パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

きょうの日記のタイトルを読んで、「なんじゃらほい?」と思った人もいるだろう。いや間違いなく、そう思った人の方が多いだろう。

でも、「北の国から」と「ALWAYS三丁目の夕日」の両方のファンならば、「ああ、なるほどね」と共感してくれることだろう。

 

昨日は、制作発表のあった昨年の1月からずっと楽しみにしていた、『ALWAYS三丁目の夕日'64』を鑑賞した。そこで感じたのが、本日の日記のタイトルなのだ。

 

「北の国から」といえば、父と子の関係を描いた、ドラマ史に残る名作中の名作だ。

その「北の国から」で、父・五郎を演じたのが田中邦衛。息子・純を演じたのが吉岡秀隆である。

吉岡秀隆は、なんと10歳から32歳までの22年ものあいだ、純を演じていた。いまでも吉岡秀隆という名前よりも、純の役名で彼を呼んでしまう。

このドラマでの、父・五郎と純の演技は実に秀逸だった。いや、演技を超えたリアリティ、凄みがあった。蛍(中嶋朋子)を交えての親子三人のシーンは、名場面に次ぐ名場面。思い出すだけでも涙が出てくる。

特に「'87初恋」で描かれていた、純(当時中学三年生)と父・五郎とのやりとりは見応えがあった。

純が五郎のことを「情けない」と言い放ち、それに激怒し殴りかかってきた五郎のことを、純は逆に投げ飛ばしてしまった。ショッキングなシーンだった。昔は子供の立場として胸が痛み、今は(つい最近DVDを借りて観たばかりなんだけど)親の立場として胸が痛んだ。

純の中学校卒業式の日。純は富良野を離れ、ひとり東京に旅立つ。五郎は長距離トラックの運転手(古尾谷雅人)に、純を東京まで運んでもらうための謝礼として一万円札2枚を渡していた。トラックの運転手は、車を出発させたあと、「いらんというのにオヤジが置いていった。貴重なピン札だ。お前の宝にしろ。一生とっておけ」と、その一万円札を純に返した。その一万円札には、五郎の手についていたであろう泥がついており……。

と、書いているだけでも泣けてくる名シーンだ。親と子の愛をここまで感動的に表現したドラマは、もう二度と出ないだろうと思っていた。

 

時は流れ、いまは2012年。吉岡秀隆がこのシーンを演じてから25年の歳月が過ぎた。

純(吉川秀隆)は、「ALWAYS三丁目の夕日」で、情けない父親(養父)・茶川竜之介の役を演じている。

茶川は今作のラストシーンで、息子(養子)である淳之介を自分の元から巣立たせるために、ある臭い芝居をする。

まだ映画を観ていない人もたくさんいるので詳しくは書かないが、これがまた泣けるのだ。何もそこまでしなくても…と思うのだが(いや、そこまでしないと自分自身が子離れできなかったんだろうなあと思ったりもするのだが)、実は淳之介には父の本心・愛情が痛いほど通じていた。

すると、なんだか茶川(吉岡秀隆)が、25年前の五郎に見えてきたのだ。そして、きっと純(吉岡秀隆)も、巣立つ子を持つ親(つまり茶川ね)になって、五郎の気持ちがよく分かるようになったんだろうなあ…と、なんだか二つのドラマが僕の頭の中ではごっちゃに入り乱れてしまったのだった。

いや、ゴメンナサイ。

本日は、分からない人にはまったくわからない日記でしたね(笑)。

ともあれ、ぜひ、『ALWAYS三丁目の夕日'64』、皆さんにも観ていただきたいと思ったのでありました。

よし。来週も観に行くぞ!

今週は長い夜

2012年1月20日 (金曜日)

「長い夜」といっても、松山千春の歌ではない(って若い人にはわからないよね、笑)

今週は夜が長いのだ。

・月曜  うまれよ塾

・火曜  特別対談、その後、銀座で新年会

・水曜  職学校Live営業魂1

・木曜  職学校Lve営業魂2

ということで、毎日夕方以降は、学生向けイベントのオンパレードだった。

いやあ、もうくったくただ(苦笑)。

さらに本日の夜は、雪国へ移動する。そして明日はその雪国にある大学でイベント。

なかなかハードな一週間の締めくくりなのである。

さーて。では本日は、出張カバンをぶらさげて行ってきます!

 

 

ジュリーぃぃぃ!

2012年1月19日 (木曜日)

昨晩、家に着いたのが夜の11時過ぎ。自分の部屋に入り、どかっと腰をおろしTVのスイッチを入れた。

そうすると、あの懐かしの名曲が!

