パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

本日は、HRサミット2012の最終日。僕は12時10分から13時10分まで、トークセッションを受け持つ。東証一部上場企業の社長を相手に、「人事部長にはなかなか言えない社長のホンネ」を聞き出す予定だ。

一昨日は、中小企業2社の社長がお相手だった。ふたりの社長とも、僕と同年代ということもあり、かなり砕けた話を聞けた(かなり脱線してしまったけど…)。

でも、きょうの社長は僕よりひとまわり(12歳)上。人生の大先輩なので、うまく聞き出せるかどうか……。

と、いいつつ、実はかなり楽しみ。

その理由は、先日配信したメルマガのコラムを読んでいただけると分かると思うので、この釘さん日記にも再掲しようと思う。

申し込んでいなかったけど、やっぱり行ってみたい!と思った方は、当日受付もOKとのことなので、会場(秋葉原UDXの4階)まで直接お越しください。

では僕も、朝ごはんを食べて、いつもどおり、ゲゲゲの女房(再放送)と梅ちゃん先生を観てから行ってきます!

釘さんコラム『魔法の竜のひみつ』

●第1話『30代前半に出会った人事課長の臼井さん』

1992年の頃だったと記憶しています。

当時、人材アセスメント会社でコンピュータシステムを担当していた私は、
新規事業として、従業員の個人データや、教育履歴、異動履歴などを管理す
るデータベースシステムの企画・開発・販売の責任者となっていました。

責任者とはいえ、仕様を作っているのも、営業を行っているのも、納品やア
フターサービスを実施しているのも(最初のうちは)全部自分ひとり。プロ
グラム開発だけは関連会社の技術者が担当していたものの、なかなかシビア
でお寒い環境の中で、この新規事業は推進されていたのです。

☆☆☆

当時「人事情報システム」といえば、給与計算システムのオマケとして、大
型コンピュータやオフィスコンピュータの上で動くものがほとんど。しかし、
私が開発していたシステムは「パソコン」で動作する、当時としては珍しい
パッケージでした。

関連会社が優れた日本語リレーショナルデータベースを所有していたことも
あり、このDBをエンジンとして採用することで、比較的安価で使い勝手の
良い仕組みを開発することができました。

ただ、安価とは言っても、最低1パッケージ100万円程度。そう簡単に売れる
ものではありません。

私は多いときは毎週のように人事担当者向けのセミナーを開催し、この人事
情報システムの販売促進に勤しんでいました。

その甲斐あって、飛ぶように売れる…とまではいかなかったものの、毎月コ
ンスタントに3社~5社ほどに、このシステムは導入されていきました。

☆☆☆

このころのセミナーに参加していたお客様で、とあるメーカーの人事課長を
務める臼井さんという方がいらっしゃいました。

臼井さんはこのシステムに大いに関心を示してくださり、その後すぐに導入
を決めてくださいました。

臼井さんの会社は東証一部に上場する大企業だったこともあり、まずは限ら
れた部門だけでの試験的な導入でしたが、それでも大企業がこういうシステ
ムを即決で導入するというのは、とても珍しいことでした。

私は後に、「競合システムがたくさんあるなかで、どうして臼井さんの会社
のような大企業が、私たちのシステムを即決してくださったんですか?」と
聞いたことがあります。

臼井さんのそのときの答えは、「そりゃ釘さんが信用できたからだよ。シス
テムのことだけじゃなく、人事のことを釘さんはよく知ってたもんな。それ
から、『コイツは簡単には逃げない』と思ったからかな(笑)」というもの。

骨太で、いわゆる人事っぽくないベランメエ口調で語る臼井さんのこの言葉
は、バブルの崩壊でシステムの販売に苦しみ始めていたころの私にとって、
とても大きな励みとなるものでした。

☆☆☆

しかし、臼井さんとはそれから数年後、お別れになってしまいます。
もともと技術屋さんだった臼井さんは、相模原にある工場の現場へと異動に
なってしまったのです。

「独断でパソコンのシステムを導入しちゃったりして、やり過ぎたのがいけ
なかったのかなあ…。左遷されちゃったんだろうなあ。可哀想になあ…」と、
私は勝手に想像していました。

☆☆☆

時は流れ、昨年の3月上旬のこと(震災が起きる1週間ほど前でした)。日
経新聞をパラパラめくっていたら、見覚えのある懐かしい顔が大きく掲載さ
 れているではありませんか。

名前を見ると「臼井政夫」と書いてある。間違いない。あの臼井さんだ。嬉
しくなった私でしたが、紙面を見て驚いたことがひとつありました。

それは、名前のところに書いてある役職が「代表取締役社長」となっていた
こと。

「え! あの臼井さん、社長になっちゃったんだ!」

人事課長時代から数えて20年。臼井さんは左遷されていたわけではなく、実
は、あれよあれよと出世していたのでした。

しかし、上場企業の社長だろうが何だろうが、懐かしいものは懐かしい。私
はすぐに臼井さんに連絡を取り、その2週間後には再会を果たすことになっ
たのでした。

相変わらずのベランメエ口調の臼井さん。年齢は私より一回り上の大先輩な
のですが、昔ながらのお付き合いが、その日から再開されたのでした。

人事部