大学時代の先輩と久々に語り合った日
2009年2月14日 (土曜日)
僕が大学に入学した時の、すぐひとつ上の先輩にHさんという人がいた。
僕が行きがかり上入部した人形劇団サークルの先輩だ。学年はひとつ上なのだが、年齢は同じ(僕は浪人して大学に入学したので)。だからという訳ではないが、とても仲のいい先輩だった。
大学に入学したばかりの僕は、学校コンプレックスに囚われた実に情けない奴だった。仮面浪人をして、翌年、別の大学に行こうかなんてことを考えていた。そんな情けない僕に、入部の時、“喝!”と言ってくれたのがHさんだった。
「自分がいったん選んだ場所を否定して、そこから逃げるような奴は最悪だ。ひきょう者だ。いまこの場で頑張っている俺たちのことを、おまえは馬鹿にする気か? 与えられたフィールドで、まずは頑張らないでどうするんだ?」
こんなことを19歳の先輩は、19歳の後輩の僕に真剣に語ってくれた。僕は以来、大学の勉強も、サークルも、バイトも頑張ることができた。大学のゼミも、Hさんのいたゼミ(マーケティング)を選んだ。だからHさんは、サークルの先輩でもあり、ゼミの先輩でもある。
ちなみに、Hさんが僕を叱ってくれたときの上記の言葉は、現在パフが職学校で唱えている、 『職業に貴賎なし』という校訓にも通ずるところがある。
僕にとって(進むべき道を気づかせてくれたという意味で)恩人ともいうべき、この先輩のHさんが、本日、僕を会社まで訪ねてくれた。
Hさんは現在、銀座の某百貨店の部長として勤務している。つまり百貨店を支える幹部だ。
Hさんの勤務先の百貨店からパフの事務所までは歩いても10分程度。いつでも会える距離にいたのだが、逆にいつでも会えるものだから、この6年間ほどは会っていなかった。今夜は久々の再会だった。
パフの事務所を見学してもらったのち、東銀座の炉端の店で一献傾けた。考えてみれば、二人だけで酒を飲むのは、大学生のとき以来かもしれない。
昔話、いまの仕事の話、いろいろと出てきた。ふたりで北海道旅行をしたこともあった。僕が旅の途中で3針も縫うほどの大怪我をしたこともあった。Hさんが好きだった女の子の実家まで、なぜか一緒に行ったこともあった。
昔話は、懐かしく、ほろ苦くも、いまとなっては楽しい話ばかりである。
しかし、現在の仕事の話は、経済環境の急激な悪化もあって、なかなか楽しい話にはならない。実に切実だ。
「オレたちも、現役で働けるのがせいぜいあと10年ちょっと。クギサキさあ、オレ、最近やっぱり、世の中のためになることをやりたいなあって、心から思うようになってきたんだよ。もちろん百貨店が、世の中のためにならないとは思わないんだけどね。でも、もっと自分が直接世の中に役立てているって実感できることを、やりたいなって思うんだよなぁ…」
こんなことをポロっと、先輩のHさんはもらしていた。
社会に出て26年め。ビジネスマン人生の最終コーナーに差し掛かった我々が、皆共通して考えていることなのかもしれない。
熱いキャリアセンターの部長と語り合った日
2009年2月13日 (金曜日)
先日、「経済同友会の提言にしびれた日」というタイトルの日記を書いた。そのなかで、企業の人事担当者と大学キャリアセンター職員とのパネルディスカッションについて触れた。そして最後に、そのパネルディスカッションで出てきた、とあるキャリアセンターの方の発言を、公表されている議事録から転載させていただいた。
その内容を、あらためて以下にコピペする。
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昔、大学生は大人という定義だったが、現在は心理学的にも昔の大学生・大人は今の30歳か35歳ぐらいかといわれている。しかしこれは私達が作ってきた社会であり、その軋みをいかに産業界と大学が力を合わせていくかという段階に来ている話でもある。
今の企業の人材採用は、誤解を恐れずに言えば各大学のトップ層の争奪戦ゆえの早期化である。倫理規定に関係ない外資企業等が早期化するから我々もやらざるをえない、とリーディングカンパニーが言う。
なぜ待てないのか。子供達が成長することをなぜ見守れなくなってしまったのか。もっと私達が大人にならなくてはいけないのではないか。学生にとって不幸なことは真に大人のモデルが少なくなったことだ。
学生達は、人事、企業のOBを本当に良く観ている。相談時に魅力的な人事の話がまれにでてくる。
高度成長期の人材要件は協調性だった。この部署に戻ってきて、日本の企業から自立という言葉が出てきたことに驚いた。
180度の人材要件の変化のなかで一番の犠牲者は若者である。求める力としてコミュニケーション能力がトップになり、大学生ならあたり前の能力要件を、なぜ敢えてトップに挙げなければならない日本社会になったのかを、一緒に考えていくことが必要。若者たちを批判し責めても何ら回答はない。