 

♪青い鳥をみつけーたよ、うつくーしいー島でー、しーあーわせーはーこぶ、ちいさーなー鳥よ♪

 

1968年(昭和43年)に大ヒットした、ザ・タイガースの歌である。

タイガースっていってもプロ野球じゃないよ。

当時、一世を風靡したグループサウンズ(GS)の名前だ。

SONGSというNHKの番組に再結成したタイガースが出演していたのだ。こんどコンサートまでやってしまうらしい。

タイガースといえばジュリー(沢田研二)である。

僕らが子供の頃のジュリーはカッコ良かった。いまのそんじょそこらのアイドルとは比較にならないくらいの圧倒的な人気と実力。僕も同性ながら大好きだった。

でも、昨夜のジュリーは……。

まあ、ジュリーも今年で64歳なのだから、年相応といえばそれまでなのだが。

でもテレビに出たり、コンサートをやって公衆の前に立つのであれば、ランニングでもして体重を絞ってほしいな。

昔のファンたちを裏切らないためにも。

もう一度、あのカッコ良かったジュリーを観てみたい。

ジュ、ジュリーぃぃぃ! と、声援を送ってみたい。

僕らの世代のスーパーアイドル。がんばって!

 

さて、本日の夜も、職学校Live。二日連続の開催だ。テーマも昨日と同じく「営業」。

昨日は突然のアクシデントがあった一方で、いい感じで盛り上がった。まさにライブである。

本日は出演企業も変わって、また話の内容もぜんぜん違ったものになりそうだ。

では、夜のライブを楽しみにしながら行ってきます!

のどぐろは美味しいのだ

2012年1月18日 (水曜日)

昨夜は、創業来の同志であり、ナンバーワン取引客でもある2名といっしょに銀座で食事をした。

入った店が「のどぐろ」の専門店。

のどぐろのことをwikipediaで検索してみた。次のように解説されていた。

 

アカムツ(赤鯥、学名:Doederleinia berycoides)とはスズキ目スズキ亜目ホタルジャコ科に属する魚類である。別名、ノドグロ(喉黒)。

スズキ科とする分類もある。分布は太平洋西部。日本から東南アジアオーストラリアまで。水深100 – 200mに生息する。

全長約40cm。体型は楕円形で、側偏する。背側の体色は赤紅色で、腹側は銀白色。櫛鱗をもつ。口の奥が黒いので、「ノドグロ」の名がある。

佐渡能登山陰では高級魚として扱われ、島根県浜田市では「ノドグロ」の名称で市の魚にも指定されている。上品な味わいで、焼いても煮ても美味。

 

まあ、つまり、美味しい魚なのだ。

本日の日記は、「美味しいのどぐろを食べたんだぞ。いいだろ^^」という自慢であり、備忘録である。

ただそれだけ(笑)。

美味しいものを食べられるというのは実に幸せなことだ。生きていることに対して理屈抜きに感謝できる。嫌なこともすべて忘れられる。

ああ、楽しかった。

 

さて、本日の夜は、久々の「職学校ライブ」である。本日のテーマは「営業」。営業の仕事について、50名の学生たちの前で、営業職を経験してきた職サークル協賛企業のパネリストたちと語り合う。どんな話の展開になるか楽しみだ。

では、またもや寒い朝。マフラーを首に巻きつけて行ってきます!

 

昨夜は17時半から久々の『うまれよ塾』だった。今シーズン初めての開催である。

うまれよ塾を最初に実施したのは1998年末~1999年春にかけて。西暦2000年の就職を目指していた当時の大学3年生が対象だった。もう13年前。今シーズンのうまれよ塾で、14年目を迎えたことになる。パフでいちばんの長寿イベントだ。

ただ、今シーズンのうまれよ塾は、いつもと違うことがある。

職サークル協賛企業の人事担当者が、模擬面接の面接官として特別に参加していることだ。

昨日から来週の金曜日まで、No Working_No Life_Weeks というキャンペーン(例えて言うならば交通安全週間のようなもの)が実施されている。この2週間は、職サークル協賛全社が“一斉”に、各社各様の「若者の成長機会を創出する取り組み」を行うことになっているのだ(詳細は上のリンクをクリックしてみてください)。

その取り組みのひとつとして、僕が毎年ひとりで行っているこの「うまれよ塾」を、この2週間は協賛企業の方々に協力してもらいながら実施することにしたのだ。

場所は、パフの小さなセミナールーム。参加学生は8名(部屋の広さの関係で毎回少人数での開催なのだ)。

いやー、自分で言うのもなんだが、良かったなあ。

良さの原因は何か。

協賛企業の人事担当者2名(レリアンの飯野課長とKYBの渡辺課長)に加わっていただいたことにその半分はある。

そして残り半分は、学生諸君のひたむきな姿勢だ。

本物の人事担当者の面接はやっぱりスゴイ。面接後のフィードバック(良かった部分と改善ポイントを個々に伝えてあげた)が、ものすごく的確だった。

そして学生諸君のひたむきで前のめりな姿勢。彼ら・彼女らの期待に応えなければと、こちらも次第に熱が入っていくのがわかった。

僕自身、最近ちょっと憂鬱なことがあったのだが、それがものの見事に、昨夜のうまれよ塾で吹き飛んで行った。

参加してくれた学生諸君、協力してくださった飯野さんと渡辺さんに感謝しなければならない。

みなさん、昨夜は本当にお疲れ様でした&ありがとうございました!

