パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

突然だがこの日記、明日から10日間のお休みをいただく。

明日、早朝の飛行機で札幌に向かう。

明日は僕のもうひとつの大事な仕事、ふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)の第10期定期総会を札幌市内で執り行う。

Fネットも早いもので10周年。明日の総会での決議を経て、幹事や会長も新旧交代となる。これから新しい10年が始まるのだ。

この総会には日本全国から加盟企業の社長たちが集まるのだが、僕以外の社長たちは翌日以降はゴルフを楽しむらしい。しかし、ゴルフをしない僕は、ひとりで旅に出ることにした。

北海道には過去何回も行ったことはあるのだが、最北は旭川と網走くらいまで。今回は北のてっぺん、稚内、利尻、礼文まで行ってみようと思っている。

そして、旭川、美瑛、富良野、帯広、洞爺、登別まで下りてきて、最終地は元社員のオオノアヤが女将さんをやってる室蘭の蕎麦屋さんに行くことにしている。

北海道を一人旅するのは大学2年生の時以来。なんと37年ぶり。

そのときは、旧国鉄が発売する「北海道周遊券」を使って北海道を一周するつもりだったのだが、記録的な豪雨のせいで北海道全体の路線が全面ストップ。どこにも行けず、白老にあった先輩のご実家で3泊ほどやっかいになった後は、札幌駅で新聞紙を敷いてずっと野宿していただけ。幻の北海道一周となってしまった苦い過去がある。

なので今回は37年ぶりのリベンジでもある。気ままに北の大地を歩き回ってこようと思っている。

ということで明日から「釘さん日記」もお休み。たまにFacebookに投稿すると思うので、生存確認はそちらでお願いします(^_-)-☆

では、明日から22日までの大型連休。みなさん、ごきげんよう!

 

僕らが子供のころ「せきこえのどに浅田飴」というCMが流行った。

浅田飴(水飴タイプ)が舐めたくて、風邪を引いたふりをして(いわゆる仮病ですね)、わざと咳をしたり、のどが痛い!とか言っていたものだ(うちは貧乏だったのでほとんど無視されていたがw)。

あれから50年近くたった今、浅田飴に勝るとも劣らぬ効き目のあるものを発見した。

発見したというか、教えてもらっただけなんですが。

先日の日記で(最近しょっちゅう書いてますが)咳が止まらないことを書いていたら、仙台のSUGAWARAさんから、「ハチミツ+レモンを温かいもので食道に流し込んでみてください」とのメールが届いた。

病院から処方されたクスリの効き目がイマイチだったので、試してみようと思ってコンビニで買ってきた。

 

 

コーヒーカップに、このハチミツを大さじで1杯くらい。続けてレモンを小さじ2杯くらい。そこに熱湯をカップ半分くらいまで注いで、スプーンでくるくる掻き混ぜて、ゆっくりと喉に流し込む。

うん、美味しい! いい感じ! ガラガラしていた喉が、なんとなくすっきり爽やかになった。

会社では3杯くらい飲み、昨夜、寝る前にも1杯作って飲んでみた。

心なしか今朝は咳があまり出てこない。目覚めも咳ではなく、女の子の夢で目が覚めたし(^^♪。

きょうは、これからまた検査で病院に行くんだけど、このハチミツ&レモンの効用について医者に尋ねてみようかな。

ともあれ、回復の兆しが見えてきたことがうれしい。仙台のSUGAWARAさん、ありがとうございました\(^o^)/

では、朝食後、ダメ押しでハチミツ&レモンを飲んでから病院に行ってきます!

書籍執筆も大詰め

2018年7月10日 (火曜日)

昨年末に引き受けることを決め、1月から始まった書籍の執筆。7月末の脱稿に向けて、いよいよ大詰めの状態になってきた。

と書くと、いかにも僕が頑張っているようだけど、そうではない。

この本は、ビジネスリサーチラボ代表の伊達洋駆さんとの共著で、本編のほとんどを伊達さんに書いてもらっている。

では、僕は何をやっているか。

「伊達さん、がんばれ~がんばれ~!」と応援している(笑)。

まあ、それだけでは共著とは言えないので、一応は全体の構成を考えたり、編集者との打ち合わせや本編を補完する執筆も行っているのだけど、これからは、ピッチを上げていかなければならない。

伊達さん担当の部分は、ほぼ完成に近づいてきた。あとは、僕が担当するコラムやエピローグの部分を残すのみ。

先週末、どんな内容をどんなテイストで書くのかの打ち合わせを伊達さんと行ったのだが、イメージしていたよりもボリュームがあり、本編と被る内容を書くわけにもいかないので大変だということがわかった(今頃そんなこと気づくなよって自分に突っ込んでいるw)。

昨日も「さあ、いよいよ書くぞ!」と、ワードの白い画面に向き合ったのだが、いやー、このヘナチョコ日記のようにテキトーなことを書くわけにもいかず、一ページ目からさっそく行き詰ってしまった。

7月末に脱稿できたとしても、そこから推敲・校正作業が始まるので、印刷所に入稿されるまでの道のりはまだまだ長い。息切れしそう。

さてさて、どうなりますことやら。

なーんてことを、編集者の方が見ていたら大変。大丈夫。きっと大丈夫。読者を感動させる原稿を書いてみせましょう(;^ω^)。

さて、本日はあれこれあって、ほとんど書くことはできなそうだけど、それでもカバンの中には今までの原稿を詰め込んで行ってきます!

