パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

きょうは今年初のパフLiveの日。毎度おなじみの青山一丁目の会場で、企業10社、学生200名の、対話型合同企業説明会を開催した。

このイベントの司会を行うはずだったのが、司会業においてはプロの領域に達しているという評判のイトー。

が!

昨日の日記に書いたとおり、奴はインフルエンザになってしまい、急きょ降板せざるをえなくなった。

そこで司会役を急に振られたのがタシロ。なんてかわいそうな奴なんだろう(苦笑)。あまりに可哀想なので、僕が司会のアシスタントを務めることになった。

僕のアシスタントの役割は、ただ単にタシロに突っ込めばいい・・・と、思っていたのだが、どうやらそうでもなかった。タシロだけではなく、10社の企業すべてに突っ込まなければならなくなった。

というのも、タシロは10社の企業のうち6社の営業を担当しており、彼は30秒の企業紹介を自ら行う役目を担っていたからだ。自分で企業を紹介しておいて、その企業に自分で突っ込むわけにもいかない。なので、僕が、タシロの企業紹介の直後にタシロからマイクを奪い取って、企業に突っ込むことになったのだ。

この「突っ込み」は、学生に対して、短い時間で企業に関心をもってもらうための大事な役割である。

そもそも、この企業への突っ込み形式の司会は、パフの伝統的なもので、僕がイベントの司会をやっていたころ(10年前から6年前くらいまでの5年間)に、確立されたものである。

本日、ひさびさにこの役割を担当したのだが、いやはや、なかなか難しい。企業の人事担当者の発言に対して、洒落のきいた(でも本質的な)質問をズバッとしなきゃいけないのだが、ちょっと切れ味が悪かったかなあ。

まあ、そうは言いながらも、ピンチヒッターとしての最低限の務めができて、やれやれである。

久々に、パフのイベントで「仕事」をした一日であった。

いまパフの社内で働く人たちのほとんどはマスクをしている。というのも、ついに我がパフにも、インフルエンザのウイルスが侵入してきたからだ。

きょうイトーがインフルエンザに倒れ、会社を休んだ。40度の高熱が出たという。

そういえばイトーは昨日から調子が悪そうだった。「早く帰れよ!」と言われて帰っていったのだが、その間接触した人間も多かったはず。かくいう僕も、1時間ほどイトーの隣に座って打ち合わせをしていた。大丈夫かな。

現在、パフの事務所では約25名の人たちが働いているのだが、狭いオフィスなので誰かがインフルエンザに感染すると、いっぺんに拡大するおそれがあるのだ。

で、予防対策のために、ほとんどのメンバーがマスクをしているというわけだ(会社でも、新型インフルエンザ対策の一環で、マスクを大量購入しているし)。

さしあたっての問題は、あすのパフLive。本来は、イトーが司会を務めるはずだったのだが、まさかインフルエンザ感染者を公衆の前に出すわけにはいかない。急きょ、タシロがピンチヒッターを務めることになった。そして急きょ、僕がタシロのアシスタントを務めることになった。

「タシロ、おまえはインフルエンザ大丈夫なんだろうな! 気配はないか?」と聞いたら、「な、なんかちょっとヤバイです」と答えていた。おいおいおい(汗)。

今回のインフルエンザの危機、なんとか乗り越えなければならない。皆さん、うがい、手洗い、睡眠、マスクなどの対策をしっかりとね!!

毎月おなじみの三九会。今月は僕を含む三人の社長の夜の予定が合わなかったため、ランチを兼ねた開催となった。

13時にパフの事務所に集合し、築地の寿司屋で昼御飯を食べ、その後、お茶を飲みながら懸案事項の打ち合わせ・・・という計画だった。

が、福岡のヤナさんが何を思ったか、地下鉄を逆走。丸ノ内線で新宿から銀座に向かうところ、荻窪方面に向かってしまい、「いま 高円寺にいるんだけど…」と、電話がかかってきた。

パフの事務所で待機していた僕とシモさんは、苦笑しながら先に打ち合わせかたがたヤナさんを待つことにした。

ヤナさんは30分遅れて到着。遅めの昼食をとりながら、今年最初の三九会が始まった。

(三九会の詳細は、社外秘なので自主カット)

三九会を終え、ヤナさん、シモさんと別れ、夕方5時まえに事務所に戻る。

 

