器(うつわ)を考えた日
2009年12月27日 (日曜日)
今年最後の日曜日。朝から久々にジムに行った。高校三年生の娘が「体験してみたい」というので連れて行ったのだが、久々の筋力マシンとランニングマシンは実に気持ち良かった。最近、どうやら五十肩になってしまったようで、常時、肩に鈍痛がある。腕を垂直から上にあげようとすると激痛が走る。これ以上ひどくならないように、もっと足繁くジムに通って鍛えるとしよう。あれ?でも、これって逆効果なのかな?
午後、豊洲の大型書店に行き、立ち読み。最近はアマゾンで本を買うことが多くなったのだが、やっぱり書店に行くのはいい。きょうも買う目的があって行ったわけではないのだが、手当たり次第に立ち読みしたり、本の表紙を眺めているだけでも、直感的に買いたいと思う本と出会える。ネットでは味わえない人間の五感を通じた出会いだ。学生の会社探しと似ている。
きょう買った本は、福田和也氏の『人間の器量』(新潮新書)。表紙カバーに書かれていた次の文章を読んで、思わず買いたくなった。
「優れた人はいる。感じのいい人もいる。しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか―。その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。 」
日本人は小粒になった。ホントにそうだ。パフにも大粒な社員が来てほしいし、育ってほしい。そのためには自分が大粒にならなきゃ、だな。正月休みにじっくり読むとしよう。
夜、このところの日曜日のお楽しみである、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を観る。大粒だったころの日本人。全人的な魅力、迫力、実力を備えた日本人。いわゆる「器の大きな日本人」が描かれている。
表で活躍した人だけではない。僕がこのドラマを観てもっとも感心し感動するのは、正岡子規兄妹を演じる香川照之と菅野美穂である。特に本日の演技には涙が出るくらい感動した。結核に襲われた正岡子規を演じるために過酷な減量をした香川照之。強く優しい明治の女性を演じる菅野美穂の笑顔と泣き顔……素敵すぎる。
混迷を極める日本。一人ひとりの日本人が自分の役割と使命をしっかりと自覚し、そこから逃げることなく、器をもう一回り大きくしなければならない時期に来ているのだと思う。先達の器量に学ぶべき時だ。