パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第4話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。


湯布院の冬はホントに寒い。12月頃でも、雪の降る日は珍しくありませんでした。

その事件当日も前日にまとまった雪が降り、登下校途中の道路には雪がたくさん積もっていました。

クラスの仲間とうち解けることのできなかった僕は、その日も学校が終わると、ひとりトボトボと家に続く一本道を歩いていました。

ぼーっと歩いていた僕の背後に人の気配を感じたと思った瞬間、うしろ襟をグイッと引っ張られて冷たいものが背中に流し込まれていきました。

一瞬、何が起こったのか分からず振り向くと、そこには図体のでかい、いわゆるいじめっ子ども数名が卑猥な笑いを浮かべながら、さらに大きな雪の固まりを僕の襟首めがけて執拗に放り込もうとしています。

泣き叫びながら必死に抵抗するのですが、多勢に無勢、攻撃の手はいっこうに緩みません。

僕は悲しいのと悔しいのと冷たいのとで、相当な混乱状態だったと思います。

と、その時です。

「やめなさいよー!」と、ひとりの女の子が、そのいじめっ子どもに飛びかかっていったのです。

「あんたたち、なにしよんの!」「こげんこつして、ひでーと思わんのかい!」「先生にいうちゃるけんね!」

と、いじめっ子どもを睨み付け、見事に蹴散らしてくれたのです。

その女の子は、同じクラスの「礼子ちゃん」。

礼子ちゃんのイメージイラスト(フリー素材)ですw

 

この時まで一度も口をきいたこともなかった女の子でした。

彼女は、いじめっ子を追っ払った後、「くぎさきくん、いっしょに帰ろう!」と言って僕の手を握り、家まで送っていってくれました。

礼子ちゃんとその日の帰り道に交わした会話は、残念ながら思い出すことが出来ないのですが、礼子ちゃんのいじめっ子に放った威勢のいい啖呵と、手をつないだ横から見る礼子ちゃんの可愛い横顔(透き通るような白い肌と、大きい瞳、小さい唇…)は、33年経った今でもハッキリ覚えています。

唯一、礼子ちゃんから言われたことで覚えているのが「負けちゃ駄目!」という言葉でした。

翌日から、クラスに礼子ちゃんという味方がいるということだけで、自然と勇気が湧いてきて、徐々に「暗黒の小学校一年生」を脱却することになりました。

 

初めての春休みを経て、2年生の始業式の日のことです。

クラス替えが行われ、指定された教室に入って真っ先に礼子ちゃんを探したのですが、礼子ちゃんの姿はどこにもありませんでした。

「何組になったんだろう……」と、他のクラスをのぞきに行っても礼子ちゃんは見あたりません(当時は1学年3クラス編成でした)。

意を決して、「先生、1年2組だった礼子ちゃんは、今度は何組になったん?」と聞いてみたら、ショッキングな答えが返ってきました。

「礼子ちゃんはな、お父さんの仕事の関係で、湯布院を引っ越したんよ」

礼子ちゃんのお父さんは、湯布院の駐屯地に勤める自衛官だったのです。自衛官は転勤が多く、別の部署に異動になったとのことでした。

ほんの数ヶ月しか顔を合わせることのなかった礼子ちゃん。でも間違いなく、ずーっと僕の心に残り続けています。

「弱きを助け強きを挫く」という言葉や「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が本などに出てくるたび、礼子ちゃんの威勢のいい啖呵を思い出し、少しだけ胸がキュンとしてしまいます。

(つづく)


 

この回を書いたとき(西暦2000年8月でした)の読者の反響は大きくて「礼子ちゃんを探せ!」というプロジェクトが作られたほどでした。

でも、結局は見つからず……。

上の物語では「礼子ちゃん」となっていますが、ひょっとしたら「令子」や「玲子」という字だったかもしれません。

なにしろ小学校1年生のころのお話。あれからすでに53年もの年月が過ぎようとしています。6~7歳だった礼子ちゃんも、もう還暦を迎えてしまうわけですが、僕の中ではいつまでもイメージ画像の可愛い女の子なのであります(#^^#)。

さて、本日は寒いですね。朝食&エール後、上着を羽織って久々に会社に行ってきます!