引き籠りの週末

2018年7月9日 (月曜日)

この週末、パフの社員たちは方々(といっても2か所)で仕事をしていた。ひとつは、今年の100×10チャレンジの告知のために出展した東京ビッグサイトでのインターン合説。もうひとつは渋谷で開催された100×10チャレンジの体験版みたいなイベント。

僕はなんの役割もなかったのだけど、この二か所にフラッと見学しに行くつもりでいた。

が、例の咳が鎮まらずに断念。ずっと自宅の部屋に引き籠っていた。

金曜日に呼吸器科に行って効き目のある(はずの)薬をもらって飲んでいるのだが、しばらくすると相変わらず咳き込んでしまう。

金曜日の夜、パフのオーオカの演劇(下北沢でやっていた)を義理でw観に行ったのだが、途中で咳の発作が起きてしまい、かといってゴホゴホやるわけにもいかず、口を塞いで必死に咳を飲み込んでいたのだが、「ウッ、ウッ」という嗚咽のような声が出てしまい、僕の前の席のお兄さんは何度も怪訝そうな顔で後ろを振り向いていた。お兄さん、ごめんなさい。観劇を邪魔するつもりはなかったんだけど…(+_+)。

そんなわけで、土日をじっと自室で引き籠って明けた今朝、やっぱり咳で目覚めてしまった😿。

うー、早く治したい。今週末までには治さなければならない理由がある。そのことはまたいずれ(^^♪

では、本日はもう引き籠っているわけにもいかないので、処方された薬をしっかり飲んで、行ってきます!

 

寝不足である。

2018年7月6日 (金曜日)

サッカーワールドカップのせいではない。

昨日も書いたけど、咳がひどい。

特に寝入りばな。ちょっとヤバいんじゃないかくらい発作のような咳が続いて寝つくことができない。夜中も咳が出て眠りが浅く、朝も咳で目が覚めるといったありさま。

もう1週間以上続いている。耳鼻咽喉科で処方してもらった咳止めもほとんど効かない。

咳って相当に体力を奪うものだ。こりゃ早く治さないと持たないな。

いつも行ってる耳鼻咽喉科ではなく、ちょっと呼吸器科にでも行ってみるかな。とにかく咳を止めなきゃね。

今朝は泣き言でごめんなさい。では日記もそこそこに、病院に行ってきます!

 

なぜか名古屋で経営塾

2018年7月5日 (木曜日)

昨日は朝から大きめの病院での検査。胸のレントゲンを初めてとして採血、医師の問診、そしてメインイベント(?)は、鼻腔から食道、胃、十二指腸、小腸にいたるまでの内視鏡検査を行った。

実は先週のアタマから喉に違和感があり、咳が止まらない症状が続いていた。2月末から症状は少しずつ違うものの、鼻や喉回りの炎症に悩まされている。

先日、行きつけ(になってしまった)の茅場町の耳鼻咽喉科の先生に診てもらったところ、「うーん。これは胃カメラ飲んでちゃんと調べてもらったほうがいいね」ということになり、昨日の病院への紹介状を書いてもらったのだった。

で、昨日の検査の結果。

「逆流性食道炎」との診断だった。逆流した胃液が食道や気管支を刺激して、喘息を引き起こしているらしい。

珍しい病気でもないらしいが、油断して放っておくと食道がんを引き起こす恐れもあるというから、ここはちゃんと治さねばならない。

飲みすぎ、食べ過ぎ、特に21時以降の飲食は絶対ダメとのことなので、しばらくは品行方正に過ごすことにしましょう。

検査を終えて次に向かったのはなぜか名古屋。

この4月から某大手証券会社の名古屋支店に異動となった、御年40歳の元パフインターン生がいる。西暦1999年のインターン生なのでパフにまだ誰も社員がいなかったころ。報酬ゼロで理不尽などぶ板営業をやっていたU杉という奴だ。

U杉はこの証券会社でTOPの成績を収めていた営業部門の管理職。順調に出世街道を歩んでいると思っていたのだが、一か月ほど前「ついに会社に辞表を出しました。この7月末で退職します。そして起業しようと思います。クギサキさん、相談に乗ってください!」という連絡が入った。

U杉の野郎、なに考えてんだ?