しかし問題の解は若者にしかない。完成した若者だけを選び、峻別する厳選採用は違うのではないか。中間層以下の学生を引き上げるのが教育である。それには時間が必要である。日本の教育システムによって、軋みを一身に背負っている若者たちをどうするかは大きな課題である。
早く内定が決まった学生が、大学の授業料を払いながらも企業の研修もこなしているのが現状。大学は大学生をさせなければならない。早期化により拘束期間が長くなり、企業は必死につなぎ止める努力を強いられる。現実に起こっている事を顕在化させて、全体が共通理解を持った方がよい。
——
経済同友会が発表した資料の中では、この発言の主が、どこの大学のどなたのものかということについては、残念ながら触れられていなかった。
しかし、僕はこの発言内容を読んで、「これはきっとKさんに違いない」と直感的に思った。Kさんというのは、某有名私大のキャリアセンター部長である(ちなみに女性である)。
かなり以前(たぶん6~7年ほど前)に、一時間ほど、お話したことがあり、その熱さと誠実さに感動したことをいまでも覚えている。その後も、活躍のご様子は、各種メディアを通じて拝見していた。
Kさんならば、企業の人事部に対して、上記のような歯に衣着せない発言(企業にとっては耳の痛い発言)をきっとするんじゃないかなと思ったのだ。
そう思ったら、自分の直感の正しさを確かめたくなった。
この日記を書いてすぐ、Kさんにアポイントのお願いの連絡をした。すると、Kさんは面談を快諾。Kさんは就職情報会社の現在のあり方を快く思っていないことでも有名なのだが、ありがたいことに、なぜかパフに対しては一目おいてくださっている。
そして本日が、Kさんとの面談のお約束の日だったのだ。
「この発言、Kさんじゃないですか?」
といきなり切り出した。
「お恥ずかしいですが、そうです(笑)」
やった。大正解だった。僕の直感もたいしたものだと、あらためて自信を深めた(笑)。
約1時間、久しぶりにKさん節をたっぷり聴かせていただいた。僕が知らなかった、超重要な情報もいただくことができた。パフの事業へのアドバイスもたくさん頂いた。
Kさんの問題意識の高さは、天下一品である。感心を通り越して感動した。と同時に、僕自身の勉強不足を強く反省させられた。「クギサキさん、そのくらい知ってなきゃダメですよ」とKさんからダメだしもされた(苦笑)。
それにしても濃い一時間を過ごした。大学キャンパスは現在、入試のため立ち入り禁止になっており、敷地の外にある大学が運営するレストラン(記念館)での面談だったのだが、珈琲とロールケーキまで御馳走になってしまったし^^。
Kさん、本日はお忙しい中ホントにありがとうございました。これからも同志として、ぜひともよろしくお願いいたします。
たくさんの根回しをした日
2009年2月12日 (木曜日)
「根回し」という言葉がある。
モノゴトを成就させるために、水面下で、キーマンに対する交渉を行ったり、キーマン同士を結びつけたり、結びつけるための場を設定したりすることである。
明治維新を成し遂げるために、犬猿の仲だった長州藩と薩摩藩との同盟を結ばせた坂本竜馬の話は有名だ。竜馬は、根回しの達人だったのであろう。
僕も竜馬にならって、本日は、3つのモノゴトを成就させるための根回しを方々に行った。
ひとりの力ではできないことが、複数の実力者を動かしたり、引き合わせたりすることで可能になる。
新しい時代を創り出すためには、たくさんの薩長同盟が必要なのだ。
MSPの超重要会議だった日
2009年2月11日 (水曜日)
本日は休日であるにもかかわらず早起き。平日と同じく、朝6時に起床。そして朝8時過ぎには自宅を出発した。
向かったのはM社の会議室。M社の社長を、早朝に訪ねたのだ。
僕がM社に到着したときには、すでにもう1社の社長も到着していた。S社の社長である。
そう。きょうは、M社とS社とP社の社長が、膝つき合わせて語り合う超重要首脳会談だったのだ。
朝9時から3時間。休憩を取ることもなく、みっちりと議論を重ねた。
会議の途中、相当に大きな声も張り上げた。
こんな大声の会議は、社員たちが出社している平日には、とてもじゃないができない。
「あの3人は、実は仲が悪いんじゃないか?」と思われてしまうかもしれない。
いや、それ以上に、 「不況のせいで、ついに気が触れてしまったんじゃないか?」と心配されてしまうかもしれない。
なので、誰もいない休日にやって正解だった。
会議では、特に重要な議題がふたつあった。
1.MSPのデビューコンサートの日をいつにするか?