ほどなくして、内定者フォロー事業での最高のパートナーG社の皆さんがパフに来社。本日は、Eラーニングに的を絞った勉強会だった。

Eラーニングのツールを提供しているS社とR社の方々をゲストとしてお迎えし、約2時間のレクチャーを受けた。

いままでパフはEラーニングに関する知識はあまり持ち合わせていなかったが、これはお客様にとって(内定者にとって)、たしかに有意義なものであると実感した。

 

勉強会のあとは、G社のみなさんとパフのメンバーとの懇親会。築地の民家みたいなお店の二階の座敷で鍋を囲んでワイワイガヤガヤ。総勢20名ほどの参加で、これまた充実した時間だった。

なかでも、U田兄ちゃん の面白トークが炸裂。僕は48年間の人生のなかで、これほど面白いトークを炸裂させる人を(芸能人、お笑いのプロも含めて)見たことがない。すごい(知識やとんでもない経験と行動を含めての)才能である。公のブログでは書けないことだらけだが、いやあ、感心しきりであった。

 

三九会活動。そしてG社コラボ展開。今年も、かなりの充実を予感した一日だった。

オバマ大統領に期待する日

2009年1月21日 (水曜日)

日本時間の本日未明、オバマさんがついに大統領に就任した。ぜひ生中継で、就任演説を聞きたいと思った僕は、昨夜(今朝)午前2時前まで起きていた。

さあ、そろそろ始まるかな…。期待が高まる一方で、眠気も相当に高まっていた。

蒲団の中からテレビを観ていたのがよくなかった。いつの間にか意識を失い、気がつけば、テレビに表示されている時刻は、すでに午前5時半を回っていた。あーあ。歴史的な瞬間を、ナマで見損なってしまった。

まあ、それはともかく。

オバマ大統領は、僕と同年代。いや、厳密にいえば、僕よりひとつ年下だ。

これって軽くショックではあるのだが、それ以上に嬉しいことでもある。僕よりも年下の年代が、アメリカという超大国の大統領になったのだ。アメリカっていう国の凄さを感じる。

しかも、オバマさんは黒人であり、その出自も複雑である。聞くところによれば、少年時代は、道を外れかけたこともあったらしい。これについても、劣等生だった僕は共感してしまう。

就任式を聴きに来ていた黒人の少女が、涙を流しながらインタビューに答えていた。

「私たちのことを本当に理解してくれる大統領が現れて、とても嬉しい」

「肌の色でひとを評価するのではなく、その人が何をしたかで評価するような世の中になってほしい」

黒人のお母さんは、

「これで、“努力すれば将来何にでもなれるんだ”と、子供に教えることができます」

と興奮して語っていた。

オバマ大統領への期待は、アメリカ国民や黒人からだけではない。世界中の人々が注目している。日本人の僕だって、大いに期待している。

過剰とも思われる全世界からの期待に、オバマ大統領はいま、とてつもなく大きなプレッシャーを感じていることだろう。

しかし、オバマ大統領が誠実に、『正義』を貫き通す限り、この大きな期待は、そのまま人々の大きな声援と協力に変わっていくことと思う。皆、納得しながら、少しずつの痛みを共有し、一人ひとりの責任を果たしてくれることと思う。

オバマさんには大きな仕事を成し遂げてもらい、(自身が尊敬してやまない)リンカーンに匹敵するほどの、歴史に名を刻む名大統領になってほしい。

SHOKUNIN魂VOL.3が納品された日

2009年1月20日 (火曜日)

きょうの午後、僕の机の脇に、どどどどどっと大量の冊子が積み上げられた。

以下が、その冊子である。

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 この冊子は“SHOKUNIN魂”(しょくにんだましい)という、パフが一年前から発行し始めたフリーペーパーである。

全国の大学のキャリアセンター(就職課)や、職サークル協賛企業や、パフの大小のイベントを通じて、学生に配布している。

前回の表紙は市川染五郎さんにご登場いただいたこともあり、相当にインパクトが大きかったのだが、今回の表紙も、別の意味でインパクトが大きい……というか、心に訴えかけてくるものがある。

『決断するしゅんかん』

この冊子の制作・編集を行ったイトーやヨシダたちが、パフの新卒一期生であるササキアサヒ(現在、岩手県在住)に依頼して書いてもらった“書”なのである。

※ササキアサヒのことは、昔の日記でも書いたので、こちらを参考にしてください。⇒ 新卒一期生ササキアサヒを囲んだ日(2008年10月19日の日記) 

 

書いてもらったばかりの“ナマ”の状態のものを見せてもらい、すごいなあと感心していたのだが、こうやって出来上がった冊子を見ると、また違ったインパクトがあって、なかなかいい。

