九州に来ている日
2011年3月30日 (水曜日)
「この続きは大分で書くことにしよう」と言いながら、いまは福岡(博多)にいる。
昨日は朝8時の飛行機に乗り、大分空港に着いたのが10時前。大分空港から高速バスに乗って湯布院に向かった。
福岡への出張のついでに、一人で暮らしている母親の様子見と、もろもろの手続きをするために湯布院に立ち寄ったのだった。
駅から母の住む家まで歩いて30分近くかかるのだが、温かく天気もよかったので、テクテク歩いていくことにした。
5分ほど歩いたときだった。前方でマスクをしたご婦人が何やら声を出しながら手を振っている。「ん?」と思って後ろを振り向いたが誰もいない。ということは、あのご婦人は僕に向かって手を振っているのか?誰だ?と思って、目を凝らしてみた。ご婦人はおもむろにマスクを外す。
「私や、私!」 ・・・ ああ、なんだ、イオちゃんやないかい!
中学の同級生が、たまたま仕事で駅のそばに来ていたのだった。
「お母さんとこ行くんやろ?乗っていき」と、イオちゃんの仕事用のクルマに乗せてもらって、本当は30分かかる家まで、3分で到着した。僕はなんて運のいい奴なんだろうと、あらためて思った次第だ。
家に着き、母親の様子を見、旧式でじきに使えなくなる携帯電話と、新しい携帯電話を交換し、使い方をしばしレクチャーし(実はこれが今回のイチバンの目的だった)、その後、昼食をとりに食堂へ。
食事後は、役所に行き、もろもろの手続きや書類への印鑑などなど。いつも母親の面倒をみてくださっている福祉事務所の担当の方がとても親切でアリガタイ。人の親切が身にしみる年ごろなのだ。
一連の手続きを終えて、駅に戻り、福岡行きの高速バスに飛び乗った。
福岡は現在の東京とちがい活気がある。3月にオープンしたばかりの駅ビル(JR博多シティ)などは眩しいばかりの輝きだ。
夜は、このJR博多シティの9Fで、福岡で働く中学校時代の同級生とミニミニ同窓会を行なうことになった。やっぱり昔の友は永遠の友だ。気を使うこともなく、ええかっこしする必要もなく、楽しい時間を過ごした。
そうそう、ホテルに戻って、たくさんのメールに返事を書こうと思ったのだが、なんとメールの送信が出来ないのである。システム担当者に聞くところによると、メール送信サーバーのセキュリティレベルが高くなっているため、ロックがかかっているようなのだ。うーん、なんともはや。ま、しょうがない。
さて、明日(もう今日か)は朝から福岡でのM社の会社説明会。震災の関係で少しの間、説明会を行なっていなかったのだが、明日から本格的な再開である。
福岡は、桜の花も咲きだした。人々の顔にも活気がある。震災の影響ですっかり影が薄くなってしまったが、九州新幹線も、博多-鹿児島間がつい先日(震災の翌日の3月12日)開業した。博多から鹿児島まで、なんと一時間ちょっとで行けるようになった。九州の一体化が急速に進みそうだ。
今後は、わがふるさと九州が日本復興のカギを握るのかもしれない。九州から日本全体を元気にするのだ。ガンバレ九州男児! ・・・なのだ。
これまでに頂いたコメント
2件コメントがあります
- 潤さん
- くぎさんさん
仕事場からそのまま(自分で整備した飛行機の尾翼にでもしがみついて)飛んで来りゃ良かったやん(笑)。
オオハタの写真が無いやないかい。
人が仕事してるとこに、『お前、中学の時誰が好きやったっけ?』と云うようなとぼけた電話かけてきてから。
次回博多で飲む時は、俺も誘えや!