2.デビューコンサートでは、誰が、何を、どういう順番で歌う(あるいは演奏する)のか?
そりゃあ大声も張り上げるわけだ(笑)。
で、3時間の会議の中で、このふたつが無事、血をみることもなく決まった。
1.デビューコンサートは、5月15日(金)で決まり。夜7時より都内某ライブハウスにて。
2.曲目と歌や楽器の担当も、きちんと決まったのだが、まだ公開しない(もったいつけます^^)。
そうだ!!
実はデビューコンサートに先駆けて、とある超有名な雑誌に、われらMSPが取り上げられることになっている。
このMSPが、日本の文化と経済を変えていくのも、そう遠い未来ではないようだ。ふふふ。
恩人の役員退任慰労会だった日
2009年2月10日 (火曜日)
きょうは1分の隙間もないくらいに、さまざまな会議、うち合わせ、外出などでスケジュールが埋まった日だった。
自分の席にいたのは朝の10分と、昼休みの30分だけで、あとは会議室と外のあいだを行ったり来たりしていた。
そんな本日の締めくくりは、神楽坂の小さなお店。
創業時からお世話になっているO社の専務Fさんが昨年末で引退した。本日は、そのFさんの慰労会を、僕が幹事(というか言いだしっぺ)となり行った。
あまり仰々しいものは、Fさんも僕も好きではない。なので、気ごころの知れた最少人数(4人だけ)での開催となった。
Fさんは、僕とパフのことを、この11年間、ずっと見守ってくださっている。
僕が書いているこの日記や、メルマガのコラムはすべて読んでくださっており、僕以上に(!)、僕の過去やパフの過去を記憶してくださっている。ホントにすごい。感心してしまう。
一昨年は、パフの大口の株主にまでなってくださった。
「釘さん、配当なんて考えなくてもいいからね。いい仕事やってよね…」なんてことを言ってくださる。
Fさんは、僕よりもひと回り以上先輩なのだが、気さくで、ダンディで、謙虚で、人間くさい、素敵な方だ。
Fさん、ホントにいままでお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
しばらくは休んで長年の疲れをとってくださいね。あ、5月のMSP(おやじバンド)のコンサートにはぜひお越しください!
某社の内定者向けに「うまれよ」の講演を行なった日
2009年2月9日 (月曜日)
本日は、パフの協賛企業であるS社の内定者研修の日。僕は、この研修のなかで、約40分の講演を依頼されていた。
S社は、パフから徒歩1分の至近距離にある。
なので、コートも着ず、カバンも持たず、手にはメモ用のノートを一冊持っただけの軽装で、S社に向かった。まるで自分の会社の会議室にでも出かけるような手軽さである。
S社の内定者は全14名。すでに何度も顔合わせを行なっているとのことで、チームワークは十分に醸成されている。
僕の講演は、「うまれよ」。
あと2ヶ月で社会人になることを踏まえてのアレンジが若干あったものの、基本は、うまれよ塾で、いつも話しているものと同じだ。
「うまれよ」の本質的なところは、相手が、学生であっても社会人であっても、変るものではない。
本当に大事なことは、いつでもどこでも誰でも、大事なんだよなあ。
僕も毎日、「うまれよ」を自分自身に問いかけなきゃいかんなあと思う、今日この頃である。
三社合同研修二日目だった日
2009年2月8日 (日曜日)
本日は、前回(1月31日の土曜日)に引き続き、三社合同研修の日だった。
三社の若手社員諸君、休日返上の研修参加、お疲れ様でした。
それにしても、密度の濃い、ぎっしりと内容の詰まった研修だった。研修の中身は、マングローブ社の今野社長のブログや、就職エージェント社の下薗社長のブログでも紹介されるであろうから、僕はここでは触れないでおこう。
朝9時から始まった研修が終了したのは夜の7時前。そして終了後には、ささやかな懇親会が催された。
この懇親会で、僕ら社長3人がちょっとした出し物を演じた。
それは、おやじフォークバンドのMSP。
なんと、コブクロの轍(わだち)を三人で熱唱したのであった。
社員たちは、まさかと思っただろうが、終わった時には拍手喝采であった。
こういう社長が率いる会社の社員たちって案外幸せだと思うのは、僕だけだろうか。
・・・ん? やっぱり僕だけですかね
※以下、社長室のスギヒラが撮影してくれたMSPの熱唱シーンです。
なんと、このMSPの3人。とある高尚な経済雑誌に取り上げられることになっている。デビューコンサートは5月を予定しているし……。こりゃ、ますます目が離せませんぞ。