と、ちょっと心配になった僕は、このU杉の相談に乗るためにわざわざ名古屋までやってきた、というわけだ。

話を聞くと、U杉は会社の仲間数名と事業プランを立てていた。その事業プランは、僕らがやっている人材採用ビジネスにも密接に関わっている内容。であれば、ということで、おなじみ名古屋の名物・名大社山田社長も巻き込んでの起業相談と発展していった。

飲みすぎ、食べ過ぎ、21時過ぎの飲食には気を付けながら(笑)の、栄界隈での経営塾。あれやこれやアドバイスや忠告を行った。詳しい話は書けないけど、U杉にはちゃんとした事業を起こしてほしいものだ。

右端にいる関取みたいな奴がU杉です(‘_’)

 

さて、今日はこれから、その名大社山田社長のところに真面目な打ち合わせをしに行く。まあ普通は打ち合わせというのは真面目なものなので、「真面目な」とか強調しなくてもいいのだけど、誤解する人が僕らの周辺にはたくさんいるので、あえて言います。真面目な打ち合わせです(笑)。

では、ホテルでささっと朝食後、行ってきます!

 

東へ西へ

2018年7月4日 (水曜日)

僕は自分でオヤジライブをやっているくせに、ほかの人のライブを(好きなミュージシャンのライブであっても)自分からすすんで観ることはあまりなかった。親しい友人から誘われれば行くくらいだ。

でも、それってもったいない。自分の残りの人生もそう長くはないだろうし、ましてや僕が中高生時代に好きだったミュージシャンは皆、僕よりも10歳前後年上。いつ鬼籍に入るかわからない。生で彼らの演奏や歌を聴く機会もそう多くは残ってないだろう。

ということで、これからはできるだけ時間を作って、昔好きだった(いまでも好きな)ミュージシャンのライブに行くことにした。

第一弾はこの人。

そう、井上陽水である。

僕は昔(10年くらい前)の「釘さん日記」でも陽水を熱く語っていたことがあった。ちょっと引用してみよう。

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井上陽水は、いま60歳(8月30日で61歳)。僕より12歳年上。僕と同じ、ねずみ年でもある。

デビューしたのが40年前ということは、陽水が20歳。僕がまだ8歳。小学校3年生のときなのだが、残念ながらこのときの陽水のことを僕は知らない。それは当然といえば当然。陽水はこのときまだ陽水ではなかったのだ。

1969年。“アンドレ・カンドレ”の芸名で陽水はデビューした。デビュー曲は、『カンドレ・マンドレ』。なんじゃそりゃあ?・・・という芸名とデビュー曲である。

当然のごとくまったく売れず、陽水は3年間、沈黙する。

1972年。陽水は、芸名を“井上陽水”(いのうえようすい)と本名と同じ字に改める(本名の読みは、“いのうえあきみ”である)。

僕らが陽水を陽水として認識するのは、ここからだ。僕が小学校6年生のときだ。そこからの活躍は、もうここには書ききれないくらいだ。僕たちに大きすぎるくらいの影響を与え続けた。

「拓郎と陽水、お前はどっちが好きだ?どっちが上だと思う?」なんてことを、よく友達と言いあっていた。

どっちも凄いシンガーだが、僕の好みは、断然、井上陽水だった。

あるときは過激で、あるときは美しいメロディー。あるときは繊細かつ情緒あふれ、あるときは支離滅裂かつ難解(でも深い意味がありそう)な詩。甲高くも深みと透明感あふれる歌声。掴みどころのない天才シンガーソングライターだった。

1972年12月、アルバム『氷の世界』がリリースされた。いま聴いても、ちっとも陳腐じゃない、すごい曲が詰まったレコードだった。一曲たりとも感動しない歌はない。

嗚呼、井上陽水の日(2009年8月24日)

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あらためて読んだけど、ずいぶん好きだったんだな(‘_’)。

そんなわけで、昨日は夕方から会社を抜け出して(!)、陽水のライブに行ったのだった。陽水の歌を生で聴くのは生まれて初めてだった。

よかった。音楽はもちろん、陽水のそこはかとないユーモアあふれる喋りとそのキャラが実に楽しかった。

影響を受けやすい僕は、来年の自分のライブでは陽水の曲を歌いたいと思った。

何にしよっかなー。

昨日のセットリストで特にいいなあと思ったのは、「東へ西へ」「帰れない二人」「氷の世界」「夢の中へ」。やっぱり僕が中学生~高校生のころの楽曲ばかりですね(笑)。

このうちどれかを演ると思いますので、来年2月の釘さんライブに参加しよっかなあと思っている皆さん、どうぞお楽しみに!

ところで僕は本日、午後から名古屋に行く。来週は北海道だし。まさに「東へ西へ」である。

夜はお酒なのだが、その前に、今朝は胃カメラを飲まなきゃいけない(詳しい話はまた後日)。

では、まずは病院に行ってきます!