
この企画を対象のグループ企業各社に告知したところ、予想を遥かに上回る参加希望があった。定員20名のところ40社60名の人事担当者からの申込みがあったのだ。
すごい。皆さんの関心の高さが嬉しかった。
でもさすがに60名をいっぺんに連れまわすことは物理的に不可能である。泣く泣く20社20名に絞り込ませてもらった(残りの方々にはまた10月に追加開催する)。
そしていよいよ本日が、この企画「バスツアー」の実行日。
朝8時に、丸の内(とある大手企業の本社ビル玄関)に集合し、バスに乗り込み、赤坂(2か所)、品川、渋谷の現場に向かった。
詳細なレポートは割愛させてもらうが、参加した皆さんの満足度はとても高かったように思う。
僕もそうだったのだが、知的障害者の方々が、嬉しそうに、楽しそうに、働いている現場を見ることで、あらためて「働く意味や意義」を考えさせられた。
知的障害者の方々の礼儀正しさ、挨拶の声の大きさ、ひた向きに仕事に取り組んでいる姿を目のあたりにし、(自分の会社の社員たちや自分自身と比較して)懺悔したり、恥ずかしくなってしまった参加者も多かったようだ。
手前味噌ではあるが、企画書で掲げた「目的」どおりの、「期待される効果」が十分に得られたバスツアーであったと思う。
最後に、今回の「バスツアー」の企画・運営を全面的にお手伝いいただいたパートナー企業をご紹介しよう。
株式会社福祉ベンチャーパートナーズ(略称FVP)という会社である。障害者が「あたりまえ」に働ける機会や環境をつくりだすための取り組みを懸命に行っている会社である。しかも、そのことをボランティアやNPOとしてではなく、ビジネスとして成立させようとしている会社である。
このFVPの創業者であり社長である大塚さんは、鉄のような意志をもった、たくましくも、しなやかな女性。きょう一日のプログラムのすべてを、ものの見事にファシリテートしてくださった。大塚さん抜きには、今回の企画は成立し得なかった。大・大・大感謝である。
これからも大塚さんと組んで、知的障害者の雇用を「あたりまえに」拡大させる施策を、ビジネスとして考えていきたい。
<追>
今回多大なるご協力をいただいた、コマツ(人事部ビジネスクリエーションセンタ)の木村所長、大東コーポレートサービスの山崎社長、スワンカフェ&ベーカリー赤坂店さん、ハローワーク渋谷さん、JACCSさん、VSNビジネスサポートさん、また、それぞれの会社で働いておられる障害者のみなさん、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
破壊と創造の謀議を行った日
2009年8月20日 (木曜日)
きのうの日記に、 「そういえば来週も楽しみな共催セミナーがある。(実は明日、詳細な打ち合わせを行う予定なのだ)。」 と、思わせぶりなことを書いた。
で、本日は予定通り、その「楽しみな共催セミナー」の打ち合わせを行った。
いっしょに開催するのは、以前(7月8日)の日記でも紹介したことのある常見陽平さんだ。
実際に初めてお会いしたのは、7月28日で、この日のことも日記に残してある(書いていて思ったけど、日記ってこういうときに便利だな)。
運命の出会いというのはこんなものか。たまたま常見さんが僕のブログの読者で、僕のある日の日記をご自身のブログからリンクしてくれたことで、僕は初めて常見さんのことを知った。
常見さんのブログを読んで、「こりゃすごい。会わなきゃ!」と思った僕は、すぐにコンタクトを取った。そこからトントン拍子で、今回のコラボセミナーということになったわけだ。
このスピード感。実に気持ちいい。
今回のセミナーの骨子が決まったのが、なんと初顔合わせのたった二日後。この日のことも 僕は日記に書いていた。7月30日の日記で「変人による変人のためのセミナーが企画された日」というタイトルだった。
そして本日の詳細打ち合わせである。
落としどころはばっちり決まった。
でも、落としどころに行くまでの過程がどうなるかは、我々だって分からない。分からないから面白い。分からないからワクワク、ビクビク。でも、きっとここから新しい一歩が始まる。
変人の変人による「世のなかのため」の幸せなセミナー。
現在のおかしな就職と採用が破壊され、新しい理想的な就職と採用が創造される ことを期待しよう。
セミナートリプルヘッダーだった日
2009年8月19日 (水曜日)
パフが初めて企業向けセミナーを開催したのは、会社を設立して丸1年経った頃だったと記憶している。
その頃はせいぜい年に2~3回実施するのがいいところだったのだが、現在では、しょっちゅう開催している。学生向けのイベントで多忙になる冬の時期を除くと毎月のように。とくに人事担当者の皆さんが次年度の計画を立てる夏場は、毎週のように開催している。1か月で7回ほど開いたこともある。
本日も、その企業向けセミナーの開催日だった。
セミナーのタイトルは、「内定者育成のすごい仕掛けセミナー」。
すごい仕掛けってどんな仕掛けだよ!? と、思わず突っ込みをいれたくなるようなセミナーだ。