 

さて、本日もNo Working_No Life_Weeks の取り組みの一つとして、とある企業の採用責任者と僕との対談を、学生の前で公開形式で行う。この数年やってきて、毎年好評な企画なのだ。担当者によると、今年はグループワークも織り交ぜるらしい。なかなか凝ったプログラムだ。

では本日も、寒さに負けずに行ってきます!

五郎さんに共感して涙した週末

2012年1月16日 (月曜日)

ドラマ「北の国から」のことを好きな人はたくさんいると思う。僕もそのひとりだ。

連ドラが放映されていたのは、1981年の10月から1982年の3月にかけて。僕が大学2年生のときなのだが、バイトやサークルに明け暮れていた僕は、ほとんど観ることがなかった(この頃ってビデオレコーダーなんてまだない時代だかから、放送時間に「ブラウン管」の前にいなければならなかったのだ)。

僕が真剣に観るようになったのは、1983年以降のスペシャル番組から。そして、大ファンになったのは、「'87初恋」というスペシャルドラマからだった。この頃にはビデオレコーダーも普及しており、何回も何回も繰り返し観るようになる。連ドラ時代の再放送やビデオも、何回も観るようになった。

当時僕は20代。だから、五郎さんよりも純や蛍のほうに年齢が近い。親世代への反抗、親からの自立など、共感する部分がたくさんあった。

この週末、久々に、80年代のシリーズを見返した。なんと6本ものDVDを、土曜の夜からぶっ通しで観たのだ。30年~20年もの昔のドラマなのだが、これっぽちも飽きることがない。それどころか、感動のあまり涙してしまった。

10歳そこそこの純と蛍が、どんどん成長していく。子供が少年と少女に。そしていつしか、大人の男と女に成長していく。一方で、五郎さんはどんどん年老いていく。10年の歳月は、かくも子どもと親と、その関係を変えていくものなのか。

20年前は、純と蛍の気持になりながらドラマを観ていた僕なのだが、いまは完全に五郎さんの気持になって観ている。そして、「純の根性なし!」 「蛍、なんでもっとお父さんに優しくできないんだ!」と、心の中で叫びながら、そして切なくなりながら、ドラマを観ていた。

いやあ、それにしても凄いドラマだ。10年経っても20年経っても、色褪せることなく語り継がれていくドラマだ(って、初回連ドラの放送から、すでに30年以上が経っているわけだからね)。

さあ、来週以降は、「'95秘密」、「'98時代」、「2002遺言」を観なければ。

シリーズの中で、僕が最も秀作だと思っているのは、なんといっても「'98時代」だ。慌てる必要はない。ゆっくりできる週末を選んで、じっくり鑑賞することにしよう。

 

ああ、青春

2012年1月13日 (金曜日)

昨夕は、パートナー企業の社長であるTさん(あえてイニシャル)と、真面目な打ち合わせ。そして夜は引き続き、Tさんとサシで新年会。

焼酎のお湯割りを酌み交わしながら、昭和の匂いがぷんぷん漂う、茅場町の老舗の焼鳥屋で語り合っていた。

Tさんは先日、息子さんが成人式を迎えた。僕も先日、娘が成人式を迎えた。

ということで、最初は自分たちの息子・娘の話が中心だったのだが、そのうち、「では自分たちの成人式の頃はどうだったか」という話題に移っていった。

いやあ、面白かった。

Tさんの青春時代。まさに、昔の青春映画や青春小説に出てくるような物語がたくさん。

いろいろあるのだが、やっぱり「下宿」での話が面白い。

昔の下宿っていうのは、だいたい二階建て。一階には大家のお婆ちゃんが一人で暮らしており、何部屋かある二階の一室(だいたい四畳半~六畳)を借りる。隣の音は筒抜け。テレビやラジオの音はもちろん、鉛筆が転がる音まで聞こえてくる。トイレは共同。風呂は外の銭湯を使う。

そんななんとも不便な環境で、地方から上京してきた当時の貧乏学生たちは暮らしていた。もちろん僕もTさんも。

この下宿を舞台に、数々の青春ドラマが繰り広げられたわけなのだが、そんな話で昨夜は盛り上がっていた。詳細(不意の先生の来訪に、彼女を押し入れに隠したTさんの話とか!)は一切書けないけど、まさに、「ああ、青春」なのだ。いろんなエピソードをまとめると、一冊の小説が書けるかもしれないな(笑)。

 

さて、今朝も寒い(>_<)。

吉永小百合の「寒い朝」でも聞きながら会社まで行くかな。

では、行ってきます!