もちろん、いいのは表紙だけではない。取材にご協力いただいた、たくさんの「仕事人」の皆さんのメッセージがいい。顔写真もふんだんに使わせていただいたのだが、その表情がまたいい。

 

「いい、いい」ばかり言ってて、まるでショッカーみたい(わかんないですね)だが、論より証拠。まずはパフのイベントに参加するなどして、この冊子を入手してみてほしい。

ペラペラめくるだけでもよし。(文章も読み応えあるので)じっくり読むのも、もちろんよしだ。

近くだと、1月24日(土)と2月5日(木)のパフLiveか、または、1月30日(金)の就活ひらけゴマの会場(青山一丁目)で配られる予定なので、皆さん来場されたら、ぜひ手にとってみてください!!

<追伸>

>冊子にご登場いただいた皆様へ

取材へのご協力ありがとうございました。皆さん、ホントにいい顔で写ってますね。

 

>アサヒへ

素敵な“書”をありがとう! よかったらコメントを書きこんでもらえると嬉しいです。

3名の助っ人が加わった日

2009年1月19日 (月曜日)

本日からあらたに3名の助っ人がパフにやってきた。これから3月末までの期間が、勝負の時である。

なんの助っ人かって? なんの勝負かって?

いくら私的な日記とはいえ、それは言えませんねぇ。。。

これでパフの事務所は机と椅子が(内定者も全員出社してくると)、ほぼ満杯。満員御礼である。

助っ人の、まさに「助け」を借りながら、今回の勝負には、ぜひ勝ちたいものだ。

 

ところで、もうすぐオバマさんの大統領就任式。アメリカ国民の期待は最高潮に高まっているようだ。

支持率が底をついた我が国の首相は、自国の窮地を救うために颯爽と走りだそうとしている若き大統領の姿を見ながら、何を思っているのであろうか。

麻生さんにも、強力な助っ人が必要なときなのかもねぇ。

昨日ときょうの二日間、大学入試センター試験が行われた。全国の受験生諸君、お疲れ様でした。

僕が大学入試を初めて経験したのは、いまからちょうど30年前。1979年の1月だった。僕らの学年が、いちばん最初の共通一次試験(いまの大学入試センター試験の前身)を受験した世代で、大学独自の試験(二次試験)の前の一次試験として、(当時は国立大学の受験生だけだったが)全員が必ず受けさせられることになったのだった。つまり、国立大学の一期校、二期校という区別がなくなったのは、僕らの世代からなのだ。

(でも30年経ったいまでも相変わらず、旧一期校とか旧二期校とか言いますよね。この時代から、より偏差値志向が高まったからなのかもしれません)

この30年前の共通一次試験の日のことを、僕はなぜかよく覚えている。当時下宿生だった僕は、朝早く下宿屋のおばさんに叩き起こされて、いつもより早めの朝食を食べ、他の下宿生たちと一緒にバスに乗って受験会場である大分大学まで、眠い目を擦りながら向かった。

受験勉強なるものをほとんどやってなかった僕が自信を持って試験に臨めたのは、5教科7科目あるうちの、わずか3教科3科目のみ(ちなみに国語と英語と数学ね)。

生物や地理の時間なんて、試験問題も読まずに、マークシートを塗りつぶすだけ塗りつぶし、あとは睡眠不足を解消するために机に顔を伏せて寝ていたのだから大したものだ。

その日の大分市内は雪がたくさん降っており、大学のキャンパスに降り積もった雪の白い景色がやたらと綺麗だったのが、いまでも目に焼き付いている。

 

・・・という、懐かしの共通一次試験(いまは、センター試験)。きょうの新聞に1日目の試験問題が載っていたので、国語の試験の最初の長文読解だけやってみた。

ふむふむ。なかなか読ませる長文だ。なるほどね。

20分くらいかけてじっくり解いてみた(時間かけすぎかな?)。

よし。できたぞ。

そして答え合わせ。

お、おお、おおおお。なかなかやるじゃん!!

なんと全問正解だった。ちょっと悩んだ選択肢もあったが、正解できて嬉しかった。

しっかし、たった10問程度解いただけで、もう頭はヘトヘト。とてもじゃないが、全部の問題をやるだけの自信も体力もなかった。

1日のうちに何科目も受けなければならない受験生はエライ!! 集中力と持久力がないとダメですね。

うちの娘も、来年はこの試験を受けることになるのだという。30年前の父親みたいに、試験中に寝たりしないように頑張るんだぞ~!