先月末から告知を始めていたのだが、案の定、申込者が殺到した。タイトルもそうだが、グループワークを交えた勉強会形式のセミナーにしたことが人気の原因だったのではないかと思う。
当初は、午後4時~6時の1回だけの開催予定だったのだが、数日で満席。このまま締め切るのはもったいないということで、追加で午後1時~3時の回の開催を決めた。
ところが追加した回も埋まりそうな勢い。無謀かとも思ったのだが、午前10時~12時にも開催することにした。
1日に3回も同じテーマのセミナーを開催するなんて、パフ史上初の出来事である。
セミナーの運営班もたいへんなのだが、いちばんたいへんなのは、セミナーの講師。休む間もなく丸1日、しゃべりっぱなしなのだ。これはキツイ。
実は今回のセミナーは、パートナー企業のマングローブ社との共催で、講師は同社の若きエース、新村さんが担当したのだった。
マングローブの今野社長からは、「ちょっと釘さん、ひとんちの社員だと思って、あんまりコキ使わないでくださいよ~」なんていう声が聞こえてきそうだったのだが、気にせず決行した。
・・・結果。
やりとげました、新村さん。いやあ、お疲れさまでした。朝10時~夕方6時まで。その後の懇親会まで含めると10時間連続の緊張タイム。よくぞやってくれました。
参加いただいた人事の皆さんの評価(満足度)も高く、大成功だったと思う。このあとのフォロー営業で、たくさんの引き合いが来るのが楽しみだ。
1社だけだと難しいことでも、パートナー企業と組むことで実現できることがあるのだ。
そういえば来週も楽しみな共催セミナーがある。
こちらもパフ1社では実現できなかったセミナーなのだが、その話はまた今度(実は明日、詳細な打ち合わせを行う予定なのだ)。
あらためて本日は、講師を務めてくれた新村さん に最大限の感謝である。ホントにお疲れさまでした!!
deerさんの送別会だった日
2009年8月18日 (火曜日)
パフの古参協賛企業D社にdeerさんという人事部の課長さんがいる。deerさんが採用担当者となったのは、なんとまだ世の中が20世紀のころ。西暦2000年の秋だった。
そのときのdeerさんは、32歳の若き人事マンだったのだが、世界ナンバーワンのシェアを有するD社の採用を、全面的に任される担当者となったのだ。
このときパフは設立3年目。正社員はまだ誰もおらず、僕と、翌年の4月入社予定の内定者だけで会社の(管理業務以外の)ほとんどの運営を行っていた。
そんな未熟なパフだったのだが、すでにD社は、ビッグクライアントだった。採用ホームページの制作から、応募者管理のためのデータベースの構築、採用業務のアウトソーシングに至るまで、採用活動の最初から終わりまでのほぼ全域のお手伝いをさせていただいていた。
deerさんが採用担当者になるまでは、僕がD社の担当営業マンとして、すべての仕事を取り仕切っていた。
が、deerさんが採用担当者になったタイミングで、パフ側もあらためて僕以外の担当者を置くことにした。
で、D社の営業担当者として抜擢(?)されたのが、2001年4月入社予定の当時の内定者、ヨシカワだったのだ。
以来、ヨシカワは丸9年間、D社の営業担当者として、deerさんと二人三脚で走り出したのだった。
途中、怒られたり、叱られたり、怒鳴られたり、叱責されたりしながらも(全部、怒られてばっかりやん)、ヨシカワは見捨てられることなく、deerさんと一緒に走り続けた。ヨシカワにさんざん駄目出ししながらも、deerさんは最後までヨシカワを信じてくださったのだった。パフが考案した新チャレンジ企画をいつも最初に取り入れてくださったのも、deerさんだった。
採用について、就職について、若者について、パフの若い社員たちといつも熱く語りあってくださっていた名物採用担当者なのだ。
そのdeerさんが、なんとこの8月末で大阪に転勤することになった。もともとは関西出身のdeerさんなので、いつかこの日が来るとは思っていたのだが、ついにその日が来てしまった。
担当のヨシカワはもちろんのこと、パフの皆にとっても、もちろん僕にとってもショックなことだった。とっても寂しい。
でも、ここは笑って、deerさんを大阪に送り出してあげよう!
ということで、本日はdeerさんの送別会を、パフのセミナールームで、ほとんどの社員が参加のうえで行うことになった。
deerさんの9年間の思い出を、パフの社員の様々な出し物(クイズや芸や踊りや歌)を交えながら手繰り寄せていった。
とても懐かしく、感慨深かった。特に、最後のヨシカワの9年間の思い出を綴ったスピーチには泣かされた。
9年……。
あっという間のような気もするが、考えてみれば、とても長い年月だ。
当時の小学校6年生のガキんちょは、もう大学3年生。就職活動をする年齢になっている。当時32歳だった若きdeerさんは、もう41歳のオジサンになっちゃった。
そんな長い年月を一緒に過ごしてくださったdeerさん。いままで本当にありがとうございました。
大阪に行ってからも、ぜひパフのことをずっと見守ってやってください。
そして、パフが再度大阪事業所を立ち上げたときには、ぜひ缶コーヒーを飲みに来てくださいね。
左から2番目の、裏ピースのポーズをとっているのがdeerさんです♪